表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
砂の星、響く声  作者: 理祭
 四章 誰何の幻想
66/107

 幼くからアルスタ家へ奉公に上がり、若年にして主人つきの執事としてトマス在地での家政を取り仕切る青年は、自身の抱く内心を一切表情に出さず、主からの呼びかけがあるまで待機を取り続けている。


 主人の質実な性格を表して余計な装飾に乏しい室内には、かすかな砂の音が漏れていた。机上に置かれた時辰儀が時を刻んでいる。

 透明な硝子の中には、一筋の砂が糸を下ろしている。精密に量られた分の砂が下に溜まれば、その重さによって器が軸を回転して一刻を知らせる。細工としては単純な構造を組み合わせて一日を視覚化したその工芸品は、硝子という値が張った代物をふんだんに使って貴重だった。この時代、多くの人々は陽があがるとともに活動をはじめ、日が落ちると共にそれを終える生活を過ごしている。


 流れ落ちる砂を見つめて沈黙する彼の主人は、眉間にわずかな皺をたたえていた。凝視する眼差しに映っているものがなんであるかは男の身に図りようがない。主人は昨日、屋敷に戻ってから終日の間そうした態度を続けていた。

 主人が訪れた秘密裏の会合で何かしらがあったことは確かだが、その内容を主人から明かされない以上、彼にはそこに立ち続けること以外できなかった。主人から意を受ければすぐにでも対応できるよう様々な情報の精査に務めながら、決して忙しくないわけではない中であえて主人の側にあろうとしている態度が、彼の意思表示といえる。そして、それに気づいた様子もないということが、間接的に彼の仕える人物の静かな混乱を証明してもいた。


 身体を動かすことを忘却したかのように、微動だにしない主人の横顔を目線だけを動かして確認し、男は入室した際に薄く開けたままにしておいた扉へと視線をやった。

 アルスタに仕える侍女の一人が、神妙な顔つきで室内を窺っていた。男は足音を立てないよう静かに主人の側から辞すると、扉の外へと自身の身体を滑らせた。


「――外の者から連絡が」

 声が届かないよう部屋から距離をあけてから、報告を受ける。

「フリュグト邸から、コーネリル邸に馬車が入ったようです」

「乗っていた人物の確認はとれましたか」

「そこまでは……」

 男は頷き、相手を下がらせた。まだ昼前というには早い時間帯、見せつけることを目的としたようなその行動の意味について思考を巡らせる。

 彼は先日あった夜会からの事態の急変を聞かされていない。しかし、報告にあった二人の人物については指示があったこともあり、特に情報を集めている最中だった。


 共に評議会――そう揶揄されるトマス最大の商人組合に籍をおく商家であるが、両者は全く異なる立場だった。前者は古くから続く大店であり、先祖の開拓した商いを守ってきていた。先代から今代においては特に、勢いのある他商家におされがちという評判である。そして、まさにそうした押しに押して成り上がり、ついには評議会の末席にまで地位を進めてきたのが一方の後者だった。

 両者の関係をどう判断するかは微妙なところがあった。コーネリルの評議会入りを推薦したのがフリュグト商会だという話もあるが、一方では爵位持ちの未亡人を嫁に迎えたコーネリル家の若き商家当主を悪し様に、露骨に見下している風だったという証言も入ってきている。それが対外的なものに過ぎないという可能性も無論あった。


 いずれにせよ、判断をするのは彼の職分ではなかった。主人が的確にそれを為せるよう、可能な限り正確な情報を、迅速にまとめる為に幾つかの指示を出し、さらにそこから上がってきた内容の正誤を検討して事実の刷り合わせをしているところに、主人から呼び出しが入る。

 すぐに向かった彼が扉を叩くと、「入れ」と普段より硬質な声が応えた。

 部屋には彫像じみた美貌に生気を取り戻した彼の主人、アルスタ家の名代としてトマスに出向くクリスティナ・アルスタが窓際に立ち、男を見据えていた。


「使いを出す」

 言いながら、主人の手から渡された手紙には蝋封がされておらず、それどころか封じの折り目さえ入っていなかった。その為、封筒の内側が覗けてしまっており、中に何も入っていないことが一目で見て取れる。

