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砂の星、響く声  作者: 理祭
 三章 砂上の幻聴
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10

 祭りが始まる。

 暗く沈んだ地上から闇を払おうとするように、うず高く組まれた薪に大炎が灯された。赤く燃え上がる周囲に集った部族の民は各々が手に松明を持ち、瞳には天を穿つ炎が映っていた。

 彼らは数人同士が集まり、円になってその中央に松明を刺した。あたりの砂を集め、松明にふりかける。炎を消してしまわない量を慎重に、清められた砂を再び手にかき集めて、今度は自身と相手の身体に撒いた。腰布をはいた男は全身に刷り込むように、顔以外の肌を隠した女は露わになった部分にかけ、子どもには頭上からまぶすように砂が振りかけられていく。


 砂を纏い、汚れを祓った後には昼間、女達が煎じていた染料が持ち出される。家族や恋人の手によって化粧が為されていく。そうした戦への身仕度は声一つない真剣さで行われた。

 紋様を描かれる男立ちは静かにその行為を受け入れ、手がける女達には悲嘆にくれた様子はない。見慣れぬものへ変わりゆく父親を前にした幼子だけが不安そうな表情を浮かべ、そっと母親にすがりついていた。

 身支度を終えた者から、改めて焚火の周辺に集まり始め、人々は杯を掲げて酒を飲み、肉を喰らって、腕のある者は楽器を手にした。誰とも知れず乾杯の声が鳴り響き、他の人間もそれに追従する。


 儀式と宴が混然とした様子を、サリュは遠くから眺めていた。

 不思議だった。目の前の光景は、日が沈んで夜がくるように、どこまでも自然に推移していた。祭りの開始を宣言する声もない。誰かが音頭をとるわけでもない。ただただ在るがまま、まるで全くの日常であるようになされていく。

 奏でられる音にあわせて自然と歌が興り、囲んだ火の周りで踊りだす者が現れる。いたるところで歓声が沸き、喝采が満ちた。それだけを見ればただの宴と変わらない、サリュがユルヴの集落で招かれたものと同じだった。

 ただ、そこにいる男達の身体にある模様と、中央の炎に照らされながら踊る姿だけが、記憶との相違を強く訴えていた。人影が長く伸び、八方に放射されて縦横に揺れ動く様は、それ自体が何かの儀式のようでもあった。


 日常と非日常の境界を行き来して踊る人々を遠目に、姿を探す。

 サリュの求めた人物は、焚火の近くで大勢に囲まれた中に腰を下ろしていた。華やかな衣装をまとったシオマが酒を注がれ、注ぎ返している。その表情は強張り、瞳に確かな決意が秘められていても、周囲から怒涛に押し流されて身動きがとれない様子だった。

 その隣に座る大婆と呼ばれる老人は神子の様子を静かに見守るように碗を傾けている。

 そなたにはなにもできん、と老人は言った。悩む神子を哀れむようにして。先代の神子だったという、その言葉は恐らく長い経験からもたらされた言葉なのだろうと思われた。砂に生き、集落を導いてきた言葉には重みがある。――呪いにも似た。


 砂の声だ。サリュは思った。砂海にあって届く、自らを呼ぶ声。それは恐らく誰の元にもある。なら違いは。あの老婆や、ユルヴ。その他にもこれまでに出会ってきた人々はどちらだった。私や、あの悩める神子は、彼らといったい何が違うのか。

