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砂の星、響く声  作者: 理祭
 三章 熱砂攻防
96/107

 ◆


 正午。まるでその訪れを人々に教えるかのように、ボノクスの攻撃が再開された。

 昨日と同じ、あるいはそれ以上の本数で矢嵐が振る舞われる。天を穿とうとする勢いで放たれた無数の曲射は薄青色の空に紛れ、すぐに急激な速度を伴って地上目掛けて降り注いだ。

 防壁上に配置された兵が構える盾へ、たちまちに矢が突き刺さる。ボノクスの矢はほとんど間断なく、息をつく間さえ訪れなかった。まさに矢の嵐だった。


 無論、防衛する側も黙ってやられているわけではない。

「放て!」

 号令一下、味方が構える盾の後ろで攻撃の準備を整えていた兵達が立ち上がる。整然と列をなした彼らは、眼下の敵に向かって長弓を放った。反撃の矢。

 タニルは砂海の只中、聳え立つ岩山に張り付くように存在している天然の要塞である。周囲は岩壁に囲まれて敵の侵入をまったく許さず、唯一の出入り口は街正面のみ。当然、そこには厳重な防御措置がなされている。

 反撃が高所からの攻撃である以上、圧倒的に優位なのは防衛側であるはずだった。にもかかわらず、タニル側から放たれた矢はほとんど有効射としての意味を持ち得ていない。反撃の矢が向かう頃、ボノクス兵はすでにそこから悠然と身を翻しているからだった。彼らは馬に乗っていた。


 ボノクスの弓は動物の骨や腱を幾重にも繋ぎ合わせた複合弓であり、小型ながら威力、精度ともにツヴァイのそれを圧倒している。過去、同じように強力な弓を作らせようとする動きがツヴァイにもあったが、何人もの職人が苦労してどうにかそれらしいものを完成させてはみたものの、それを使いこなせる人間がいなかった、という落ちがついている。結局は使い手の問題ということだった。生まれながらの射手である遊牧民と豊かな水源に生きる定住民とでは、腕前に練度の差がありすぎる。


 その一端は今の攻防にもはっきりと現れていた。

 ボノクスとツヴァイの弓に性能の違いがあるとはいえ、両者の位置に歴然とした高低差がある以上、ボノクスの曲射が届いて、ツヴァイから射ち下ろす弓が届かない道理がない。そのような事態が起こるとすれば両者の技量差に他ならなかった。

 それ以外の理由としては、もちろん馬の存在が大きい。タニルを取り囲んだボノクス兵は一所に留まらず、馬で駆けながら弓を射っている。ボノクスの主力は騎馬弓兵だった。複数の遊牧民部族が統合することで一個の社会体系を作り上げた彼らは、その精強な騎馬弓兵でもってバーミリア水陸東方を席巻するに至った。

 しかし、ボノクスの弓騎馬がいくら精強であっても、それだけでタニルを攻略することは叶わない。まさか騎射だけで防衛する兵を全滅させられるわけではなし、もちろん持ち運ぶ矢数にも限りがある。


 機動戦を主とするボノクスが攻城戦を苦手としているのは、そもそもがそうした経験が圧倒的に少ないからだった。

 彼らが水陸の東方に覇権を確立した無数の戦いでは、不安定に湧いては枯れる水場を転々とする戦いが常だった。そこには即席の陣地や防御柵はあっても、堅牢な石の砦は存在しなかったのだ。

 結果、ツヴァイとの長年の戦闘において、ボノクスは野戦においてはツヴァイと互角以上の戦いを繰り広げながら、攻城戦や籠城戦になると途端に不利を強いられるという状況が続いていた。彼らがそうした種類の戦いにおいて劇的な勝利を収めたことは数えるほどしかなく、例えばそれは電撃的な奇襲でタニルを落とした一戦などが挙げられるが、これもツヴァイ側の油断と、なによりボノクスが攻城戦に持ち込まずに全ての勝敗を決したからこその成果であり、その輝かしい戦果である砦街も先年のラタルク戦役においてツヴァイに奪還されている。

 そうした自分達の不得手さについて、もちろん彼らは深く理解していたはずだろう。だからこそ、彼らは最大の敵国と言える相手からの呼びかけに応じた。――大学。ツヴァイ帝国首都ヴァルガードに開かれたその教育機関には水陸各国から学生が招かれていた。そこにはボノクスの人々も含まれているばかりか、その国を主導する立場にある特別な名前さえあった。

 不倶戴天の大敵から「さあ学んでくれ」とばかりに度量を示して招かれる。そのことが、誇り高いボノクス人にとってどれほどの屈辱だったことかは想像に難くなかった。それでもなお、彼らはその恥辱に耐えたのだ。全ては、ツヴァイを倒すために。


 今、目の前にある現実がそうした過去の因縁が深く絡み合ったものだとして、それを他人事のように捉える権利はリトにはなかった。その因縁に浅からぬ関わりを持っているからだった。彼は過去、その大学に在籍していたこともあるし、なによりその大学を開いた相手こそは彼が捨てた生家、その現当主である。ツヴァイ帝国宰相ナイル・クライストフ。その頃の彼はニクラス・クライストフという名前を持っていた。

