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砂の星、響く声  作者: 理祭
 三章 熱砂攻防
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 まだ暁が闇を払う前。地平の果てに薄明さえも窺えない時刻、ツヴァイ国境の砦街タニルは深い静けさに包まれていた。

 人々が寝静まっているが故の静寂ではない。街のあちこちには息を殺した気配があった。それらの抑圧された息遣いがか細く白い吐息となって街全体から立ち昇り、周囲になにかを伝播している。さながら小動物が巣穴に閉じこもり、恐ろしい肉食獣が自分達の許から去ってくれるのを震えて待つように。――実際、そうした感想はまったく正しい。皮肉るつもりもなく、男は認めた。街は敵勢に囲まれている。


 複数の遊牧部族からなる諸連合国家ボノクス。ツヴァイと長く水陸の覇を競い合う東の大国が、数年来の沈黙を破って侵攻を開始したのは昨日のことだった。

 ツヴァイとボノクスは商業都市トマスの水源から伸びた河川水路によって繋がっている。水陸各地に繋がるその「唯一の水源」から、南に弧を描くようにしながら東へと伸びる河川の端にあるのもまた豊かな湧出量を誇る水源だったが、今現在、そこはボノクス領となっていた。彼らがダヴァルイ――《水の島》と呼ぶその水源地を奪われたことは、ツヴァイ帝国の長い歴史においても最大の失陥であった。

 それによって明確な敵対関係にある二つの国家が河川水路という一本の“道”で繋がることとなり、その事実は以降の戦争形態を著しく変化させた。


 それまで、戦争とはすなわちより多く相手の水場を奪い、支配する行為を意味していた。湧いては枯れる不定期な水源を少しでも多く、また少しでも水量の安定した豊かな場所を求め、争う。そうした行いは、この砂の惑星において太古の昔から繰り広げられてきていたものだったが、河川水路を巡る争いはそれとは異なっていた。


 自分達の水源を奪われたツヴァイは当然のこととしてその奪還を目指したが、戦勝の勢いに乗ったボノクスもまた、さらなる戦果を求めて水路の西進を志していた。河川水路上でぶつかり、激しく戦った両軍は、そこでかってない膨大な数の死傷者を互いに出す結果となる。記録に残る「河川の一面が赤く染まり、積み上がった死体の山がその流れを堰き止めた」程の惨事は、そこで行われた戦闘行為が今までのそれとまったく質の違うものであったことを物語っていた。


 過去の戦争、点々とする水場を自らも転々と移動しながら争うそれは、必然的に小規模戦闘の連続だった。砂海においてはまず大人数による行軍が難しい。大半の水場がいつ枯れるかもしれない不安定な「水島」である以上、長くそこに留まることは出来ないし、それは敵にとっても同じことが言える。移動し、移動し続け、運悪く――あるいは幸運によって巡り出会った敵と殺し合い、また移動する。そうした行動を繰り返すことこそが“戦争”に他ならなかった。

 しかし、魔術師ジュスター・ベラウスギがこの世界に生み出した河川水路の存在は、それまでの人々の生活や彼らの意識そのものを変容させたばかりでなく、戦争さえも大きく様変わりさせてしまった。


 河川は物資の流通を可能とする。それに沿う限り、飢えや渇きに陥ることはない。それまでにない大軍の集結及びその運用により、かつてない大規模動員が成された。

 そして、敵も河川水路に沿って行軍してくる以上、相手を砂海に探し求める必要はない。戦うべき場所は敵味方の位置関係から自ずと限られることから、両軍ともにそこに戦力を集中した。ただ一点で相手を撃破することを志向する、つまりは決戦主義である。

 引き時の難しさもあった。河川という「線の水場」がある以上、それを押し引きすることはすなわち敵味方の優勢と、ひいては勢力関係をも意味することから、それまでの遭遇戦のように不利になったら逃げる、ということが不可能だった。互いにそうした争い方に不慣れだったということもある。そのため戦闘は長引き、多くの人命が消耗された。


 今までにない“大規模動員”による“決戦志向”での“消耗戦”。

 屍山血河というしかない悲惨な結末は、こうした要因の積み重ねによって起こった。もちろん、それは前提として、ツヴァイとボノクスという両国が互いに拮抗した兵力を動員できる程の大国であったという事実こそが、この悲劇を生み出したなによりの理由ではあった。


