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砂の星、響く声  作者: 理祭
 四章 誰何の幻想
72/107

「……どういう意味です」

 低く問いかけるサリュに、ヨウと名乗った男は意味ありげに肩をすくめた。

「貴族というのが、くだらないしがらみに囚われた生き物だということくらいは、知ってるだろう」

 自身をクライストフ家に縁のある者だと言いながら、その口で貴族について非難じみた言葉を舌に乗せる。目の前の男の立ち位置がわからず、サリュは警戒した。

「リトと、クリスティナさんが? そんなこと、」

「ニクラス様とクリスティナ様ではない。クライストフ家と、アルスタ家だ。もっとも――」

 男が皮肉げに頭を振り、

「とうのご本人は、六年前にあっさりとお捨てになられたが。だからこそ、“リト”だろう」


「二人は……恩人です。けど――家とか貴族なんて、私には」

「関係ないか? そういうわけにはいかないだろう。お前は、そんな物を持っているんだからな」

 冷ややかな目線が、サリュの手もとの短剣へ落ちた。

「アルスタの家紋入り。つまりお前は、アルスタ家の間諜だ。お前自身がどういうつもりでも、周囲からはそう見られる」

「私は。クリスティナさんも、そんな事……っ」

「わかっているとも」

 男が頷く。

「あの方は善人だ。哀れな子どもが砂海を彷徨うのに、少しでも何かの助けになればとお渡しになっただけだろう。だが、そんなことは事情を知らない人間にはそれこそ全く、なんの関係もない」

 嘆息して、続けた。 

「その剣を今まで誰かに見られたことはないか? そこに彫られた紋に助けられたことは? あるのなら、その時点でお前とアルスタ家の繋がりは把握されている。そして誰かに把握されてしまった以上、その誰かからまた他の誰かに伝わりもするさ。事実に、憶測までたっぷりと含めた上でな。お前という個人は既に一人ではない、アルスタ家に縁のある人間だ。人のしがらみとはそういうものだ」


 サリュはここ最近に出会った人々のことを思い出した。

 タニルの領袖ケッセルト。リスールで出会った商人達。後者では特に、その剣の存在こそが彼女の命を救ってくれたのだった。騒動のあとに新しく商館の長に座った若い商人からは、アルスタ家へ宛てた挨拶状まで預かっている。懐に控えた紙切れの意味するところを、今さらのようにサリュは理解した。

 男がもう一本の剣をサリュに向かって放り投げた。

「……しかも、鞭剣などという代物さえ与えられているのだからな。それが一体どういう素材で出来ているか、お前は知っているのか?」

 薄く弾力のある刀身が、普通のものではないという認識ならあったが。冷ややかな問いかけに目線をそらしてしまうサリュに、男の呆れまじりの声が届く。

「むしろ、今までよくそういう認識さえ持たずに生きてこられたものだ――よほど人中を避けてコソコソと生きて来たんだろうが」


 ――確かに、そうだ。サリュは苦々しく男の言を認めた。

 奇妙な瞳を持ち、砂虎を連れた彼女はひたすら人との関わりを避けてきていた。誰かを探し求めるなら、人の多く集まるところを渡り歩いた方が理に適っている。それを、排斥されることを忌避して遠ざかっておきながら、実際に自分を救ったのは避けようとした人の繋がりそのものだ。

 サリュは唇を噛みしめた。自分を至らなさを反省するのも、あつかましさを恥じるのもいい。だが、そんな時間は後でいくらでもある。今、成すべきことは一つだった。


「……教えてください。リトを。どんなことでも、いつのことでもいいから」

 ちらりとサリュを見た男が可笑しげに肩を揺らす。

「よほど今まで飢えて来た様子だな。砂海を水なしで歩いた旅人のようじゃないか」

「答えて……!」

 詰問するサリュの切実な声は、ほとんど悲鳴にも近かった。

「――条件がある」

 必死な表情で睨みつけるサリュを睥睨して、男が静かに口を開いた。

「条件?」

「そうだ。お前が、その剣をどちらとも捨てるというなら。俺が知っている、あの方のことを教えてもいい」

「剣を、」

 サリュは手元のそれを見おろした。

 鍔広の短剣と、それより長く、鍔のない特殊な形状の一本。旅立ちに際して金髪の騎士から手渡された二本を捨てるという行為が意味するのは、ただそれだけではなかった。男はアルスタとの関わりを捨てろと言ってきているのだった。