「……移動式、組み立て式。ラタルク戦役ではそういう話は聞かなかったけど、あれは防衛側だったからか。技術者が何人か引き抜かれたって話は、間違いないか――」

 遠見のレンズを、視力の無事な片目で覗いて独りごちる。戦争の最中にあってそうした姿は不審以外の何物でもなかったが、街の少年に教えてもらったこの高台は警備の死角らしく、兵が殺到してくることはなかった。今のところは。

 幸運なことにボノクスの矢が飛んでくることもない。そのため、リトはじっくりと攻囲戦の状況を確認することが出来た。


 ボノクスの攻撃は昨日と同じく、騎射だけに限定されている。力押しをする意図がないことは明確だった。持久包囲の狙いというよりは、攻城兵器の完成を待っているのだろう。

 本来ならば、敵の前で悠長に兵器の組み立てなど出来るものではない。攻城兵器の類は総じて巨大であり、完成した代物を運ぶには砂海が立ちはだかる。砂地に足を取られる。ならば完成品を運ばず、戦場で組み立てればいいというのは理屈としてはわかりやすいが、だからといってそれを敵方がのうのうと眺めている理由もなかった。

 ツヴァイ側からあれらが見えていないはずがない。邪魔をするために打って出るべきところだが、タニルを防衛する陣営にそうした動きはなかった。

 平然と作業を進めるボノクス側の動きは、まるでそのことを知っているような気配ですらあった。タニルに籠る兵が、決して野戦を仕掛けて来ないということを。


 タニルを治める人物は有能な指揮官だった。ケッセルト・カザロ。爵位は男爵に過ぎないが、国防の要であるタニルを任される人物が無能であるはずがない。彼はラタルク戦役の際に武勲を立て、その功からタニル領主となった後には南部の河川水路戦線に兵を向けて瞬く間に一帯を平定してしまった。ボノクスにとっては近年における一番の仇敵と言えた。

 だが、その領主は今この街を留守にしている。

 もしもボノクスがそのことを事前に知っており、その機を狙ってこそ、今度の出兵が行われたのだとしたら。その仮説はツヴァイにとって由々しき問題だった。街に間諜が紛れ込んでいた、という程度の話では済まない。


 リトはそっと息を吐き、そこで背後の気配に気づいた。この数日で知り合ったばかりの街の子どもが立っている。睨むような目に微妙な輝きがあった。

「セスク。こんなところにいたら怒られるんじゃないか」

「……あんただって」

 複雑な感情のまざった声。リトは苦笑して応えた。

「怒られるくらいじゃ済まないだろうな」

 いかにも不審な人物が街の一画でこれだけ怪しげな振る舞いをしていれば、間諜の疑いをかけられても仕方はない。

 黙って、セスクがやってくる。隣に座った。俯きがちに地面を見る相手を見下ろしながら、子どもは苦手なんだけどな、とリトは胸の裡で呟いた。


「……あんた、ここでなにやってんの」

 ぽつりと、セスクが口を開く。

「気になることがあるって。言ってたよな。なにか調べてるんだろ。なんについてなんだよ。それって、もしかしてこの戦争となにか関係あんのかよ」

 後半の口調には期待するような響きがあった。あるいは、縋るような。

 リトは相手を見つめ、それから口を開いた。

「君は、俺になにを求めてるんだ?」

「え?」

 眉をひそめる相手に正直に告げる。

「悪いが、俺は君の期待に応えられない。俺がこの街に来たのは確かに気になることがあったからだ。けど、それは君にとって関係ない」

 そこで口を閉じて、


「――君がなにか言いたい相手は、俺じゃないだろう」


 言った。


 セスクの目が見開かれた。唇が震え、すぐにその震えはわなわなと全身にまで伝わっていく。激情が、少年の身体を舐るようにして燃え上がるのが目に見えるようだった。その元にあるものははっきりしている。憎悪。――父ちゃんを殺したくせに。少年の悲痛な叫び声が耳に蘇った。

 だが、その悲鳴じみた咆哮がリトの内心に僅かにでも波風を立てることはなかった。本当に、なかったのだ。


「君は。君がもし――」

 リトがさらに口を開きかけた時、不意に大勢が近づいてくる気配があった。足音が響き、武装した兵士が現れる。戦闘中のためにひどく殺気立った様子の先頭に立つのはひどく小柄な男だった。

「不審な奴がいるとの密告があった。貴様、どこの者だ。こんなところで何をしている」

 リトは黙ってセスクを見る。

 セスクは、彼も突然の登場に驚いた様子だった。それまで自分のなかで激しく燃え盛っていた怒りの存在さえ忘れてしまったように唖然とした表情で、慌てて首を振り、

「違う! 俺じゃないっ。俺は、なにも」

「連れていけっ!」

 少年の声をかき消すように、甲高い声で小男が命じた。


 リトは抗わなかった。戦争中の街中で不審な人間が見つかれば、それを丁寧に扱う理由など存在しない。下手に抵抗すればこの場で袋叩きになりかねなかった。その場合、ほとんどがそのまま叩き殺されることになるだろう。

 乱暴に腕を掴まれ、身柄を拘束される。茫然としているセスクを置いて、リトは男達に引き立てられていった。



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