プロローグ
そこは、牢獄だった。とても薄暗い空間。室内に大型の照明はなく、金属製のデスクの上にデスクライトがあるのみで、後は廊下に僅かな数の照明が取り付けられているだけだ。
室内もそれに見合うほど質素で、やはり金属製のベッドと、備え付けの外から丸見えなトイレと洗面台がデスクの他に備え付けられている。
俺がここに収容されてから既に一ヶ月。入ってからは風呂以外では一切外には出ていない。食事は一日三度部屋に届けられるから部屋から出ることもないし、出たいと思ったところで出させてはもらえないだろう。
ここに入ってから顔を合わせたのは見回りの警備員もしくは、食事を運んでくる者のみで、顔見知りとは一度も顔を合わせていない。
いや、誰も来なくて当然か。今の俺は地球統合政府に対して反逆を起こしたA級犯罪者なのだから。
そんな奴に会いたいなんてのがいたらそいつは余程の物好きか、命知らずの愚か者かのどちらかだろう。
今日もまた、いつもと同じように特別何かをするということもなく、この薄暗い牢獄で一日を過ごすものだと思っていた。
だが――突然の来訪者の存在によってその予想は覆されるのだった。
近くから足音が聞こえる。この音はここに入ってから一度も聞いたことがない音だ。巡回の警備員の足音は毎日聞いていて、嫌でも耳に残っている。
変な自信ではあるが、足音の癖からその警備員が誰かを当てることもできる。だから、聞き間違えるはずなどない。その足音は、異質な足音。外部から来た人間のものだ。
次の瞬間、目の前の鉄格子、その側にその来訪者は居た。
「君が噂の『友軍殺し』レイ・アークライト君だね?」
その来訪者は鉄格子越しに俺の目の前に立つと、そう言ったのだった。
『友軍殺し』か。なんて忌々しい響きだ。だが、今やこの忌々しい名が俺、レイ・アークライトを示す名となっているのもまた事実だ。
声から察するに、この来訪者は男だろう。友軍殺しの俺の前に現れるとはこの男、物好きか愚か者か……いや、どっちでも関係ないか。この場にいる限り、俺が手を出すことができないのだから。
まずはこの男の目的を知るべきか。
「……誰だ。俺に一体何の用があってこんなところに来た?」
男の方には視線を向けず、俯きながら俺はそう言った。男がどんな風貌であれ俺には関係ないし、それよりも男から感じる異質な雰囲気が自然と男へ視線を向けるのを躊躇わせたのだ。
「私は地球統合軍総司令部より派遣された、ただの『メッセンジャー』さ。君とある取り引きがしたくてここに来た」
男は至極淡々とした口調で俺の問い答える。
総司令部? メッセンジャー?
いや、それよりも、
「取り引き……だと?」
その言葉がいちばんの疑問点だった。ただの一犯罪者でしかない今の俺に対してこの男は――軍の上層部は一体何を求めているのだろうか。
どれほど思考を巡らせど解せない。
そんな俺の様子を見兼ねたのか、男が一方的に言葉を発する。
「レイ・アークライト君、君は先の月周辺における金星王国軍との戦いで我が軍の戦艦を故意に撃墜した。その後、それ故に国家反逆の容疑で逮捕され、軍籍剥奪の後にA級犯罪者のみを収容するこの収容艦『オルガ=ジェイル』に収容された。そうだったな?」
確かに、男の言うとおりだ。だが、俺は地球統合政府に対して反逆を起こしたわけじゃない。あのとき、ああするしか方法はなかったのだ。
それに、そうすることを望まれたから……
しかし、軍法会議でどれほどそのことを訴えかけても聞き入れられることはなく、その結果今の状況に至っている。
「……」
「沈黙は肯定と取らせてもらうぞ。取り引きの内容は実に簡潔だ。君が我々に協力し、我々に従うというのならば我々は君をここから解放しよう」
わけがわからない。国家に対して反逆を起こしたと思われている俺に協力を求めるとは、政府は何を考えているのか。