 男の唐突な提案に、サリュは深く戸惑った。

 これまで一年以上、男の影をひたすらに探し求めてきた彼女だった。追い続け、追い続けるうちに記憶の輪郭が砂にさらわれ、触れた心地さえぼんやりと恍け始めてしまっている。彼女が間違いなく己の目標に定める、リトと言う指標の在り処をはっきりとさせる為に、彼の生家と関わりがある相手から話を聞くことはとても大切なことに思えた。

 リトが生きてきた証。その実感さえあれば、砂に覆われかけた記憶も払われるかもしれない――傾きかけたサリュの脳裏に、ある場面が蘇った。それは自室で何かを胸に抱き、声を殺すように泣く金髪の女性の後ろ姿だった。

 一瞬でも惑いかけた自分を罵り、サリュは頭を振った。

「……それは、出来ません」

「ほう、何故だ」

「だって。私は。……あの人のところに連れて帰る為に、彼を探してるんだから――」

 無理やりに砂を口にして飲み込んだ表情で、サリュは呻くように言った。

 ヨウが意外そうに目を見開く。唇を歪めた。

「そうか。まあ、しがらみとはそういうものだろうな。それなら話せることはない。こちらにも、クライストフ家には似たような因縁がある」

 肩をすくめる男が立ち去ろうとする。


 サリュは苦しげな表情のまま、男へ握った短剣を突きつけた。

「……何の真似だ?」

「この剣は、捨てません。――でも、あなたには、リトのことを話してもらいます」

 覚悟を秘めて見据える。瞳孔に二重の輪を描く不可思議な瞳には、殺意すらこもっていた。

 男が笑う。

「随分と我が儘だが、わかりやすいな。元々、殺し合いは話の後でと言ったが、」

 台詞の途中で、動いた。

 短剣を突きつけるサリュの手首を捻りにかかる、ヨウの動作を予測していたサリュもすぐにそれに応じた。短剣を牽制に振るう。出血した利き手の握力にはまるで期待できなかったため、本命は次の一手だった。

 左手に握りしめた鞭剣の平を、サリュは男に向かって叩きつけた。

 しかし、奇襲に失敗した時点で、ヨウはサリュの至近から大きく後ろに飛び退いていた。その相手に追撃を仕掛けるより先に、 

「クアル、駄目ッ」

 鋭い制止に、今まさに飛びかかろうとしていた砂虎が動きを止めた。


 不満げな唸り声をあげて彼女を仰ぎ見る。男から視線を外さないまま、サリュはゆっくりと首を振った。

「駄目。……死なせたら、リトのことが聞けなくなる」

「徹底してるな」

 感心したようにヨウが頷いた。唇の端を吊り上げて、

「加減をした上で言うことをきかせられると思われているなら、業腹だが」

 サリュはちらりとシオマの様子を窺った。

 気弱な部族の女性は、突然の事態におろおろと立ちすくむばかりだった。それに声をかける余裕はない。彼女が悲鳴などあげて他の誰かを呼び寄せたりしないようサリュは祈った。

「なんとでも。何をしたって、あなたはここから逃がさない」

「大した執念だ」

 男の台詞に被せるように、サリュから仕掛けた。


 両手に二本の短剣を握って迫る。いつの間にか手に短剣を持ち出した男が、逆手に構えてそれに応じた。

 右手の牽制を、激しく打ち返される。抗えば即座に短剣を叩き落されると悟って、サリュはほとんど自然に右手を流したまま、左手の鞭剣を男の首筋に打ち込んだ。

 刃を返した男がナイフの根元でそれを弾く。ひどく軽い金属音が響いた。

 細かな振動を伝える鞭剣にヨウの左手が伸びる。サリュは右手に軽く握った短剣をあわせた。途中で動きを止めた男の姿勢が、不自然に傾いでいることに彼女が気づいた瞬間、視界の下から鋭い蹴りが放たれた。

 なんとか半身を捻ってそれをかわし、体勢が崩れたところに男が襲い掛かる。男の握った短剣はいつの間にか、順手に変わっていた。


 握りが変われば、当然のように剣筋も異なる。逆手より手首の稼動域が広がる順手持ちでは、切りつける途中での軌道の変化も多彩になる。先ほどとは違う打ち筋からの一撃に、サリュは慎重に左手の鞭剣をあわせた。

