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砂の星、響く声  作者: 理祭
 二章 河境の港町
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「貴族というのは、制度化された支配者層のことだ。支配とは水場を抑えること。水源を支配する者が強者であり、権者となる。これはこの地における絶対的な法則だ」

 すかさず口を開きかけたユルヴに向かって、ヨウが頭を振る。

「まあ聞け。お前達の生き方を否定しようと言うんじゃない。だが、この町は“こちら側”の世界に在って、そこに働く法理もお前達のものではない。そこで何かをやらかそうというなら、こちら側の理を知っておくべきだ。そもそも、お前達の理はお前達が知っていればいいことで、そんなことをわざわざ俺が口にする理由も意味もない。どちらが正しい、などとくだらんことで言い合うような無駄な時間は持ち合わせちゃいないからな」

 ユルヴはほとんど反射的に口を開きかけたが、男の言い分が正しいと認めざるを得なかった。込み上げる不快感を喉の奥に呑み込んで、声を押し出す。

「……続けろ」

「一つの水源を支配するということは、同時に最小の社会的単位を獲得することでもある。家族、あるいは近親や仲間達で水場に留まる。水島と言い、村里と言い、あるいは砂族と言う。なんでもいい、つまりは“集団”だ。国の前身であり、今なおもっとも小さな国自身を指す場合もある」


 ユルヴは顔をしかめた。

 彼女にしてみればひどく一方的な理屈の是非はともかく、男が持ち出す話題が奇妙に曖昧なことが不可解だった。くどくどと言葉を並べて煙に巻くつもりか、と構えたユルヴの心中を読みとったように、男が薄く笑う。

「だが、支配は続かない。理由は言うまでもない。――水は枯れる」

 この世界に生きる者なら誰もが知る事実を淡々と口にして、

「水は湧く。そして枯れる。故に人は一所に留まらず、砂を流れる。それがこの土地における、生き物の在り方だ。いいや、だった」

 言葉を過去においた男に、ユルヴはすぐにその意味を察した。不快な気分とともに、舌に乗せる。

「……“河川”か」

「バーリミアと、トマス。共に大水源と称される二つの水源が結ばれた時、人々の生活は劇的に変化した。点から線へ。砂海を彷徨うだけだったのが、水流に沿って生きることが可能になった。前後左右に、どこまでも果てなく黄土色が続くのではなく、足元に流れる水路が。その存在が自分の進むべき確かな標として、方向を指し示してくれる。道を指し示してくれる。その“線”こそが、ツヴァイだ」


 ――標。

 ユルヴは少し前に出会った人物を脳裏に浮かべる。

 彼女と同じく、部族を導く役割を負いながら、そのことに怯えていた。そうして、最後には自分自身を砂へと投げ出してしまった情けない女。

「点ではなく、線。水路の存在を象徴とするツヴァイの在り様が変化させたものは、それだけではない。豊富な水量。流れ込む大量の人と物。いつ乾くかわからないという不安からの解放。そして、明確な支配」

「明確な、支配?」

 メッチが眉をひそめる。

「点として湧く水源は、そこにどれだけの権勢を誇ろうが、それだけのことだ。水が枯れれば終わる。そこに湧く水場が、たとえ不世出の、永遠に湧き続けるのではと思える夢のような水源であろうと――点で留まる限り、どうということはない。何故なら、そんなものは在り得ないからだ。誰だって知っている。……水はいつか枯れる」

 だが、と男は言った。

「点ではなく、線という生き方を手に入れた時、もしかしたらと人々は考えた。――“点としての水場はやがて枯れる。けれど、それが線としての存在であれば?” もちろん、どの水場だろうとやがて枯れることには変わらない。だが、滅多に枯渇しないと思える程の、大きくて豊かな水源が互いに繋がったなら、そのどちらかが同時に枯れることなどあるだろうか? それが三つ、四つと続けば? そのいずれもが同時に枯れ果てるなどありえるか?」

「……馬鹿な」

 思わず吐き捨てるユルヴを見やって、ヨウが皮肉げに頬を歪める。

「線としての水源は“枯れない”。少なくとも、そう思えるだけの衝撃が“河川水路”というふざけた構造物にはあったのだろうな。砂海を割る、雄大な水の流れ。それは間違いなく、人々を変えた。生き方を。いいや、考え方そのものを変容した」

 ぞくりとしたものを覚えて、ユルヴは拳を握った。

「人々の価値観が変われば、当然、支配に対する考え方も変化する。湧いて枯れれば終わりというような代物では成り立たない。もっと安定した制度が必要となるわけだ。水源を、河川を支配する存在。それを成り立たせるための機構。それを行使する立場。だから――ツヴァイには二つの貴族がいる」


