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クァガイの商館は河川沿いからすぐの立地にあった。
大勢の物資が運び込まれ、またそこから運ばれていく隣を歩く。荷物を抱えて行き交う人々が悠然と歩く砂虎の姿にぎょっと目を見開いて立ち止まり、それが通行の妨げになって罵声が飛んだ。
「あー、こっちこっち。これ以上、騒動がヤバいことになる前に入っちゃってくれよ。もう!」
慌てた様子でメッチがクアルを追い立てようとするが、砂海の王者は自分に触ろうとした商人を胡散臭そうに見上げ、牙を剥いてみせる。
威嚇に手をひっこめたメッチが情けない声をあげた。
「どうにかしてくれよ、サリュ!」
声をかけられたサリュだが、彼女の情緒は激しくかき乱れたままだった。涙に濡れた顔をあげる。そこにある不可思議な双眸が常にない水気を帯びて異様な輝きを放ち、メッチは一瞬、魅入られたように声を失ってから、慌てて視線をそらした。
「ああ、もう! どうしろってんだよ」
「さっさと案内しろ。このクアルはお前よりよほど賢い、行き先がわかれば自分で向かう」
「ああそうかい。悪かったよ」
サリュの肩を抱く部族の少女に舌をだし、商人の足が近くの小屋に向かう。売買目的の家畜を入れておく用途の室内が今は空であることを確認してから、そこに馬とこぶつき馬を繋いだ。メッチは手に別の綱を持って、ちらりとクアルの巨体を確認し、ため息とともにそれを放り投げた。
「頼むから、ここから出ないでくれよ。家畜を襲ったりしたらどんなことになるか、わかるよな?」
懇願する響きに応えるように、クアルは大きく欠伸をして返した。
メッチがまたため息をついた。
飼葉と水を用意してから、サリュ達は商館の中に案内された。リスールでもそうだったように、薄暗い室内には数人の商人がおり、酒精の匂いも濃く漂っている。粘着質な興味と冷やかしの視線を抜けて奥の一室に通され、
「じゃあ、師匠を連れてくるから、ちょっと待っててくれな。すぐ戻るよ」
そう言ってメッチは部屋をでていった。
残されたサリュ達は何をするでもなく、商談用に扱われているだろう長机に腰かけた。
その頃になると、ようやくサリュの動揺も落ち着き始めていた。
同時に、激しい羞恥に襲われる。
唐突に耳にしたリト生存の報がいくら予想外の出来事だったとはいえ、ひどい醜態を晒してしまった。とても顔を挙げられないでいる彼女の頭に、からかうような声がかかった。
「落ち着いたか」
サリュは黙って頷いた。
「そうか」
俯いた顔の前に、水袋を差し出される。
「あれだけ大泣きしたんだ。少しは補給しておかないとな」
サリュは上目遣いに友人を睨んでから、大人しく水袋を受け取り、口をつけた。言われたように、大量の涙を零したからというわけではないだろうが、喉を通る温い水がひどく美味に感じられた。
含んだ水分が体内に染み渡るのを少し待ってから、サリュは小さく囁いた。
「ごめんなさい」
「何度も聞いたぞ」
呆れたようにユルヴが言った。
そうですよ、とそれに同意してみせたラディが、
「それに、サリュさん。あなたの泣き顔はとても美しかった。謝罪どころか、こちらがお礼を言いたいくらいです」
真剣な眼差しで言われてサリュは返答に困り、顔をしかめた。
ユルヴが鼻を鳴らした。
「詩人というのはそんな風に女を口説くのか?」
「とんでもない。悲嘆にくれるご婦人がいれば一晩の宿り木になることも厭いませんが、サリュさんの涙はその逆のものでしょう。それは野暮というものです」
「よくわかってるじゃないか」
「ええ、もちろん。ですから私は、せめて歌のインスピレーションになればと――」
二人の会話をどこか遠くに聞きながら、サリュは茫洋とした心地を抱いていた。
気分は平静に近づいていたが、かわってどこか現実離れした浮遊感が身体中を包み込んでいる。
リトが、生きている。リトの居場所を知る人が今からやってくる。一年以上前に別れたあと、まるで足取りも掴めなかったあの人の。その繋がりの一端なりに、私は触れることが出来る。――本当に現実なの、と不安が湧いて、それを消し去ろうと柔らかい毛皮を撫でようとした彼女の手は、宙を薙いだだけだった。今はクアルが傍にいないことを思い出して、彼女は赤面した。
浮かれている。浅ましい程に高揚している己を自覚して、サリュは深く深呼吸した。
――落ち着け。まだどんな話が聞けるかはわからない。メッチの話では、半年程前に会ったと言っていた。それだけ昔のことなら、彼の現在にそのまま繋がるわけではないかもしれない。ああ、それでもまったく構わないけれど!