 弾性に長けた砂鋼の刀身が容易く相手の刃を跳ね返す。意識が十分以上に相手の手に引き寄せられた、そこに再び男の蹴りを合わされた。今度はそれをかわせず、サリュはせめて少しでも衝撃を逃がそうと後ろに跳んだ。

 右腕で受ける。重い衝撃に幾らか吹き飛ばされ、なんとかバランスをとって踏みとどまったが、右手から得物が零れてしまっていた。


「……まだ続けるか?」

 砂地に落ちた短剣を拾った男が言った。

「利き手に怪我をしておいて、殺さないようになどとのたまっている時点で負けだろう。せっかくの砂鋼も、普通の剣のようにしか扱えていない。それでは持ち腐れという奴だ」

 淡々とした忠告に、サリュは顔をしかめた。

 鞭剣。あるいは短剣そのものの扱いについて、彼女が習ったのはごく僅かな期間だった。いくらそれがアルスタ家の若き女当主直々の教えであったとしても、身についたものは簡単な基礎の類でしかない。


 ――いいや。サリュは左手の鞭剣を握りしめた。十日にも満たない間に教えられのは、それだけではなかった。

 アルスタに伝わる護剣の術技。エルドと呼ばれる一連の動作を、サリュは短期間に身をもって味わった。相手からの剣を受け、その勢いを利用して武器を弾き飛ばす。魔法のように熟達した手管を、金髪の騎士はサリュに向かってこともなげに実践してみせた。

 もちろん、それが成し得るのはまずもって卓越した技量があってこそだった。さらには、彼我の力量差も大きい。女騎士との鍛錬中、偶然じみたたった一度しか成功したことがないサリュが、今目の前にいる男にそれを成功させられる見込みはほとんどなかった。


 実際、トマスを飛び出したサリュが砂海を放浪するようになってから、幾度となく荒事に巻き込まれてきたが、今まで相手の武器を弾き飛ばそうと試そうとしたことすらなかった。理由は決まりきっている。命のやりとりの最中に失敗することは、そのまま死へと直結する。

 だが、自分より技量が上であろう男と相対して、相手を殺さないで無力化する術はサリュには他に思いつかなかった。

 考えるまでもなく、分の悪い賭けだった。失敗すれば、死――それは、できない。死ぬわけにはいかない。だから、なんとしても成功させなければ。


 必要以上の意気込みが、その時点で既にサリュの失敗を物語っているようだった。しかし、現実には彼女が無様に醜態をさらすことはなかった。

「――、っ」

 全くの不意打ちだった。

 右から打ち込まれた矢が音もなく、サリュの前に対峙した男のこめかみを貫き、目を見開いたヨウが声もなく倒れこむ。

「な――」

 息を呑んだサリュの前で、男の身体を真っ直ぐ貫いたように思えた矢が零れた。その鏃が、小さく丸い包みに覆われていることに気づく。中には砂でも詰められているのか、先から地面に落ちてとさと軽い音を立てた。


 慌てて弓矢の飛んできた方向を仰ぎ見る。

 そこには小柄な体躯を防砂具に身を包み、その隙間から不機嫌な眼差しを投げつける部族の少女が立っていた。



 昏倒した男が目を醒まさないうちに、サリュは相手を念入りに縛り上げた。

 後ろ手に縛り上げたヨウをユルヴと共に日陰に運びながら、今までの経緯を説明する。自分が探す男の生家と、世話になった恩人の家についても話そうとしたが、懇意にしているはずの両家に微妙な動きがあるらしいということは彼女にもよくわからない為、上手く説明できなかった。

