5
町への道を急ぎながら、サリュの脳裏にはとりとめのない思考が浮かんでいる。黄金と砂。それらと共に生きる人々について。
一方は町を作り、一方は砂と流れる。水場から河川を引きそれを利用とする人々。水場の湧くことと枯れることを天意として、それに抗うことのない人々。砂、黄金、――砂を血で固め、それを作る者。赤色の黄金。夕焼けのような。人の全てを染め、双眸に輝きを灯す。欲望と憎悪。ここより遠く東、黄金の在る村の――あの少年のように。
黄金が人々を狂わせるのか。あるいはそれを求めるのは人間が生来に持つ業欲なのか。黄金を否定する、その部族達も争いでは血を流す。その血は黄金のそれと違うのか。誰かを殺そうと憎み、それを実行する時、ユルヴの瞳には何が映っているのだろう。サリュにはわからなかった。
ただ、そのどちらともが自分は違うということは理解できていた。
彼女は黄金を好まない。しかし、自分がそれに浸かっていることを理解していた。ある少年の父親をその手で刺し夕焼けの黄金に身を染めた時から、黄金は既に彼女とともに在った。
砂もまたそれと同じく、彼女は一所に留まれない人間だった。自身の目的もあるが、その奇妙な双眸は必ず人に忌避されるものだった。好むと好まざると関わらず、彼女は人から流れながら生きるしかない。
つまり、自分は外れ者なのだ。彼女は思った。砂と黄金。町の人々と、部族達。そのどちらのようにも生きられない。それは確かな真実だった。
サリュに自虐の気分はなかった。それでよいと思っている。彼女が探し求めているのはただ一人で、その為に必要なことならば彼女は全てを受け入れるつもりだった。
自身の名前についてもそれは変わらない。サリュという忌み名で、どれほど恐れられようがかまわない。いや、自分はそうあるべきなのではないか。砂と黄金の、そのどちらをも外れた忌まわしき存在として。
死の砂。――なら、自分がやるべきことは決まっている。視界に見えた町の姿を映して、異形の瞳が人知れず暗く深く沈みこんでいた。
驚いた様子の門番にユルヴの身書を突きつけて町に入り、二人は一直線に駆けた。メッチが向かう先について思い当たる場所は一つしかなかった。南岸に渡った先、立ち並ぶ建物の一つ、自分達の商館に決まっている。
そこまで逃げ込まれてしまえば、サリュとユルヴに勝ち目はなかった。商売に関わる様々な厄介ごとなど日常茶飯事の商人達のその根城は、下手な野盗の巣などよりそうしたことに手馴れているものだからだった。
なんとしても、それまでに追いつかなければ。人のまばらな通りに抜け、町を二分する河川の岸に着く。無数に浮かぶ大小の船と、それを待つ人々の群れを見て、ユルヴが声をはりあげた。
「いたぞ!」
ユルヴが指したのは岸ではなく、河川に浮かぶ一隻の小船だった。乗り合いではなく、貸切で渡す割高の船だった。そこに乗った男二人の片方が彼女達に気づいた。その口元に困ったような笑みが浮かんでいるのがサリュには確かに見えた。
メッチだった。隣にいるのはシャコウで間違いない。気づいたシャコウが何か囁き、メッチが肩をすくめている。二人に向かって手を振った。
「馬鹿にしているのか」
吐き捨て、ユルヴが堤防を駆け下りた。サリュもそれを追う。
二人が向かったのは乗り合い船を待つ行列ではなく、メッチ達と同じ貸切り型の渡し船だった。乗り合いに比べて倍以上の賃料がかかる為に人気がないその一帯には暇そうな船頭が座り込み、川面に釣り糸を垂らしている者もいた。手ごろな船に近寄り、ユルヴは船頭に賃金を払う前にそれに乗り込んだ。
「おい、あんた。何勝手に――」
「倍払う。急げ、あの船だ」
釣竿を放り出して文句を言いにきた船の主が、それを聞いてあわてて船を繋ぎとめる綱を外しにかかった。
サリュとユルヴが乗った船を男が押す。ほんのわずかに隙間が開いたところに足をいれるようにして、今度は全身を使って差を広げにかかり、程よく離岸したところで飛び移った。重そうな風体には似つかわしくない身軽さだった。
「お待たせしたな、最速で向こう岸まで渡してみせらぁ」
ユルヴから破格といえる料金を受け取り、男が機嫌よく法螺を吹いた。実際には長棹をもち、川底を押して舟に推進力をつけている。