「水領貴族と、水流貴族ですね」

 静かに呟いたのは、ラディだった。元は貴族の出身だとかいう胡散臭い旅の詩人は、いつものように表情の読み取れない微笑を浮かべている。

ヨウはそちらに視線を向けないままに話を続けた。

「……水領貴族は、“点”としての支配者だ。各地に湧いては枯れる、水源を治める有力者。例えばトマス公爵や、ナタリア公爵は、それぞれの家名を冠する大水源を所有している。いや、その水源こそが家名の由来と言った方が正しいだろうな。より豊潤な水源を持つことが彼らの家格となる。古くから在る、支配の在り方だ。だが、水流貴族。これはツヴァイにしか存在しない。つまりは、」

「河川に沿った支配。水路の途中に関をつくって、そこを通ることに税をかけて徴収する連中だろ」

 忌々しげにメッチが鼻を鳴らす。

「そうだ。河川という“線”に配される水流貴族。各地に湧く水源という“点”を治める水領貴族。ツヴァイにはこの二つの貴族が存在する。それは言いかえれば、二つの支配制度があるということだ。これがツヴァイの問題でもある」

「問題?」

「……現在のツヴァイには、二つの支配制が存在している。水領貴族と水流貴族。この両者で、ツヴァイをツヴァイ足らしめているのはどちらかと言えば、そんなものは考えるまでもない。河川水路。水流貴族。“線”としての支配。――すなわち、ツヴァイだ」


「ちょ、ちょっと待ってくれよ」

 慌てて口を挟んだメッチは明らかに鼻白んだ様子で、怯えるように周囲を見ながら、

「なんだかその言い方は――あのさ。水領貴族のことを、邪魔だって言ってるように聞こえるぜ……?」

 若い商人にちらと目線を送って、ヨウはなにも応えなかった。ただ、唇には薄い笑みが浮かんでいる。そこからなにかを察したように、メッチが絶句する。

「そんな、おい。そんなことって――」

「……話を続けるぞ。“線”としての支配制度の確立こそが、ツヴァイを成り立たせている。そのためには、線はただ線というだけでは意味がない」

「上流と、下流ですね」

 ラディの合いの手に、ヨウはこくりと頷いて、

「水はどこから流れて、どこに向かうのか。基となる水源はどこか。かつては水源を抑えることが支配だったが、ツヴァイではそうではない。水流を抑えることこそが、ツヴァイを――この大水陸でもっとも強大な帝国を支配することを意味する」

「……ふざけるな」

 ユルヴは口を開いた。

 ヨウの話はまだ続きそうだったが、彼女の限界の方が先に来てしまっている。話の途中から無意識に握りしめられていた拳はほとんど爪が突き立つ程で、その痛みさえ自覚のないままに彼女は目の前の相手を睨みつけた。

「黙って聞いていれば、なにをぬけぬけと。水流。水領だと? どうして貴様らは、さも当然のようにそんなことを口走れる。いったい、貴様らにどんな権利があるんだ?」

 砂海に生きる部族。その一人として到底、承服できるはずもない理屈を前に、彼女の怒りは心頭に達していた。

「水は地から湧く恵みだ。それをお前達は勝手に暴いている。それがどれだけ罪深いことか、なぜわからない。この星に流れる水とはつまり、星の血液だ。お前達は、この星を徒に傷つけるばかりか、そこから夥しい程の血を流させているんだぞ!」

 血を吐くようなユルヴの憤怒に、それを聞いたヨウは冷ややかな眼差しでそれを受け止めてから、なるほど、と淡泊に頷いた。

「――星の奥深くに流れがある、という考えは部族にもあるのか」


 はっとして、ユルヴは自分の失言を悟った。

 だが、彼女が続く行動に移ろうとする前に、ヨウが苦く笑った。

「落ち着け。……正直に言えば、俺にもよくわからん」

「わからない、だと……?」

「ああ。俺は姓も持たない貧民の出だ。クライストフ家に仕えるにあたって幾らかの教育を受けはしたが、所詮はその程度だ。国や、この星そのもののことを考えるような頭は持ち合わせちゃいない」

 なら、今まで流暢に喋っていたのはいったい誰の言葉か――ユルヴは、問いかける前にその存在に思い至っていた。

 脳裏に浮かんだ相手と、彼女は直接の認識を持たない。サリュから聞き知った人物像が彼女の知るほとんど全てで、ひどく曖昧なものでしかなかった。そして、その輪郭は目の前の相手から聞く話によってさらにぼやけてしまう。砂のように。

 しかもそれは普通の砂ではなかった。

 砂海に生きる部族として、それを他の誰よりも身近なものとして捉えているユルヴが思わず背筋を震わせるほど、それは不気味な気配に包まれている。


 ユルヴは、サリュを前に対して口にしてしまった己の不安を思い出していた。“死の砂”を意味する名前を持つ異相の少女が、自らを投げ出してまで執着するその存在。彼女にとっての、“死の砂”。

