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砂の星、響く声  作者: 理祭
 三章 熱砂攻防
97/107

 タニルの牢は砦の奥、その地下にあった。乾いた砂が充満した埃っぽい暗い空間は、ほとんど砂塵に埋もれるようにしている。見るからに手入れが行き届いていなかったが、仮に手入れが行き届いていたらどうなのかという話ではあった。

「入れッ」

 背中を蹴飛ばされるようにしながら、リトは牢の一つに向かう。


 入り口をくぐり、奥の壁に寄ると石積みではなく、天然の岸壁が利用されていることがわかった。刳り貫いたわけでもない。それはタニルという街の特徴というべきものだった。タニルは砂海を貫く岩盤そのものではあるが、仮にその砦街の内部に存在し、利用されている空間を全て人の手で作り上げようとしたら、どれほどの時間と労力がかかるだろうか。もちろん、“河川”を引くことよりは遥かに容易な仕業であるとはいえ――

「どこを見てる!」

 背後からの怒声に振り返り、リトは肩をすくめた。

 随分と余裕がない、と考える。すぐに無理もないかと思った。末端の立場にも、自分の置かれた境遇はそれとなく伝わるものなのだろう。自分達が絶望的な状況だということは。


 リトはその場に腰を下ろした。牢のなかに椅子はないので、地べたに座る。地面の近くはさらに多くの砂埃が舞い上がり、それを避けようと頭に撒いた防砂衣を口元まで引き上げた。

 しばらく置いておかれるのなら横になってもいいが、どうせすぐに声がかかるはずだった。予想通り、すぐに乱暴な足音が近づいてくる。音は複数だった。


「その男を出せ」

 先頭にやってきた小男が甲高い声で命令する。

 リトは黙って立ち上がった。自分を見上げるように睨みつけてくる小男のことを記憶から思い出している。

 国境の砦街タニルで領主の補佐を務める人物の名前は、確かキーチェンとか言った。国防の最前線に置かれているということは事務官としてはそれなりに優秀なはずで、一方で貧乏くじという意味合いも強い。ツヴァイにおいて、タニルという街の立場は特殊だった。――それに、上司があのケッセルトなのだ。防砂衣で隠された口元をリトはわずかに綻ばせた。最後のその一点だけでも、目の前の人物の苦労が相当に偲ばれるのだった。

「出ろ!」

 リトが大人しく外に出ると、左右に兵士が立った。正面の小男、キーチェンが忌々しげに舌を打ち、神経質そうに配下に目配せする。右側の兵士が無言でリトの膝裏に棒を振り下ろした。無理矢理に跪かされる。自分を見下ろす立場になった小男が口を開いた。

「貴様は何者だ」

「……旅の者です」

 痛みを堪えながら答えると、即座にキーチェンが反応した。

「嘘をつくな!」

「そう言われても、本当のことなので」

 苦笑に近いものを浮かべながら、リトは答える。

 嘘は言っていないし、嘘を言うつもりもない。この場合、問題は相手が求めるものがそれとはまったく無関係だということだった。詰問する事務官の目はわずかに血走っていた。昨日からほとんど眠っていないのだろう。

 それも無理はない。今度は先ほどよりも同情気味に考えた。街を敵軍に囲まれ、兵と民の命を預かることの重責はそれほどのものだろう。さらに言えば、目の前の相手は明らかに軍事の専門家ではない。


