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砂の星、響く声  作者: 理祭
 四章 誰何の幻想
75/107

10

 男の発言を聞いて、もっとも顕著な反応を示したのはユルヴだった。防砂布をずらした口を大きく曲げ、相手をねめつける。

「投降だと?」

「ああ。ああ……、そうだ。僕は、なんとしてもここの秘密を探りたい。その為なら、どんなことでもする」 

「ふざけたことを。ウディアの連中が、お前を生かす理由などあるものか。味方を裏切って投降? 残ったところで殺されるだけだ」

「……それでも、かまわないさ」

 牙巫女と呼ばれる少女が鼻で笑うと、男は血の気の失せた顔色で頬を痙攣させた。

「僕は知りたいんだ。その後でなら、殺されたってかまわない。別に記録に残したりもしないでいい。誰かに伝えなくたって。僕が、自分の為だけに、知りたいんだから」

 自らの生死すら厭わず、狂気に傾いた欲求を吐露する。ユルヴが顔をしかめた。沈黙した彼女に代わって、サリュが口を開いた。

「ここにあるものは、貴方にとってそこまで価値があるんですか? 殺されてもいいと思えるくらいに」

「……価値? 価値があるかだって?」

 ぎらりとした瞳がサリュを捉えた。

「当たり前だ。当たり前じゃないか。君達は考えたことがないのかい? どうしてこの世界では、砂が流れてるんだって」

 サリュは眉をひそめる。男の投げかけた問いは、この惑星に生まれた誰もが必ず一度は頭に思い浮かべる疑問だった。そして、それは同時に、誰もがいつしか考えることを止める代物でもある。


 なぜ砂が流れるのか。

 ――それはそういうものだからだ、と誰もが悟る。


 砂は地を流れ、空を舞い、人を逐う。それが常識という、この茶色く煤けた星に生きる人々に共有する認識だった。むしろ、その素朴な疑問を摩耗させず胸に抱き続けられる方が、この場合は異常に違いなかった。

「僕は、ずっと考えてきたんだ。子どものころから、ずっと。どうして足元は流れてるんだ。流れる砂と、流れない砂があるのは何故だ? 水が湧いたり枯れたりするのはどうして? この大地の下は、いったいどんなことになってるんだろうってね――」

 徐々に熱を帯びる男の声を耳にしながら、サリュは周囲の壁に視線をむけた。目を凝らせば、そこにはところどころに何かの模様が描かれていた。模様というより絵だった。岩を岩で掘り、その凹凸で何かを表した壁画が、彼女達をぐるりと取り囲んでいる。

 松明の炎に揺れた細かな溝が一瞬、生き物のように蠢いたように感じられて、サリュは目をそらした。視線を男に戻す。

「それが、この場所でわかったと?」

 男は疲れたように笑い、肩を落とした。頭を振る。

「……いいや。だが、それは必ずここにあるはずなんだ。水や、砂が。僕らがどこから来て、どこに行くのか。それを知る為の手がかりが、この場所には必ず眠っているんだ。だから――お願いだ。僕をもうしばらく、ここに置かせてほしい。その為ならなんでもする」

 なんでもと言われても困る。サリュが振り返ると、ユルヴとシオマの二人も彼女と似たような表情だった。

「好きにさせてやれ」

 呆れ顔のユルヴが言った。

「残りたいと言うならな。それで殺されたところで、自分で選んだ始末だろう」

「それじゃあ困るよ。まだ僕はなにもここのことをわかっちゃないんだ」

 情けない顔でいっそ図々しく、男は上目遣いに三人を見上げた。

「なあ、ウディアの神子さん。お願いだ。自分達の大切にしている場所に余所者がずかずかと入り込んで、不快だって気持ちはよくわかる。無理やりに占拠するだなんて、僕は反対だったんだ。ほんとさ」