手持無沙汰な両手を握りしめ、あまりの痛みにそれを慌てて解いてからも、両手の指先がまるで意思を持ったかのようにそわそわと落ち着かなかった。
サリュは外套の中から、一通の手紙を取り出した。リスールにあるクァガイ商会の新しい館長から渡されたものだった。旅の中でいくらかの皺と汚れを帯びてしまっているそれを口元に近づける。お願いします、とサリュは心の中の誰かに祈った。
メッチの帰りを待つ時間は、サリュにとって苦行以上のものだった。
室内を歩き回りたい衝動を抑え、じっと全身を硬直させて出入り口の扉を注視する。一度、ノックの音がした瞬間に彼女は跳ねるように立ち上がったが、入って来たのは盆を持った若い女性だけだった。
なみなみと水の注がれた木椀を卓上に置き、女性は一礼して部屋をでていく。去り際、問いたげな視線をサリュに向けていった。
固まっていたサリュは大きくため息をついて、腰を落とした。
見かねたユルヴが口をひらいた。
「気持ちはわかるが、落ち着け。……クアルのところに行ってきたらどうだ? メッチが戻ったらすぐに伝える」
「大丈夫。ありがとう」
友人の気遣いに感謝しながら、サリュは椅子の上で膝を抱え込んだ。膝頭に額を押しつけて、薄く深く息を吐きだす。後悔していた。メッチと一緒に行けばよかった。これではとても身がもたない。
がちゃりと扉が開いた。
サリュは頭を跳ね上げた。
「よう、お待たせ」
若い商人が、とっておきの売品を見せびらかすような笑顔を浮かべている。その背後に、老境に差し掛かった男性が立っていた。
「俺の師匠だった人だよ。パデライ師匠、こっちがさっき話したサリュって子。一緒にいるのはアンカ族の次の族長のユルヴ。それと、もう一人はよくわかんないけど流しの詩人らしい」
簡単な説明を受けて、老人は黙ったまま僅かに顎を引いただけだった。
偏屈な職人を思わせる態度でゆったりと室内に入る。老人が少し右足を引きずるような仕草であることにサリュは気づいた。
メッチが引いた椅子に腰を下ろした男が、じろりと値踏みするような視線をサリュに向ける。重々しく口を開いた。
「紹介状」
意思が通じる最低限の言葉が、蓄えた髭の奥から発せられる。サリュはすかさず手に持った手紙を差し出した。胡乱そうにそれを見た男が、受け取った手紙を開いた。
「……確かに」
頷いてみせる。それからふんと鼻を鳴らして、
「あのセルジェイがリスールの館長か。いずれとは思ってたが、まさかあの若さでとはな」
じろりと奥まった眼差しを向ける。そこに宿っている光は、決して良い印象のものではなかった。
「前の館長だった男は、古い知り合いだ。アベドは確かに金にはうるさかったが、悪い男じゃあなかった。それを陥れた相手の、手助けをしてやれとはな」
棘のある言葉を向けられて、サリュがそれに応える前にメッチが眉を跳ね上げた。
「師匠。そりゃ違うって。こないだのことは、全部俺たちがやったことなんだ。サリュはそれに巻き込まれただけ、言ってみれば被害者だよ」
「そんなことは分かって言ってる、半人前は黙ってろ」
一言でメッチを黙らせてから、男は続ける。
「商人は商人の道理で動く。商人の都合を娑婆の連中に当てはめるな。口を酸っぱくして言ったな、メッチ。そして俺は、まだこの相手と商売をすると決めたわけじゃねえ」
「随分と偉そうな商人もいたものだ」
ユルヴが険悪に喉を鳴らした。
「金に溺れた連中の道理など知ったことじゃない。そもそも我々はお前と商売をしにきたわけじゃない。そこの手紙は、私や私の部族、そしてここにいるサリュに貴様らの商会が迷惑をかけた謝意の表明だと認識しているが、違うか?」
声の大きさこそ平常だが、返答次第ではすぐにでも弓に手をかけそうな気配に、横からのんびりと声がかかる。
「まあまあ、落ち着いてください。ユルヴさん」
「お前は黙ってろ」
「黙りますが、その前に聞いてください。商人っていう人達は、大なり小なりこういうものなんですよ」
ラディは落ち着いた笑顔を浮かべて言った。
「彼らはひどく素直じゃありません。私がつい何事も歌にしたいと考えるように、彼らはついつい、相手の値踏みをしてしまうんです。これはもう、性のようなものでしょうね」
「知ったことか。商人の都合とやらを押しつけるな」
「その通り。だから、自分と同じ生業で動くかどうかを彼は今、見分けようとしているわけです。そしてユルヴさん、この人は商売をするかどうかと言っただけで、お話をしてくれないとは一言も口にしていません」
