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砂の星、響く声  作者: 理祭
 四章 強欲な商人
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「ユルヴ」

 空の器を持ったノカが二人へと近づいてきた。

 サリュはノカに駆け寄り、後ろで縛られた自身の両手を彼女に押し付けた。くぐもって声にならない声をあげ、視線で訴えかける。


「これを……外せばいいの?」

 驚きながら、すぐに意図を汲み取ったノカが取り掛かった。なめした蔓を幾重にも結っただけの簡単な代物だが、適当に縛られた分ほどくのに時間がかかる。一瞬毎の砂の流れを遅く感じるような心地でサリュは待った。

「――できたっ」

 開放感を覚え、その礼を示すより先に口を塞いだ布を引き剥がす。大きく息を吸い込んだのは、呼吸が苦しかったからではなかった。

 溜め込んだ全てを次の瞬間に吐き出して、サリュは指笛を吹いた。


 突然のことにユルヴとノカが顔をしかめている。強く息を吹けば大きな音が出るというわけではない、しかし自分にできる最大の音量で、彼女は澄んだ高音を鳴り響かせた。

 笛の音は果たして洞窟の外に届いているだろうか。その途中でそれを耳にしたメッチは、どんな表情をしているだろう。サリュにはそれが想像できるようだった。

「なんだ。いったいどうした」

 答えずにユルヴを見る。その両手も後ろ手に回されていた。

「ノカさん。彼女もお願いします」

「え? ええ、それはいいけれど。でも、あいつらに気づかれたら――」

「大丈夫」

 サリュは最後まで言わせず、頷いた。


 向こう岸で砂賊の数人が向かってくるのが彼女から見えていた。自由になった両手を見れば、勝手をするなと怒鳴りもするだろう。しかし、そんな恐れは必要ないことをサリュはすぐに確信した。


 風の音がした。

 洞窟の外から響いたそれは、実際には風の音ではなかった。彼女が聞くことのある、あの砂の声でもない。


 それは猛獣の雄叫びだった。


 応えるように、サリュは再び指笛を鳴らす。そのけたたましい音を聞き、渋面になった砂賊の一人が、亀裂の縁から口を開いた。

「おい。さっきから、うるさ……」

 男の言葉は続かなかった。実際には、男が発した以上の音量によって、たちまちにそれはかき消されてしまっていた。


 轟音が鳴り響いた。

 誰もが今度は風の音と聞き間違えることなどないような、聞けば必ず恐怖と不吉を感じるその音に、砂賊の男がぎょっと後ろを振り返る。果たしてその瞬間、サリュから見て右側の通り口から、それは姿を現した。

 黄色と白の縞模様の、人間の大人以上の体躯。砂海で最も恐ろしいといわれる猛獣が、半開きにした顎を威嚇するように歪め、周囲を睥睨している。


「砂虎!」

 野盗達の誰かが叫び、それが発端となった。サリュの目の前にいた男の姿が消えた。足を踏み外し、足を滑らせてそのまま亀裂へと転げ落ちていく。悲鳴が徐々に遠ざかり、途絶えた。それで火がついたように恐怖が増幅し、砂賊達は散り散りに乱れる。腰をぬかす者や外に逃げ出す者が続出した。


