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砂の星、響く声  作者: 理祭
 終章
46/107

エピローグ

 それからの数日をサリュはアンカ族の集落で過ごしていた。

 身分の照会を待つ間という話ならリスールに留まっておくべきだったが、その話がアベドの言いがかりであることは承知していたから、サリュの行動は誰にも咎められることはなかった。そうしたこととは別に、純粋な好意で町での待遇を勧めてくれるセルジェイの言葉もあったが、サリュは部族の集落を選んだ。ユルヴから熱心に誘われたこともあるが、クアルと共にいられるのが一番の理由だった。


 ノカの家族と共に部族の集落に向かったクアルは、やはり大いに部族の大人たちを慌てさせたようだが、同行した家族のとりなしで集落を追われることはなかったという。何より、ナクイをはじめとする子ども達がクアルにじゃれついてみせたのが、一番の駄目押しになったとノカから聞いていた。

 子を見守る親のつもりなのか、それとも同じ年頃の遊び相手を見つけた気分なのか。今も遠く短草の平原を子ども達と駆け回っているクアルを見ながら、サリュは最後の荷をこぶつき馬にくくりつけた。

 いつものようにため息を吐くこぶつき馬の頬を撫でる。その後ろにユルヴが立った。

「……準備は出来たか」

 振り返り、サリュは微笑んだ。

「ええ」


「もう少し、ゆっくりしていってくれればいいのに」

 ユルヴの隣に立ったノカが、心から惜しむように言った。

「ごめんなさい。でも、行かないと」

 サリュは防砂具の上から手紙に触れながら答えた。

「……うん。わがまま言っちゃだめよね」

「そうだ。子どものようなことを言うな」

 したり顔で言うユルヴに、むっと眉を寄せてノカが言い返した。

「何よ。ユルヴだってサリュにずっとここにいて欲しいって思ってるくせに。クアルにだって」

「お前は何を言っている」

 仏頂面でユルヴがそっぽを向いた。サリュとノカは顔を見合わせて笑った。


「おーい」

 遠くから手を上げながらやってきたのはメッチだった。商会内でのごたごた――役職異動や、それに伴う担当商路の整理と引継ぎなどを終えて、男は昨日に部族の集落を訪れたばかりだった。それにはサリュの様子を見に来たのに加えて、もう一つの理由がある。

「……あんたらさ、なんで揃いも揃ってそんなピンピンしてるんだよ。昨日、あんだけ酒飲んでたじゃねえかよ」

 頭を押さえながら呻くのに、三人が酒気の残りのない表情を見比べた。

「あのくらいなら、ねえ」

「貴様が情けないだけだ。軟弱者」

「……ここの部族の女は、こんなんばっかかよ」

 げっそりと肩を落とす。青ざめた顔色がサリュを見た。

「で、準備は? なんか足りないもんとかないか?」

「大丈夫」


 サリュは頷いた。リスールからワームに向かおうと用意したものがそのまま残っていた為、改めて準備する必要もないほどだった。

「そっか。ああ、これ。セルジェイさん――セルジェイ館長から」

 言って渡されたのは二通の手紙だった。

「一通は、師匠宛て。まあ大丈夫だとは思うけど、前の手紙だと情報の行き違いがあったりで誤解があるかもだから」

 以前の手紙はアベドの署名になっている。確かに、なぜ館長を失職したばかりのアベドの手紙を持っているのか、いらぬ疑いをもたれることになるかもしれなかった。

「こっちは?」

「そっちは、アルスタ家宛て」

 眉をひそめるサリュに、メッチは苦笑して言った。

「ま、挨拶状みたいなもんだよ。もし、何かご入用でしたらお声がけくださいっつう――根っからの商人なんだよ、あの人。別に渡しても渡さなくてもいいから、気にしないでくれ」


 サリュとの出会いを機に、帝国貴族とコネを持とうという腹づもりなのだろう。顔に似合わない男の商魂たくましさに呆れるより可笑しさをおぼえて、サリュは微笑を浮かべた。

「もし、トマスに帰ることがあったら。渡すわ。……商売のことはよくわからないけど」

「それでいいよ。あの人だって、思いつくことはなんでもやっとこうってだけだろうし」

 ふとそれで思い出して、サリュはメッチに訊ねた。

「そういえば。どうして、メッチはあの剣のことがわかったの? あれがアルスタ家のだって」

「そりゃ、見ればわかるさ」

 メッチはさも当然とばかりに答えた。

「家紋つきだぜ。しかもあのアルスタ家。俺、別に武器のことは詳しくないけどさ、それってすんげえ高価だぜ。材質も、普通の鉄とかじゃないし。普通はもっと分厚いだろ」


 サリュは腰から短剣を引き抜いて確かめた。

 確かに鍔もなく、変わった形状ではある。軽さや薄さ、それに柔らかさなど普通とは違うと思ってはいたが、それらについてあまり深く考えたことはなかった。彼女にとっては、大切な人が旅立ちの時にくれた、大切なものというだけの認識だった。

