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砂の星、響く声  作者: 理祭
 二章 河境の港町
85/107

 サリュは顔を上げた。

 激しい日射に視界が眩み、目を閉じる。空にはもっとも高い位置に日が昇る時刻で、瞼越しに赤く差し込む熱さを馴染ませるようにしてから薄く睫毛を持ち上げると、二重の環を描く異相の瞳がその一部を覗かせた。

「どうした、サリュ」

 隣を歩く部族の少女から声がかかる。サリュより小柄で、恐らく年下でもある相手は、旅中ほとんど馬上である為に上から話しかけられることがもっぱらだったが、今は横からの声になっている。彼女は馬から降りて歩いていた。

「なんでもないわ」

 サリュは応えた。顔を覆う防砂布を引き上げて表情を隠す。それを見た相手が、こちらも目元以外を防砂布ですっぽりと覆った顔を歪ませて、

「それがなんでもないという顔か?」

「……なんでもなくはないけど、平気」

 表現を改めてサリュは言い直した。ふんと得意げに鼻を鳴らす少女に、やり返すつもりで訊ねる。

「ユルヴこそ、町は嫌いなんでしょう」

「特に河川などという代物があるところはな」

 嫌そうに目を細めたユルヴが頷いた。

「ろくでもない連中が際限なく集まってくる。いったいどこから湧いてでるのかと呆れるし、商人やそれ以外の連中の欲望が渦を巻いていて、胸やけするくらいだ。リスールもそうだった」


 峡崖の町リスールで騒動があったのは半月程前のことになる。それから数日をアンカ族の集落で過ごし、そこを出発して目的地に向かう途中で別の部族の揉め事に関わった。それも一応の解決を見せたということでそこを経ち、つい先ほど、サリュ達はようやく当初の目的場所に着いたところだった。

 河境の町ワーム。リスールと同じく河川沿いの町であり、東西二つの水流がぶつかって大きな支流の源となる境目でもあることから大勢の人がごった返すその町は、サリュの知る上でもっとも栄えた街である商業都市を彷彿させる雰囲気を持っていた。

 砂海に引かれる大河川を介して集中する人と物資の込み具合は、トマスの一画をそのまま移転させてきたといって差し支えない活気に溢れている。そして、その活気にまぎれるように異なる気配が忍んでいることにも彼女は気づいていた。

 驚愕、不安、絶句。周囲から凝視され、痛いほどの注目が通りを歩くサリュ達の一行に集まっている。他人と異なる見かけを持つサリュには馴染みのあるものではあったが、だからこそ記憶にあるそれらが触発されて、彼女は複雑な思いだった。

 ――やっぱり、よせばよかった。後悔に目線を俯かせかけたサリュの内心の呟きを聞き取ったように、前を歩く男が振り返った。

「駄目ですよ。サリュさん、こういうのは堂々としていないとかえって目立ってしまうものです」

 能天気な声に諌められて、サリュは嘆息して顎をもちあげ、視線を自分の傍らに向けた。


 そこに悠然と歩く一匹が、今の状態の元凶だった。砂虎。砂海の生態系の頂点にたつ大型の肉食獣は、左右をサリュとユルヴに挟まれ、周囲の視線など気にも留めない様子で歩いている。周囲の視線を一身に集めていることに気づいていないはずがないが、唸り声すら上げず、それどころか機嫌が良さそうでさえあった。

 家畜を食い殺し、商隊さえ全滅させてしまうこともある砂虎が白昼堂々と現れて、町がパニックに陥らない理由がなかった。周囲の反応は、むしろあまりのことに唖然として恐慌することさえ忘れてしまっている風ではあったが、砂虎を従えるように――あるいは従えられるように――共に歩くサリュやユルヴの存在が、人々の発作的衝動をぎりぎりのところで押し留めている可能性は高かった。

「いいですか? 我々は旅芸人の一座なのです。流しの詩人に、弓の名人。砂虎と心を通わす動物使いが揃えば、もうこれはどこでだって公演が開けますよ」

 吟遊詩人のラディが言った。腕に抱える楽器で今にも歌いだしそうな軽やかさで、ふと真剣な表情でサリュを見る。

「もちろん“使い”というのは、そういうことにしておこうというだけです。怒らないでくださいね」

「……わかっています」

 サリュは小さく頷いた。男の発言に悪意はないことはわかっている。


 実際、クアルと一緒に町に入れるというのは得難いことだった。別行動中の砂虎が危険に陥る可能性よりも、自分がそうなる場合の方がずっとあり得るのだろうが、それでも家族のような相手と分かれないでいられることは単純に嬉しい。彼女が旅に出てすぐの頃、まだクアルが小さかった時には手荷物に隠して町に入ることもあったが、砂虎の成長は早く、それ以上に小さい砂虎はやんちゃだった。すぐに町の人間に見つかり、追いかけられて殺されそうになってからは、一時の別離を嫌がってしがみつき砂虎をなだめ、町の外に待たせるようにしていた。