 ……互いに多くの命を失いながら、ツヴァイ、ボノクスともに戦線を引き上げようとはしなかった。正しくは、不可能だった。あまりにも大きな被害を出したからこそ、という無念じみた思考もそこにあっただろうことは否定できない。

 だが、正面から争えば、再び不毛な消耗戦になってしまう恐れが強い。ではどうするか。解答は誰もが思いつくものだった。正面からの突破が難しいのであれば、横合いから攻めればよい。――タニルという土地の軍事的価値はそうして生まれた。


 トマス・ダヴァルイ水路が緩やかに弧を描く、その内側に位置するタニルは比較的に安定した水源と、なにより峻険な地形で知られていた。そこを軍事拠点として兵を置いていたならば、河川沿いに敵と相対した際に出軍して横合いから挟撃することも、あるいはその後背をつくことも可能となる。河川水路を巡る攻防の鍵を握る存在として、タニルは要塞化していった。

 元々、タニルはツヴァイに属していたが、一時的にはボノクスに占領されていたこともある。しかし、先年のラタルク戦役においてツヴァイが奪還すると、そこには若い領主が配されて再びツヴァイ領として重要な国境、その砦という役割を果たし続けている。タニルがツヴァイ領に戻った以降は、南部における河川水路を巡る争いもツヴァイ有利に進んでいた。もっとも、これはラタルク地方一帯を襲った「枯渇」から、ボノクスが戦線の縮小を意図したことにもよる。


 そのボノクスが、今この時期に雌伏を止め、軍勢を率いてきたことの意味が那辺にあるかは重要事であるはずだった。なにが彼らにそれを決意させたか。タニルの西にいまだ水湧く集落があるという噂か。タニルの水源が既に枯れかかっているという噂か。それとも、


 人の気配を感じて、肩越しに背後を振り返る。濃い暗闇のなかで、小柄な影がなにかに躊躇うように揺れていた。

「――セスク。俺になにか用かい」

 影が硬直した。沈黙のあと、不貞腐れたように答えが返る。

「別に」

「用もないのにどうしてこんなところに?」

「……そっちだって。リト、あんたこそ、こんなところでなにしてんだよ」

 吐き捨てるような言葉に、リトは肩をすくめてみせた。

「外の様子が見たくてね。君が教えてくれたこの場所から、ちょうど宿営地のあたりが覗ける」

「攻めて来てる奴らを? そんなの見て、どうするのさ」

「少し気になることがあるんだ」

「気になること?」

「ああ。ちょっとね」

 視線を戻す。

 やや離れた場所に宿営地をつくるボノクス陣営の灯が見えた。温暖色の松明はぽつぽつと散開してタニルを囲むようにして配置されている。それらのなかには自分達の陣営を見破られないよう偽物の灯りも多数あるはずだが、典型的な包囲のそれだった。

 砂海の只中に浮かぶ天然の要害タニルは、その周囲を囲もうとするだけで容易なことではない。攻め手はまず、多少なりとも足場の確かな宿営地を見つけ出すことから至難のはずだった。物資の集積場。あるいは、水源の確保も必要になる。タニル周辺であれば水島を見つけることはまだ可能だが、それも自然の気紛れ次第だった。


 自分の隣にやってきた影が口を開いた。濃淡の奥で、疑わしそうな眼差しが夜天の輝きを薄く反射させている。

「あんた、スパイかなにか?」

 リトは小さく笑った。

「いいや。だが、まあ、自分でも怪しいってことは自覚してる」

「……本当に? 外の連中に、こっちのことを伝えてたりするんじゃないの」

「してないさ。だいたい、こんなに暗くてどうやって伝えたりするんだ」

「それは。なにか、書いたりとか。昼間、なんか変な道具を使ってたじゃないか」

「この暗闇で書き物なんて出来ないだろう。硝子レンズだって昼間じゃないと使えない。今、ここで明かりなんかつけられると思うかい? すぐに矢が飛んでくるぞ。昼間みたいにね」

 冷静に指摘すると、口をつぐんでしまう。相手の全身がわずかに強張ったのに気づいて、リトは静かに続けた。

「大丈夫だ。あれは、言ってみれば儀式みたいなものだから」

 昼間、タニルを取り囲んだボノクス軍は、その全軍をもって一斉に弓矢を放ってきた。水天の雨ならぬ、無数の矢嵐が降り注ぎ、街の人々は悲鳴を上げて屋内に避難した。

 そのまま砦街を攻め始めるかと思われたボノクスだが、一斉射以上の攻撃を加えようとはせず、街からやや距離をあけて陣地の構築を始めた。構築というよりは足場と水場の確保だが、それらをするうちに夕闇が訪れて、そのまま動きは収まっている。

