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砂の星、響く声  作者: 理祭
 二章 河境の港町
89/107

 ◆


 沈みかけた陽が差し込む色を変え、滲むように周囲の彩りを朱添えていく。

 戸のない窓に張った砂避けの布に表れるその微量な変化を、異相の瞳を持った少女が表情なく見つめていた。土壁に覆われた室内は手狭で、隙間から侵入した砂が漂っている。


 暗く落ち込んだ室内に微かな呻き声が漏れた。

 室内に置かれた二台の寝台の一方で、無垢な寝息と共に身じろぎした小柄な身体が動きを止め、勢いをつけて跳ねあがる。大きく見開かれた眼が室内の様子を探り、窓際に腰かける相手で止まった。

「……サリュ。ここは、」

「私達の宿よ。具合は平気?」

「具合? それは大丈夫だが、それより――」

 ユルヴは顔をしかめる。

 頭部を護る防砂具が外れている為、年相応に幼い素顔が露わだった。乱れた豊かな黒髪に手をやり、記憶の混乱を正すようにしばらく沈黙してから、アンカ族の牙巫女は大きく舌を打った。

「あの男……! サリュ、あいつはどこだッ!」

「ヨウなら町医者のところ。傷を縫ってもらってる」

「傷? お前がやったのか」

 サリュがこくりと頷くと、ユルヴは難しい顔で唸り声をあげる。

「そうか。よくやった。できれば私の手で抉ってやりたかったところだが。――それで、話は済んだのか」

 サリュはそっと目線を外した。

「……ううん。ヨウが手当てをしてからってことになったの」

 再び窓の外に視線を向ける。相手は外からの夕焼けを浴びて半ばその色に染まっていた。そちらを見やって目を細め、ユルヴは訊ねた。

「悠長だな。逃げられる心配はないのか」

「大丈夫」

 サリュが答えた。しばらくしてから、ぽつりと付け足す。

「……多分」

 まるで覇気のない返答に、それを聞いたユルヴの眉が高く持ち上がった。寝台を踏みつけて床に降り、ずかずかとサリュに近づいてその手をとる。

「ユルヴ?」

 振り返ったサリュの、二重に環を描いた奇妙な瞳をじっと見つめてから、ユルヴは深々とため息をついた。


「……どうしたの?」

「なんでもない」

 寝台に戻り、腰を下ろす。再び窓の外へ顔を向けた友人の様子を眺めながら、ユルヴは憮然として、組んだ膝の上に頬杖をついた。

 彼女も決して陽気な性格ではなかったが、この相手はそれ以上だった。口数少なく、日によってはひどく陰に篭ることがあり、容易にその内心を明かさない。そこに他意はなく、ただ性格の不器用さと生まれついた境遇ゆえのこととわかっているからこそ、文句を言う気にはなれない。ただ不満だった。

 何かあるなら、言えばいいのだ。自罰的な傾向は砂の地に生きる人間には珍しいことではないが、サリュは些か以上にそれが過ぎる――だが、それを当人に言うのもおかしなことに思えた。

 だいたい、似たようなことならこれまで散々言ってきている。サリュもそうした自分の在り様を変えようとしていたはずだった。その上でこの態度だというなら、何を言ったところで無駄だろう。少なくとも自分はそこまでお人好しではない。ユルヴは思った。

 だが、口にしなければしないで鬱屈が貯まるのも事実だった。生来が短気な部族の少女は、苛々と自分の内心を落ち着かせようと努力してから、それを諦めた。何故、自分がこんなことで不機嫌にならなければならないのかということに腹を立てて、

