プロローグ
黄土色に塗りつぶされた惑星。
そこには砂と風が舞い、土地に実る作柄は貧しい。生きる為の水さえいつ枯れてしまうかわからず、大多数の人々はその恐怖に怯えながら日々を喘ぎ、水を求めて彷徨うしかないが、一部にはそうした飢えや渇きと無縁のような場所があった。
バーミリア大水源と呼ばれる湧き場は、その名の通りバーミリア水陸を形作る極めて重要な水源であり、水陸に湧き巡る全ての水源の始源であるともされていた。
基水源。多くの異なる文化体系に近しい意味合いで登場するその概念は、この地における人々の根底的願望の具象化したものである。生活に要するほとんどの用水を地下に求めるその惑星で、人々の水源に対する意識が特別なものになるのは当然ではあった。
土俗や風習に根差した精神性が明確に形を為した結果、宗教となる。終末を占うのも救済を求めるのも、前提として彼らに共通する特殊な環境がある以上、根差すものは変わらない。
そうした拠り所は厳しい大地に生きる人々にとって必要だが、人々を支配し、あるいは導く立場にとってはさらに重要だった。
水源を支配する者が強者であり、勝者となる。まったく単純な方程式は、しかし水源の湧くことと枯れることが不特定である故に、その結果も流動的にならざるを得ない。
常に水を求めて砂海を渡る流動的支配が基本になる為に、元来その星の支配者達には領地という概念が薄かった。水のない土地を奪っても意味はなく、水がなくなった土地を保持することにも意味がないからであった。
水場の寿命は様々である。湧いた次の日に枯れ果てるものもあれば、まるで永遠に湧き続けているかのように錯覚させる水源もあった。
そのような水場には必然的に人が集い、大勢が争って血を流して、その赤く染まったままに水が枯れることが常だったが、どれほどの時間、人が生き死にを繰り返しても豊かな水量を誇る一つがバーミリア大水源である。
その水源が水陸そのものの名前として扱われる以前から、その水場を手に入れたものは強大な権力を手に入れてきた。中でも、ツヴァイ帝国は水陸史上最大の版図を築き上げた大帝国として歴史上に屹立する。
ツヴァイがその覇業を成し遂げたもっとも大きな要因は、言うまでもなく河川水路の存在である。砂海に阻まれて遠く離れた水源同士を、直接に結びつけようなどという発想と実行は、奇想を超えて悪魔的な偉業といってよかった。
水路の成立はツヴァイに莫大な富と成功をもたらしたが、それだけではない。もっとも大きな価値観の変容が他にあった。
支配者が必要するものは水であり、土地とはあくまでその付随品である。故に水源が湧いては枯れるのにあわせて自分達も移動することになるが、バーミリアやトマスのような限られた水源においてはその限りではなかった。
大水量を湧出する安定した水源に拠って生活を営む例は、ツヴァイ以前にも存在している。移動型から定住型へ移ることで人々は初めて「領地」という概念を持ちえたが、ジュスター・ベラウスギの築いた河川水路によってその意味は飛躍的に発展することとなった。
点ではなく、線としての生活基準。バーミリア・トマス間の河川は大量の人と物をツヴァイに呼び込み、ツヴァイはその力を背景に勢力を強めて、さらに水陸各地の主要な大水源に水路を伸ばした。
それによって築かれた領地――領水。そして、水陸四方に伸びた各水路は、そのままツヴァイの“領水線”となった。
河川水路によって線引かれたのはそれだけではない。
この大地には、人ならざるものが定めた厳然とした規約が存在する。それが支配者でも被支配者でも、水は彼らの意思に拠らない力の結果として湧き、枯れる。一部の例外的な水源を除き、水の不定は誰の前にも平等だった。
その一部の水源を抱え込み、河川として繋いで次を求める。ツヴァイの貪欲な拡大志向は結果として安定した支配体制を確立し、豊富な水量は曖昧だった人々の関係性を明快にした。
河川水路の存在により、人々は二つに分けられることとなった。支配する者とされる者。あるいは持つ者と持たざる者。膝元の大水源を支配の根幹に据え、配下にその領水と領水線に添って治水権を与えて統治する階級制度により、ツヴァイはそれまでにない強固な国体を手に入れたのである。
ツヴァイとその抱える河川水路の存在が、その後の水陸史に残した影響は大きい。
偉大な帝国の誕生は、同時に他国との決定的な意識の差と敵意の獲得に繋がった。それは例えばツヴァイとは異なる価値観によって立つ巨大な遊牧民族国家の存在であり、また自国内に依然として存在する、砂とともに生きる部族と呼ばれる人々のことであった。
ツヴァイが水陸史に残したものは数多いが、その一つには各国の上級子弟を招いた大学の存在がある。
高度な教育がまだ恵まれた人々にしか許されなかった時代、集合教育としての場を設けたことはもちろん、そこで行われた社交のやりとりは、水陸でもっとも古くに行われた世界外交であった。
