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砂の星、響く声  作者: 理祭
 二章 河境の港町
87/107

「あれは、クライストフの? でも、どうして」

「さあな。死体がなかった、あの男。ヨウは調査に来た連中についてきたんだったか。それ関係かもしれない。だが、もっと気になることがあるぞ」

 壁際から窓の外に視線を固定させたまま、ユルヴが言った。

「私達がここに来る時には、尾行の気配はなかった。なら、外にいる連中はいったいどうやって我々の宿を知った?」

 自然と視線が集まり、ぎょっとしたようにメッチが目を瞬かせた。

「俺がつけられてたってことかよ?」

「そうとは限らない」

 ほっとするメッチに、淡々とユルヴが続ける。

「もっと悪い。お前の商会が我々の情報を流した、という可能性があるからな」

「そんなこと、」

「ないと言い切れるか? 売り払えるものはなんでも売るのがお前たち商人だろう」


「――だよなあ」

 大きく肩を落とすメッチに、部族の牙巫女はさらに容赦なく続ける。

「あるいは、我々を売ったのはお前の師匠かもな。アルスタとクライストフ、それらについてなにか関わっているというなら、十分ありえる」

 決めつけるような言葉を気の毒に思い、サリュが口を挟んだ。

「待って。ユルヴ、ヨウは私とクアルのことを知ってたわ。クライストフの相手なら、クアルの騒ぎを知って、そこから辿ったのかもしれない」

「もちろんその可能性もある」

 ユルヴが頷いた。

「だが、より悪い可能性まで考えておくべきだ。メッチの師匠とやらはどうやら、お前の探している相手について何かを知っている。その男の所属する、していた商会と、お前の探し人の生家が繋がっていないという保証はないぞ」

 正論だった。サリュは黙って視線を若い商人に向ける。

 難しい顔をしていたメッチが頭をかいた。

「ま、そうだな。正直、砂虎の噂を聞きつければどんな偶然だってありえるような気はするけど、最初っから決めつけるのは具合が悪いや。行商やってた師匠の拠点はリスールだけど、年季があるからこっちにだって顔は効く。うちが手を回したって可能性は、ある」


「だとすれば、説得に向かったお前が帰ってからよほどすぐに連絡をとったということになるがな。随分と手が早い。つまりは、行動に迷いがないということだ」

「待つならともかく、迷って銭が貯まることなんかないからな。けどちょっと待ってくれよ。うちの商会にしろ、師匠にしろ、クライストフの人間に情報を流したって証拠もないぜ」

 だいたい、と大きく両手を振り上げて、

「いったいなんだって、クライストフの連中がサリュ達を監視しなきゃならないんだよ。だってサリュが探してる相手は、宰相家の人間なんだろう? 家を出ていったお坊ちゃんを探してて、しかも懇意にしてるアルスタ家とも関わりがあるサリュを警戒しなきゃいけない理由なんかあるのかよ」

「――ある、かもしれない」

 サリュは呟いた。

 脳裏の思いつきを言葉にしかけてから、口ごもる。つい先ほど慎重になれと注意を受けたばかりだった。これを聞かせることで、目の前にいる彼らにまで迷惑をかけることにならないだろうか。