「ユルヴ」

 口を開きかけたその瞬間を狙ったように、視線を振り向かせたサリュから声がかかる。

 一呼吸を置いてから、ユルヴは応えた。

「なんだ」

「少し、出てきていい?」

「どこへ行く」

「クアルのところ。寂しがってるといけないから」

 彼女達の旅の連れである若い砂虎はクァガイにいる。町の中に入れたとはいえ、砂虎を泊めてくれる宿を見つけることは容易ではなかった。

「ああ、行ってくるといい」

 返事をしてから気づく。

「もしかして、私が起きるのを待ってくれていたのか?」

 サリュは睫毛を不思議そうに瞬かせると、小首を傾げて囁いた。

「だって、心配だったから」

 ひどく内向的でありながら、親しくなった相手への好意は素直に表す。友人のそうしたところがユルヴは苦手だった。不安に感じてもいる。

「……気をつけて行ってこい。今日は向こうに泊まるか?」

「クアルの様子次第だけど……。でも、一度こっちに戻るわ。夕飯頃、ヨウがやってくるはずだから」

 男の名前を挙げた瞳にどこか暗い輝きが灯ったのには気づかない振りをして、

「そうか」

 自分もついていく。ユルヴはそう口にしかけたが、思い留まった。

 一人を望んでいそうな雰囲気だったし、子どもではないのだから、心配だからといってどこにでもついていくわけにもいかない。サリュという不思議な旅人に深入りしているという自覚があるからこそ、ユルヴは自分自身に注意をしなければならなかった。軽薄な行商人に言われるまでもなく、彼女もいつまでも共に旅を続けられるわけではない。

「それじゃ、行ってくる」

「ああ」

 防砂衣を念入りに纏い、サリュは部屋を出ていった。


 残されたユルヴは手持無沙汰となる。近くに置かれた弓を手に取り、その絃を外して手入れにとりかかる。すぐにそれも終わり、やることがなくなった。

 自分も乗り馬の様子を見てこようとユルヴが立ち上がったところで、戸口に見知った姿が現れた。

「ただいま戻りました。おや、ユルヴさん、お目覚めですか」

「どこに行っていた」

「少し外で流してきました。あまり手持ちがないもので、宿泊費が払えなくなったら大変ですから」

 抱えた竪琴に触れながら微笑むラディを、ユルヴは油断のない眼差しで見据えた。

 幾つかの経緯から、ユルヴはこの詩人を信用ならない人物とみていた。実際、なにかあることは本人も認めている。

「町の様子はどうだ」

「クアルさんの噂で持ちきりですね。それから、東の戦争。ボノクスはよほど大掛かりに動いているようです」

 路銀稼ぎと併せて手に入れた情報を隠そうともしない。ユルヴは鼻を鳴らした。彼女は以前、目の前の男を間諜ではないかと疑ったことがあった。その疑いは今も晴れてはいない。そういった役どころを果たすのに、旅の詩人というのはひどく都合がいい存在だった。

「サリュさんは?」

「クアルの顔を見にいった。なんだ、なにかあるのか」

 眉をひそめたラディが頭を振った。

「いえ、なんでもありません。ただ、少し思い詰めた感じでしたから」

「私の意識がない間、なにかあったらしいな」

「サリュさんからなにも聞いていらっしゃらないのですか?」

「ああ」

 くすりとラディが笑う。

「それでユルヴさんも機嫌が悪いんですね」

「悪いか」

「いいえ。ユルヴさんらしいと思います」

 穏やかな口調が、かえって馬鹿にしたような印象を彼女に与えた。ユルヴは表情を歪めて相手を睨みつけた。

「子ども扱いでもしているのか?」

「とんでもない。私だってまだ二十そこそこの若造ですよ」

「私は十五だ」

「部族では成人の年ですよね」

 頷いたラディが部屋に入ってくるので、ユルヴは顔をしかめた。

「なんだ。お前の部屋はここじゃないだろう」

「少しお話しませんか」

 ユルヴは目を細める。

「サリュがいないのに、か?」

 ラディは困ったように眉を寄せて、

「サリュさんを仲間外れにとかではないんですけれど、いきなり聞かせてしまって大丈夫かなと不安になってしまいまして。すごい剣幕だったんです」

「いいだろう」

 ユルヴは頷いた。探し人のことになると、旅の同行者が冷静さを失いがちであることは彼女も認識していた。

「とりあえず、私が寝ている間にあったことから聞かせてもらおうか」

「ええ。そういえば、彼――ヨウはまだ戻らないのですか」

「治療中だとサリュは言っていた」

 答えてから、ユルヴは相手の発言に含まれる違和感に気づいた。

「待て。ラディ、いつの間にお前はヨウと面識があった?」

「ああ。その話からになりますね」

 のんびりとラディが応える。

「どこでだ。ウディアか、いや違うな」

 町からやってきた調査隊とウディア族に確執が起こってから、しばらく経っていたはずだった。ラディが砂海の部族を訪れ、そこの神子に頼まれて集落を抜け出した時期にヨウがあの集落の近くに顔を出せていたはずがない。

「はい、違います。もっと昔です」

 ラディは答えた。


 詩人がさらに口を開きかけたところで、部屋の外に騒々しい気配が生まれた。廊下から聞こえる愚痴を響かせながら、メッチが戻ってくる。男は嫌そうに隣の男に肩を貸していた。