それを主導するということは、水陸の中心が自国にあることの宣言である。事実、水陸各国の将来を担う人々が集ったその大学には、一時のこととはいえその時代におけるツヴァイ最大の敵対国家であるボノクスからの人々すら参加していた程だった。
知性の泉が溢れる妖精の地と呼ばれたその都市で、大学に所属した各国の上級子弟は濃密な時を過ごした。学業に、社交に。大学において民族的・国家的価値観の相違は日常のことである。彼らは多くの講義中に激しく持論を戦わせ、それがさらなる大学の活気を触発した。
一日、講義室で議論の対象となったのは、この惑星におけるもっとも基本的な騒動の是非についてであった。
ある水源とそこで暮らす人々がいた。やがて水源は枯れ、人々は新しい水場を求めてその場を去ったが、彼らが去った後に再び水が湧きはじめ、新しい移住者が住み着いた。
そこに元の住人が戻って来て、新しい移住者に告げた。――ここは以前、我々が住んでいた場所だ。だからその水場の所有権は我々にあるはずだ。
新しい住人は反論した。――貴方がたが以前ここに住んでいたかどうかなど知らない。我々がこの水場を見つけた時、ここには誰の姿もなかった。この水場を所有する権利は自分達にある。
それぞれの陣営に分かれて熱く繰り広げられた討論は、その議題が実際に現実で起こった場合と同様に長丁場の堂々巡りとなった。
水源の先入優先権は広く一般的な慣習であるが、この問題の複雑さはそれぞれ自分達こそがその権利者であると訴える点にあった。水の湧き枯れることはまったく人の意思に拠らない仕業である。だからこそ、人々はその行いを自らの思うままに曲解し、それを他者に押しつけた。
客観的事実が曖昧であり、主観的な真実を共に絶対的なものとして抱いている以上、どちらか一方だけの正当な意見は存在しない。
これが現実のことであれば、まだしも客観的であろうと自負する第三者の介入や、あるいは問題の発揮点である水源そのものが枯れ果てることにより騒動が有耶無耶のうちに終わることもあるが、思考の中で湧く論議の水源に枯渇という事態は訪れない。
論者達は己が育った慣習や価値を振りかざし、それを議論の相手方に認めさせることへと躍起となった。各国の人々が集うその場において、優れた弁論を投じることはその後の栄達に繋がることでもあったから、参加者の奮起は一層の熱を帯びて、その議論の方向性が異なる枝道へと迷いこむことも度々であった。
「くだらん」
白熱する模様を評したボノクスの一人、巨大な遊牧民国家を主導する有名な氏族の言葉が残っている。
「自分達の都合を押しつけることになんの意義がある。そこに水が湧けば占領し、先住があれば逐い殺す。生き方も違えば信仰も異なるのだ。強ければ奪い、弱ければ奪われるだけだ」
身も蓋もない意見だが真理ではあった。結局のところ、力のある者が水源を支配することは、どのような水源の例であっても疑いようのない事実である。
意見が百出してまったくなんの成果もなかったその日の討論の終わり頃、それまで講義場の片隅でひたすら退屈そうに肘をついていた人物が、意見を求めて名指しされた。
常日頃の行いから大学でも有名だったその若い青年は、問題の解決手法を問われて熱のない声で応えた。
「毒を流してしまえば如何でしょうか」
一瞬、室内中が静まり返った直後、熱した岩にかけた冷や水が激しく蒸発する勢いで、怒涛のような罵声が室内のいたるところから挙がった。
「水源とは万物の母であり、我らを生かしてくれる根源! 全て水源はその在ることに深い感謝をもって接するべきであり、それを徹底することはどのような国、また価値観においても例外はないはず。そこに毒を流してしまおうなどという発言はまったく常軌を逸しているとしか考えられません」
「水源を争えばそこには血が流れます。赤く染まった水源地が枯れるより、まず山の如く築き上げられた死体が、腐乱してその水質を汚すことでしょう」
水源を巡って争うこと、ひいてはそれを行う者こそが毒であると揶揄するような発言に、場はますます紛糾した。先住派、新住派などという括りは既に失せて、その討論に参加した全ての敵意が一人に集中していた。
「それは問題のすり替えに過ぎない! 無闇に争い、血を流すことが水源を腐らせ、枯れさせる要因であるからこそ、我々はこうして集い、多くの意見を戦わせることで最善の道を求めようとしているのだ! 我々は一つの最適解を模索してここに在り、その議論の卓をひっくり返すような真似は謹んでいただきたい! 少なくとも、そうした基本的な節度すら守れない者は政治の場には相応しくない!」
堂々とした非難に、各所から賛同が続いた。
彼らには皆、自国を背負ってその場にいるという誇りがあった。未だ若輩の身でありながら、ただの討論に政治などと大仰な言葉を持ち出すことも決して不相応ではない。近い将来、それぞれの国や集団を率いることがほとんど約束された彼らの熱意は本物だった。
それに対するたった一人は、冷ややかというにも幾らか足りない表情で、周囲全てからの悪意を受けて平然と、その瞳にはまるで透明な幕がかかったように感情の色がない。