「いったい、あの方はなにをお考えだったのか……」

 独白じみたヨウの呟きは、どこか途方に暮れた響きがあった。



 ヨウが去ったあと、部屋には重苦しい気配が漂っていた。

 顔をしかめさせたユルヴ以外の二人も、それぞれ思案する表情で沈黙している。メッチなどは、自分が見聞きした言葉の不吉さに顔を青白くしていたが、最初に気分を切り替えるように息を長く、深く吐きだしたのも彼だった。

「――結局、なにが言いたかったんだろうな。なんか、言いたいことだけ言って帰ってったけどさ」

 頭をかきながら肩をすくめるメッチに、こちらも表情を曇らせていたラディが笑いかける。

「恐らく、忠告でしょうね。水領貴族と水流貴族。サリュさんの身柄を浚ったのがこの街の領主であるなら、それに対してどうこうするのは非常に危険です。せめて相手がどういう存在であるかを理解していることは、確かに必要です」

「って言ったってなあ。いわゆる水流貴族ってことだろ? そりゃ、俺達にとっちゃ貴族様なんて天上人みたいなもんだからさ。水領だとか、水流だとか、そんなことには頓着してなかったけど、」

 言いかけて、メッチははっと顔色を変える。

 ラディが頷いた。


「メッチさんが今、お考えになったことが恐らく正解でしょう。ヨウは、水領貴族と水流貴族のことを我々に伝えました。さも、その二つの在り方に深刻な問題が生じているかのように」

「実際には違うのかい? あんたのおん出た家も、貴族なんだろう?」

「さあ、それは私からはなんとも。……ただ、ヨウがそれを口にした意図というのは大いに考えておくべきでしょうね。ちなみに、先程も言った通り、私の家はしがない水流貴族です」

 探るようなメッチの視線に、ラディは苦笑して頭を振る。

「クライストフ家も水流貴族ですね。もっとも水流貴族らしい水流貴族と言えるかもしれません。もっとも異端であるとも言えます。なにしろ、自らの水領を持たない身でありながら、彼の家ほどの地位にある家柄は過去に例がありません」

「異例? それとも、“偉大なる先例”かな」

「……どうでしょうね」

 僅かな言質もとられることを避けるように、ラディは曖昧に肩を揺らす。

「しかし、気をつけるべきなのは間違いありません。ヨウの発言は我々に対する忠告であるのと同時に、誘導でもあるはずですからね。ああ、アルスタ家は由緒正しい水領貴族ですよ。もちろん、トマスやナタリアなどの大水領とは比ぶべくもありませんが」

「なんだかなあ。思いっきり、国とか貴族とかの物騒なあれこれに足を突っ込まされてるってのがなー」

 天井を見上げたメッチが頭をかきむしる。ラディは同情するように、微笑をたたえてそれを見守っていた。


 二人のやりとりを聞きながら、じっと自分一人の思索に深んでいたユルヴは、その結論に至って顔を上げた。

「メッチ。リスールはサリュに対して借りがある。そうだな?」

「あ? ……ああ、そうだとも。商人は、嘘もつくし騙しもするが、借りは決して忘れない」

 見返してくる眼差しには、若いながらに自らの生き方に誇りを持った強い輝きがあった。

「なら、リスールに連絡をとれ。やりようはあると言ったな? それをしろ」

「いいけど。でも、どうしたって日にちはかかるぜ? いくらいい馬を潰したところで、ここからリスールなんて一日で辿り着く距離じゃない」

「わかっている。だが、やらないよりはましだ」

「……その間、じっと待ってくれてたりは――しないんだろうなぁ」

「当たり前だ」

 ユルヴは断言した。近くに立てかけていた弓をとり、弦を外す。弓のしなりを確認してから、改めてそこに弦を張り直そうとする彼女に、声がかかった。

「いけません、ユルヴさん。お気持ちはわかりますが、慎重になるべきです」

 いつになく厳しい顔つきのラディが、

「ヨウは間違いなく、貴女がとる行動を自分の目的に利用しようとしています。短慮な行いは貴女一人だけでなく、貴女の生まれた――いいえ、それどころか“部族”という存在そのものに多大な影響を及ぼす恐れもあります。クライストフというのは、それが可能なだけの相手なんですよ」

「わかっている。サリュが追いかけているのがどうにも厄介な相手らしいというのも、あのヨウがなにか企んでいることも」

 平然とユルヴは言って、にやりと歯を剥く。

 牙巫女と呼び表されるのにふさわしい表情で、彼女は告げた。

「残る矢数を忘れるほど馬鹿じゃない。最後の一本は、きちんと残しておく」



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