「どういうつもりだ? 地球統合政から直々にA級犯罪者に認定された俺を政府自ら解放しようだなんて、何が目的だ?」
解放されることが不本意なわけではない。寧ろ僥倖だ。
だが、政府がその道を選択したその目的が不明確であるのは俺としても収まりが悪い。潔白が証明されたのではなく、取り引きで解放されるというのなら、尚更。
「通常の部隊では遂行に差し障りのある任務の遂行。それと、一人の少女の面倒を君に見てもらいたい」
「少女?」
「それに関しては、この取り引きに応じるというのなら後で詳しく説明しよう」
そう簡単に教えてはくれないか。政府は余程俺に取り引きに応じさせたいと見える。
「上層部はどうして俺にこんな取り引きを持ちかけてきた? 女の面倒を見るくらいなら誰にだってできるはずだが」
「君が少女の担当に的確だと、総司令部が判断したまでだ。取り引きの件に関しては総司令部の中に君のこの一件が君自らの意思によるものではないのでは、という意見もあってね。君だって軍法会議で身の潔白を訴えたのだろう?」
「だが、結果はこのザマだ」
俺は何度も何度も身の潔白を訴え、ミッションレコーダーも提示して説明を繰り返した。にもかかわらず、結局身の潔白を証明することは叶わずに犯罪者の中でも最上位のS級のワンランク下のA級犯罪者との認定を受け、具体的な刑期が決定されるまでここに収容されることとなったのだ。
「信用に値しないとやらで、どれほど訴えても君の証言は受け入れられなかったらしいな」
全てはこの男の言うとおり。俺の証言は信憑性に欠けるという理由で、そのことごとくを否定された。
その後、信憑性とはなんなのかと深く思い悩んだこともあった、が一ヶ月も経った今ではそのようなことも考えなくなっていた。考えるだけ無駄であり、答えが出たところで(答えが出るかも定かではないが)この牢獄にいる以上何の意味もないと俺の中で結論が出されたからだ。
「ああ、そうだよ……」
それは嫌味か? 嫌味なのか?
メッセンジャーとかいうこの男は、牢獄にぶち込まれた人間の精神を言葉で抉ることに快感を覚えるようなサディスティックな奴なのか?
……いや、ないな。声の様子からしてあり得ないと断言できる。
それほどまでにこの男の声には抑揚がなく、まるでロボットが会話しているかのような感情の無さが浮き彫りなのだ。
そんなことを考えている俺のことなどお構いなしに、やはり同じように淡々と男は言葉を続ける。
「そこで総司令部は君にもう一度弁明する為のチャンスを与えることにしたのだ。とはいえ、総司令部の全員がそのことを承諾したわけではない。君が任務をこなし続け、君が信用するに値する人間だと総司令部の全員が判断できれば再び軍法会議を開き、君の裁判をやり直すとのことだ」
上層部が直々に俺にチャンスを与えるだと? A級犯罪者のこの俺に?
ここから出られるのなら喜んで受け入れたいところだ。だが、上層部の思惑が計り知れないのがネックだ。
それでも、このチャンスというものは魅力的に感じる。
「つまり、上層部の後ろ盾を得てからもう一度軍法会議に臨めと。そういうことだな?」
「簡潔にまとめれば、そういうことになるだろう。さて、どうする? 我々との取り引きに応じるか? 否か?」
メリットはここからの解放、身の潔白を証明するチャンスの獲得、デメリットは上層部の意図が読めないことか。このままここで審判の時を待つくらいなら俺は……。それに、上層部の意図するところも任務をこなすうちに或いは……。
なんども頭のなかで反芻。その後、その結果を答えた。
「その取り引き……受け入れた。俺の手で、俺の身の潔白を証明してやる!」
それが、数多の苦難へ足を踏み入れることになるとも知らずに――
それが、長き戦いの序章であるとも知らずに――