「では、これはなんだ。これらはなんだッ」

 控えていた兵士から、リトが捕まった際に没収された皮袋を引っ掴み、キーチェンは詰るように言った。ばらばらと中身が地面に零れ落ちる。それらを指さして、

「なんだこの得体の知れない物は! 貴様はボノクスの間諜だろう。これはなんだ、街に呪いをかけようとでもしていたか!」

「全て旅の道具です。必要なら、それぞれどのような用途かご説明しますが」


「私は貴様に、間諜かと聞いているのだ!」


 語尾を震わせながら告げられた言葉に、目の前の男の全てがあった。

 客観的事実ではなく、主観的真実を欲している。つまり男は間諜だと疑っているのではなく、間諜であって欲しいと願っているのだ。

 リトはそれを蔑む気にはなれなかった。主観的真実。そんなものは誰もが求めている。この乾いた惑星で生きる誰も、それなしに生きることは出来ないのだから。



 ――――。



 声がした。


 自身の裡側に響くその言葉を聞いて、一瞬、リトは顔をしかめさせた。すぐにそれを消し去って、口を開く。目の前の相手にだけ声が届くよう、囁くように言った。

「あれは、攻城塔。そう呼ばれる代物でしょう」

 キーチェンの眉が激しく震えた。

「攻城……?」

「大きな車輪が用意されているのが見えました。他に破城槌用の丸太も。投石用の弾は見当たらなかったが、ただし確実ではありません。連中はそれらを砦の目の前で組み立てている。明日にでも完成するでしょう。対城砦用の戦術、ということです」

「た――」

 なにかが引っかかったように喉を震わせる相手の言葉がまとまらないうちに、言い切ってしまう。

「止めるためには今、兵を出すしかないが、それは出来ない。理由は貴方が知っている。そして連中はそれを待ち構えているし、恐らく連中はそうならないことも承知している」

 初等の数式を披露するような気分で、つまり、と淡々と告げた。


「この砦は保たない」


 飛び跳ねるように、キーチェンが後ろに下がる。表情が蒼白になっていた。すぐにその顔色は赤くなり、赤黒くまで変化して、その頃にはわなわなと全身が怒りに打ち震え始めている。

「……この男が知っていることを全て吐かせろ! なにをやってもかまわんッ!」

 憎々しげに命令を言い残したキーチェンが慌ただしく去っていく。


 残されたリトは、自分の周囲で兵士達がひどく歪んだ表情を浮かべているのに内心でうんざりと息を吐いた。

 もとより嘘を言うつもりはない。だからといって、それで済むように世の中は出来ていない。

 戦争の恐怖や日々の鬱憤を、他者への暴力で晴らそうとする輩はいくらでもいる。それもまた主観的真実に過ぎないのだろうが、と考えた。皮肉っぽく頬を歪める。それ以外にすることもないというのが、今この場における彼にとっての真実だった。


 ◆


 向かった宿にメッチとラディの姿はなかった。荷もなかったから、襲われたのではなく引き払っただけかもしれない。もちろん、そう見えるように偽装されたというのも十分に考えられることだった。