 開戦の際、まず弓矢をもって雨を降らせることは、ボノクスという諸部族の集合体に広く伝わる一般的な手法だった。それは相手への示威行為でもあるが、それ以上に自分達と、自分達の信じる存在へ対する宣誓である。

「……儀式?」

「ああ、そうだ。これから血の雨を降らせることを謝って、同時にそれを誇るのさ」

「謝るのに、誇るってなんだよ。意味わかんねえ」

「それがボノクスなんだよ」

 リトは簡単にそう締めくくって、目を眇めた。


 遠く薙いだ地平線に、淡い輝きがゆるやかに昇り始めている。日の出を待つ間、特にすることもないので傍の相手に語りかけた。

 徐々に表情もわかるようになってきた少年からは、激しい敵意の眼差しが向けられている。その意味するところは想像がつくし、連想されることもあったが、特に深くは考えようとはせずに口を開く。

「仕事はいいのか。早起きした理由はやることがあるからなんだろう」

「……なんで、そんなこと知ってるんだよ」

 警戒するように訊ねてくる相手に、

「食堂の子に聞いたんだ。馬の世話をしてるんだって?」

「……うるさい」

 怒ったような声を受けて、リトはそれ以上の会話を続けなかった。砂の流れるに任せる。


 やがて、ぼんやりとした白光が徐々に輝きを増し、世界を照らし始めた。口から洩れる吐息の白が見えなくなる頃には、周囲から全ての墨色が流れ落ちてその真新しい姿を露わにしていた。

 遠くに見えるボノクスの陣営を一瞥して、リトは小さく息を吐いた。――嫌な予感が当たってしまった。


 この時期にボノクスがタニルを攻めることを決断した理由はともかく、彼らにはその手段が必要だった。機動戦主体のボノクスは、伝統的に砦を攻める類の戦闘を得意としていない。それは奪還して以降、一貫してタニルがツヴァイに属していることからも明らかだった。

 南部の水路戦線を押し上げる以上、それと同時にタニルに牽制をかけるのは常道ではある。タニルに戦術的な自由を許せば、ボノクスは挟撃や背後を突かれる恐れがあるからだった。

 それを防ぐには、タニルの動向を妨害する必要がある。必ずしもそれはタニルを落とすことを意味するわけではなかった。要は兵力の自由な移動を阻害することなのだから、砦の周囲をかこむだけで十分に意味がある。


 だが、この場にスムクライの陣旗が翻っている以上、その目的が街の包囲などという生易しいもので終わるはずがなかった。ボノクスでも随一の好戦派を率いる女性は、その武名をツヴァイにまで轟かせている。先年のラタルク戦役でもツヴァイをおおいに苦しめたその人物は、リトにとって見知った相手でもあった。

 頭を振る。彼は因縁という言葉を毛嫌いしていたが、そうとしか言えないものがこの世に存在することも確かであるように思われたのだった。


 朝焼けに眩しそうに顔をしかめている少年を見る。――目の前にいるこの相手もその類ではある。なにかを思い出しかけて、それが脳裏に鮮明な形となる前に、口を開いた。

「セスク、そろそろ仕事に戻った方がいい。俺ももう戻る」

「……信用できない」

 セスクが言った。

「あんたがおかしなことしないように、見張ってなきゃ。仕事なんてどうだっていい」

 幼い眼差しにはそこに秘められた決意と、その奥に粘着質の感情が輝きを見せている。少年の宣言を受けて、

「……わかった」

 乾いた心地で告げる。

「じゃあ、君が仕事を済ませるまでここにいるから、馬の世話をしてくるといい。そしたら朝飯に行こう」

 疑わしそうに沈黙している相手に続けた。

「――戻って来るまで、ちゃんとここにいるよ。……約束する」

 それを聞いたセスクの表情が、一瞬、救われたように緩みかける。あわててそれを引き締めて、睨みつけるような一瞥を残して少年は駆け去って行った。


 無言でそれを見送って、リトは再びボノクスの陣営地に視線を投じた。

 そこには、彼らが今この時期にタニルを攻めた理由。その決断を可能とした手段が見えた。今はまだいくつかの材木や、組み合わせる途中の代物でしかないが、その最終的に意味するところをリトは正確に把握していた。


 間違いなく、攻城兵器の類だった。



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