 必死に弁解するが、舌に乗せられた台詞には今さらという感が強かった。

 それを言い出すなら、事態がこうなる前に行動を起こしておくべきだろう。そうでなければただの変節でしかない。醒めた感想はサリュもユルヴに等しかった。彼女は、既に男から興味を失くしかけていた。

「部族の人達には部族の人達の都合があります。交渉なら、彼らにしてください」

「――わかり、ました」

 冷たく突き放した言葉に、掠れた声が重なった。


 サリュとユルヴが顔を向ける。二人からの視線を受けたシオマはびくりと肩を震わせ、気弱な眼差しのまま、「わかりました」と小さく繰り返した。

「……保証は、できません。けど、猶予を伸ばすことくらいなら、できると思います」

「何を考えている」

 不審げなユルヴへ、泣き出しそうな顔つきで目線をそらさずに応える。

「知る必要が……あるんじゃ、ないかって。彼らは、またやってくるんですから。そうでないと。守れません」

「自分達の聖域を侵させてか」

「……それが罪だと言われたら。私の命で、負います」

 弱々しい瞳の奥底に決意の色があった。そのことと、なにより女性が自分の意見を口にしたことを意外に思い、サリュは儚げな相手を見やった。

 例え神子という役目でも、部族の大切にする場所に余所者を入り浸らせるなどという勝手な決断が認められるだろうか。あるいはそれを強引に認めさせるだけの力量があるようにも思えなかったが、それで彼女の判断に異を唱えるつもりもなく、サリュは男に訊ねた。

「貴方たちは、ここでいったいなにを見つけようとしているんですか」

「さっきも言ったじゃないか。水が湧く理由。砂が流れる理由。この惑星のことについてさ」

 媚びた薄ら笑いに、頭を振る。

「それは聞きました。具体的には、なにを見つけようとしているんです。なにがあれば、“それ”がわかると言うの」

 岩と砂に埋もれたこの地下洞窟に、いったいなにが眠っているのか。男の目的をわかりやすくさせておくことは、シオマが部族の人々を説得する為にも、そして男に出し抜かれることがない為にも有用なはずだった。

 サリュの問いに、男はしばらく黙り込んだ。

 ここで手札を切るべきか思案している風だった。興奮した自己を抑えるよう、何度か呼吸を整えてから、

「くカ――」

 不意に、奇妙な音階を漏らした。

 男の充血した瞳が限界まで見開かれる。首の右側頭に、いつの間にか真っ直ぐな異物が生えていた。それが何かの生き物ではなく、粗野な短剣の柄であることを認識した次の瞬間、深々と突き刺さった裂傷部分から大量の血が噴出した。

 血飛沫がシオマの顔にかかり、斜めに紋様をつける。息を呑んだ女性を自分の傍に引き込み、その口から悲鳴がでないよう抑えつけながら、サリュは目の前の相手を一撃で絶命させた投げナイフの飛ばされた方角に顔を向けた。


 怜悧な表情が一瞬、視界によぎり、消える。


「あの男……!」

 唸り声をあげるユルヴにシオマを預けて、サリュは無言で駆け出した。

「侵入者がいるぞ!」

 横穴から飛び出すと、それを待っていたかのようなタイミングで声が響いた。

 広場の底にいた見張り達が、一斉に視線をサリュに注目させる。指をさし、怒号をあげる彼らに舌打ちして、サリュは自分の探す人物を求めて視線を巡らせた。

 広場の端を縫うように走る背中を見つけ、追いかける。何かの飛来音を聞いて、サリュは大きく右に跳躍した。

 がつんと鈍い音を立てて地面に跳ねたのは、ツヴァイ兵が標準的に装備する短槍だった。よくしなる、軽く丈夫な材木を使ったそれが遠くから投擲され、サリュの周辺に連続して降り注いだ。

 慌てて近くの岩陰に身を隠し、サリュはそこから駆け抜けるタイミングを計った。距離をとった投槍はそうそう当たるものではないが、数が怖い。脱出するなら投擲直後しかないが、相手もそれはわかっているから無闇には投げてこない。そうして、じりじりと距離を詰められるのが一番やっかいだった。