 鼻息一つで目の前の事態の解釈を済ませると、ユルヴは宿の外に出た。宿の主人に訊ねるような無駄はせず、人の多そうな場所に足を向ける。求めた姿は簡単に見つかった。


 一人の吟遊詩人が目を閉じて道端で唄っている。竪琴を爪弾きながら、よく通る声が雑踏に響いていた。



 『其はクルルギゥヌの怒り。嘆き。悲しみ。

  此はアタリアの笑い。叫び。また喜び。

  汝は地が求めし一切の演舞者であり、

  程なくして全ては天に還らん。

  それこそが新生の証にして、

  故に汝こそは万物、生命の運び手よ』



 ユルヴは表情を消し、無言で男の元に近づいた。目の前に立つ。日陰が出来たことに気づいたラディが顔を上げた。瞼を持ち上げて、眩しそうに笑う。

「ああ、これはユルヴさん」

「やめろ」

 ほとんど怒りすら含んだ声で言った。

「そんなものを唄うのはやめろ。誰にでも聞かせていいものじゃない」

 ラディは困ったように眉を寄せて、

「歌に、聞く権利や唄う権利なんてありますか?」

「なら好きにしろ。今度、その詩を囀っているのを聞いたら喉首を切り裂いてやる」

 完全に本気の声でユルヴは宣言した。先ほどヨウ達から茶々が入ったこともあり、ひどく虫の居所が悪い。言いながら、その手は既に短剣に伸びかけていた。

 それをちらりと見たラディが肩をすくめる。

「わかりました。これからは、この歌はユルヴさんのお耳に入らないところで唄うことにします」

「やってみろ。……宿はどうした」

「それが、メッチさんが宿を変えたほうがいいとおっしゃって。すぐそこの場所に移ったんです」

「あいつにしては賢明だったな。それで、今どこだ」

「メッチさんは商会の方に。もう少し探りを入れてくる、とおっしゃっていました」

「お前は何をしていた」

「歌を唄っていました」

 射貫くような眼差しで、ユルヴは男を見下ろした。ラディが苦笑を浮かべる。

「宿に私一人が残っていたところで、危ないだけでしょう? こんな大勢がいる前でなら、襲われることもないでしょうし」

 男の言葉に嘘はなかった。それだけだった。

 眼差しをさらに引き絞るように細めて、ユルヴは質問を加えた。

「唄いながら、なにをしていた」

 男はとぼけたような表情で、

「色々と、町の噂話が耳に入りました」

「聞かせろ」

 詩人の隣にどっかと腰を下ろして、先を促す。


「昨日と違って、クアルさんのことはやや落ち着いています。一番、多かったのは東のことですね」

 腕に抱えた竪琴を弄びながら、男は話し始めた。

「今、我々の目の前を流れるこの河川。その先で長らく睨みあっていたツヴァイとボノクス両軍は、完全に大規模な戦闘状態にあるそうです。ここ数年も、小競り合い程度のものはよくありましたが、今度は少しばかり様子が違う。既に河川沿いの町一つが占拠され、ボノクス軍はさらに西進中とのこと。どうも本気のようです」

 ボノクスという遊牧民の国家が東にあるということはユルヴも知っていた。部族のように定住しない生き方というが、同胞意識の類はない。ボノクスは水源を支配し、河川を使うという。その時点で部族とはまったく異なるものだった。

「戦争か」

「はい。この数日、毎日のように西から大量の物資が運搬され、東に向かっています。おっつけ、兵士を載せた船も現れるでしょう。たくさんの船が入り混じって、河川の上は朝からひどく混乱しているそうですよ」

「パデライがそのなかに紛れて、町から逃げ出すことはあると思うか?」

「……難しいでしょう」

 慎重な口調で、ラディは答えた。


「町の出入り口はどこもヨウ達の仲間が見張っているはずです。船などは特に監視が厳しいでしょう。パデライさんが本当にこの町の領主と関わりがあるなら、いくらでもやりようはあると思いますが、逆にそこまでして外に出す意味があるか、とも思います。わざわざ自分の手の届かない場所に送り出すくらいなら、自分の手元に留めておくんじゃないでしょうか。それとも、」

「いっそのこと殺すか、だな」

 ユルヴは詩人の言葉を引き取った。結局のところ、それがもっとも確実なやり方ではある。そうした展開を恐れたからこそ、サリュは相手の意のままになっているところもあるはずだ。

 現状、パデライという個人とこの町の領主、そしてクァガイ商会のワーム支部の関わりは不明だった。それぞれがなにかしらの関係性を持っているだろうことはほぼ間違いないが、三者がどこまで共謀しているかがわからない。だからこそ、ヨウ達も表立って動けずにいるのだと思われた。そうした状況を打開するために、連中はこちらを利用しようとしている。


「ヨウ達から接触はあったか?」

 ラディが驚いたように目を丸めた。

「よくわかりましたね」

「馬鹿にしてるのか? それで、なにを言ってきた」

「人をつけるので、いざという時は助けてくれるそうです。まあ、実際はこちらが餌なんでしょうが」

「だろうな。今もどこかで見張っているか」

 ユルヴは適当に視線を巡らせたが、雑踏のなか、あるいは密集する建物のどこかに潜んだ気配を見つけ出すことはさすがに難しかった。

「わかった。ならお前は大人しく餌をやっていろ」

 立ち上がったユルヴに、後ろからラディが訊ねた。

「それはまあかまいませんが、ユルヴさんはどうされるんです?」

 問われたユルヴは一瞬も考え込まなかった。

 サリュは領主。メッチはクァガイ。ラディはクライストフ。それぞれにかかる相手が違うなら、自分は好きに動かせてもらおう。一般的な部族の人間らしく、彼女は束縛されることを嫌った。待ち構えるよりも攻める方が好ましいというのは、むしろ性分の方により比重がおかれた性質のものではあったが、