 それを察した様子のメッチが肩をすくめて、

「ああ、もしかしてこっちのことを気にしてくれてるなら、問題ないぜ。中途半端に降りるほうがよっぽど危ないって」

「私の立場は最初から決まっている。今さら、話されない方が不快だ」

 言ってから、ユルヴは視線を旅の詩人に向けた。

「お前は関係ない、と言いたいところだが。そうもいかない。付き合ってもらうぞ」

「そうするしかないみたいですね」

 苦笑したラディが、

「どうぞ、サリュさん。私のことも気になさらずに」

「……わかりました」

 サリュは頷いた。


「少し前、砂海で会ったクライストフの人間が言ってたの。アルスタ家が、クライストフ家の味方とは限らない――って」

「そいつは、」

 メッチが言葉を呑んだ。

「……そりゃまた、えらく物騒な話じゃないか? アルスタって言えばバリバリの宰相派だろ?」

「国の派閥がどうこうという話を、行商人風情がよく知っているな」

 感心したように言うユルヴに、メッチは頭を振る。

「逆だよ。俺みたいな行商人風情にまで知られてるくらい、有名なのさ。この国の宰相家ってのは確かに変わり者で、なにしろ今の皇帝陛下になっていきなり今の地位に抜擢されたって話だ。立ち位置や背景が普通の貴族とはまるで違うんだよ。だから、クライストフ家は、派閥を持たないんだ。けど、そのほとんど唯一かもしれない例外ってのが」

「サリュが世話になったという、アルスタ家とやらか。なるほど、そのアルスタとの不仲を示唆する話なら、確かに穏やかじゃないな」

 ユルヴは何かを含んだ視線をラディに向けた。

「お前が知っている“噂”はないのか?」

「私が王都にいたことがあるのは、随分と昔のことなんですよ」

 ラディが苦笑いする。

「しかし、確かに帝都に住んでいれば誰もが知る程に、宰相家は特異な存在ではありましたね。クライストフとアルスタ両家の関係も有名でした。互いの息子と娘を婚約させるという話もあったはずです」

 サリュはそっと唇を噛み締めた。ちらりと目線を動かした詩人が穏やかに肩をすくめる。

「それはともかく、確かに気になる話ですよ。それに、それならメッチさんのお師匠がああいう反応をみせたのもわかる気がします。つまり、アルスタの家紋を見せられて気色ばった理由です」

「アルスタ家の紋を見せられたのにあの反応。ではなく、家紋を見せられたからこその反応だったわけか。当然、その両家になにかあることを知っていたことになるな」

「はい」


 ……本当に、アルスタ家とクライストフ家との間になにかあるのだろうか。

 リトとクリスティナさんに限って、そんなことはないはずだ。サリュは確信していたが、サリュがそう断言できるのはあくまで彼と彼女という個人に限った話だった。貴族という、文字通り住む世界が異なる人々のことになるとまるで想像がつかない。

 私が行動することで、もしも二人に迷惑がかかるのであれば。その危険性をサリュは恐れた。アルスタの短剣を渡されたということは、アルスタの手の者と見られることだ、とヨウも言っていたではないか。

 それに。仮にそうだとして、なら自分になにが出来るだろう。今さら、リトを探すのを諦める? そんなことが受け入れられるはずがなかった。


「師匠もなぁ。だとしたって、あの反応は大げさすぎるような気がするんだよな。あんなに狼狽してるとこなんて、商売中だって見たことなんかなかったぜ」

「そのあたりの事情は本人に聞くのが一番だろう。それとも、外にいる奴から聞きだすか?」

 ユルヴが言った。

 果断に行動に移そうとする遊牧民の少女にサリュは頭を振って、

「待って。その前に、クアルのことが心配なの」

「ああ、クァガイにいるからな。とは言え、まさか砂虎を人質になどとは誰も考えないだろうが」

「そんな馬鹿がいるもんかよ。おっかねえ」

 メッチが肩をすくめて、

「けど、まずうちの商館に向かうってのは悪くないかもな。師匠が手を回してるかどうかの確認だけでも価値あるだろ? ひょっとしたら、なにか情報だって手に入るかもしれないぜ」

「もしもお前の商会に手が回っているなら、敵の中に飛び込むことになるがな」

「俺の所属はリスールだぜ。こっちのクァガイとはもちろん同じ商会員同士だから敵対なんか出来るわきゃないけど、だからってなんにも聞けないし、言えないなんてことはないさ」

