8
サリュは男に案内され、階段を上った。
随分と長い段差を上がりきった途端、ひやりとした外気が汗ばんだ身体を通り抜けていき、そっと息を吐く。夜に冷え込むのはいつものことだが、体調のせいか、ひどく寒かった。
サリュがいたのはやはり地下だったらしく、上に上がると周囲の構造はひどく開放的だった。至る所の地面は月光を受けて煌いている。水場に囲まれていた。
当然、これほどまでに水を自儘に出来ることは、たとえ河川の近くであっても誰にでも出来ることではない。その理由については既に目の前を先導する相手から聞かされていた。
――領主。まだ身体の内側に残る不快な気分を堪えながら、サリュは昔、アルスタ家で教わった知識を思い出そうとする。
町を治める貴族。領主は、その土地に対する治水権を認められている。そして、そのことは、この地においてほとんど生殺与奪を握っているに等しい。
その領主が、いったいどんな用事が? 以前、タニルという国境の砦街でそこの領主と面会したことがあったが、あの時は一切の水源が枯渇したはずの方角から自分がやって来たことが原因だった。破滅を望んだ男から持たされた手紙と、岩塩の塊も。
……行動には、その原因となるものがあるはずだった。なら、今回のそれはなんだろうか。普通に考えれば、クァガイやパデライが関わっているのだろう。だが、何故?
「おい」
怯えるような声に振り返ると、彼女の後ろをついてきていたクアルがふと立ち止まっていた。水面の煌きに目を奪われている砂の猛獣に、その後ろで槍を持った兵士が頬を引きつらせている。
「止まるな、進め。――おい、進ませろっ」
「……おいで」
サリュが呼ぶと、くあうと小さく鳴いて寄ってくる。ほっとした様子を見せる兵士達を横目に、サリュは周囲を窺った。十名近くの兵士に取り囲まれているが、クアルなら軽々と突破できそうだった。その背に捕まれば、あるいはここから逃げ出すことも可能かもしれないが、自らの体調を鑑みてサリュはその可能性を捨てた。それに、と胸の裡に呟く。話を聞いてみなければ、状況がわからない。いったい誰が私の邪魔をしているのか。――私は、リトの話を聞きたいだけなのに。
彼女の内側に沸いた暗い感情に気づいたように、クアルが顔を上げた。サリュは微苦笑して、そっとその顎を撫でた。
「ここだ。いや、待て。しばらく、ここで待て」
いくらかの階段を上り、下りた先で男はある部屋の前で立ち止まり、サリュにそう告げるとわずかに開けた扉から滑り込むように入っていった。一瞬、中から漏れてきた匂いにサリュは顔をしかめる。絡み合う男女の体臭と、強い香水の芳香。優れた嗅覚を持つクアルが低く唸った。
それから随分と待たされた後、扉が開いた。
なにかの声のやりとりと、慌ただしく人が行き交う足音を響かせてから、重たげに解放された部屋の中を見て、サリュはわずかに目を見開いた。
そこには十人以上の兵士が槍を揃えて並んでいた。その後方、左右には弓矢を番えた者達がずらりと控えている。万が一、クアルが暴れた場合の対処ということだろう。当然の対処ではあるが、あまりの仰々しさにサリュは半ば呆れ、それから部屋の奥に目をやった。
天蓋つきの寝台に男がいた。中年頃の、太った男だった。見事に禿げ上がった頭が、蜜蝋の灯りを受けて嫌に生々しく輝いている。男は裸だった。その左右には二人の美女が侍っていて、そちらも当然のように裸体を晒している。
そのあまりに自然な様子に驚いて、サリュはそっと目線を外した。くすり、と女のどちらかが笑みを漏らしたのが耳に届いた。
「……これから、というところだったのだがな」
寝台の男が口を開いた。奇妙に甲高い声だった。
「申し訳ありません。こちらの者が、どうしてもと――」
「人に毒を盛って、こんなとこに連れてくるのが悪いのでしょう」
自分を連れてきた男が恐縮しきって頭を下げるのを無視するように、サリュは冷ややかな声を出した。周囲に控える男達が一斉に険悪な気配を立ち昇らせるが、それも無視する。
ほ、と男が顎の肉を震わせて、
「随分と威勢のよい女子だ。さすがは、“トマスの魔女”といったところかな」
