プロローグ
水が巡り、砂の流れる惑星。常に乾き逼迫した地では、水源を手にした者が権勢を振るうのは自明のことだった。
古くは神話の頃から、太古のハペウス集合郡、ガヘルゼン王国などその時代の寵児がそこに縄張り、その豊富な水源を狙う者の手によって多くの戦が起こり、血が流れた。
いわゆる三大水源の一つ、バーミリア水陸と呼ばれる動植物の貴重な生息地域は、大枠でいってそれがそのまま一つの文明圏でもあるが、とはいえ水陸というのは線引きによってはっきりと示されるものではない。例えば水場の湧き様とそこに生きる人々を、一つの図として遠く俯瞰してみればそう分布して見えなくもないという、その程度のものでしかなかった。
その証として挙げられるものに、バーミリア水陸における人種の違いがある。
水陸には白色や褐色の肌があり、頭髪は金銀から茶黒まで数多い。東と中央、また西や南など各地域によっては骨格や顔つきにも明らかな趣の差が見てとれた。一個の水源を基としたただ一種が源流とするには、あまりにも多彩に過ぎた。
また、ガヘルゼンの時代、西方よりバーミリア水陸に襲来した勢力は、明らかにそれとは一線を画していた。全く異なる文明圏が惑星に一つ以上あることは確定していた。
水陸に複数あったとされる種がそれぞれに数を増やし、種族となり、集団を組む。そうして他者と出会い、戦い、あるいは交流を育み血を混じらせながら形成されたのが、バーミリア水陸、その文明圏である。
人々はそこで、水と水源を巡って戦いを繰り広げた。
バーミリア水陸で長らく勢力を誇ったガヘルゼン王国が衰退した後、水陸には群雄割拠の時代が訪れた。小国、小勢力が乱れて互いに競い合い、やがて一人の男が中央大水源をその手に掴むまで、その戦乱は百五十年近くの長きに続いた。
元は傭兵を生業としていたその男の名前をアスリと言う。傭兵とは、砂海を渡る人々の中で特に戦いを生業とする者で、聞こえは違うが、野盗の一種といってさほど変わりない。アスリはその傭兵団の一つをまとめる首魁だった。
中央大水源を巡る複数の勢力が絡みに絡んで繰り広げられた戦いに参陣したアスリは、その類稀な統率力で敵を討ち倒し、その後自らの雇い主を殺害して残存勢力を併呑した。そうして大水源を手に入れた勢いのまま周囲の敵勢を屠り、吸収して、あれよあれよというまに一大勢力へと成り果せた。
自らを亡きガヘルゼン王国の志を継ぎ、さらにそれを越える者であると宣言したアスリが、王の上をいく、皇帝という尊称を使って建国したのがツヴァイ帝国である。中央大水源には帝都ヴァルガードが定められ、以降、中央大水源はヴァルガード水源と呼ばれる。
アスリの勇飛を支えたのは第一にその傭兵団の精強さがあったが、腹心の存在も大きかった。特に無二の友として信を得ていたのがジュスターという男で、後にベラウスギという姓を名乗った。政治と謀略に秀でたジュスターはツヴァイ国体の整備に努める一方、南方にあった水源、ヴァルガードにも劣らぬ水量豊富なその地に街を興した。後の商業都市トマスである。
さらに、ジュスターはヴァルガードとトマスを二つの水源から溢れる水で繋ぐことを唱えた。これは点として散在し、湧いては枯れる水場を流れることを当然のこととして生きてきた人々には全く驚くべき提案だった。
周囲を制圧して収奪した財、農奴、そして水場での安定した生を保証するという宣伝に多くの人が集い、八年の年月をかけて水路は完成された。
ジュスター・ベラウスギの偉業としては、商業都市トマスの重要性を見抜いた先見の明はもちろん、この水易路に関する発想と実行力が挙げられる。特に後者については、いまだに謎とされる部分が多かった。
河川水路という発想自体は、豊富な水源を抱いた者だからこそのものではある。水源から水を引くという行為も、あくまで人の手に可能な範囲であればそれまでにも為されてきていた。しかしそれが、遠く水源と水源を結ぶほどのものとなれば、まるで尋常な発想ではありえない。