 ――あの人の声を聞く、私はいったい何を思ってそれを聞いてきただろう。


 空には二つの指標星が輝いている。それに向かって手を伸ばした。溺れる者が喘ぐようにではなく、しっかりとそれに向かう意思を持って、サリュは大きく息を吸った。



 笛の音が鳴った。集落の人々が顔を上げる。それを聞いたシオマが、はっと気づいてその場に立ち上がった。

 自然と注目がシオマに集まった。震える声で、集落の神子は口を開いた。

「――待って。ください……」

 か細い声だが、その場にはなんとか届く。焚火の燃え盛る音に紛れるように声は響いた。

「戦いにいくのは、待ってください……」


 喉の奥から搾り出した発言に、白けた空気が生まれた。

 誰もが今さら何を言いだすのかと言いたげな表情で見上げている。人々の視線に怯えるように震えて、シオマは顔を伏せた。

 瞳に炎を宿した無数の双眸が、無感動に彼女を見つめている。

「待ってどうする」

 彼女の横にあった老婆が言った。

「声はあった。血は流れた。今さらどうする」

 叱るのでもなく、嘆くのでもない。声は淡々として枯れるように吹いた。

「自分ひとりの為に、戦いに出る者の思いを汚すか。集落を導く神子が、見送る者の願いをにじるか。砂は変わらん。我らは砂と生き、砂と死ぬ。それだけのことよ」


「砂は……変わりません」

 苦渋に満ちた表情でシオマは言った。

「迷いもしない。迷うのは。迷っているのは、――わたしです」

「シオマ」

 はじめて厳しい眼差しになった老婆の声が打った。びくりと震え、それでも言葉を止めない。

「わたしは、神子です。だから、砂の声を聞かないと。ちゃんと。自分の願望や、恐れじゃなくて……」

「砂は応えん。それを求めた時点で、そなたは神子としての役目を失っておる」

 唇を噛み締めたシオマが黙った。

「――なら貴方がたにとって。声とはなんですか?」 

 囁きは、不吉な唸り声と共に生まれた。


 誰もが注目していなかった外れの闇から一歩を踏み出す。刺繍布の頭防具を取ったサリュは、真っ直ぐに老婆を見つめながら言った。

「砂はただそこにある。流れて、応えない。ならその声は。いったい何物によって、その意味を成すのですか」

 サリュが歩くと、集落の人々が恐れるように身をひかせた。女子どもばかりでなく、明日の戦に臨んで肉体を昂らせていたはずの男達も同様だった。

 異相が炎に照らされて奇怪に輝いて、その足元には一匹の獣が従っている。砂虎。砂海の頂点に立つ大型の肉食獣は、外敵から守護するように彼女の傍にひたりと寄り添っていた。

「声を聞くのは人間です。なら、その聞き様もその人によって変わる。吉兆を告げる音にも、不吉を呼ぶ凶兆にもなるはずでしょう」

 老婆が哂う。

「部族でもない者が、砂を語ろうてか」

 確かにおかしな話だろうか。サリュは考えた。

 名前をつけた人物がたとえ部族の出であろうと。いったいなぜサリュという限られた人間しか知らない名前をつけたのかを考えてみようと、それで自分がいきなり部族の人間になるわけではない。――そんなことで、自分という存在はわからない。


「砂に生きるのに、部族かそうでないかの違いがあるのなら。私は死の砂と呼ばれる人間です」

 老婆が全身をわななかせた。

「砂子よ。死の砂の女よ。名を騙り、恐怖を煽り、何をもたらすつもりか」

「何も」

 サリュは言った。

「私は自分の為に、知りたいだけです。貴方がたには貴方がたの神子がいる。そして、彼女が知りたいというのなら。それは私と同じです」

 目の前に立ち止まり、手を伸ばす。

 頷いたシオマが、ゆっくりとその手をとった。

 そのまま祭事の焚火に背を向けて歩き出す二人に、喘ぐように老人が声をかける。

「戻れ。シオマ――その者は魅入られておる。ついていっても、何も待ってはおらんぞ……」

 シオマの体が震えた。サリュは歩く速度と手を握る力を緩めて、振り返った。異相の瞳で見て、それに逡巡したシオマが、すぐに力強く握り返してくるのを確かめてから、再び歩き出す。