「なるほどな」

 短く返事をかえす相手の表情をそっと窺う。視線に気づいたユルヴがぎろりとした眼差しを返した。

「……なんだ」

「怒ってる?」

「どう見える」

「――怒って見える」

「なら、そうなんだろう」

 吐き捨てるように言う相手に、サリュは小さく訊ねた。

「……どうして。来てくれたの?」


「どうして、だと――?」

 わなわなと肩をふるわせたユルヴが、頭に巻いた防砂具を剥ぎ取り、足元に叩きつけた。露わになった顔を激怒させて、サリュを睨みつける。

「知るか! お前が勝手にしたように、わたしも勝手をしただけだ! 文句があるかっ」

「ううん。嬉しい。……ありがとう、ユルヴ」

 心から素直な気持ちでサリュは微笑んだ。

 それを見たユルヴが、大きくはっきりした瞳を瞬かせる。毒気を抜かれた表情で肩を落として嘆息した。

「……なに?」

「もういい。一人で怒っていたわたしが馬鹿みたいだ」


 不貞腐れたようにそっぽを向く態度に困惑して、サリュは頭を下げた。

「ごめんなさい。私、」

「いいと言っている。それより」

 ユルヴが手を振って話を遮った。鋭い眼差しを気絶した男と、二人の傍で気まずげに立ち尽くすウディア族の神子に送って、

「――これからどうするかだろう。この男は、お前の探している相手の行方に繋がりそうなんだな」

「……多分。行方まで知ってるかどうかはわからないけど、でも」

 リトの過去については、知っている。それから二人の家のことについてもなにやら不穏なことを口にしていた。そのどちらについても詳しく話を聞く必要があった。


「逃すわけにも、殺すわけにもいかないわけだ。そして、ンジにはこの男と一緒に西からやってきた連中がまだいて、しかもそこにあるものの意味を理解しているようでもある」

「ええ。水がどこから来るかとかって、言ってたわ」

 ふん、とユルヴは鼻を鳴らした。

「死傷者が出ているだけでなく、互いに価値まで見出している。どう考えても、話し合いで済みそうな段階ではないな」

「そんな――」

 ウディア族の神子、シオマが喘いだ。

「それじゃあ、……でも――」

 力なく、ぽつりぽつりと言葉を接ぐ。忌々しげに、それでもユルヴはシオマの言葉を辛抱強く待っていたようだったが、何も続かないことを悟ると小さく舌打ちして、続けた。

「砂にこぼれた水は戻らん。今さら事態を返すことは不可能だ。あのおかしな詩人がウディアを説得すると言っていたが――ふん、どうせ長くはもつものか。明日か明後日。遅くとも二、三日のうちに、連中がやってくるに違いない」

「そんな……」

 肩を落とす神子を、不愉快そうにユルヴが睨みつけた。

「勝手に絶望するな。手がないとは言っていない」

「いい考えがあるの?」

 サリュが眉をひそめる。

 ユルヴはにやりと精悍に笑った。

「事態が戻らないなら、進めてしまえばいい」


「進める……?」

 少し考えてから、サリュはユルヴの言っている意図に気づいた。

「それって。私達で――」

「そうだ。わたし達で、連中を追い払ってしまうのだ」

 ユルヴが頷いた。

「それができれば、少なくともンジにいる輩と、ウディアの連中の衝突は避けられる。相手がいなければ争いようがないからな。もちろん、互いの悪感情はそのまま、すぐにまた次がやってくるだろうが。ただの先延ばしだろうと、結果は結果だ。思い悩む時間だけでも稼げる」

「私と、ユルヴ。それに」

 呟くサリュの傍らに、音もなく寄り添った大きな猫が自分の頭を撫でつけた。自分を忘れるな、と言っているようだった。

「……クアルも。三人で夜陰に乗じて、不意をつければ」

 ユルヴが頷いた。

「やりようはある。相手の錬度や人数にもよるが。だが、問題はそんなことではない。わたし達三人というのがまず在り得ない話だ」

 肩をすくめる。

「わたしにとって、目の前の破局がいつ訪れようとどうでもいい。この一帯を巡る流れ自体は、既に変わりようがないからな。ただ、お前がやると言うなら手伝う。クアルもお前に従うだろう。サリュ。ではお前は何故それをする。お前にそうさせるのはいったい誰だ」

 そこで言葉を切り、ユルヴは視線をサリュからもう一人へと向けた。

「やるか、やらないか。それを決めるのはわたしでもなければ、サリュ、お前でもないはずだ」


「あ――」

 それまで話に聞き入っていたシオマが、びくりと身体を震わせる。

「わ、私は……」

「この期に及んで言葉を澱むか? 殺せもせず、自分一人ではなにもできないなら、せめて決断ぐらいはしてみせろ。それが貴様の役割だろう」

 慌てて声をどもらせる女性へ、ユルヴが剣呑に言い放った。

 睨みつけられたシオマが身を竦ませるが、サリュはそれに助けを出さなかった。ユルヴは厳しいが、正しい。行動の主体は、この気弱な女性自身から発せられるべきだった。

「私――」

 声が震えている。


 砂海を流れる部族で、神子という役割を持たされた女性。

 足元の定かでない土地を漂流する部族の指標となるべく、周囲から無形の期待を背負わされた人物は、いつしか自分の口から発する言葉を自らのものか、周りに言わされているものかわからなくなってしまった。