ヴァルガードとトマスの間には当然、砂海があった。比較的安定した砂漠と流れる砂である砂海の境目は判然とせず、砂海に河川を通そうといくら掘ってみせたところで、砂に押し流されるのでは水路の形など保てるはずがなかった。
当時の技術力はもちろん如何ほど後代になろうが、複雑怪奇な砂海の中で水路として通せるルートを調べる方法などありえないというのが専門家達の一致した意見である。
しかし、現実に水路は完成した。ジュスターがどのような手段でそれを成し得たのか、それは水陸史における大きな謎とされたままだった。一応の定説としては、何も魔術的な所業のものではなく、ただ地道に下の地面の安定性を確かめながら、少しずつ長い年月をかけて安定したルートを構築していったのだろうと言われている。
それまで前例のない空想じみた存在を、恐らくは一国の貯蓄など容易に食いつぶすほどの財を投じてまで行うまでの確信を、どうして持ちえたのか。ジュスター・ベラウスギに関わる謎は尽きない。確かなことは、彼が悪魔的な洞察力を持った鬼才の主であったということである。
ジュスターの先見は正しかった。ヴァルガードとトマスを繋ぐ一本の線。その河川がツヴァイ帝国の爆発的な繁栄のきっかけとなった。
それまで地表のほとんどを占める砂海にあり、人々はいつ枯れるかわからない水場を頼りに移動していた。点と点を、不安と恐れのなかで行き来するしかなかったのだが、太く長く、確かな河川水路はその常識を覆した。
水路を用いることで、人々は安全に街を行き来することができた。安全に、多く、早い物流が可能になった。人と物の双方がさらにツヴァイへ集まり、その潤った人と財がツヴァイの軍事力を高めた。
ツヴァイは北方のサシュナに侵攻し、これを征服した。後々までの強敵手となる東のボノクスとの間にはじめて戦端が開かれたのもこの頃である。さらには西の大国ナトリアで起こった政争へも介入し、これを属国とした時点でツヴァイはバーミリア水陸における最大国家となった。
もちろん、他国との戦争以外にも多くの出来事があった。その全てが輝かしいものばかりではない。
初代皇帝アスリの後を継いだ二代皇帝シェハンは軍王とも称された武勇の主だったが、ヴァルガード南東ラタルク地方を巡るボノクスとの戦で若くして命を落とし、その早すぎる死が帝国に後継問題を引き起こした。それぞれの御輿を担いだ貴族同士による争いの後には内情不安が訪れ、それを払拭するために水天教が国教に用いられた。そうした帝都のごたごたを遠くに見る形でトマスからは征服した主要水源へ新たな水路が作られていき、最終的には四方に伸ばされたそれらの水路は、ツヴァイの繁栄と共に、トマスの存在価値を危険なまでに押し上げることになる。水天教ではどの宗教も宿命的に併せ持つ特殊な構造の在り方がやがて内部の腐敗を招き、その暴走が水陸全土を巻き込んだ魔女狩りの大災へと繋がった。
建国から二百年が経とうとしている現在、九代皇帝フーギ・スキラシュタの治世の下で最近は比較的に平穏が続いていたが、不安の種がないわけではなかった。
内憂外患は大国の常である。怯えはせずとも、それに備えないわけにはいかなかった。砂は常に流れ、栄えるものもまたいつかは滅びる。それは歴史を齧ったものであれば誰もが知る道理だが、しかし同時に、誰もが自らもまたそうなのだとは思わなかった。
あるいは、大水源という豊かな水脈を戴くからこその傲慢だったとも言える。しかし、いずれにしてもそれは、将来に必ず起こる出来事である。
変容の兆しは既にあった。
長らくツヴァイとボノクス両国の係争地であり続けたラタルク地方。水源が枯渇し、両国ともに手を引いた空白地帯になっているその地で起きた出来事が、その始まりだった。