 砂虎のこともあるが、それ以前にサリュは人前で目立ちたくなかった。自分の瞳が普通でない見かけをしていることは自覚していたから、防砂具を厳重に纏って姿を隠し、極力人と関わらないようにして必要最低限の接触だけで情報を得て、水や食料を手に入れる。そして――探し人の行方を訊ねる。すぐに記憶の砂に消えてしまうように心がける、それが彼女の町での過ごし方だったが、それに異を唱えた人物がいた。

「それじゃあ駄目ですよ!」

 ウディア族の集落を離れ、ワームまでの短い旅の同行者となった男は、今までサリュがそうした行いを続けてきたことを知ると、断言するように言った。

「それじゃ、自分から探してるだけで、相手に探させてないじゃないですか。迷子になった時の心得は、あらかじめ合流地点を決めておくこと。それと、自分の足跡を相手にわかってもらうことです」

 男の態度は、奇妙なほどの自信に満ちあふれていた。それなりに砂海を旅している経験があるからこその意見に対して、サリュは明確な反論を持ちえなかった。


 失せ人を探し続けた一年間、彼女はほとんど一人だった。傍には砂虎のクアルがいたし、それ以外にごく僅かな期間だけ同行者となった相手も少数いたが、それも成り行きでそうなっただけで、なんらかの事態に巻き込まれて再会する方策を考える機会はなかった。だから彼女は、今までそういった発想そのものをしたことがなかった。

 それは、サリュが探し求める相手に対しても同様である。

 暴動の夜に別離した相手と、そういった事態についての取り決めはなかった。当たり前だ。そもそも、リトは私をあの街に置いていくつもりだったのだから。彼とはぐれたことで、私と彼はそれきりになってしまった。

 合流地点というなら思い当たる場所がなくはない。トマスに駐在する女騎士。クリスティナ・アルスタは彼女の探す人物の古くからの友人で、彼女にとっての恩人でもある。リトが生きていて、もしも私やあの人に会うことを考えたのなら――彼はまずそこを訪れてくれるだろう。

 実際、砂海をあてもなく彷徨うよりも、トマスで待つ方が彼との再会が叶う可能性は高いかもしれなかったが、サリュにはとてもそうすることはできなかった。


 仮に、自分がリトを探し彷徨っている間に、彼がトマスを訪れることがあればそれでいい。それで彼と彼女の再会は叶うのだから。……本当に? 本当に、それでいいはずだった。

 だが、それはあくまでリトがトマスを訪れようとすればの話だ。もし彼がそうしなければ、あるいはそうできないような事情があったなら。クリスティナさんは、ずっとあの街でリトを待ち続けることになってしまう。

 ――そんなことにはさせない。絶対に、リトを連れて帰る。そして、その為に利用できるものがあれば彼女はなんでもするつもりだった。


 人目を忍んでリトを探すだけではなく、リトに自分の存在を気づいてもらえるようにする。確かに人探しには有効に思えた。そして、それを可能にしてくれる旅の供が彼女にはいた。

 人間に連れられた砂虎など、広大な砂海にも早々いるものではない。クアルの存在をリトは知っているのだから、どこかの町で砂虎を連れた人間の話を聞いたら、すぐに自分のことを思い出してくれるはずだ。それで少なくとも、自分が彼を探していることだけはわかってもらえる――

 しかし、凶悪な肉食獣として知られる砂虎を普通に町の中に入れては騒動になる。そこでラディが提案したのが、ワームに入る際に旅芸人の一座と偽ることだった。

「そんなことで、クアルと一緒にいても怖がられなくなるんですか?」

「結局、砂虎を入れることには変わりませんが、なにかしら理由があるだけで案外、人は納得してくれるものですよ。旅芸人というのは、町の人間にしてみれば不思議と娯楽を運んでくれる存在ですからね。少なくとも、普通の旅人が砂虎を連れているというよりは、あり得ると思ってくれます」