「あの船に近づけろ」
船の後部に立つ男に向けて、そっけなくユルヴが言った。手に弓を構えている。船頭が顔をしかめた。
「お客さん、うちの船の上でそういう物騒なのはちょっと……」
船の上で起こった騒動には必ず船の持ち主の責が問われることになる。小首をかしげ、ユルヴは言った。
「奴らに追いつけなくなるほど差がなければ射掛けない。差が縮まらなければ、射る。気合をいれることだ」
下頬の膨らんだ顔をひきつらせ、男は渾身の力を込めて棹を漕ぎ始めた。
既にメッチ達の船は河の半分を越えている。気の毒な船頭がどれだけ必死になろうと、その差を覆すことは難しいだろうとサリュは思った。先に着いた彼らがどういった行動に出るか、それも予測がついている。
彼女が思ったとおり、岸についた男達は二手に別れた。別々に商館を向かおうという腹積もりだった。
「こちらも二手だな」
ユルヴの提案にサリュは頷く。どちらがどちらを追うかについては、口にして確認するまでもない。
船着き場からは短い桟橋を経て広場になっている。二人の男達が一人はそれを右に倉庫の立ち並ぶ方角へと向かい、もう一人は直進して広場を突っ切りそのまま市場に消えたのが見えた。接岸を待たずに船から飛び移り、サリュとユルヴはそれぞれの相手を追いかけた。
サリュは倉庫に続く裏道へと走った。彼女の追う相手が向かうのはその奥、クァガイ商会が構える商館に違いなかった。
「メッチ!」
市場の混雑を避け、横に沿うようにして小道を目指しながら声をあげる。
遥か前方を駆ける商人が走りながら肩越しに彼女を振り返った。表情に困ったような仕草から、小さく笑う。男の姿が消えたようにサリュから見えたのは、横道に入ったからだった。
商館までの道は以前通ったことがあるが、裏道や小道の類には詳しくない。この町をよく知るだろうメッチを一度見失えば、もう二度と見つけられないだろうと彼女は考えた。ではどうするか。メッチではなく商館を目指すという手もあるが、それもすぐに自分で否定する。あれだけの商館なら、正門以外にも複数入り口があるはずだった。積荷入れや、裏門。関係者しか知らない通用口に、いざという時の非常経路まで用意されていても不思議ではない。
たった一人で待ち伏せなど不可能。つまり、目の前の相手を追いかけるしかない。
即座に迷いを捨て去り、彼女は整備された石畳みを蹴り上げた。
サリュと別れたユルヴは視界に広がる光景に、辟易しきった様子で息を吐いた。
昼下がりの刻時、市場には多くの人が溢れていた。声や姿、気配が入り乱れて吐き気を伴うほどの熱気があった。そこを逃げ場に男が選んだのは、もちろんそれが意図であることに彼女は気づいていた。
自分が追ってくることまで計算に入れたかどうかは定かではない。しかし、こうも人が密集した場所では気安く弓を射ることができないのは確かだった。
不快な性根を見抜き、ユルヴは唇の端を持ち上げる。
逃げることにまで関係のない人々を巻き込み、それを盾にしようとする。そうした行いは彼女の知る部族のものではなかった。なるほど、あの男はそこまで誇りを失ってしまっているか。
それならば、こちらにもやりようはある――頭を左右に巡らし、高さのある建物を探す。市場の横に併設して並ぶ幾つかの土壁と漆喰の建物から適したものを見つけ、彼女は駆け出した。
手に届く石壁を片手でよじ登り、そのまま猫の身軽さで次々に高さを稼ぐ。瞬く間に屋根の上まで辿り着くと、市場のほぼ全域を視野に収めたユルヴは、俯瞰の光景を見下ろして満足げに鼻を鳴らした。手に持った弓を構える。
眼下には無数の人々が蠢いている。その中からたった一人を見つけ出すのは彼女にとっても至難の業だった。
ユルヴは叫んだ。
「タージェ・ヤッセ!」
凛とした声が市場の上空に響き渡る。
透き通った若さのある声は、騒がしさを縫って人の意識に届くには十分だった。しかし、部族とそれに連なるものしか理解できないその言葉に、ほとんどの人は耳に聞こえても反応を示すことはない。
その中で一人だけ動きを止めた者がいた。羞恥の表情が振り返り、上空を見上げる。