「……家紋の入ったものを預けるってのはさ。貴族の人間にとっちゃかなり重要なことって言うぜ。あんたとアルスタ家の人達がどんな関係かは知らないけど。――あんたが、大切に想われてる証拠だよ」


 その言葉に、彼女は胸を詰まらせた。

 望郷の思いが湧く。懐かしい顔ぶれを思い出し、その為にも早く旅立たなければと思った。あの人を探して、そうしたらトマスに帰ることが出来る。またあの人達に会うことができる。


 今さらのようにサリュは思った。外れ者のような自分にも帰るところがあるのだ。涙がこみあげてくるのを感じ、それをごまかす為に笑った。

「――ありがとう、メッチ」

 その柔らかい笑みを直視した男が、衝撃を受けたように固まった。

「……どうしたの?」

 首を振る。頬が赤かった。


「――サリュ。これを」

 ユルヴが差し出したのは刺繍布だった。頭部に巻いて布防具として使えるようにやや短い丈のそれには、ユルヴ達の部族を現す刺繍が成されている。そこにキキョウの柄を見つけて、サリュは困惑して訊ねた。

「いいの?」

 不機嫌そうに押し黙るユルヴを笑って、ノカが答えた。

「照れちゃって。よかったら、使って。あのね、私がサハの刺繍も付け加えておいたの。ユルヴも何か入れるって言ったんだけど、この子、昔から刺繍が苦手でねー」

「ノカ、お前は黙っていろ」

 険悪な眼差しで睨むユルヴと、穏やかにそれを受け流すノカを見て、サリュはまた目頭が熱くなるのを感じた。何故だろう。自分はこんなにも涙もろかっただろうか。


「あー、あのさ。サリュ、ごめんな」

 顔色をようやく平静に戻したメッチが言った。なんのことかと首をかしげる彼女に言いづらそうに、

「ほら。町で、俺が言ったこと。あれ、嫌がらせで言ったとかじゃなくて。いや、思ってもなかったことを言ったわけじゃないんだけど、別にそういうあれじゃなくて――」

 要領を得ない言葉を聞きながら、ああ、と思い至る。

「ちょっと思うことを言ってみたってのはほんとなんだけど、別に悪いって意味で言ったわけじゃなくて。あんまり思いつめないほうがいいっていうか、なんていうかさ」

「大丈夫」

 いつまでも終わりそうにない弁明を遮って、サリュは男に笑いかけた。

「あなたの言うとおりだと思うから。大丈夫」

「いや、そういうんじゃなくて」


 サリュは頭を振った。

 自分が思いつめていたのは、確かにそのとおりだと思うのだった。イスム・クでのセスクのことが、ずっと頭から離れなかった。いつの頃からか、それを何かのせいにしたいと思っていたのも、恐らくはその通りだった。

 それは、弱さだ。そんなものの為に自分はあの人を探しにいくのではない。だから、

「――大丈夫」


 きっぱりと言い切るサリュの表情を見て、メッチは渋面になり、頷いた。

「お前は死の砂ではない。サリュ、お前は我々に死などもたらしていない」

 ユルヴが言った。

「風は死を運ぶだけではない。香りを、種を運ぶ。そうしたものについて、我々にはサリュとは違う呼び方がある。お前さえよければ、それを名乗ればいい」

「……ありがとう。でも、大丈夫」

 ユルヴの気遣いに、サリュは微笑んで答えた。

「私はサリュでいい。そう私を呼んでくれる人がいるから」

 彼が。彼女が。それで十分だった。

「……そうか」

 ユルヴも微笑を浮かべた。


「あー、くそ! 俺、やっぱワームまで見送りにいっちゃおうかなあ」

 突如、頭をかいてメッチが吠えた。半眼でユルヴが言う。

「馬鹿を言うな。貴様は我らの部族との折衝人だろう。そんな暇があるか――ワームにはわたしがついていく」

「なんだよそれ! 俺だって行ってもいいだろっ」

「いいわけがあるか。ただでさえ未熟な商人が、せめて一人前の仕事をしてからほざくがいい」

「未熟って、……あんたらの新しい担当に俺を推薦したの、あんただろ」

「当然だ。相手が未熟な商人なら色々とやりやすいからな。だからといって我らとの取引で何か不手際でも起こそうものなら、即座に首をはねてやるから覚悟しておけ」

「なんだよこの凶悪な女は! こんなのが長になったら、この部族おしまいだぞ!」


 喧々囂々のやりとりを聞きながら、サリュはノカと顔を見合わせて、大きく笑いあった。

 涙が出るほど笑い、その拍子に空が見える。天晴れの蒼が透き通った高さから彼らを見下ろしていた。



                                                  人商の晴天 完

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