 仕方ない。苦く決断して、サリュは息を吸い、彼女が全幅の信頼をおく味方に呼びかけた。

「クアル!」


 猛獣の叫びが、広い地下空間を揺るがすように轟いた。

 呼びかけに応じた雄々しい咆哮が、男達をすくませる。サリュは物陰から飛び出した。次の岩陰に飛び込んだ彼女の元へ、砂虎が駆け込んでくる。忠実な友の頭を手荒に撫でて、サリュは岩陰の向こうの様子を窺った。

 兵士達は突然現れた砂虎の存在に動揺を隠せない様子だったが、戦意を消失した様子まではない。士気が落ちているとはいえ、訓練された兵士はやはり猛獣の雄叫び程度で崩壊するほど容易くはなかった。むしろ、突然の叫びに、まだ起きていなかった周りの男達までが起きだして来てしまっている。

 寝ぼけ眼で起き上がった兵士の一人が、慌てて近くをまさぐって自らの兜に手をかける。そのこめかみに、飛来した矢が突き刺さった。

「行け!」

 素早く次の矢を番えながらユルヴが吠えた。仲間をやられた男達からの怨嗟のうめきとともに、何本かの短槍が投げ込まれる。それを避けながら弓を射かけるユルヴが、注意を引きつけてくれようとしていることをサリュは察した。

 一瞬迷い、サリュは遠くの連れに頷いて、傍らに控える砂虎の頬を撫でた。

「お願い。助けてあげて」 

 睫毛の長い知的な瞳が彼女を見上げ、くぁうと短く鳴いた。

 感謝の印にと、鼻の先にそっと口づけてから駆け出す。それと逆方向にクアルも駆けた。


 ユルヴとクアルの牽制が功を成し、疾走するサリュに飛ばされる槍は皆無だった。随分と距離を離されてしまっている黒い影を追い、それが姿を消した横穴に駆け寄って、

「……ヨウ!」

 何かの物資が積み込まれた穴の奥、誰かの傍に駆け寄ろうとする人影に、サリュは鋭く呼びかけた。

 相手が振り返る。

 その横穴には、頼りない松明が一つだけ焚かれてあった。なんとか見通すことができる空間の先、無言の男が投げかけてくる視線は初めて会った時の冷ややかさで、縛られていた両手は当然のように自由になり、その手にどこかで調達したらしいナイフを握っている。闇に半ば埋没した表情には、水を飲めずに苦しんでいた名残は微塵もなかった。体力が低下している様子も見えない。つまりは、

「――演技。だったんですね」

「水は有り難かった」

 淡々とした返答が自分を馬鹿にしているようで、サリュは眉を吊り上げた。握りしめた鞭剣の柄のぬめりとした感触に、無理やり激昂を冷ます。

「どうして、殺したんです」

「なんのことだ?」

 男が唇を歪める。

 かっとしたサリュが言葉を続ける前に、場違いに恍けた声が響いた。

「ヨウか……? いったいなにが起きている。誰と話をしている」

 まだ夢から醒めきっていない呟きは、ヨウの傍で毛布に包まった誰かが漏らしたものだった。自分が飛び込んだ横穴の位置を大雑把に考えて、サリュは相手の正体を推測した。恐らくはこの調査隊の責任者のはずだ。

 毛布の中からくぐもった声をだす相手を見下ろして、ヨウが平坦な声色で言った。

「洞穴内に賊が入ってきています」

「なんだと……っ」

「危険です。安全が確認されるまで、少々そのままでお待ちください」

 慌てて起き出そうとする毛布の固まりを上から押さえつけて、男は続けた。

「すでに、賊による被害も出ています」

 その一言で、サリュは相手のとった行動の意味を理解した。

「貴方は……」

 喉を震わせる。身体の内側から激しい怒りを覚えて、

「貴方は!」

 感情に押し流されるように走り出した。


 薄く冷笑をひらめかせた男がナイフを構える。相手との力量差は昼間の時点で把握している。頭のどこかでかろうじて冷静な部分をたもったまま、しかし目の前の状況から引くことは考えられず、サリュは目の前の相手に飛び掛かった。