 砂虎はそれらを一顧だにせず自身の求めるものを見つけ、そちらに向かって四肢を駆けた。

 亀裂の存在など歯牙にもかけず軽やかに跳躍する。サリュの目の前に着地し、そのまま押し倒す勢いで抱きついて彼女に頬をすりよせた。

「砂虎だと……!」

 口元をひきつらせたユルヴが弓に手を伸ばそうとする。乱暴な愛撫でもみくちゃにされながら、サリュは手を上げて言った。

「ユルヴ、違うの。……大丈夫」


 この有様では襲い掛かられていると見られても仕方がない。サリュはクアルの鼻面を強引に押し返した。情けない声をあげて引き下がる砂虎を撫でながら立ち上がる。

 あっけに取られた表情でユルヴとノカ、その奥で目を丸くしている部族の家族達が見ている。なんと説明するべきか迷い、悩む暇などないことを思い出した。頷いてみせる。

「――待ってて」


 心持ちしょげて見える砂虎の頬を撫でて、今度はサリュからクアルに抱きついた。太い頸を抱えるように手を回し、耳元で囁く。

「クアル」

 彼女と長く旅をしてきている砂虎には、それだけで十分だった。

 人と砂虎が同時に駆け出した。ほとんど助走もない距離を経て、砂虎が伸びやかに後ろ脚を跳ねあげる。それに抱きつくようにして併走したサリュも同時に空を駆けた。


 砂虎と共に、彼女は難なく亀裂を飛び越えた。

「……ありがとう」

 顎を撫でる。気持ち良さげに目を細め、しかしクアルはいつものように喉を鳴らすことはなかった。そういう場合ではないということを理解しているのだった。低く構えた姿勢で、油断なく視線を周囲に向けている。

「てめえら、なにしてやがる!」

 男の怒鳴り声が響いた。


 砂賊の頭目が、狼狽しながら部下達を叱咤している。突然の邂逅に恐慌状態になった砂賊達がようやく落ち着きを取り戻しかけていたが、サリュは気にせず近くに落ちた渡し板へと手をかけた。

「お前ら。はやくあの女を――」

 わめきながら指で示したその行為が、頭目の残りの人生を決定付けた。

 指示ではなく、獣としての嗅覚でこの場において最も危険な相手が誰かを察知して、クアルがその男に襲いかかった。何人かが刃物を突き立てようとするが――大きく、重く、素早い猛獣の動きに、素人に毛の生えたような野盗が対処できるはずもない。蹴散らされ、踏みつけられる。人の壁を飛び越え、上空からクアルは飛び掛った。


 斜めに振り下ろされた爪に引き裂かれ、頭目の男は声もなく崩れ落ちた。

 砂賊の士気はそれで崩壊した。


 蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。再び起こった恐慌の気配を背中に、サリュは亀裂に渡し板を架けた。足場として安定しているのを確かめてから、向こう岸のユルヴ達へ声をかける。

「こっちへ」

 戸惑う様子のユルヴがノカと顔を見合わせ、家族を連れて渡ってきた。

「サリュ。お前は……」

 問いかける表情がわずかに青ざめている。


「ごめんなさい」

 サリュは言った。砂虎が戻ってくる。身体を擦り寄らせるクアルからぐるるるという喉の音を聞いて、彼女は既にこの近くには脅威がないことを把握した。

「……友達なの」

 端的に過ぎるその説明を聞いて、しばらく声を失っていたユルヴが、堪えきれないように息を漏らした。くすくすと笑い出す。顔を伏せ、肩を震わせた彼女が顔をあげると、目尻に透明なものが光って見えた。


「友達か! それなら問題ない。そうだろう、ノカ」

 からかうように、隣で蒼白になっている少女に言う。

「そうね。友達、だもの」

 気丈に頷き、それから苦笑した。

「……すごい友達ができちゃったわ」

「ありがとう」

 サリュは微笑んだ。目を瞬かせたノカが笑った。


「名前はあるの? この子は」

「クアルっていうの」

 自分のことが言われていると理解しているのか、ぴんと耳を立てた砂虎が行儀よくその場に座り込んだ。恐ろしげな容貌だが、口を閉じて顔を上向けてみせる仕草には愛嬌がある。

「……触っても、大丈夫?」

「ええ」

 恐る恐る手を伸ばそうとするのを、ユルヴが止めた。

「待て。新しい友人への自己紹介は後だ。すぐにナクイを集落に連れて戻らなければ」

 はっと思い出したように、ノカが言った。

「そうね。ごめんなさい、そんな場合じゃなかった」

「後でたっぷり撫でさせてもらえ。私はそうする。――集落の場所は、そう遠くまで離れてはいないはずだ。連中が、馬の一頭でも残しておいてくれればいいが……」

 ユルヴの馬は、サリュのこぶつき馬と共に町に預けていた。一度戻る手間もだが、今の状況で町に顔を出すことは危険だった。しかし、ノカやその両親はともかく、幼いナクイは歩くこともままならない様子だった。子どもを抱えて砂海を渡るほどの余力もないだろう。