穏やかな口調で諭され、顔をしかめたユルヴがパデライに視線を送る。
「アンカの次代族長。うちの商会の者が迷惑をかけたことは申し訳なかった。そしてそこの相手が言ったとおり、俺はあんた方に協力しないつもりでいるわけでもない。どうにも、こういう回りくどいやり方はお嫌いのようだがね」
「時と場所を選べ。その程度も見極められないで商売人の目利きか?」
「それは確かに。だが、こちらの事情も少しは汲んでやってくれないかね。どうにも町が騒がしい。もしかしたら今、目の前にいる連中がその元凶だってんなら、関わろうとすることに慎重になるのもわかるってもんだろう。そいつらがなにかしでかしたら、こっちにまで迷惑が降ってくるのかもしれないんだからな」
「でも師匠、サリュ達のことなら俺やセルジェイさんが保証するって」
老齢の商人は自分の年齢の半分もないような相手を睨みつけて、
「ならメッチ。この優男の詩人はいったい誰だ? よくわからないってさっき言ってたろうが」
「そりゃ、そうなんだけどさ……」
相手の頑固さにメッチが頭を振る。お前のせいだぞ、といわんばかりに詩人を見やった。
困ったようにラディが頬をかいた。
「ええと。私の存在が障るということでしたら、退席しましょうか?」
「――待って。ください」
サリュは口を開いた。
全員の注目を集めてから、腰に手を回して、手に掴んだものをそっと卓に置く。派手ではないが精緻な拵えの短剣を見て、パデライが片眉をあげた。
「この町でご迷惑をかけるようなことは、決してしません。聞きたいことを聞いたら、すぐにでも出ていきます。……私は、私自身の身分を証明するものや、言葉を持っていません。けれど、これがその代わりにはなりませんか?」
出立の折、サリュがトマスの女騎士から渡された二振りの一方を目の前に、パデライは食い入るようにそれを凝視していた。その目線は鞘の根元に掘られた、大小の剣を交差させた意匠に向けられている。
「なっ、凄いだろ。昔、師匠が俺に教えてくれた貴族様の家紋そのままだよ。あのアルスタだ! サリュはアルスタ家と関係あるんだよ!」
メッチが興奮した様子で言った。
その声も聞こえない様子で、しばらく動きのなかったパデライがゆっくりと頭を持ち上げる。サリュは違和感を覚えた。男の表情は不自然に強張って見えた。
「帰ってくれ」
パデライが言った。
よろめきながら立ち上がり、そのまま足を引きずっていこうとする。
「ちょ、ちょっと! 師匠、どうしたんだよ、急に!」
慌ててメッチが声をかけるが、それに一言もないまま男は部屋から出ていってしまった。
突然の豹変に事態を把握できず、サリュは呆然とそれを見送った。
サリュ達はクァガイの商館を出て、近くの宿に部屋をとった。
メッチが手配してくれていたその宿はひどく質がよかった。部屋の床にはほとんど砂が落ちておらず、窓際に置かれた水差しの中身も潤沢で、澄んでいる。
だが、サリュにとってはそれら全てが視界に入らなかった。
せっかくの手がかりが話を聞くことも出来ず、ひどく打ちひしがれていた。外套を脱ぐことも忘れて膝を抱える彼女に、気の毒そうにユルヴが声をかける。
「サリュ」
のろのろと顔をあげる。
力強い眼差しが彼女を見た。
「心配するな。あの老人がなにか知ってるのは間違いない。なら、無理やりにでも口を割らせてしまえばいいんだ」
物騒な言葉を口にする友人に、サリュは弱々しい笑みで応えた。
「……ありがとう、ユルヴ」
再び顔を俯かせる。相手から見えなくなった表情で、サリュは強く唇を噛み潰した。膝の裏にまわした手を強く握りしめる。――無理やりにでも。本当に、そうしてしまいかねないと思っていた。
「ユルヴさんって、怖いですねぇ」
のんびりと、サリュ達の隣に部屋をとったラディがあやすように続けた。
「まあ、今はメッチさんの帰りを待ちましょう。それで事情が分かるかもしれません」
「なんの事情だ」
「それはなんとも。けれど、先程の様子は明らかに普通ではありませんでした。それはやっぱり、なにか普通じゃない事情があるからだと思うんですよ」
――それは、その通りなのだろう。
冷静にサリュは同意したが、それは思考はともかく意思決定にはまったく関わりない部分の話だった。その通りだ。それがどうした?