「クァガイに行ってくる。面倒な問題は一つずつ片をつけるに限る」

 狩りに出かけてくるような口調で彼女は言った。

「お気をつけて」

 苦笑まじりの声に、ああ、という声が続く。

「もしクァガイの偉い方と詳しく話をする機会があれば、その時は私も同席させて欲しいのですが」

 ユルヴは足を止め、肩越しに後ろを振り返った。

「理由はなんだ」

「少しばかり、聞いてみたいことがあるんです。町の噂で気になったものがありまして」

 ユルヴは目を細めて詳細を促したが、詩人は曖昧な微笑を浮かべたままだった。

「覚えてはおく」

「よろしくお願いします」



 ユルヴがクァガイの商館に向かう途中、前から若い商人が近づいて来るのが視界に入った。とぼとぼと肩を落として歩く相手が、なにかに気づいたようにはっと顔をあげる。

「あ、――」

「成果はなしか」

 断定するように訊ねられ、顔を引きつらせる。大きくため息をついて、メッチは項垂れた。

「……悪かったな」

「別に期待もしていなかった」

 本心から言って、さっさと歩き出す。後ろから肩を掴まれた。

「なんだ」

「ちょ、ちょっと待てよ。あんた、どこ行くつもりだよ」

「クァガイだ」

 当然のように告げる。

「なにしにさ!」

「昨日も言わなかったか?」

「だから、それは待てって言っただろ!? わかってくれたんじゃないのかよっ」

「もう一日待った」

 足を止められたのを機会に、ユルヴは持ってきた弓に弦を張りながら答えた。淡々と、


「領主の方はひとまず問題ない。今夜にもまた向かうつもりだ。次はクァガイだ。不義理をやった咎を思い知らせてやる」

「ああ、もう! だから、そんなことしたら問題になっちまうだろう!? リスールのクァガイにだって迷惑がかかっちまう!」

「それはお前達の問題だ。文句があるならかかってこい、一族総出で相手をしてやるぞ」

「そんなこと言ってるんじゃなくてさあ……!」

 ほとんど泣きそうな顔になっている相手を、ユルヴはまったく冷ややかな心地で見やって、

「泣き言の前に、他に手立てがあるなら言ってみろ。なにもないなら、宿に戻って好きなだけ遠吠えていろ。軟弱者の愚痴なぞ聞いている暇はない」

 張りなおした弓を握り、歩き出そうとしたが、男の手が肩から離れなかった。うるさそうにそれを見て、

「まだなにかあるのか」

「だから、待てって」

 唸るようにメッチが言う。苦悶に満ちた表情の奥で、思考が激しく渦を巻いていた。逡巡や覚悟。その内部で大勢を占めるのがどのような感情であるかはわからなくとも、ユルヴには明確に判断できることがあった。目の前の未熟な商人がそうした表情を見せる時だけ、ほんの少しだけ頼れることを。あるいは、油断がならないということを。


「……わかったよ」

 やがて、深く息を吐いたメッチが言った。憑き物が落ちたような声だった。

「確かに、正面からは厳しそうだって思ってたところだ。――手を貸してくれ。無理矢理にでも、話を聞き出してやる」

「始めからそうしていろ」

 悲壮な覚悟を決めた様子の相手に向かって、ユルヴの態度はあくまで厳しかった。怨むような眼差しでメッチが見る。

「あんたって、ほんとこう、相手を立てるとかさ。褒めるとかさ。そういうのないよな」

「あるわけがない」

 ユルヴは即答した。メッチが吐き捨てるように、

「好きな男が出来てもそんな態度なのかよ」

「わたしだって誰かを褒めることはある」

「あるのかよ」

「メッチ、お前が死んだ時には褒めてやる。なんなら接吻の一つもくれてやるぞ」

「これだからなぁ」

 なにかを諦めるようにメッチが天を仰いだ。

「なんだ」

「いいえ、なんでも。部族との交渉役を引き受けたがる人間が少ないわけだよな」

「光栄に思え」

 女王の気位で、ユルヴは不敵に微笑んだ。



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