「直接、お前から言伝して欲しい。昨年の失せ人について、折り入って窺いたい儀がございます、と。それだけでこちらの意図は伝わるはずだ」

 主人の意向を理解した男は無言で頭を下げ、一応の意味で手紙の裏面を確認した。


 差し出した人物の署名と華押、手紙が届けられるべき相手が記されてある。能筆で書かれた主人の文字を間違えようもなく、 そこにはトマスの領主にして帝国でも有数の大商家でもあるルートヴィヒ・ベラウスギ公爵の名があった。



 祭りの夜が明けた集落で、ユルヴは差し込む陽射しを受けて煩わしげに目を細めた。

 既に日が昇ってから一刻半が経ち、太陽は空高くにあって一帯を日射している。それがいつも以上に目に刺さるように感じられたのは、彼女がほとんどわずかな仮眠しかとっていないからだった。

 理由はもちろん、昨晩に起きた変事があったからである。


 部族の守り手として集落の行く先を定める神子。その役目にある女性が暗闇の砂海に消え、ウディアの集落には大きな混乱が生まれた。

 神子とは標である。そして、それはあくまで砂を流れて生きる人々が、あまりに広大で無慈悲な存在から、自分達の心を蝕んで聞こえる声に怯えない為に求めた合理的な社会制度に他ならない。夜空に浮かぶ指標の星と同じく、土巫子という役柄は彼らが日々を生きるために必要だった。

 その神子が、自らの聞いた声に疑問を投じた。混乱は当然のものだった。部族の命運をかけた戦に臨む気分をくじかれただけでなく、彼ら自身の価値観、その根底を揺るがす一言でもあったから、衝撃は失望や消沈に留まらず、発言者への怒りにまで転化してもおかしくなかった。


 ウディアの民の一部からは実際にそうした声も上がった。特に血気に盛った若い男達は、かまわず聖域に向かうべきだという主張して意気をあげたが、年配者を中心にしてそれを留める声があったのも、決してシオマの台詞に共感を覚えたからなどではない。彼らは部族としてのまとまりが失われることを危惧していた。

 男共が声を荒げ、老人達は陰鬱に囁きあい、女子どもが不安げな中で、恐らくこの事態にもっとも有効な発言を期待できる人物は沈黙を貫いている。先代の神子、長く生きてしわがれた老婆はまるで何かの声を聞こうとしているかのように、焚火の焦げた跡地に瞼を閉じて胡坐をかいていた。


 徐々に狂騒の気配を強める人々を見つめて、アンカ族の次代族長にして現在の神子であるユルヴは醒めた気分でいる。

 彼女の集落も同じく神子という役柄を戴いて生きる一族であるから、ウディア族の醜態は決して他人事ではない。しかし、ユルヴが呆れているのは、恐慌する人々が結局のところ、神子という存在にすがって生きてきていたことを示しているからだった。

 天意とは誰かに見出すものではない。それは一般的な神子としての価値観というわけではなかった。だからこそ彼女は牙巫子なのだった。


 狼狽するウディアの集落を前にして苦々しく、彼女は集落を去らずに留まったままでいる。

「どうしてまだここにいらっしゃるんです?」

 その理由を訊ねるとぼけた声音に、ユルヴは嫌そうに顔をしかめて振り返った。

 天幕から身を出した詩人の男は、相変わらず緊迫感の欠落した表情で首をかしげていた。

「引っ込んでいろ。苛立っている連中の八つ当たりで殺されたいか?」

「それは怖い。しかしこの中にいれば守っていただけると約束してもらいましたし」

 飄々とした相手に歯を剥く。

「中に戻れ。その突き出した首まで守ってやるつもりはないぞ」

「もしかして、ユルヴさんは私を守ってくれるためにこちらにいらっしゃるんですか」

「そんなわけがあるか」

 吐き捨てると、にこりとラディは微笑んだ。

「ですよね。そんなわけが、あるはずがない」

 ユルヴは目を細めた。


「……なんだ。何が言いたい」

「彼らが暴走した時、引き止めるおつもりなんでしょう? サリュさん達の為に」

 もちろん彼女は男に昨晩のことなど話していなかった。天幕の中から耳を澄ましていたのか、それとも祭りの段階で夜陰に乗じてこっそり抜け出しでもしていたのか。ユルヴは男の信用ならない笑顔を睨みつけた。