周囲の激昂に動じることなく、青年は続けた。
「政治とは同じ価値観を抱く人々だけで集うことではありません。異なる価値を抱く集団と接した時、それとどのように接するかが政治でしょう。相手と価値観や常識を等しくしているなどというものは思い込みであり、それを如何に妥協せしめるかが肝要なのではありませんか」
反発する声がいくらか弱まったのは、決して周囲が青年の言い分に納得したからではなかった。
室内に詰めた人々の目に疑念が浮かぶ。自分の両隣に忙しく目を配る彼らの周囲には、確かに彼らと異なる集団に属し、異なる生き方をする人々が集まっているからだった。
それを改めて自覚した時、彼らの胸中には自然と湧きあがるものがあった――水源に毒などという不届きな行いをするはずがない。――だが、しかし、本当に、この中にはただの一人もそのような輩がいないものだろうか。
青年のもたらした言葉の毒が人々の思考に浸み込んだ頃合いに、言葉が続けられた。
「他者との間に共通できる美徳を見つけ、友人を得ることは大切です。その友人が自分とまったく同じであるなどと思いあがらず、その違いを認識することも同等でしょう。あるいは、決して分かり合えない事柄に際して、それをどう対するかの手段を講じることこそがもっとも大切かもしれません」
熱意に欠けた青年の主張が終わり、その後の討論はそれまでの活気が嘘のように熱狂を失って、そのまま終了した。その討論において得られたものはなく、ただ参加者に互いの疑念を抱かせたに過ぎなかったが、後日になって意外な形で実を結ぶこととなる。
大学に参画する多くの水陸各国間において、幾つかの約束事が文書として取り決められたのだった。捕虜の取扱いや、源への毒の使用を禁ずる旨など、あくまで常識的な内容に限ってはいたが、それこそは歴史上、バーミリア水陸のほぼ主要な国家間において初めて結ばれた世界条約に他ならない。
この一事を以って、帝国に開かれた大学、そしてそこで行われた社交と外交は十分な成果を得たと言える。その条約に参加した国々にボノクスまでもが名を連ねることから、これが大学の開かれたごく初期にしか在り得なかった最上の時機であったことも反論の余地はない。
その成立に、過日の討論中にあった誰かの発言が関わりあることは想像に難しくない。しかし、その発言の解釈については異説あった。
ある人間は、その発言こそはこうした結果を見越してのものだったのだと言った。発言を行った者はその当時、水陸で圧倒的勢力を誇る大国に属しており、その中でも高い地位にある人物の身内が毒の使用についてさも可能性を示唆するような発言を行った。それは即ち、ツヴァイという国が毒を使用するという懸念にまで拡大解釈されて、周辺諸国は強い危機を覚えた。それに対してとられた条約という手段は、しかしそれに自分達も参加する以上、ツヴァイにとっても十分以上の益があるからであった。そこには帝国宰相を務める父親の意向があったのではないかという憶測すら流れた。
そんなことはない、と真っ向から否定する立場もある。発言者の台詞は遠謀によるものでなく、ただ浅慮としか言えないものである。自身の立場を弁えぬ不必要な発言によって、ツヴァイは周辺諸国からさらに警戒を強められることとなった。条約の成立は唯の結果論に過ぎず、そこに至る経過としての手法もそれ以外になかったわけではない。彼はただ後代まで残る相互不信の一滴を投じたに過ぎないというのがそれであった。
ツヴァイという大国の、皇室に連なる女性はもう少し端的にその一幕について評している。様々に風評のある人物が、自身の識見を疑われかねない発言を行った趣旨について尋ねられたその相手は、「大方、面倒だったのではないか」と肩をすくめた。
「面倒、ですか……?」
「まったく議論の論点とは関わらぬからな。元々、容易く答えの出るようなものでもあるまい。そんなものに自分まで巻き込んでくれるなと、わざと馬鹿げた話を嘯いてみせたのだろう。思惑通り、その後は討論どころではなかったらしいではないか。つまりはペテンよ」
それはあまりに無責任ではありませんか。一人の発言のせいで、国中が疑いの目を向けられることもありますのに、と憤る近習の者に、皇女アンヘリタは悠然と応えたという。
「既に多くの国から疎まれておろう。その程度で動揺する程、我が帝国はか弱くない――まあ、いずれにしても面倒な男ではあるな」
それらの表現のいったいどれが正解であり、どれが誤解であるかは難しい。あるいはその全てが正しくあるかも知れず、少なくともそれらが誤解だったとして、その責はまず本人の日々の行いに帰せられるべきであった。
もう一つ。当時のツヴァイ帝国宰相として辣腕を振るっていたナイル・クライストフが、彼の息子について語った言葉がある。曰く、凡庸ならざる薬毒なり。
身内からそのように評される、若きニクラス・クライストフとはそうした人物だった。