 鞭剣を振るう。握りの効かない利き手ではなく左手で、右の手には牽制に使うもう一本の短剣もない。

 それを無謀な突進と見て取って、ヨウが易々と刃を叩き返そうとする。その軌道を、冷静にサリュは見透かしていた。

「――――ッ」 

 左腕をしならせる。蛇のように相手の剣筋を掻い潜り、握りの内側からそっと挿し込むように押しこんで、それに対して男が反射的に握りを緩めて受けに備えようとするのを柔らかい掌全体で感じ取った瞬間、サリュはひっかけた釣り針を勢いよく跳ね上げさせた。


 男の手から零れた短剣が、宙を舞った。

 驚きに目を見開いたヨウが、それでも冷静に蹴りを飛ばすのをサリュは大きく後ろへさがって回避した。ナイフが跳ねた先へ一歩分、距離をはかる。油断なく砂鋼の鞭剣をかまえるサリュに、男が感心した表情を向けた。

「――なるほど。受け取ったのは物だけではなかったか」

 アルスタの短剣術。未熟な腕前でそれが成功しえたのは、少なからず相手が油断してくれていたからだった。サリュは姿勢をとかない。相手の体術を警戒していた。

 無手とはいえ、元の体格が異なるのだから組みつかれてしまえばそこで終わる。それでも、こちらにだけ刃物がある状態なら互角以上に渡り合えるはずだったが、男が次にとった行動はサリュの想像になかった。

 手元から得物を失って平然と。男は近くの毛布の固まりをひきあげた。その中身ごと、自らの前面に押し立てる。盾にするように。

「なにを」

「な、なんだ。なにが起こっている! ヨウ、貴様、賊は全て打ち倒したのかっ!?」

 狼狽した声で慌てる固まりに、男が黙ったまま当身を放つ。毛布の中身の人物は鈍い呻き声をあげると、そのまま沈黙した。

 また相手の行いの意味がわからず、サリュは強い苛立ちを覚えた。

「貴方は、なに。一体なにがしたいんですか」

「こちらが聞こう。そちらの目的はいったいなんだ?」

 揶揄するように男が言った。

「この場所から我々を追い出したいんじゃなかったか。俺になら、それが出来るが」

 サリュは目を細めて相手を見据えた。

「……どういうつもりです」


「どうもこうも。さっさと撤退すべきだったと言っただろう。それをいくら進言しても聞き入れられなかったが、今のような状況なら話は変わってくるな」

「だから、私達にわざと襲わせたと?」

「無駄な争いを避け、人命の被害を極力なくす。互いの利害は一致していると思うが」

 男の言い分が一見、論理の通ったように思えて、少し考えてからサリュは頭を振った。

「――いいえ、違う。貴方は自分に都合のいいことを口にしているだけ」

 吐きすてる。

「人命の被害? それならどうして、あの男の人を殺す必要があったんですか。私達になにか伝えられたくないことがあったから。それとも他の誰かに? そういう何かの知識を、あの人が持っていたからでしょう」

 この地下空間に眠るもの。あるいは、この場所になにかが眠っているという事実そのものを、この男は闇に消そうとしたのだ。情報を流し、襲撃させたのはそれこそが目的だったとしか考えられない。そうして、襲撃の混乱に乗じて、あの学者風の男の口を封じた。