投げかけられた言葉に、サリュは目線をわずかに細めただけの反応に留めた。ほ、ほ、とまた顎を震わせた男が、
「いやいや、配下が随分と無礼な真似をしたようで、申し訳ない。皆、必死に働いてくれるのだが、頑張りすぎるところがあるようでね。どうかわしに免じて、勘弁してほしい」
鷹揚な台詞だが、サリュは気を許そうとは思えなかった。相手に対する印象も変わってはいない。
「許す、許さないよりも、理由を話してください。いったい何故、こんなことをしたのですか」
「それはもちろん、興味があったからだよ」
沈黙するサリュに、領主は愉快げに身体を震わせて、
「どうやら、君は自分がどういった噂をされているか知らないらしい。君はそれなりに有名なのだよ。一年前、トマスで起こった騒動の渦中にあった砂虎の少女。いや、正直、わしも本当かどうか疑っていたのだがね」
ねっとりとした視線を向けられて、サリュは身を固くした。舐めるような眼差しの不快さ加減に、彼女がそれを表明するより先に隣の砂虎が威嚇の唸りを上げる。
「おお、おお、それが例の砂虎か。これは凄い。本当に砂虎を飼っている者がいるとは! まったく、世の中には物好きがいるものだなあ」
「いったい、なんのご用件なんです」
苛立ちを抑えきれずにサリュは言った。男の口調は、それが意図してのものかはともかく、その一言一句がどうにも不快だった。
「ああ、ああ。これは申し訳ない。なに、部下が手荒なことをしたようだが、わしは君を客として迎えたいというだけなんだ」
「ありがたいお話ですが、お断りします」
「つれないことを言わないでくれんかね。もちろん、君は自由だとも。無理やりに引き止めようという気はないよ」
むしろ、と男は続けた。
「わしは君のお手伝いが出来るはずだがね。この街にも、なにか目的があって来たのだろう? なにか困っていることがあったら、なんでも言って欲しい」
「……その見返りは、なんです」
「見返り? そんなものはいらないとも。ああ、だが、そうだね」
男はふと考えるようにして、大きく微笑んだ。人の良い、その裏側が粘ついた表情で、
「――君のことを教えて欲しい。それだけだよ」
領主との短い接見を終えて、サリュは客室に案内された。さっきまでの地下ではなく、豪勢な部屋だったが、軟禁を目的としたものであることは壁の造りを確かめるまでもない。
クアルは地下室に連れていかれるところだったが、サリュが頑強に反対して自分と同じ部屋に居るようにさせた。細面の男は部屋の調度品を気にするような表情を浮かべていたが、サリュが「なら、どうぞ外に持ち出してください」と冷たく告げると忌々しげな目線だけを残して去っていった。
そっと扉の向こうの気配を探り、数名の見張りがいるのを確認して、サリュは息を吐いた。
周囲の目がなくなったのを認識した瞬間、それまで努めて忘れようとしていた身体の不調がぶりかえしてきて、その場にうずくまる。心配したように、クアルがそっと頬をこすりつけてきた。
「……ありがとう」
サリュは大きな顎を撫で上げて、立ち上がると、ぐるりと室内を見回した。華美な装飾は、彼女の心証のせいか、行きすぎた感があった。トマスで世話になったあの邸宅とは違い、どこか毒々しさのある調度を一通り眺めてから、中央の机に目を向ける。透明なガラスの水差しに中身が満ちている。
喉の奥にせり上がる不快感を紛らす為に、彼女の身体は水分を欲していたが、それにまた毒が入っていないとも限らない。サリュはその水差しを傾けて手のひらに零すと、クアルの鼻面に近づけてみた。鼻を近づけたクアルがぺろりとそれを押しつけるように舐めて、くぁう、と鳴く。
「ありがとう、クアル」
礼を言ってから、サリュは水差しの水を口に含んだ。ひどく喉の通り心地のよい、おそらく蒸留したのだろうと思われる代物だった。
「……河川の、領主。芳醇な水場の貴族。水源と河川。それから……」
昔、習ったことを思い出しながら、サリュは脳裏に先程の領主が浮かべた表情を思い出して顔をしかめた。ひどく気味の悪い、なにかを企んでいることを隠そうともしていない表情だった。いったいそれがなにを意味するのかがわからない。