 詩人の言い分にサリュは不安を捨てきれなかったが、実際に男はワームの町門を通るにあたって長広舌をふるい、まんまと通行の許可を得てしまった。説得には自分の言葉だけでなく、近隣の有力部族であるアンカ族のユルヴがいることや、サリュがクァガイ商会から渡された紹介状まで披露し、さらには賄賂まで握らせて相手を丸めこむ手口は、サリュやユルヴが見ていて呆れるほどのものだった。

「……詩人というより詐欺師じゃないのか」

 率直なユルヴの感想にラディはにこりと微笑んで、

「旅をしていればこのくらいの処世術は身につきます。さあ、門さえ通ってしまえばそれが既成事実となります。こちらが問題でも起こさない限り、堂々としていれば大丈夫ですよ」

 自信満々に胸を張る男に続いて、サリュとユルヴは顔を見合わせ、それから恐る恐るそれに続き――そうして、三人と一匹は町の中に足を踏み入れたのだった。


 砂虎を連れたサリュ達に対する町の反応は終始一貫していた。声を失い、石になったように固まって、目線を釘付けにする。町に入ってずっと自分達から離れることのない視線の針山を受けて、サリュはいたたまれなくなって目線を下げかけた。

 今まで人の注目を浴びることを忌避してきたサリュにとって、そうした状態は苦痛でしかなかった。魔女として火炙りにされかけた記憶が刺激され、全身が強張る。動悸が高鳴り、手のひらに不快な汗をかいた。口の中では、砂海を彷徨う以上の渇きが舌をはりつかせて違和感をもたらしている。

 だが、それはあくまでサリュ自身が選んだことだった。リトを探すために、リトに自分の存在を知ってもらうためにやっているのだから、どんなことでも我慢してみせなければならない。

 サリュが申し訳なく思うのは、むしろ連れであるユルヴや、自分の足跡として文字通りの意味で見せ物にされてしまうクアルについてだった。町でも一緒にいれてクアルは嬉しそうだったが、だからといって相手を利用している事実には変わりない。ユルヴも、見せ物のような扱いをされて気分がいいはずがなかった。

「……ユルヴ。ごめんね」

 呼びかけられたユルヴが眉を持ち上げた。薄く哂う。

「最近、ごめんがお前の口癖なのかと思うぞ」

「そんなことないけど。だって、私の我儘だから」

「我儘の何が悪い」

 ユルヴは平然と言った。

「探し人に会うためにできる手段があるなら、何でもやるべきだろう。何でもやるんじゃなかったのか、お前は」

「……そうね」

 サリュは頷いた。その通りだ。実際、自分はそれで今までに人だって殺してきているのだから。今さら申し訳なく思ってみせてどうなるというのだ。


 サリュの表情が暗く落ちるのを見たユルヴが肩をすくめた。

「気にするな。確かに視線は鬱陶しいが、おかげで歩きやすくはなっている。差引でまあ、そこまでは悪くない」

 通りには人がごった返していたが、誰もがクアルを恐れてサリュ達の近くには寄ろうとしていなかった。おかげでさらに目立つことにはなっていたが、同時に人ごみに揉まれることもない。

 サリュは努力して微笑んだ。ユルヴが冗談めかしてくれているのだとわかった。

「ありがとう。ラディさんも、ありがとうございます」

 先導して歩く背中が振り向いた。満面の笑顔が応える。

「いえいえ。気にしないでください。なにしろ夢が叶いましたからね」

「夢だと?」

「ええ、そうです」

 顔をしかめるユルヴに力強く頷いて、

「こんな風に一座で町を行進するというのを一度やってみたかったんですよ。周囲からの注目がたまりません。すぐにでもこの場で歌いだしたいくらいです。歌ってもよろしいですか?」

「……やめろ。歌うならわたし達と別れた後でやれ」

「それじゃ、注目されなくなってしまうじゃないですか」

 真剣な表情で男は言った。

「お二人がいるからこその注目ですよ? 私一人じゃあ、こうまで観衆をひきつけることなんてできっこありません。できればお二人にも、弓や演技で共演してもらえると嬉しいんですが」

「お前の頭を射ぬけばいいのか?」

「そこまでしていかなくとも、買ってきた果実を頭の上にでも置きますからそれを射ぬいていただければそれで結構です」

 半眼になったユルヴがサリュを見た。

「サリュ、こっちにも感謝はいらないぞ。自分のためにやっただけだ、こいつは」


 サリュは苦笑して、首を振った。例えラディが自分の欲求を満たすためにやったとしても、それで感謝がなくなるわけではなかった。少なくとも、自分一人では今回のようなことを思いつきもしなければ、それを実行することも不可能だったことを彼女は理解していた。