「お前はただの行商だろう。他所の縄張りで強権を振るえる立場なのか?」

 懐疑的なユルヴにメッチは憤然と、

「あのな。リスールのクァガイは、前の一件でサリュに借りがあるんだ。少なくとも、ある程度の融通を主張するぐらいは俺にだって出来る。それに、いくら成りたての若輩だからってわざわざ館長が一筆かいた手紙が意味を為さないなんて大問題だぜ。リスール支部の沽券がかかってんだよ」

「商売人が恩義などと言いださない辺り、まだ信用できる話だ」

 ユルヴは皮肉を込めてそう評価してから、サリュを見た。

「どうする。私はお前の決めたことに従う」

 本音では、サリュの執着はパデライという老人に拘っていた。

 今すぐにあの老人の元へ向かい、強引にでもリトの話を聞きだしたい。しかし、それよりもまず近しい人達の安全を確かめるべきだった。協力してくれると言ってくれている、ユルヴやメッチ達に迷惑がかからないかどうかを確認しなければならない。――私は、一人なんかじゃないんだから。


「……クァガイの商館に行きましょう。それがいいと思う」

 焦れる気分を抑えて、サリュは言った。



 まだ日が高い間に宿を出て、クァガイに向かう。

「……後ろ、ついてきてる?」

「ああ。このまま人ごみに紛れられるとさすがにわからなくなるな」

 平然と応えるユルヴに、サリュは後方の気配を探ろうとして、すぐに諦めた。とても自分にできる芸当ではない。砂海で厳しい生活を営んできた彼女だからこそだろう。

「どうする? このまま商館に行っていいのか?」

「それ以外にないだろう。それに撒いたところで、どうせ我々が向かう先など知れている」

「そりゃそうだ」

「それより、クァガイでは誰かから話を聞ける当てがあるのか? 行ったはいいが、無駄足になるんじゃないだろうな」

「あんたはホント、俺のことなんだと思ってんだろうな。俺だってこの町に来たことくらいあるし、ここの商館長と話したこともあるんだぜ」

 不満そうにメッチが唇を尖らせる。

「他にも何人か顔見知りはいる。無駄足なんかにゃさせねーよ」

 まだ何か言いたそうなユルヴにかわって、サリュが口を開いた。

「……わかってる。メッチ、よろしくね」

「へへっ。任せとけって」

 嬉しそうに鼻をこすって前を向く商人を呆れたように見送ってから、ユルヴが隣に視線を向ける。そこを歩く詩人のラディは考え込むように表情を沈めていた。

「どうした。考え事か」

「ええ、まあ。ちょっと昔のことを思い出していました。今、お話しますか?」

「後でいい。それとも、今聞いていたほうがよさそうな話なのか?」

「どうでしょうね」

 ラディは苦笑して、

「もう少し、事情がわかってからの方がいいかもしれません。まったく関係ないことかもしれませんから」

「ならそれでいい。だが、なにも話さずにすむとは思うなよ」

「心得ました」

 いったいなんの話だろう。サリュが視線を送ると、ユルヴは肩をすくめた。

「後でわかる」

 気にはなったが、なにか意図があるのだろうとサリュはそれ以上聞かなかった。


 少し前に訪れたばかりの商館は、やや日差しの傾斜を受けて建物の色合いが変化していた。メッチを先頭にして建物の中に入る。こもった気配は変わらなかった。

「えーと、イェルモンドさんはいるかい」

 リスールでは商館長自らが受付に腰を下ろしていたが、ここではそうではないらしい。それともさっき来た時は違ったのだろうか、と錯乱して前後不覚な記憶を探るようにしながら、サリュは目の前のやりとりを見守った。