手持ちの情報だけでは少なすぎるかもしれないが、考えよう。体調を戻す必要もあったが、身体を休める前に最低限の整理だけはしておかなければと思索に入りかけたサリュの隣で、寄り添うようにしたクアルが耳を傍立てた。
ほとんど同時、扉の向こうで鈍い音が響いたかと思うと、なにか重い物が倒れた。サリュは眉をひそめ、腰から短剣を抜き払おうとして――それを取られたままであることを思い出して舌打ちした。
仕方なく、無手のまま警戒する姿勢をとって隣のクアルを見やると、若い砂虎は耳を傍立てたまま弛緩した体勢を崩していないことに気づいて、
「――サリュ、いるか?」
外から聞こえた声に、サリュは大きく目を見開いた。
慌てて扉を開けると、ぐるぐると身体に巻きつけた防砂具の奥から、鷹の目を覗かせた小柄な少女が立っている。
「……ユルヴ!」
「遅くなった。すまない」
「そんなこと。……どうやってここがわかったの?」
「探した」
平然と言う彼女の横には、男が昏倒していた。殺したのか、と一瞬、思ったが、男の傍らに矢先を包まれた矢が転がっていることに気づいて、ほっと息を吐く。
「助けに来てくれたのね」
「当たり前だ」
怒ったように言って、ユルヴはサリュの顔色を見て眉を顰めた。
「……なにか盛られたか?」
「ええ。油断したみたい。ごめんなさい」
「クァガイめ」
吐き捨てるように言ってから、部族の少女は顎をしゃくる。
「とにかく、帰るぞ。礼はあとで倍にして返してやればいい」
「待って。……少し、様子を見てみたいの」
歩き出そうとしていたユルヴが振り返った。
「なにかあるのか?」
「わからない。でも、どうしてクァガイの人がそんなことをしたのか知りたいの。それに、ここの領主も、わたしになにか目的があるみたいだし」
「それを探りたいと言うわけか。それも、お前が探している男に繋がっているのか?」
「……わからない、けど」
サリュは頭を振った。その可能性がある、とは思っていた。領主が口にした、トマスの騒動にはリトも少なからず関わっていたのだから。
ユルヴが溜息をついた。
「わかった。なら、私も付き合う」
言って、彼女はさっさと部屋の中に入ってしまう。サリュは慌ててその背中に向かって声をかけた。
「ユルヴ。あなたまで、そんな」
「心配するな、なんて言うつもりじゃないだろうな。私に言わせれば、心配させるな、だぞ」
「……ごめんなさい。でも、」
「でも、じゃない。お前の立場は虜囚か、それとも客分なのか?」
「とりあえず、客っていう扱いになってると思う」
「なら、私がここにいても問題ないな」
「クアルがいてくれるから、心配はないわ」
「そうじゃない」
ユルヴは呆れたように頭を振って、
「私が心配しているのは、身の安全じゃない。お前が外との連絡を絶たれることが良くないと言っているんだ。私がいれば、そうはならないだろう」
サリュは顔をしかめた。
確かに、軟禁状態でユルヴ達と連絡が取れないことは不都合ではある。自分がここに留まる代わり、ユルヴが訪れてくれるというならそれはありがたいことだった。だが、それは同時に危険なことでもある。領主がそれを望ましくないと思った場合、ユルヴの身に危険が訪れるかもしれないからだ。
サリュの表情を読み取ったように、ユルヴは鼻を鳴らしてみせる。
「心配いらない。もしも、手出しをしてきたなら、それこそ返り討ちにしてやるだけだ。それに、他に気になることもある」
「気になること?」
「ああ。とにかく、扉を閉めろ」
言われて、サリュは開放されたままの扉手に手をかけた。その近くで気絶している男を見やって、風邪をひかなければいいけれど、と思いながら扉を閉める。
防砂具を剥ぎ取りながら、ユルヴが口を開いた。
「ヨウ、あの男が気になることを言っていた」
「ヨウが?」
「ああ。あの男はあの男で、なにやら企んでいるのだろう。お前や、私を利用してなにかをやろうとしている。警戒しておくべきだ」
「そう……」
若い男の怜悧な眼差しを思い出しながら、サリュは考え込んだ。