 だから悩む。いったい自分はなんなのだろう、と。


 ――自分とは何か。


 取り残された幼子のように途方にくれるシオマを見て、サリュは表情を歪めた。その女性と同じくする疑問を彼女も抱いている。同時に、だが、と考えてもいた。

 自分一人の言葉などというものが、果たして存在するのだろうか。自分と周囲は、それほどはっきり分け隔てられるものなのか。――この厳しい砂の世界では、誰一人として己ばかりで生きていられる生き物などないはずなのに。


 暗闇の砂海で、自分を抱えるように震えていた男の姿をサリュは脳裏に思い出した。


 ああ、と少しわかったような気持ちになる。

 だから私は、彼を連れ戻さないといけないのだ。


「……私はっ」

 懸命に押し出した声に、意識を戻す。

 風が吹けば崩れてしまいそうな容貌の女性が、懸命に自らを奮い立たせてサリュとユルヴを見つめていた。

「私は、――止めたい。あの赤い夢がなんなのか。どうすればいいかも、わからないから。だから、時間が欲しいんです……考える時間、が」

 もういいでしょう、と強めの目線をサリュはユルヴに向けた。まだ不満げな表情のまま、アンカ族の牙神子が頷いた。

「いいだろう。お前がぐだぐだと思い悩むために、殺し、傷つけてやる。これから起こること、流れる血は、お前が望んだことだ。お前が、自分の部族に血を流させたくない為に、他の誰かに流させるのだ。それを決して忘れるなよ」

 青ざめた顔で、ウディア族の神子がゆっくりと顎をひく。 


「――くっ」

 日陰に運び、岩へもたれかけさせていた男から声が漏れた。顔をうつむかせたまま、くつくつと低い笑みが零れている。

 むっとしたユルヴが近づき、乱暴に肩を蹴った。ヨウが気だるげに頭を持ち上げる。

「起きていたか」

「――ひどく痛むがな。……脳天をえぐられなかっただけマシか。いい腕だ」

「聞いていたなら、話は早い。お前はここで静かにしていろ。サリュに話を聞かせるまでは、生かしといてやる。どうせすぐに口を割る気はないだろう」

「いいや、そうでもないさ」


「っ、――それじゃあ」

 男の返答に、勢い込んでサリュが問いかけるのに、ゆっくりと頭を振る。

「……落ち着け。そちらとは言ってない」

「そちらだと?」

「ああ。いったい何人があそこに立て篭もっているか。装備、見張りの形態。奇襲をかけようというのなら、有益な情報は色々とあるはずだろう」

「仲間を売るというわけか」

 ユルヴが軽蔑の眼差しをつくる。男は怜悧な顔つきを歪めた。

「別に、俺と連中は仲間というわけじゃない。いつまでもあんな場所に引きこもっていられては困るのは、俺も同じだからな。部族云々はどうでもいい。利害が一致する部分がある、というだけだ」

「なら、ついでにサリュが知りたがっていることも話せばいい」

「それはまた、違う話だな」

 男はあっさりと肩をすくめた。


「随分と勝手な言い草だ。自分の立場を理解しているのか?」 

 ユルヴが脅しても、男は平然としたまま表情一つ変えなかった。

「そっちこそ、勘違いだ。中の奴らの情報ならくれてやろうと言っているだけだ。感謝こそされ、詰られる謂れはない」

「――情報を聞き出すまでは殺されないと、たかをくくっているらしいな。砂漠の炎天下に放り出せば、すぐに語りたくてたまらなくなるぞ。それとも、生きながらえさせながら相手を拷問する術が、他にもないと思うか」

「なら、試してみればいい。俺の口を割るのにかかるのは半日か、一日か? そうこうしているうちにウディアがやってくるかもな」

 ち、と舌打ちしたユルヴがサリュを見る。


 部族の少女の眼差しを受け取って、サリュは小さく頷いた。口を開けばすぐにでも男について詰問したくてたまらない自分自身を抑えつけて、

「……わかりました。中にいる人達のことを、教えてください」

 彼女は静かに問いかけた。



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