 しばらく待たされてから一人の男がやってくる。この町の商館を預かるイェルモンドという人物は、ひどく体格のよい、壮年頃の商人だった。

「よう、メッチ。さっそくあの砂虎を引き取りにきてくれたのか」

「違いますよ。もうしばらくお願いします。どっかに売り飛ばしたりしないでくださいね」

「馬鹿言え。近づこうって奴だっていやしねえよ。ったく、厄介な荷物を預けやがって。まあ、大金だしてでも買い取りたいって連中も多そうだがな」

 そこでサリュへと目線を向けて、軽く手をあげた。

「ああ、すまねえ。自分の連れを勝手に商売品扱いされたら、気分が悪いだろうな。つい口が過ぎたよ、申し訳ない」

「……いえ」

 無意識のうちにしかめさせていた表情を隠すように目線を落として、サリュは応えた。


「さて。それでいったい何の用だ? 今、ちょっとこっちも忙しいんだが、うちが用意した宿になにか問題でも?」

「すいません。ちょっと聞きたいことがあって。少しだけでいいんで、お時間もらえません?」

「おお、なんという暴虐だ。日々をまっとうに小金を稼ごうと血汗を流す、健気な労働者の時間を奪う権利がお前にあるのか?」

「同じ商会員のよしみってことでお願いしますよ。ほら、うちの商館長からもよろしくって頼まれてるんで」

 大仰に両手をひろげたイェルモンドが、嫌そうに眉間に皺をつくった。

「やれやれ。わかったよ。それで、なんの話だ? どうせなら美味い儲け話なら嬉しいんだがな」

「短く終わる話で、美味い儲け話なんて聞いたことありませんよ」

「そうでもないさ。例えば――ああ、こんなこと言ってる時間が無駄だな。用件はなんだ?」

「実は、師匠のことなんですけど」

 メッチは話し始めた。

「ちょっと話をしたくてさっき会ったら、すごく忙しそうで。全然、話もできなかったんですよ。それで、なにかあったのかなって」

「パデライさんか?」

 ふむと、イェルモンドが頬をなでる。表情に一瞬、慎重な色が浮かんだ。

「……さあ、どうだろうな。あの人も今じゃ一本立ちした町商だ。今でも繋がりがあるったって、こっちでなんでも知ってるわけじゃねえ」

「最近、忙しそうだったりしてましたか?」

「どうだったかねえ。そんなこともなかったような気がするが。むしろ忙しいのはこっちだとも。東で戦争が始まったって話は知らないわけがないだろ?」

「もちろん。こっちも皆して大わらわですよ」

 メッチが頷いて、首を捻った。

「もしかして、師匠もそれ関係だったのかなぁ」

「ああ、そうかもな。まあ、偶然が重なって忙しい時だってあるしな」

「考えすぎだったのかもなあ。もうちょっとしてから、また会いにいけばいいかな」

「それでいいんじゃねえか。単に虫の居所が悪かったってだけかもしれんしな。あの人の性格はお前さんがよく知ってるだろう」

「まあ、そうっすね。あ、そうだ。もう一つ、最近の師匠の顧客に、やたら羽振りのいい貴族様がいるって話、聞いたことありますか?」

 イェルモンドの目がわずかに細まった。

「――初耳だな。なんだよ、やっぱり儲け話なのか? だったらもっと詳しく聞かせてみろよ」

「いやあ、聞いてみただけですよ。そんなんじゃありませんって」

 軽い表情ではぐらかしたメッチが、

「でも、なにかあったら相談に来ますよ。俺なんかじゃ、せっかく話があっても不意にしちゃうかもしれないですし」

「そいつはいい心掛けだな」

 腕組みしたイェルモンドが鼻を鳴らした。

「ええ。ですから、預けた砂虎の世話、よろしくお願いしますね」

「言われるまでもねえこった」

「よかった。お時間とらせちゃってすみません。じゃあ、俺たちはこれで」

 早々に話をきって立ち去ろうとする若い商人に、

「おい、メッチ」 

 腕組みをしたまま、顔をしかめさせたイェルモンドが声をかけた。