番えた弓矢を引き絞り、鷹の目で眼下に注意を向けていたユルヴは当然それに気づいた。小さく笑う。嘲りと哀れみが等分にまざった笑みだった。
「一度は捨てた誇りなら、二度と振り返らない方が身の為だったな」
相手が誇りを捨てた以上、これは戦いではなかった。逃げる相手を追い詰める、既に彼女の意識はただの狩りへと変化している。相手が言葉を介する獣でそれにどんな罵声を浴びせようが、気を遣わなければならない謂れはなかった。それが自ら畜生に身をやつした輩が相手ならなおのことである。
自分の失策に気づいた男が我に返り、再び人の群れに隠れる前に、ユルヴは自身の行動を終えていた。わずかに右手三本の指を放すだけの動作だった。
放たれた矢は射手の生き方を現すかのように一寸の迷いもなく空を奔り、シャコウの額を正確に貫いた。
メッチの逃走は手馴れたものだった。
裏道から裏道を渡り、決して長い直線を走ろうとしない。角を曲がった男の姿を幾度となく見失い、その度に焦りの心境で足を早め、複数の経路の一方を選び、駆ける。もしかしたなら見失ってしまったのではないかと危惧した頃に男の背中を見つけ、ほっと安堵の息をもらす。
そうしたことを何度か繰り返すうちにサリュは気づいた。メッチが本当に撒こうと考えていたならば、とっくにそれはされてしまっているということに。彼女がいまだに追いすがっていられるのは、ただ相手が差が開きそうになる――より具体的には、角を曲がって彼女が姿を見失いそうになる度に、相手が故意に足を緩めているからだった。
男の稚気か、あるいはどこかへ誘い込もうとしているのか。人質が無意味であることはユルヴから宣言されている以上、今さらそれを狙うとも思えなかったが、手を抜かれているという事実が不快であるということは変わらない。
逃げながらこちらの様子を窺う余裕まで見せて走る相手に、サリュは一計を案じて時機を見計らった。
二人は小道を抜け、倉庫群の密集する大通りを走っている。道の幅は広いが、河川に面して荷物の積載所も兼ねる裏通りの方がはるかに人の通りは多く、どこか閑散とした雰囲気があった。この通りには見覚えがあった。クァガイの商館まではもうほとんど距離がない。チャンスは一度しかなかった。
メッチが肩越しに彼女へ視線を送り、勝利を確信したように笑いかける。その瞬間サリュは口を開いた。
「クアル! 駄目!」
その演技に迫真さがあったかはともかく、声はメッチの動揺を誘った。狼狽も露に辺りを見回し、若い商人が身体の平衡を失いかける。走る速度が落ちたところにサリュは短剣の鞘を思い切り投げつけた。
願わくば頭に直撃しろと投擲したそれはメッチの横を過ぎて虚しく通りに転がった。石畳みに乾いた音を立てるその音と、視界に入ってきた異物に気を取られ、メッチの注意がひきつけられた。著しく速度が落ちた。
足を早め、サリュは一杯に右腕を伸ばした。宙を舞う布を掴む。思い切り握り締め、引っ張った。
「ぐぁ!」
着崩した防砂具の裾を引っ張られたメッチが転倒する。サリュもそれに巻き込まれ、中途半端な受身で通りを転がった。頭部を守りながら決して右手は離さず、顔を上げたすぐ側にメッチの顔があった。
互いに息を呑み、同時に動きだす。後ろ飛びに下がろうとしたメッチにサリュが掴んだ防砂具を引っ張って阻止し、態勢を崩したメッチが舌打ちと共に右手を振る。危険を感じてサリュが右手を離した直後、振り下ろされた短剣が石板を削った。鍔が広く、かわりに刀身の短い一風変わったその短剣を本来の持ち主へと向けて、メッチが油断なく立ちあがった。
サリュも左手に短剣を構え、腰を低く落として相対する。一歩踏み出せば相手に届く距離で二人は笑みのない表情を見合わせた。
「ひでぇな。ほんとに砂虎に襲われるかと思ったじゃんか」
「あなたなら驚いてくれると思ったわ。クアルのこと、怖がってたもの」
「ちぇ。誰だって怖がるだろ、あんなの」
サリュはわずかに口の端で笑った。間近に見た砂虎に怯えもせず、背中に乗った男児のことを思い出している。もちろん熱で意識が朦朧としていたせいもあるのだろうが。彼らは無事に集落に着けただろうか。さすがにまだ砂海の途上か。
「なんだよ。なんか嬉しそうだな」
意識を切り替え、サリュは目の前の商人へ告げた。