私はリトの話を聞きたい。それ以外の事情なんて知らない。たとえどんな非難を受けようが、誰に恨まれようが、あの老人が話をしないというのなら、それこそ短剣を膝に突き立ててでも――冷ややかな狂気を自覚して、サリュはぞくりと背を震わせた。
駄目だ。それじゃあ、迷惑がかかる。ユルヴに、ラディに、メッチ。リスールで手紙を用立てしてくれたセルジェイにも。他者の存在がまとわりついて自由を成せない不便さに、サリュは嘆いた。けれど、その周囲の人達の協力がなければ自分はこの場にもいられなかったのだ。
泣きたくなるような気持ちで、サリュは自分自身をきつく縛り上げた。感情が暴走してしまわないようにするにはそうするしかなかった。
やがて、部屋の扉が叩かれてメッチが戻って来た。
「どうだ?」
鋭い視線のユルヴに若い商人は肩をすくめて、
「さっぱり。もう会わん、話すことはない。の一点張りさ。どうにもありゃ、ただ事じゃあない」
「いったいどういうことだ。リトという男については、お前には話していたんだろう?」
「ああ。軽い内容だけだったけどな」
メッチは渋い顔で頷いた。
「まあ、なんでそんなことを聞くんだみたいなことでかなり聞き返されたけどさ。サリュのこともちょっとは話して、その時はあんなじゃなかったぜ」
「原因は別にある、か。恐らくそれは、」
ユルヴが言葉を切って、サリュを見た。
サリュは黙って腰から短剣を差し出した。
「……アルスタ家の短剣? 確かに師匠にはアルスタの話はしてなかったけど。でも、なんでそれで師匠があんな半狂乱みたいなことに」
言いかけたメッチがサリュに視線を向けて、おずおずと訊ねた。
「あのさ、サリュ。聞いちゃいけないことなのかもしれないけど。そのリトっていう人、いったい何者? なんか只者じゃなかったりするわけ?」
サリュは眉をひそめ、しばらく迷ってから、
「私も、よく知らないの。でも、リトっていうのは今の彼の名前で。昔の名前は、ニクラス・クライストフって言うの」
「クライストフ? ……それってまさか、あのクライストフのことかい!?」
メッチが飛び上がんばかりの反応をみせた。
ちらりと目をやったユルヴが、
「知っているのか」
「知ってるもなにも! 帝国広しって言ったって、クライストフといえば、クライストフだろ! 水陸最大のこの国、ツヴァイ帝国宰相! 貴族なんて話じゃない、大貴族だ! ――ああ、いや、クライストフはちょっと普通の貴族とは違うんだっけ?」
「すごく偉い家で生まれたらしいってことは、アルスタの屋敷で聞いたけれど」
「偉いどころじゃない! 大物中の大物だよ!」
ほとんど絶叫するように、メッチははっと自分の声量を抑えて口をふさいだ。
「悪い。いや、でもびっくりした。それにもっとわからなくなった。サリュ、あんたいったい何者なんだ?」
得体の知れないものを目の前にした眼差しを向けられて、サリュは困惑して頭を振った。
「……私はただ、拾われただけ。その時はもう、リトはリトだったし。本当によく知らないの」
アルスタ家に保護されていた時にいくらか必要なことを学んでいたとはいえ、自分の無知さ加減が恥ずかしかった。
「なるほど」
メッチ程ではないが、さすがに驚いた様子をみせていたラディが口を開いた。
「となると、少しは話が見えてきたかもしれませんね。クライストフ家と、アルスタ家は懇意な関係であったはずです。メッチさんのお師匠が過敏な反応を示したのは、恐らくそのあたりに関わりがあるのではないでしょうか」
「ああ、そうか。確かにその二つの家が、仲がいいってのは有名だもんな」
メッチが頷いた。
ユルヴは一瞬、目を細めて流しの詩人を見てから、
「そんなに有名な話なのか」
「ええ。私は王都にいたこともありますから。そこに住んでいるなら誰しも耳にしたことがあると思いますよ。特に、宰相家というのはかなりの変わり者という噂ですし――出奔した次男はとりわけ奇矯者であったと言いますね」
ラディが落ち着いた様子で答える。