「なにを企んでるか知らんが、お前さんはクァガイの一員で、ここはそのワーム支部だ。商会には商会の、場所には場所のルールがある。忘れるんじゃねえぞ」

「わかってますって」

 圧の高い忠告に、振り返ったメッチは若者らしい表情でそれを受け流して歩いていく。サリュもユルヴと顔を見合わせてからそれに続いた。

 出口に向かう途中、商人達の粘ついた視線がサリュの背中に触っていた。



 建物の外へ出て少し距離をとってから、メッチは一言を漏らした。

「微妙だなぁ」

「関係があるかどうかわからないってこと?」

 サリュが訊ねると、頭を左右に振りながら、

「いや。多分、さっきの宿をみてた連中が、クァガイから手を回されて動いたってことはないと思う。けど、師匠のことで本当になにも知らないかどうかまではちょっとわかんない」

 視線をユルヴに向ける。

「他人の嘘を見破るのは得意だったよな? なにか気づかなかったか?」

「……嘘はついていなかった。だが真実を全て話していたかはわからん。面倒な相手だな」

 吐き捨てるようにユルヴが答える。

「やっぱ一筋縄じゃいかないなあ。いかにも口の軽い若手って感じで話してみたんだけどなぁ」

「迂闊を装って油断させるのはお前の手口だったな」

 そういえば、リスールの騒動ではそれでまんまと騙されたことがあった。

 メッチは肩をすくめて、

「別にそのくらい誰だってやるって。それより、とりあえずうちからすぐに入る情報はなさそうだ。種をまいといたから、そのうち反応あるかもしれないけどさ」

「種?」

「ああ、金儲けになるかもって言っといたろ。そういうのを聞けば、嘘だと思ってもとりあえず情報を集めたくなるのが商人だ。あの砂虎を預けてるうちは、俺らと繋がりがあるわけだしな。向こうから情報交換を持ちかけてくるかもしれない」

 そこではっとして、慌てて両手を振る。

「別に質とか、そういうんじゃないからな。怒らないでくれよ」

 サリュはじっと相手を見つめてから、まったく違う話を返した。

「……後で、クアルに会いにいってもいいかしら」

「ああ。それは全然。むしろいつ暴れられるかビクビクしてるだろうから、そっちのほうが有り難がられると思うぜ」

「わかった」

 クアルの入れられた小屋は決して窮屈そうではなかったが、いつまでもそこに押し込められていればクアルは不満を感じるだろう。自分も向こうで寝泊まりした方がいいかもしれない。


「それで、どうする? とりあえず現時点じゃクァガイは白だと思う。これから関わってくるってことはあるかもだけど。師匠のとこ行くかい?」

 訊ねられたサリュは、ユルヴとラディの表情を確かめてから、頷いた。

「行ってもいいなら。私は、すぐにでも会いにいきたい」

 リトの話さえ聞ければ、自分はそれでかまわないのだ。誰にも迷惑をかけることなく、リトの安否と、できればその行方を知ることができればなんの不満もない。

「よっし、じゃあ行くか。さっきの話が商会で噂になるのにも時間かかるしな」

 反論は上がらなかった。


 メッチの案内で町を歩き、往来の多い区画に辿りつく。河川に垂直に伸びた通りにそれはあった。

「あったあった、ここだよ。ここが師匠の店で、裏で自宅も兼ねてる」

 パデライ商会と看板の掲げられた建物は、比較的に新しい印象だった。すぐに違うと思い直す。新しい部分と古い部分が顕著だった。

 そういえば、とサリュは思い出した。異なる水源から伸びる水路が交わる“境”であるこの町は、これだけ大きな規模には珍しく未だに移動を前提としているという話だった。

 この世界ではむしろ一般的な、そういった集落では移動式の住居を第一の財産として、落ち着けそうな水源が見つかればそこに増築する形で仮の根を張ることになる。改めてサリュが周囲を見回してみると、ワームにあるほとんど全ての建築物がそうした構造を持っているようだった。