 サリュの指摘に、男から直接の返答は返らなかった。特に気にした様子もなく肩をすくめて、

「極力とは言ったが、被害が全くないと言ったつもりはない」

 言った。

 それに、と冷ややかに続ける。

「――もしニクラス様がこの場にいれば、俺のやったことと同じことをなさっただろうさ」

 男の発言が挑発だったとしても、わかった上でなおサリュの感情を逆撫でするのに、それは十分なものだった。

 遠くトマスの地に駐在する潔白な女騎士の人柄が乗り移ったように、サリュは異相の瞳をたぎらせて目の前の男を睨みつけた。

「リトが、そんなことするはずない……!」

「面白いことを言う」

 男が笑った。悪意に満ちた冷笑だった。

「お前があの方のなにを知っている? たかだか数日、拾われて旅の供をしたというだけで、お前はあの方を理解できたつもりなのか? おめでたいことだな」

 灼熱しかけた頭を、サリュはすんでのところで留めることに成功した。

 男に煽られ、思慮もなしに飛び込んでしまえば、せっかく得た優位を捨て去ってしまうことになりかねない。――いや、そもそも自分は今、優勢なのだろうか。男が盾のように構えた毛布とその中の人物。あれにはいったいなんの意味がある。サリュの逡巡を読み取ったように、ヨウが口を開いた。


「この男が死ねば、平和的な解決の道はなくなるな。護衛の随員は全員が家兵団の出だ。外様の俺などと違って忠誠も高いし、義理もある。主人を失っておめおめと帰れる道理もない」

 もってまわった言い方で示された男の意図に、サリュは表情を歪めた。

「……脅迫ですか」

「さて。だが、いつまでもここで睨み合っているのはお勧めしないが。向こうでは大事なお仲間が戦っているんだろう。練達の弓手と砂虎とはいえ、多勢に無勢だ。護衛の中にはそれなりに腕の立つ奴もいたはずだしな」

 男の発言は、やはり脅迫以外の何物でもなかった。

 噛みしめた歯を痛いほどに軋らせて、サリュは男を睨みつけた。距離が近ければ噛み殺してやりたいという面持ちで、その彼女に最終的な決心をさせたのは外から響いて聞こえた獣の咆哮だった。聞きなれた叫びに常以上の緊迫さが含まれていることに、サリュは強張った筋肉をこじ開けるように口を開いた。

「……ユルヴや、シオマさんの身の安全は」

「保証しよう。これ以上、こんなところで血を流したところで益はない。護衛連中への説得は俺が請け合う。それまでは、そうだな。この横穴の中でこれに刃をむけて立てこもってくれていればいい」

 沈黙したままの毛布をあごでしゃくる。男の態度に釈然としないものを感じたまま、サリュには相手の申し出を否定する理由が見つからなかった。一つだけ理由はあったが、それは個人的に過ぎた。どこか想い人を思い起こさせる気配をもった相手が、その想い人当人でもこうするだろうなどとのたまった、そのことがひどく気に入らなかった。

 だが、それで連れの生命まで脅かすまでには彼女も軽率にはなれなかった。悔しさをにじませて、サリュは男へ向けた剣の刃先を下げた。砂虎が唸るように、告げる。

「行って。すぐに争いを止めて、この場所から出て行ってください」

「賢明だ」

 ヨウが頷いた。


 どこまでも達観した表情が、やはり脳裏に残る人物を想起させて、サリュは男から勢いよく顔をそむけた。自らが胸に抱き続けるものを汚されたように思う、年若い少女の感傷だった。



 男が仲裁に乗り出すと、戦闘はすぐに収束した。

 護衛に詰めていた兵士達からすれば、賊の襲撃で何人かの仲間がやられている。それをした相手を生かしたまま、彼らの怒りが収まるはずがなかったが、それもすぐに大勢の部族達がやってくることを伝えられると、復讐心を満たしている場合ではないことを理解したようだった。


 元々、長期の逗留には誰もが反対していたらしく、それを調査隊の長が無理やりに留まり続けていたのだった。家に忠誠を誓い、調査に同行している身ではそれに反対意見を述べるわけにはいかず、また誰かがそれを述べたとしても同意するわけにもいかないのが兵士たちの立場だった。