「ヨウ――クライストフの人達は、パデライさんを探っているって言ってたわよね。治水権。ツヴァイの大法を犯している恐れがあるって」
「ああ。そのパデライはいまだに行方が知れない。パデライが昔、働いていたクァガイが関わっているかどうかも、わからない。だが、お前に毒を盛ったのはクァガイだな?」
「ええ。でもそれは、パデライさんのこととは限らないかも。ここの領主が、私を無理やりに連れていこうとしてそうさせたのかもしれないわ。けど、」
「パデライと領主が繋がっている可能性もある、か」
サリュはこくりと頷いた。
先程のやりとりを思い出しながら、
「……ここの領主は、リトの話を聞きたいのかもしれない」
「お前の探し人を? 何故だ」
「わからない。でも、領主はトマスのことを知っていたの。一年前、わたしがクアルと一緒に、リトに救われた時のことを」
当時、水陸一の大都市であるトマスで流行っていた魔女狩りと、その火にくべられようとしていた自分を救うために、リトが帝国宰相の実子であることを明かしてくれた経緯を話すと、ユルヴは難しそうに眉間に皺をつくった。
「家を出ていた宰相の息子が忽然と現れて、騒動の渦中で行方がわからなくなる。その騒動の当事者であったお前が現れれば、確かに強引にでも話を聞きたくなるかもしれないな」
「ええ。今まで考えたこともなかったけれど」
これまでは、あまり町に寄らず、極力、誰の目にもつかないように旅を続けてきた。だが、砂虎を連れた存在がそうそう他にあるはずもないことは容易に想像できたことだ。
「……クアルを、町中に連れてくるべきじゃなかったのかも」
ユルヴの瞳に一瞬、なにかの閃きが灯ったように見えたが、彼女は頭を振って、
「――そうだな。だが、過ぎたことを悔やんでも仕方ない」
「そうね」
頷いて、サリュは深く息を吐いた。
「どうした?」
「……リトっていうわたしの知っている相手と、ニクラス・クライストフって人が、どうしても同じ人には思えなくて。混乱するの。ちゃんと、わかってるはずなんだけど」
「ツヴァイ宰相の実子と、砂海を流れる旅人か。正直、私も聞いていて首を捻りたくはなるが」
「ユルヴも?」
「ああ。だいたい、その男はどうして家を出たりしたんだ? 宰相家というのは、よほどの身分なのだろう」
その素朴な疑問に、サリュは返せる答えを持ち合わせていなかった。
「わからないのか?」
「……ええ。クリスさん――私がお世話になった、アルスタの家の人で、リトの、……昔から仲が良い人も、わからないって」
その名前を口にする時、わずかな痛みが胸に芽生えたが、サリュはそれを無視した。ちらりと目線を向けたユルヴが、
「以前、お前は私に言ったことがあるな。彼は、なにかを探していた、と」
サリュは黙って頷いた。
「探す為に、家を出たんじゃないか?」
「……わからない」
サリュは頭を振った。顔をしかめているユルヴを見て、大いに嘆く。
「本当に、わからないの。彼がなにを探してたのか。探す為に砂海に出たのか、出ているうちに探すようになったのか。彼は、ただ、」
「ただ?」
サリュは言葉を探して、その脳裏に浮かんだのはある夜の男の姿だった。慣れない長旅に体調を崩した彼女を看病して、身体を包むようにしながら――
「……彼、震えてたわ」
子どものように。
闇を恐れるように、震えていた。
「怯えていたのか」
「……わからない」
透明でいて、濁ったような瞳。その眼差しが、一瞬、少し前に出会った儚げな女性が見せた、なにもかも投げ出したそれに重なって見えて、サリュは強く頭を振りかぶった。
「わからない、けど」
「そうだな」
呆れたようにユルヴが言った。
「わからないなら、ぜひとも本人に問い詰めるしかないな」
言って、にやりと笑ってみせる。
サリュはそれを聞いて、
「……殴ってでも?」
「当たり前だ。お前が殴らないなら、私が殴る。私ももう、随分と悩まされているからな」
サリュは小さく笑って、息を吐いた。
「そうね。でも、そのために今の状況を考えないと」