 ――私一人じゃ駄目だったんだ。そのことを深くサリュは自覚した。

「……クアルが嫌がることじゃなければ、協力します。私にできることなら」

「本当ですかっ!? いやあ、ありがたい。いえ、サリュさんとクアルさんが仲睦まじげにしていてくださるだけで十分です! 砂虎の恐怖を煽るような唄も歌いません。私は、この広い砂の海で人と砂虎という異なる生き物が心を通わせるという、その奇跡を是非、唄にしてみたいというだけでして――」

「わかった。わかったからもう黙れ」

 うんざりとユルヴが首を振った。サリュを睨みつける。

「このお人好しめ」

「そんなんじゃないわ。ユルヴ。貴女にだって、なにかできることがあれば何でもするわ。本当に、感謝しているの」

「真顔で言うな、そういうことを」

 照れたように顔をそらしかけたユルヴが、にやりと笑った。

「そんなことより忘れていないだろうな。お前はまだ、わたしにお返しの歌をうたってない」

「……わかってる。ちゃんと、歌をおぼえて返すから」

「一回じゃないからな。教えてやってもいいけど、その分また数は増えるぞ」

「サリュさん、歌を練習されているんですか? よろしければ私がお教えしますが……」

「お前は黙ってろ」


 二人の掛け合いが始まるのを見守りながら、サリュは小さく微笑んだ。

 ユルヴとラディとの三人で旅をしたのはたった数日だが、それはとても楽しいものだった。そして、それが楽しいからこそ寂しくもある。ラディとはこの町でお別れだし、ユルヴともそうなるだろう。また自分は一人になる。

 不満そうな気配に気づいて、サリュは目線を落とした。クアルが澄んだ虹彩でじっとこちらを見上げている。サリュはそっと砂虎の頭を撫でた。……ごめんね。クアルは一緒にいてくれるのにね。

 そしてリトのことを思った。


 ……彼は今、誰かといるだろうか。


 そうであって欲しいと思ったし、そうであって欲しくないとも思った。何故だろう。だって、リトにはクリスさんがいるし――脳裏に二人が一緒にいる場面を想像して、サリュは頬を和らげた。ちょっと考えて、そこに自分を加えてみようとしてから躊躇してしまう。いつものように、彼女の想像は曖昧に途切れてしまった。

 ――会いたい。唐突にサリュは思った。リトに会いたい。会って彼の体温を感じたい。手を繋ぎたい。それから、とそれ以上を思いかけて、前をいく二人がぎょっとしてこちらを見ているのに気づいた。

「なに?」

「こちらの台詞だ。なぜ、泣いている」

 渋面になったユルヴに言われて、サリュは自分の目元に触れてみた。湿り気をおぼえたことに、自分でびっくりする。指先は確かに涙に濡れていた。

「……私、なんで泣いてるんだろ」

「知るか。こっちがなにかしたみたいじゃないか」

「ごめん、そうじゃないんだけど。本当、なんでかしら――」

「待ってください」

 あわてて顔を拭おうとしたサリュをラディが制止した。サリュをまじまじと見つめ、正面から両肩を抱いてさらに至近距離から凝視する。

「そのままで。今、とてもいいインスピレーションが……」

「知るか」

 息も触れ合う程に顔を近づけようとするラディをユルヴが蹴倒した。

「ああ! なんてことを! せっかく名曲が生まれる予感が――」

「お前の勝手な創作にサリュを使うな。いや、使うのはいいが強制するな」

「ユルヴ、ごめん。大丈夫だから。……それより行きましょう。人の目があるわ」

 サリュは言った。


 立ち止まっていたせいで、周囲にはサリュ達を取り囲む大勢の人の輪ができてしまっていた。

 この町にリトへ向けた足跡を残さなければならないが、道端で会話をすることがそのやり方だとは思わない。まずは紹介状を持ってこの町のクァガイ商会を訪ねることが先決だった。