 ならば、やっかいな子どもが意識を失っているうちに、さっさとここを引き払ってしまったほうがいい、というヨウの説得は、あっさりと兵士達に受け入れられた。

 後から目をさました調査隊長への言い訳と、もしそこでなにか問題が起こった場合の尻拭いはクライストフ家でもつという言葉が駄目押しとなって、調査隊は長らく占拠した砂海の部族の聖域、そこからの撤退を決定した。


 それでも兵士達がいつ復讐を遂げようと殺到してくるかもしれないことは変わらない為、サリュ達は毛布にくるまれて気絶する調査隊長を人質に、洞窟の横穴にたてこもって様子を窺っていた。

 横穴の奥には物言わぬ躯が一つ、虚空を見あげるように天井の壁画へと顔を向けている。

 生前に成し遂げられなかった物事への悔いすら表情に残せなかった男の死に顔を見て、サリュの心情は微妙だった。

 彼女自身、洞窟に侵入する際に一人の兵士を手にかけている。理不尽に命が奪われることに怒りをおぼえるほど、これまで清い道を生きて来たわけでもなかった。それでも口の中に苦味があるのは、誰かの思惑通りに動かされたことで間接的には彼女自身が男の命を奪ったことになるからだった。


 ――。


 不意になにかの声を聴いて、サリュは頭を振った。今は聞きたくない声だった。

「……少し、外の様子を見てくるわ」

「危ないぞ」

 毛布に鏃を突きつけて床に座るユルヴに声をかけると、部族の少女が顔をしかめた。

「大丈夫。彼らも忙しいだろうし、それにクアルが一緒だから」

 上役の身柄を抑えているのだから、兵達の行為を抑制するのには人手も必要ではない。なおなにかを言いかけるユルヴを安心させるように微笑して、サリュは横穴から出た。

 撤収作業にかかる兵士たちの刺すような視線を受けながら、歩く。思った通り、彼女の行いを止める者はいなかった。

 その足元では、若い砂虎がぴたりと寄り添いながら周囲を睨みつけて威嚇に口を開いている。頼もしい護衛に守られながら地下道を進み、サリュは地上に出た。


 早い朝方の時刻頃、外はまだかすかに夜明けの気配が漂う程度だった。

 冷え込んだ大気にそっと息を吐く。地上も地下でも砂にまみれていることに変わりはないが、それでも体の内にとりいれたものに新鮮さを感じたのは空間の広さによるものだろう。

 頭上で霞むように存在感を失いつつある星々を見上げて、

「まったく。勝手な奴だな、お前は」

 洞窟から姿を現したユルヴが声をかけた。毛布の男をひきずるようにして、後ろにはシオマの姿もあった。

「ユルヴ。全員が出てきたりして、大丈夫だったの」

 男を人質にとったまま、ウディア部族の元に逃げ出すと思われても仕方がない。誰か見張りもついてきていないことにサリュが疑問を呈すると、ユルヴも不可解そうに鼻を鳴らした。

「さあな。連中、案外この男の生死などどうでもいいのかもしれない。殺してくれたら幸いなどと考えられているのか」

「……ありそう」

 ヨウ、あの男ならその程度のことはやってきそうだった。

 だが男の能力はともかく、そこまでする理由があるとは思えなかった。少なくとも、相手はこの場所に固執していないように思えた――それも演技だったら?