「――あなたが持っている、証拠の書類を渡して」
「渡せって言われて渡すと思うのかよ」
馬鹿にしたように鼻で笑う。サリュは訊ねた。
「どうしてわざと私に追いかけさせたの?」
相手の目尻が小さく動くのを確認しながら、続ける。
「どうして。あの洞窟で、クアルのことを砂賊達に伝えていなかったの。どうして私の喉を潰しておかなかったの」
「そうしておけばよかったのにっていう口調だ」
軽口を無視して瞳の奥を覗き込む。笑いの紗幕の向こう側に、男の本心を読み取ることはできなかった。
「あなたの目的は、何」
洞窟からこちら、目の前の男がとった行動は全て、自分に追いつかせる為の行動だった。それはわかるが、その理由がわからない。
「変なこと聞くんだな。それであんたのとる行動が変わったりするのか?」
メッチはからかうように言った。
サリュは答えない。男の言葉は正しかったからだった。まあいいけどさ、とメッチは肩をすくめた。
「俺の行き方とあんたらの生き方。わかりあえないんなら、選ばれるのはどっちだって話だろ。言ったじゃんか、恨みっこなし。それだけだよ」
「正々堂々と競争する為に、わざと私達を解放したって言うの」
サリュは呆れたように言った。実際、とても信じられないでいる。相手の裏をかき、騙すというやり口はまさに商人達の十八番だった。騙されたほうが悪い、見抜けなかったほうが悪い。つい先ほど、そうして彼女達を欺いてみせた男が、いきなり何を言い出すのかと思った。
「別にそういうわけでもないんだけどさ。それに、なんか勘違いしてるんじゃないの」
苦笑して、男は笑みを消した。
「別に俺、負けてやるなんて言ったつもりはないぜ」
「……慣れているようには見えないわ」
メッチの構える姿は、いかにもそれっぽく構えてみせただけという格好だった。腰が高く、容易に突けそうな隙が見え見えで、重心にも左右で偏りがある。失せ人を探す旅に出て一年、それなりに荒事を経験してきた彼女には、ほとんど素人同然にしか見えなかった。
「まあ、そりゃ切ったはったは専門外だけどな」
正直に白状して、男は不敵な表情で言った。
「やりようなら色々あるさ。――例えば。サリュ、あんたはいったいどうしてここにいるんだ?」
唐突な問いに眉をひそめる。
「どうして?」
「ああ。ユルヴ、あのお嬢様はわかるよ。部族の生き方――砂と共に生きる、ってやつ? その為に、自分達の誇りってやつの為に来た。ならあんたはどうなんだ。いったいどうして、ここにいる」
サリュは答えられなかった。
畳み掛けるようにメッチが続ける。
「答えられないのか? わからない? なんとなく? いいや、違う。あんたはちゃんとわかってる。そうだろ、――死の砂さん」
サリュが大きく目を見開いた。砂漠で野営した晩、ユルヴとの会話をメッチが聞いていたらしいことを思い出す。盗み聞きをしていたという事実をいっそ堂々と、男は嘲笑うように口にしてみせた。
「死の砂を、サリュ。そんな風に呼ぶところがあるんだな。あんたの名前でもあるわけだ。因果なもんだな。それで、あんたも“そう”ってわけ」
沈黙でサリュは応じる。
「あんたは俺を殺しにきたんだ。そうだろ?」
「……書類を渡して。そうすれば」
「そうすればなんだよ。そしたら殺さないであげる? それとも、殺さないでおける? おいおい、なんだよ。泣く子も黙る死の砂サマが、そんな適当なことでいいのかよ」
男の言葉は明らかに挑発的だった。それがあまりにもあからさま過ぎて、サリュはすぐに男の考えを看破した。つまりこの若い商人は今、言葉を武器にしているのだった。
息を吸い、吐く。サリュは口を開いた。
「――“私だって殺したくて殺すわけじゃない”って?」
サリュは息を呑んだ。彼女が言葉を吐きだすのに被せるようにメッチが言ったのは、細かい一言一句に違いはあっても、その意味するところは同じだった。
彼女の驚愕した表情を笑い、メッチは流暢な語り口で言った。
「俺さ、ガキの頃から他人の顔色ばっかり窺っててさ。貧乏で、親もなくて、そうでもしなきゃ生きていけなかったんだ。それで、なんていうのかな。他人の言いたいことがわかるっていうか、そういうトコあるんだよ。卑しい根性で身についた技ってやつ。まあでも、これが商人やっててもけっこう便利でさ。そのおかげで食いっぱぐれなくてすんでるようなもんなんだけど」