「ユルヴ、一緒にクァガイの商館まで来てくれる?」

「当たり前だ。わたしもクァガイには用がある」

 サリュは頷いて、ラディを見た。

「私達はこれから用がある場所にいきますけれど、ラディさんはどうしますか。一緒に来ていただく理由はありませんけど、お礼の件もありますし」

「そうですね。どこか宿で落ち合えばいいのかもしれませんが、ちなみにお二人は今からどこへ行かれるので?」

 サリュが男に説明をしかけたところで、

「おーい!」

 呼びかけられた声は聞き覚えのあるものだった。人の輪をかき分けるようにして姿を現した人物に、サリュは驚きに瞳を瞬かせた。

「メッチ? どうしてここに」

 そこにいたのはリスールの一件で知り合ったメッチだった。


 血相を変えた若い商人が、息を切らせながらサリュ達の元へやってくる。

「どうしてもこうしても! こんなところでなにやってんだよ、お宅らは! 砂――」

 はっと口をつぐんで周囲を見渡し、

「……砂虎まで町ん中に入れちゃってさ。よく問題にならなかったな、おいっ」

「問題になんてなりませんよ。私達は旅芸人の一座なんですから」

 メッチは胡散臭そうにラディを上から下まで見て、顔をしかめた。

「誰だよ、あんた」

「ラディと言います。歌をうたいながら旅をしています」

「吟遊詩人がどうしてサリュ達と一緒にいやがるんだよ」

「ですから、私達は旅芸人の一座でして――」

「だから、それがどういうことだって――」

「ああ。ちょっと黙れ、お前ら」

 うんざりとした顔で額に手を当てたユルヴが仲裁に入った。

「とにかく、こちらの説明は後でする。それより、」

 ぎらりと目つきを鋭くしてメッチを睨み上げる。

「――我らの部族との商いがあるはずの貴様が、どうしてこんなところにいる。女の尻を追ってきたというなら、その首を切り落とすぞ」

 メッチが首をすくめて後ずさった。庇うように喉に手をまわしながら、憤激する。

「なに言ってんだ。うちの商会を通して集落への連絡を頼んできたのはあんただろ!?」

 ユルヴは目を細めて、

「確かに、ウディアのことで父様への連絡をクァガイには頼んだが、それでどうして貴様がここにやってくる」

「そのお父様から頼まれたからだよ! なにかトラブルが起きてるらしいから、助けてやってほしいって。人がせっかく急いでやってきたのにそれかよ!」

 ふん、とユルヴが鼻を鳴らした。

「本当に父様が言ったことか? いや、助力を頼んだのは事実だとしても、それなら自分が行きますと貴様から言いだしたのではないのか」

 ぎくりとメッチが身震いした。限界まで引き絞られる弓弦のように、危険な程に細められるユルヴの眼差しから逃れるようにサリュを見て、

「サリュ、助けてくれよ! せっかくあんたにいい知らせ持ってきたのに、それ言う前に殺されちまう!」

 正直なところ、サリュにはユルヴとメッチがじゃれあっているようにしか見えなかったが、メッチの台詞が気にかかった。

「いい知らせ?」

「ああ、そうだよ。あんたが探してる相手のことさ!」

 一瞬、呼吸さえ止まって、サリュは硬直した。口を開きかけるが、言葉が出ない。石が詰まったように喉には蓋がされていた。


「……どういう知らせだ。早く言え」

 平静を失って言葉のないサリュに変わって、ユルヴがメッチに訊ねた。不満そうに商人が唇を尖らせる。

「なんでそんな態度で命令されなきゃならないんだよ」

「いいから早くしろ」

 歯を剥きだしたユルヴに唸られて、メッチはしかめっ面で首を振った。

「わかったよ。……サリュ。あんたの探してる相手はリトってんだよな。茶髪。二十代。右目かそのあたりに怪我」

 サリュは頷いた。まだ声は出ない。それどころか呼吸のやり方さえ忘れてしまっていた。


 じっとサリュを見たメッチが、

「――生きてるってよ」

 サリュは、メッチを見つめた。メッチが顔をしかめる。

「おい、聞こえなかったのか? あんたの探してる男は生きてんだよ。この町に着いて、師匠に会って聞いといたんだよ。詳しい話はサリュが聞きたいにせよ、本人か別人かくらい確認しといた方がいいかなって思ってさ。別れたのは一年くらい前って言ってたよな? 師匠が最後に会ったのが、だいたい半年前って話だ。あんたの探してる相手で間違いないと思うぜ」