「うわ。ってことはマジなのかよ。まさか、知らないうちに帝国宰相の次男様を探してたなんて」
額に手を当てたメッチが天井を仰いだ。
騙すつもりはなかったが、結果的にそうなっていたのは確かだった。サリュは謝罪した。
「ごめんなさい」
「ごめんはいいけどさ」
ため息をついたメッチが、
「……サリュ。あのさ、これはまた余計なお世話かもしんないけど、言っとくよ。あんたはもう少し、慎重に、狡くなった方がいい。あんたにとっては想い人を探したいってだけかもしれないけど、これってもうそんな話じゃない。少なくとも、そう捉える相手は大勢いるはずさ」
「お前のようにか?」
ユルヴに言われて、メッチはそれを笑い飛ばそうとせず、
「ああ、その通りさ。さっき、相手の正体をきいてすぐに思ったよ。すっごい金儲けになるんじゃないか――って。で、次の瞬間にこう思った。相手が悪すぎる。ちんけな行商人が小金を稼ごうとして口を挟むには、ちょっと話がでかすぎる」
若い商人の言葉には恐れが含まれていた。
「……わかったわ。ありがとう、メッチ」
「とりあえず、今の話は誰にでも言わないほうがいい。というかさ、よく俺達に喋る気になったな」
サリュは答えに困った。囁くように告げる。
「信用、してるから。……それじゃ、ダメ?」
一瞬、固まったメッチが、がっくりと肩を落とした。
「だから、そういうのをさぁ」
「安心しろ。私はお前達をそれ程は信用していない」
冷ややかに言うユルヴを睨みつけて、
「あんたがずっとお守りしてられるわけでもないだろ? ったく、サリュ。あんたって最初はやけに近づき難いっていうのに、一旦近づいたらほんと無警戒なんだな。よくないぜ、そういうの」
「……気をつける」
「ああ、そうしてくれよ……」
力なくメッチは頭を頷かせた。
「ええと、なんでこんな話になったんだっけ? ああ、師匠だ。とにかく、師匠の態度の理由が宰相家とアルスタ家の関係にかかわりそうっていうなら、その線からちょっと探りをいれてみようか」
「行商人には過ぎた話じゃなかったのか」
「ああ、まったくもって過ぎた話さ」
メッチは不敵に笑った。
「でも、過ぎた機会でもあるんだよ。んで、商人やっててそういう機会に踏み込めないなら、そりゃもう商人やってる意味がないと思うんだよなあ」
「少し前に矢を射かけられたのをもう忘れたのか? いつか身を滅ぼすぞ」
「金海で溺れるなら本望だっての。それに、サリュ。どうせあんたはその相手に会えるまで諦めるつもりはないんだろ?」
訊ねられ、サリュは決意を持って頷いた。
「――ええ。絶対に。なにがあっても、諦めない」
メッチが器用に片目を閉じてみせる。
「なら、俺も手伝うよ。それでおこぼれに預かれたらラッキーだしな。商人の性ってやつさ」
「半分は色情に溺れている気がするがな」
呆れたように言ったユルヴが、視線をもう一人に向けた。
「お前はどうする。詩人にも過ぎた話だ」
「……そうですね」
なにか物思いにふける様子だったラディが、
「正直、私も驚いています。けれど、もし私にお手伝いできることがあればお力添えしたいと思いますよ。このような経験は滅多にできるものではありませんし」
「詩人の性か?」
「そうですね。信じていただけませんか?」
穏やかに微笑む。
対するユルヴは冷ややかに、
「信じるかはともかく、お前には聞きたいことがある。だが、それは後だな」
言って、視線を窓の外に向けた。
「どうしたの?」
「この部屋を見ている奴がいる。サリュ、外に見えないようにこちらへ来い。――どうにも見覚えのある格好だぞ」
サリュは眉をひそめ、ユルヴの元に向かった。
彼女に倣ってそっと外の様子を窺う。怪しい人影は見つからなかったが、
「三つ並んだ木陰のすぐ下だ。顔は出すな」
あっ、とサリュは声をだすところだった。
ユルヴのいう場所にいたのは知った顔ではなかったが、確かにその格好には見覚えがある。
それは、少し前に砂海で出会った若い男、ヨウと名乗ったその男が防砂具の下に着ていた服装とひどく似通っていた。