 場所に固執はしていなくとも、ここに在る事実については含むところがあるはずだった。だからこそ、自分達を招き入れるようなことまでして殺人に及んだのだから。

「ともあれ、このまま連中がいなくなってくれるなら目的は果たしたな。あの男の手のひらで動かされていた感があるのは癪だが。……どうした?」

 窺うように訊ねられ、サリュは頭を振った。


「――あの人、好きじゃないわ」

 独白じみた呟きに、意外そうにユルヴが眉をあげた。

「なに?」

「いや。お前がそういうことを言うのは珍しいと思った」

「そうかしら。……ユルヴのことは好きよ。クアルのことも。大好き」

「お前は、そういうことをさらりと言うな」

 照れるように顔をしかめた部族の少女が、ふと気づいたように訊ねた。

「あいつはどうだ」

「あいつって?」

「メッチだ。あの嘘吐きの行商男のことだ」

 ああ、と頷いて、サリュは首を捻った。

「どうかしら。あんまり考えたことはないけど。でも、嫌いなんかじゃないわ」

「哀れなヤツだ……」

「どういう意味?」

「いい。気にするな。それで、あの男が気に入らないのには理由があるのか」

 サリュは唇を噛んだ。答えないでいようかと迷って、先ほど叱られたことを思い出した。喉の奥から押し出すように答えた。

「……リトに似ているから、かも」

「あれが? お前の探し人にか」

 自分から言ったことに、首を頷かせたくない心情でサリュは眉をしかめた。その表情を見たユルヴが、やや慎重に応えた。

「お前に聞いた話から想像するのとは、ずいぶんと違うな。いや、たいした想像があったわけでもないが」

「私も。リトのこと、よく知ってるわけじゃないし。でもあの人はリトの昔を知ってて。お前になにがわかるって言われて、すごく腹が立って」

「なるほどな」

「うん。だから多分、私――」

 急に恥ずかしさがこみあげて、サリュは口を閉じた。誰かに内心を吐き出す行為にはなかなか慣れそうになかった。

「ごめん。くだらないこと言って」

「くだらない? どこがだ。むしろもっと話せ、そういうことは。……まあ、今ではなく後からのほうがいいか。まだ何事が終わったわけでもない」

 ユルヴの言うとおりだった。

 調査隊が荷物をまとめて、この場所から去る、その最後まで気を抜くわけにはいかない。最後になって、相手が意思を翻すこともありえるのだから。暫定的に隊を率いる人物が信用できないなら、なおのことだった。

「そうね。それじゃあ、後でまた相談させて」

「そうしろ」

 つっけんどんに頷く牙巫女に微笑んで、サリュはもう一人の神子に視線を向けた。


「シオマさん。まだわかりませんけど、このまま上手くいけばここからあの人たちはいなくなります。それで、いいですか」

 儚げな雰囲気を伴った女性が小さく頷いた。

「……はい。ありがとう、ございます」

 目線を落としがちに言う。

 ――本当にこれでいいのか。サリュは考えた。

 ここに来たのはシオマが望んだからだった。血を流したくないというのも彼女の希望で、少なくとも部族の人々と調査隊の兵士たちが正面から争うような状況も回避できたとして。

 それで、この目の前の女性はいったいなにが変われたのだろう。

 確かに一度、洞窟内で自分から意見をいいだしたときにはその兆候があったように思えた。しかし、彼女が独断で取引をしようとした相手はヨウの策略であっさり命を落とし、それが女性の中に芽生えたなにかを吹き消してしまったようだった。

 このままウディア族の元に戻って、この人は今までとなにか変われるのだろうか。それがないのなら、それこそ自分はなにをやっていたことになるのか。

 サリュは頭を振った。彼女は自分の心象を相手に投影しているだけだった。他人の内面を推し量るどころか、それに強制するような行為は度が過ぎていると自覚した。


 変わるも変わらないも、彼女次第だろう。

 そして、自分のことはやはり自分次第なのだ。


「――待て。どうやらそう上手くはいってくれないらしいぞ」

 ユルヴの声がサリュの思惟を中断させた。

 部族の少女は鋭い視線で遠くを眺めていた。会話の間にも徐々に朝焼けの増す、白みがかった砂海の奥。なだらかに続く地平に、ぽつぽつと黒いものが浮かんでいた。

 シオマが息を呑んだ。

 二人と同じ方角に目をすがめて、少ししてからサリュも気づいた。

 まだ砂粒の大きさにも満たないそれらは、彼女たちの元へゆっくりと近づく大勢の人の群れだった。





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