 それを訊いてもサリュに反応はなかった。

 もちろん聞こえているし、理解もできていた。ただ、それを聞いてどのような反応を示せばいいかがわからなかった。

 ユルヴを見る。部族の少女がゆっくりと頷いた。

「……よかったな、サリュ。喜べ」


 ――ああ。喜べばいいのか。私は喜ぶべきなんだ。


 硬直した思考と肉体を解放しかけて、ふとサリュはそこで自分の意識が遠のくのを感じた。ぐらりとよろめいたところをユルヴに支えられ、鋭い声を投げかけられる。

「サリュ。落ち着け。――息をしろ、ゆっくりと」

 それで初めて、サリュは自分がまだ呼吸を忘れていたことを思い出した。困惑する。呼吸とはいったいどんな手順でするものだっただろうか。

 眉をひそめたユルヴが、無言で拳を振るった。鳩尾に叩きこまれ、サリュの脳髄に激痛が走った。体中の息を吐きだして悶絶する。うずくまって痛みをこらえながら、耳元に掠れるような音を聞いた。いつのまにか、呼吸は元に戻っていた。

「乱暴な女だなぁ……」

 顔をひきつらせるメッチを見上げて、サリュは震える声で訊ねた。

「リトは、生きてるの……?」

 縋るような表情と声に、はっとしたようにメッチが顔色を変えた。複雑そうに沈黙してから、頷く。

「……生きてるよ。多分だけどな」

「――そう」

 サリュは顔を伏せた。うずくまった格好のまま、息を詰まらせる。ユルヴに殴られた痛みは徐々に引いていたが、サリュは身体を震わせたまま、その震えは一向に収まる気配がなかった。

 クアルがサリュに頭を擦りつけた。くあう、と鳴く。心優しい砂虎に応えてあげたかったが、しかしサリュは顔をあげられなかった。ただうずくまることしかできなかった。



 地面にうずくまった友人を見下ろして、ユルヴはそっと手を触れた。眉をひそめる。肩を揺らした。

「……サリュ」

 ユルヴに顔を覗き込まれようとして、それに抗おうとサリュが首を振る。部族の少女は、その小柄な身体からは思いもよらない力で反抗を押さえつけ、強引に相手の上半身を起こした。


 サリュは泣いていた。

 防砂布に隠された奥で、異形の瞳からぼろぼろと大粒の涙を零す。必死に声は堪えて、目から落ちるものも堪えようとしていたが、それだけはどうしても不可能らしかった。

「ごめん、――こんなところで。泣いたり、して。ごめんなさい――」

 噛み込んだ唇の奥から軋らせるように、声が言った。

「別にかまわない。存分に泣くといい」

 素っ気なくユルヴは言った。

「泣いていいから、肩を貸すから歩け。お前の涙をなにも知らない連中に見せるのは、わたしが嫌だ」

 サリュは泣きじゃくりながら頷いて、ユルヴに従った。自分より小柄な相手に肩を抱かれて立ち上がり、零れ落ちる涙を拾うように顔を覆い、歩き出す。くぐもった声が漏れた。


「ユルヴ――リト、が、生きてるって……」

「そうらしいな。よかったじゃないか」

「うん。よかった――よかったぁ」

 子どものようにサリュは何度も繰り返した。それに穏やかに応えながら、ユルヴは後ろを振り返る。何かを持て余してその場に立ち尽くす男達へ険悪な口調で声をかけた。

「……なにをしている。メッチ、商館に行くぞ。ラディ、面倒だからお前も一緒に来い。急げ、わたしの友人を晒し者にしたいのか」

 メッチとラディが顔を見合わせた。

「私の馬と、サリュのこぶつき馬を連れてこい。早くしろ」

 一切の異論を認めない声音で命令すると、ユルヴは赤子のようにされるがままの相手をあやしながら、胸の中で息を吐いた。


 彼女がこの一風変わった名前と瞳を持つ相手と旅をするようになってまだ日は短いが、こんな風に感情を吐露するのは始めてだった。そうした姿を見るのは意外でもあったし、少なからず衝撃もあった。

 ……リト。リトか。いったいどんな男なのかと考える。サリュがこうまで想い詰める相手に興味はあったし、それ以上に一目会って言いたいことがあった。

 少なくとも。自分の生存を知った時のサリュの取り乱し様は伝えてやっていいだろう。どうせサリュはそんなことを本人に言うはずがないのだから。そして、それと同時に相手に聞いてみたいことがある。


 ――いったい貴様は、サリュが生きていることを知った時にどんな反応をしたのか。


 余計な世話だと知りつつ、それだけは確認しておかなければとても彼女の気がすまなかった。そしてもちろん、その反応が自分にとって気に入らなかったとしたら、それだけで済まないだろうということも彼女は確信していた。



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