「師匠、いますか?」

 裏口ではなく、店の入り口から中に入る。

 メッチに続いて建物の中に足を踏み入れて、サリュはすぐにその場の異常に気付いた。店内には客の姿はなく、それどころか店の人間の姿もない。決して広くない空間には薄く砂が舞い、沈黙を振り撒いているだけだった。

「師匠……?」

 訝しげに呟き、メッチが大声をあげようとするのを、ユルヴが手をあげて制止する。鋭い眼差しがサリュに向けられた。

 サリュは黙ったまま頷いた。腰から短剣を抜き払う。少し前に負傷した利き手ではない方でそれを握り込みながら、内心でひどく焦っていた。嫌な予感がする。

 メッチとラディに目配せして下がらせてから、ユルヴが奥に繋がる扉へ向かう。足音を消して近づき、そっと扉のノブに手をかけた。


 扉が開かれる。

 誰かいれば即座に飛びかかれるように身構えていたサリュは、新たに開けた視界に何者もないことにほっと安堵の息を吐いた。すぐに同じだけの焦慮が沸き上がる。いったいこの店の主はどこにいるのだろう。

 サリュ達が足を踏み入れた先には、さらに奥に繋がる扉と、上にのぼる階段が存在した。奥に繋がる扉は、微妙に周囲と作りに違いが見て取れる。移動式の住居と増設部分の区切りだった。

 ゆっくりと近づいたユルヴが、一息に扉を引き開けた。

 影が飛び出した。

 まっすぐにユルヴに突進するその人影の手元に刃物らしきものを確認して、サリュは友人の前に姿を投げ出した。


「っ……!」

 短剣の根元で受ける。重量のある一撃を受けて吹き飛ばされそうになる、サリュに追撃をかけようと人影が足を踏み込んだところに、横合いからユルヴの肘が飛んだ。

「がッ」

 こめかみを打ち抜かれて、短い悲鳴と共に昏倒する。

「大丈夫か、サリュ」

「ええ。ありがとう」

 サリュは目の前に倒れた男を観察した。まったく見覚えのない相手だった。身を屈めたユルヴが男の防砂具を取り払い、サリュは息を呑む。覚えがあった。

「どうして……?」

 サリュは呆然と呟いた。

 男の身につけた服装は先程、宿でサリュ達の部屋を外から見ていた者達のそれだった。

「わからん。上にいくぞ」

 移動式住居のなかを確認して戻って来たユルヴの言葉に頷いて、サリュは階段へと向かった。

 いったいどうして、クライストフの人間が。そして、いったいここで何をしていたというのか。沸々と盛り上がる疑問と悪寒に混乱しつつ、上階の様子を窺い、そっと段を踏みしめる。

 立てつけの悪さで完全に足音を殺すことは不可能だった。それでもできるだけ静かに階段を登りきり、顔を覗かせる。


 二階には壁の区切りがなく、一見して物置のような印象だった。目に見える視界に最悪の結果が転がっていないことにサリュは胸を撫で下ろした。パデライが殺されている可能性を頭に浮かべてしまっていた。

「……誰もいない? どういうことなのかしら」

「わからん。さっきの男を起こして、聞くしかないな」

 そうね、と同意を返しかけて、サリュは目を見開いた。まったく気配のなかったはずの物陰から、別の人影がユルヴに近づこうとしているところだった。

「ユルヴ!」

 気づいたユルヴが身体を捻ろうとする、その腹部に相手の拳が深々と突き刺さった。身体を折ったユルヴが一言もなく崩れ落ちる。

 眉を跳ね上げて、サリュは新手に飛びかかろうと床を蹴りかけて、

「――落ち着け。眠らせただけだ」

 冷ややかな声にその勢いを押し留められた。

 信じられない思いで目の前を凝視する。ほとんど憎々しい感情を込めて、サリュは囁いた。

「どうして。あなたがここにいるの」

「それはこちらの台詞だがな」

 怜悧な顔つきを苦々しく歪めて、若い男――クライストフ家のヨウが応えた。



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