「おかえりなさい。メッチさん」

「ああ、疲れた。なんで俺がろくに知らない相手の付き添いなんか――あれ、サリュは?」

 若い商人の質問には答えず、ラディは穏やかな表情をその隣に移した。

「久しぶりですね、ヨウ」

「……お久しぶりです」

 怜悧な表情の男が応える。

「説明しろ、ラディ」

「ええ、なんというか昔馴染みでして。以前、私が王都にいた頃に――」

 説明を始める男に被せるように、ヨウが嘆息する。

「まさか自分達も知らなかったのか。なら、あの砂虎女もか。……まったくふざけた話だ。馬鹿馬鹿しいにも程がある」

「縁というのはそういうものかもしれませんね」

 他人事のような感想を漏らすラディに、ユルヴは鋭い視線を突き刺した。

「いいから、どういうことか話せ」

「そういえば自己紹介がまだだったな」

 頭を振ったヨウが、

「俺はヨウ。昔からクライストフ家に仕えている。そして――この方は、ラディカトア・セネデイ。帝都ヴァルガードに居をかまえるツヴァイ貴族のお一人だ」



「貴族様!? このなに考えてるかわかんないおかしな詩人が?」

 メッチが素っ頓狂な声をあげる。今回ばかりはそれに同感の思いで、ユルヴも冷ややかに口を開いた。

「また放蕩者の類か? サリュの探している男といい、お前らの処ではそれが流行ってでもいるのか」

「いやあ、お恥ずかしい」

 ラディが頭をかいた。

「ただ、私の生家なんて小さな水源も持たない下級貴族ですから。ああ、クライストフ家も水領貴族ではないわけですが、それでも宰相家と私の家ではまったく家格が違いますよ。セネデイ家の名前なんて、同じ貴族でも記憶にさえない方々が大半でしょう」

 だいたいですね、と続ける。

「私は三年も前に勘当されていますから。元貴族ですよ」

「その元セネデイ家の人間が、どうしてサリュの探している相手の家の人間と顔見知りだ」

「ユルヴさんは、大学というものをご存知ですか?」

「知らん」

 ユルヴはあっさり答える。苦笑したラディが、

「大勢が集まって知識や経験を学ぶ場所なんですが。それが帝都にはありましてね。サリュさんの探しているニクラス・クライストフはそこの有名人だったんです。彼の態度振る舞いは色々と目立ちましたからね。その奇矯振りは友人付き合いにも顕著でした」

「それがお前か。奇人の近くには変人が集まるという奴か。――待て、前にサリュにリトなどという相手のことは知らないと言っていなかったか。あれは嘘か」

「とんでもない! まさかリトというのがニクラスのことだなんて思いもしなかったんですよ。サリュさんがアルスタの短剣を持っているのにもびっくりしたんですから」

 名前が違うのだから、本人とは思っていなかったと言われれば一応の理屈は通る。ユルヴは黙って相手に先を促した。

「まあ、私なんて、彼の知り合いの中では特に目立つ方でもありませんでしたけどね。好むと好まざると、彼ほどの生まれになると周囲には大勢の貴人方が顔を揃えていました。大学というのは、特に初期の頃は水陸中の高名な貴族子女の見本市みたいな状況だったんですよ。ツヴァイ帝国アンヘリタ・スキラシュタ皇女殿下や、ナトリア公領クーヴァリイン・ナトリア公女。サリュさんが世話になったという、武門の名家アルスタの現当主名代クリスティナ・アルスタ女爵もその一人です。ツヴァイだけでなく、他国の王侯方も大勢いました」