 集落の外近くに仏頂面のユルヴの姿があった。天幕の一つに背を預けるように立っている。引き締められた口元から不機嫌な声が漏れた。

「馬鹿なことをしたものだ」

「ごめんなさい」

 サリュは素直に謝った。それを聞いてますます不機嫌そうに、ユルヴは頭を振った。

「意味がわからん。お前は自分のしていることがわかっているのか」

「わかってる。……本当はわかってないのかも」

「なんだそれは」

 呆れたように言って、眼差しを鋭くする。

「血迷っているだけというのなら、わたしは無理やりにでもお前を止めるぞ」

 ユルヴは本気だった。サリュはじっと部族の少女を見つめた。


「お前はワームに辿り着くのを怖がっているだけではないのか。やっと見つけた手がかりが、何の実りもなかった時のことを恐れているだけじゃないのか?」

 やはり見透かされていた。サリュは苦く笑って、頷く。

「そうかもしれない。……でも、それだけじゃない」

「ではなんだ」

 苛立たしげなユルヴを見て、

「メッチの師匠っていう人が知ってる相手が、本当にあの人なのか。たとえそうだとしたってメッチが見かけたのは一年前で、私と知り合う前で。あの人は私の名前の意味を知らなかった。こっちに来たことすらないのかもしれない。――あの夜、トマスで離れ離れになった後、どうなったかもわからない。川沿いのどこを探しても彼は見つからなかったって。もしかしたら、彼は。……そういうことを考えると、すごく怖い」

 それに、と続ける。

「ワームにいったらユルヴともお別れしなきゃならないから。それだって、怖い」

「……なんだと?」

 怪訝な眼差しに、恥ずかしさを覚えてサリュはまつげを伏せた。

「いつも一人だったから、すごく楽しくて。でも楽しいから、一人に戻るのが怖くなるの。一人は嫌。一人は寂しいもの。おかしいでしょう? 前はそんなことなかった。本当、自分でも、自分のことがよくわからない――」

 答えに窮したようにユルヴが口ごもる。サリュはあいまいな微笑を浮かべて儚い視線を投じた。

「私って、いったいなんだろう。おかしな目をした女。魔女。死の砂。色んなことを言われて、どれでもいいのかもしれない。でも違う。選んだつもりになって、逃げてるだけだって言われて。そんなこと関係ない、私はあの人を探すだけ。そう思った。でも」

「だから惑って、見失ったか」 


 慎重な気配で重ねられる言葉に、サリュはゆっくりと首を振った。

「私はリトを探し出す。絶対に。――ただその時、あの人の前に立った時に、私はどんな顔をしているんだろう。彼の声を聞きながら、どんな風に旅をしてきたんだろうって、そう思ったから。……ごめんなさい。よくわからなくて」

 言っているうちに自分でも考えがまとまらず、サリュは嘆息した。

「私は、リトのことが知りたい。その為に自分のことを知りたい。リトのことを探してる。だから」


 ――自分のことも、探してる。


 彼女の告白を聞き終えて、ユルヴは目を閉じた。眉間に皺をつくり、搾り出すように言葉を吐きだした。

「――意味がわからん」

 サリュはくすりと笑った。

 そうだろう。きっとユルヴには理解できないはずだ。彼女は自分というものを持っている。隣にいて腹立たしいくらいに、ユルヴという少女は迷わない。

「わたしにわかるのは、お前が阿呆ということだ」

「……そうね」

「違う」

 首肯しかけるサリュに噛みつく勢いで、

「どんな悩みを持っていようが、それを今まで明かしもせず、一人でうだうだと思い悩んでいたことを言っている。勝手に納得するな。腹が立つ」

 部族の少女は一気にまくしたてた。

「怖い? 不安だと? 一人になるのが嫌なら、はじめからそう言えばいい。なんだかよくわからないまま悩んでいるなら、そう言えばいい。いったい何の為の友人だ。そんな時に語りあう為の友人ではないのか」


 なじるように言われたサリュは困惑を露わに瞳を瞬かせる。友人という存在をはじめて持ったばかりの彼女には、そうしたものにたいする理解が欠けていた。嫌味のない声で訊ねた。

「……そうなの?」

「知るか! わたしの台詞だ、それは!」

 大声で叫び、ユルヴは自身の声の大きさに我に返ったように顔をしかめた。息を吐いて、疲れきった表情で手を振る。

「もういい。そら、連中がやってくる。ンジに向かうというのなら、さっさと行け。……わたしは行かないぞ。呆れ果てているところだからな」

「わかってる」

 むすっとして黙り込む少女の横を通り過ぎて、サリュはもう一度振り返って、言った。

「ありがとう、ユルヴ。――戻ってくるから」

 返事はなかった。


 かわりに応えるように、集落の人々を牽制していたクアルが駆けてくる。近くにまとめておいた荷物を拾い、サリュはシオマと共に暗闇の砂漠に足を踏み出した。



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