「そうしよう。とにかく、リトという相手に色々といわくがあることはわかった。お前達の国ではひどく価値がある存在なのだろうな。その名前も、生死の行方も。お前達の言葉でいうなら、政治的な存在、か」
「ええ。だから、ここの領主がトマスの事件を知っていて、リトのことを聞こうとしていることは考えられると思う」
「パデライとの繋がりを考えれば、さらに怪しい。メッチの奴が言うには、そのリトとパデライは面識があったらしいからな。そしてパデライは、お前が見せたアルスタの家紋入りの短剣を見て露骨に狼狽してみせた」
状況を整理するように指折りながら語ったユルヴが、嫌そうに顔をしかめて振った。
「……まったくややこしい」
「本当に」
サリュは苦笑して、
「それと、ヨウとクライストフ家の人達の動向も。……今はまだ情報が少なすぎると思う。だから、しばらくここに留まってみたいの」
「それについては反対しない。だが、さっきも言ったように、お前が外と隔離されている状況はよくないぞ」
「……ええ。そうね」
軟禁されている状態では、情報の精査も覚束ない。ユルヴが外と内をとりもってくれることは有意義だった。
「本当に、大丈夫?」
「問題ない。メッチには、リスールのクァガイに連絡をとらせている。それと一緒に、私の連絡も頼んだ」
「アンカ族の人達に? それって、」
ユルヴは頭を振った。
「別に荒事を仕掛けようというつもりじゃない。だが、クァガイの一件についてはリスール支部の連中にも関わりがあることだ。商人の面子などというのはどうでもいいが、利用できるものは利用すべきだろう」
ユルヴは商人を毛嫌いしている。その彼女がそうした発言をすることに、サリュはいくらか意外な思いを持った。その表情に気づいたらしいユルヴがふんと鼻を鳴らして、
「責任をとらせる、というだけだ」
「でも、それじゃあアンカへの連絡はいったいなにを?」
「私が行うことは、アンカ族の行いでもある。状況を連絡しておいて悪いことはない」
ユルヴは言ったが、サリュは不安な印象を失くせなかった。今までの付き合いで、ユルヴがとても果敢で、時にひどく手荒な部分があるとわかっている。
「サリュ。お前は個人ではない」
逡巡するサリュに、諭すようにユルヴが言った。
「お前は自分の事情に他人を関わらせることを嫌がるが、お前はお前と関わりがあるものを使うべきだ。お前は、一人ではないんだから」
真摯な口調で言われて、サリュは目を伏せた。
「……わかってる」
ユルヴの言う通りだ。自分は既に多くの人達に迷惑をかけている。自分一人では、この町にさえ入ることは出来なかった。どんなことをしてでも、リトを探すと決めたのだから。ならば、それを躊躇うべきではないはずだ。もちろん、感謝と、相手への配慮を最大限に考えた上で。――だけど。
「よし、ならば今日は寝ろ。水は飲んだか? どんな毒を盛られたかわからないが、身体を休めるべきだ」
サリュの迷いを振り切るように、言い切ったユルヴが寝台に向かう。寝台が部屋に一つしかないのを見ると、さっさとその片側に陣取って横になろうとする相手を見つめ、サリュも迷いながらそちらに向かった。
そっと押しつけるようにクアルが頬をこすりつけてくるのに応えながら、ユルヴの隣に滑り込む。クアルは二人のいる寝台に上がるか迷った様子を見せてから、結局はそうせず、その横で大人しく丸まった。
「クアルがいるし、私も気をつけておく。私のことは、明日になってからここの連中に話をつける。お前はまず体調を回復させろ。いざという時のためにな」
「……わかった」
こちらに背中を向けている友人に頷いて、サリュは近くの台に置かれた灯りを消した。
音もなく暗闇に包まれる。その空間のなかで目を開けたまま、考える。ユルヴの言うことは正しい。彼を追うためには、たくさんの人の力を借りなければならない。だが、そのことに強い不安を覚えていることも確かだった。
サリュは瞼を閉じた。
二重に幕の下りた暗がりに、浮かび上がるように一人の姿を思い出す。
彼女が焦がれるように想うその相手は、防砂具で身を包み、見覚えのあるコブつき馬を曳いて黙々と足を進めている。強い砂の舞う中、ただ一人で。
――たった一人で。