 つらつらと男の口から挙げられる名前のいずれも、部族の人間であるユルヴには何の感銘も与えるものではなかったが、メッチの反応は違った。

「信じらんねえ。皇族に、ナトリア公爵? 天上人みたいな大貴族様ばっかりじゃんか……」

 ほとんど顔色を蒼白にして頭を抱える。


 事態の把握に頭が追いつかないでいる様子の相手を無視して、ユルヴは続けた。

「お前達が顔見知りの理由はわかった。それで、ラディ。貴族出身のお前が吟遊詩人なぞやっているのはどうしてだ」

「それについては、聞かれても困ってしまいますね」

 ラディは眉をしかめた。

「昔から好きだったんですよ。色々な土地を旅して、歌をうたいたいと思いまして」

「そのために家を出たと?」

「ええ、そうです」

 にこりと微笑んだ。

「そんなふざけた理由を信じろと言うつもりか」

「お気持ちはわかりますが、こればっかりは信じてもらえないとどうしようもありません」

 ユルヴはヨウを見た。冷ややかな顔つきの男が淡々と告げる。

「……昔から、そういった変わったお人柄ではあった」

 まあいい。ユルヴは息を吐いた。胡散臭さは少しも晴れていないが、サリュに関わらないことなら後回しにして問題ないと判断する。

「なら、本題だ。ヨウ、ンジからいつの間にか逃げ出していた貴様が、どうしてこんなところにいる」

「その説明はさっきもやったはずだが。ああ、お前は気絶していたからな」

「やったのは貴様だろうが」

 歯を剥くユルヴに、肩をすくめてヨウが説明を繰り返す。治水権と、それに関わる問題。パデライが逃亡した理由と推測される事柄を聞いて、ユルヴは顔をしかめた。

「つまり、ヨウ。お前の仕える主人、サリュの探しているニクラスという男がお前達の国にとってよからぬことをしているということか? それで追ってきたと」

「……あくまで可能性だ。治水権について昨今、帝国内で発生している諸問題にニクラス様が関わっている可能性がある。だから我々はそれを調査していた」

「でも、それってヤバいだろ」

 どうにか頭の中を整理したらしいメッチが話に加わった。

「治水権違反はどれも大罪だぜ。家を飛び出したとはいえ宰相家の人間がそんなことに関わってるなんて、その話がマジなら不祥事どころじゃねえよ」

 青ざめた顔のまま、恐ろしいものを見るようにヨウを見上げる。

「いったいどうしてそんな話、聞かせてくれちゃってんだよ。下手したら、貴族様同士の諍いごとに巻き込まれちまう」

「巻き込んだのは俺ではない。文句ならサリュとかいう女に言え」

 ヨウはにべもない。メッチはがくりと肩を落とした。


「そんなに大層な話か」

 相手の深刻さが今一つ理解できず、ユルヴは訊ねた。跳ね上げるように顔をあげたメッチが、

「当たり前だろ! 治水権ってのは貴族を象徴する特権なんだよ! それがあるから貴族ってのは偉いし、何もしないでもじゃかじゃか金だって入るし、それに従って俺達みたいな平民は生きていける! これが大層じゃなければ、なにが大層だってんだ!?」

「くだらない」

 必死な様子の相手をユルヴは嘲笑った。

「くだらないって、お前――」

「そうだろう。治水権だと? それがまずふざけた話だ。水源を支配する権利か。そんなものがいったいいつ、どこの誰によって貴様達に“認められた”というのだ」

 平然と言い放ったユルヴの一言に、メッチが石の彫像と化したように動きを止める。

 苦笑したヨウが呟いた。

「部族の人間らしい言葉だ」

「違うか? そんなものは、貴様らが勝手に言っているだけだ。貴様らは自分達の理屈で不当に水源を支配しているに過ぎない」

「理屈の外にいる者から見ればそうなるのだろうな」

 ヨウは否定しなかった。衝撃を受けて目を見開いているメッチをちらりと見て、

「だが、その治水権という存在がツヴァイという国家を成り立たせている。日々を営む人々がほとんど意識しないほど、常識という理になってな。そして、当然のようにそこにある現実に疑問を抱けるのは、部族という、ツヴァイの理にあてはまらない異端者――我々から見れば、だ――あるいは。よほどの変わり者か、だ」

「確かに」

 ラディが苦笑いを浮かべる。

 ユルヴは渋面をつくって、

「……それが、ニクラスという男か。サリュの探す“リト”か」


「あのお方は普通ではなかった。それは確かだ」

 直接の返答を避けるように、ヨウは答えた。ふと眉をあげて室内を見渡して、

「そういえば、あの女はどこだ。姿がないが」

「サリュならクァガイの商館だ。連れの顔を見に行っている」

「一人で行かせたのか」

 男の言葉の中にある非難の響きに、ユルヴはむっとして答えた。

「なんの問題がある」

「……呆れたな。パデライが姿を隠したことを忘れたのか」

「忘れるものか。だからなんだ」

 苛立たしげにヨウが頭を振る。

「パデライは町商を始めるまで、クァガイに所属していたんだろう。そのパデライが、逃亡するのに昔の伝手を使おうとしない理由があるか?」

 ユルヴはメッチと顔を見合わせ、すぐに弓をとって外へと駆け出した。



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