にわかには信じられない話を聞き、サリュは思い出す。野盗に襲われているところを巻き込まれたあの時から、確かに男にはそうした不可解なところがあった。まるでこちらの心を読んだかのように話を提案し、解決へと持っていく。自分の態度がそれほどあからさまだったのかとサリュは思っていたが、それは商人の得意な眼力によるものだったのか。
あるいは道中に見せるどこか抜けた行いも、それを隠すためのものかもしれなかった。あまりに鋭すぎる勘は、人に不審を招かせる。
「だから。はじめて会った時からさ、わかったよ。あんたが人殺しだって」
沈黙するサリュに男は言った。
「ま、でもそれはさ。砂海で殺すだの殺されるのだなんて当たり前だし。殺したことがないヤツなんて、殺されてるヤツだろうし。俺だって経験ないわけじゃないしね。ガキの時分から。けど、あんたはちょっと、見てて不思議に思ったんだよ。なあ、サリュ。あんたは一体、誰の為に殺した? 誰の為に、俺を殺すんだ」
そこで言葉を区切り。冷酷な瞳がサリュを見た。
「もしかしてだけどさ。――誰かの為に。なんて思ってたりしないか?」
言葉の刃が胸に突き刺さるのをサリュは感じた。
息苦しさをおぼえて、呼吸を忘れていたことに気づく。ひきつった咽喉で上手く呼吸ができなかった。か細く肺をあがかせ、ようやくの末に返した言葉は、自分でも驚くほど小さかった。
「そんなこと。思って……ない」
聞こえないようにメッチは自分の言葉を続ける。
「誰かの為に。それってようするに、誰かのせいで、ってことだよな。砂のせいで。死の砂って呼ばれるせいで。その名前のせいで。ちょっと他人と違う外見のせいで。そんな風に思ったことないか? 絶対にないって、そう言いきれるかよ」
サリュの脳裏に幾つもの光景が蘇った。
幼い頃の思い出。忌み嫌われ、蔑まれてないものと扱われた記憶。小さな砂虎。毒。水が枯れて、砂が吹いた。そこに現れた男、とても短く終わってしまった旅。人の肌の温かさと冷たい牢。小さかったクアルの体温。自分を囲む大勢の町の人。魔女、魔女。――魔女。
「うるさい……」
「でもそれってずるいよな。自分が悪くないって言ってるようなもんだし。誰かのせいなんだ、自分のせいじゃない。誰かの為なんだ、自分のせいじゃない――そう言い訳してるようなもんだろ」
月夜の晩。冷たかった河。熱かった砂。優しい笑顔。泣き顔。心に決めたこと、旅立ち。それからの出会いと別れ。
「人殺しは人殺しだろ。誰かのせいでも、誰かの為でも。それは、ちゃんと自分のものだって、そう思うべきなんじゃないかって思うんだよな、俺」
……小さな村の子ども。黄金色の夕焼け。血に染まった自分の腕、全身。少年が自分を見あげる、その黄金色の憎悪――
「うるさい」
男は黙らない。
「なんか、見てて苛突くんだよ。ほんとは殺したくないんです、こんなことしたくないんですー、っていうのがさ。酔っちゃってるっていうか。うん、あんまり好きじゃないや。ていうか腹立つ」
「逃げる為に殺して、逃げたから殺すんだろ。しまいにゃ、そんな私可哀想だなんていい出したら、もう手に負えないよな、実際。巻き込まれた方が迷惑だって話だよ」
「どうせ今までだって、そうやって他人のせいにして誰かを殺して逃げてきたんだろ。人探し? それも逃げるための言い訳じゃないのかよ。その探してるって相手にも、会ってどうするんだか。殺すのか? 殺されるのか? それでまた他人のせいかよ」
「――うるさい!」
サリュは怒鳴った。
烈火の如く怒り狂った双眸が、その二重の環を持つ異形さも相まって今や人をも呪い殺せそうな迫力をかもし出している。その彼女の激情を心の底から哂い、メッチが最後の言葉を言い放った。
「……あんまりさ。自分のこと、悲劇ぶらない方がいいぜ?」
意識が白化した。
気づけばサリュは短剣を振りかぶり、目の前の相手に襲い掛かっていた。
怒りにまかせたその動作はあまりに大振りで、微笑を浮かべた男がどれほど素人であろうと、その対処は容易だった。