「お前には関係ない」

「そんなことはありません。ほんの少しとはいえ、道中を供にした同士じゃないですか」

 薄っぺらく聞こえる言葉をさも薄っぺらそうに、男は続けた。

「ですが、ここで待っていても肝心のあちらが上手くいかなければ意味がありません。お二人――あの可愛らしい猫を入れて三人。西から来た一団が、何人かはわかりませんが、あるいは奇襲でならなんとかなるかもしれませんね。しかしあの方達は殺し合いに向かったのではない。そして、向こうがそう同じように考えてくれるわけでも」

 流暢に語る男の真意を疑問に思い、ユルヴは訊ねた。

「つまり、サリュ達を助けに行けとそう言いたいのか」

「ユルヴさんも本当はそうしたいのではないかなあ、と思ったんです」

 は、とユルヴは男の言葉を笑い飛ばした。

「ふざけるな。あいつは相談もなく出て行ったんだ。なんでわたしが、そんなことをしてやる義理がある」


「だって、貴女はとても一途なお人のようですから」

 冗談でもなんでもない表情でラディが言った。一瞬、ユルヴはなんと反応すればいいか迷った。沈黙する彼女に諭すように、続く。

「世の中でもっとも虚しいものは、やらなかったことを後悔することです。一時の誤解やすれ違いで永遠に失われてしまうものもある。それを嘆き続けている人を、何人も見てきました」

 目の前の相手から異質な雰囲気を感じながら、ユルヴは答えた。

「あいつは戻ってくると言った」

「追いかけてこないで、とも仰られはしませんでした」

 苦虫を噛み潰した表情になる。いったいどこでその会話を聞いていたのか。そんな気配はなかったはずだった。

「もちろん、この場でこそやるべきことがあるということもまったく間違っているとは思いません。遥か昔にネビュライエリが嘆いたように、一つの身体を二つには引き裂くことはできません。だからこそ人は日々、選択をして生きている。ですが――」

 ラディはそこで言葉を切り、表情の笑みを強めた。

「幸いなことに、ここには一人ではなく二人がいます」

 相手の意図を知り、ユルヴは穴が開くほどに相手の姿を凝視した。

 自分がここに残って、いつ戦に出向きかねないウディアの連中をひきとめると男は言っていた。部族の民でもなく、それどころか生まれ育ちは敵側の人間である男が。


「――お前は何者だ」

 警戒に声音を低くして唸った。  

「聖域にこもった連中と関わりがあるのか。それとも他のどこかの間諜か?」

 ラディが苦笑する。

「残念ながら。どちらでもありません。そういった何かの身分があれば、わたしにも舞台の最後に満を持して登場するような――主役を務めることができるのでしょうけれど。私はあくまで脇役です。物語を見届けて、それを歌うのが生業の人間です」

 自虐するような台詞を誇るように男は言った。

「私はただの詩人ですよ。本当です」

「……詩人が、町の人間が。部族の民を説き伏せてみせると?」

「いいえ」

 朗らかに笑って、

「詩人ですから。歌います」


 ユルヴは呆れた。目の前にいる人間が自分の思考の埒外にいる存在だということを思い知っていた。

 対するラディはにこにこと笑っている。底の見えない得体の知れなさに反駁する言葉を失い、ユルヴはため息を押し出した。

「なら、ここにいる理由はない。わたしは自分の集落に帰らせてもらおう」

 わざとらしく言ってみせたが、ラディは笑顔のままだった。どこまでも余裕のある態度が癇に障り、しかしそれ以上何を言っても相手を負かせられないことがわかってユルヴは口を閉じた。

 相手の身体を押しのけて幕に入り、弓と矢、最低限の荷物をとって引き返す。近くに繋いだ持ち馬に向かいながら、背後に叩きつけるように言った。

「もし約を違えてみろ。そのよく動く舌を射抜いてやる」

「わかりました。ではこちらも、帰ってきたら、皆さんのご活躍を歌にさせてくださいね」


 それを聞いたユルヴは笑い、男を振り返った。

「その時は、お前のことも我が一族で永劫に語り継ぐことになるだろう」

「ああ――それはちょっと、嬉しいことかもしれないですね」

 鼻をこすり、ラディは照れたように笑った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