 思案顔で腕を組むユルヴに、サリュが言った。

「大丈夫」


「何か考えがあるか?」

 サリュは視線を下げた。ユルヴもそれにならい、わずかに顔をしかめる。

「……疑うわけではない。疑うわけではないが、――大丈夫なのか」

「ええ」

 サリュは母親に抱かれた男児へ近づいた。熱に浮かされた眼差しで彼女を見る。自分の異形を怖がらないでくれるといいと内心で強く祈りながら、サリュは言った。

「おっきいけど。この子、怖くないの。背中に乗れる?」


 手招きした彼女に呼ばれたクアルが、ナクイの顔を覗き込んだ。怖がらせてはいけないとサリュがそれを止めようとする、その前に少年が微笑んだ。

「猫だぁ」

 ぺろりとクアルが舐めると、くすぐったそうに手をかざす。クアルが頬を擦り寄らせた。サリュはほっと息を吐いた。

「大丈夫みたいね」

 ノカが笑った。隣を見て、先ほどのお返しとばかりに笑う。

「羨ましそうね?」

「……何のことだ」

 仏頂面でユルヴが言った。


「ともかく。集落に戻るぞ。少しは日差しも落ち着いてきている頃だ。サリュ、お前も一緒に来てくれ」

「――私は、町に行くわ」

 ユルヴが眉をひそめた。

「気持ちはわかる。荷も馬もあるからな。しかし、一度集落に戻ったほうがいい。それから大勢で町に向かえる」

 サリュは首を振った。それでは意味がない。

「今すぐ行かないと、間に合わない」

「間に合わない?」


「部族の人達が大勢で行けば、町との争いになる。彼らの企み通りに」

「……クァガイか」

 頷き、サリュは続けた。

「この場所にはもう証拠は残ってない。持っていくって言ってたから。だから、追いかけないと」

 それが誰を指した言葉であるか、すぐにユルヴは気づいたようだった。


「彼もそれを望んでる」

 暗い響きを含めて、サリュは言った。


「あの男が? ……何故だ」

 自分の中の確信を上手く言語化できずにサリュは首を振った。

 しかし、そうだとしか彼女には思えなかった。交渉が失敗に終わった時の表情と別れ際の台詞。なにより、砂虎の存在を知った上で、自分に轡を噛ませただけで見過ごしたその事実が彼女にその直感を信じさせていた。彼は言った。――恨みっこなしでいこうぜ。


「……まあいい。確かに、あの男を捕まえれば連中の企みの証拠にはなるな。余計な火種を潰せるなら、それに越したことはない」

 部族の家族を振り返り、ユルヴが言う。

「ノカ。お前はその砂虎とともに集落へ戻れ。お前達が幕を張った、恐らくは東に半刻程度。集落はその辺りにあるはずだ。父様にこのことを伝えて、指示に従え」

「わかった。ユルヴ、あなたはどうするの?」

「決まっている」


 部族の少女の瞳に獰猛な光が宿った。

「証拠もだが、証人も必要だ。部族の誇りを汚した愚か者も、どうせ町に逃げ込んでいるだろうからな」

 異存はあるまいと言いたげにユルヴがサリュを見た。彼女の意思を予想していたサリュは何も言わず、砂虎へと近づいた。背にちょこんと部族の子どもを乗せたクアルを抱きしめ、囁きかける。

「護ってあげてね」

 砂虎は短く一鳴きして応えた。本当に言葉をわかっているのかもしれないと彼女が思うのはこんな時だった。重さも感じさせないほど小さな子どもを乗せたクアルの表情は、どこか誇らしげにも見える。微笑み、クアルとナクイの頭を順番に撫でて彼女は立ち上がった。


 砂賊達が逃げ出した根城のどこかから自分の弓を見つけてきたユルヴが、サリュに短剣を放り投げた。受け取って確かめる。彼女の短剣ではなかった。恐らくそれらを持っているのはメッチだろう。それもまた、彼からの暗黙の伝言かも知れなかった。預かっているから、取り返しにこいという。


 言われるまでもなく、またそれが勘違いであったとしても、もちろん彼女もそうするつもりでいた。あの二本の短剣は彼女にとって大切なものだった。

 手になじまない短剣の柄を握り締め、サリュはユルヴに向かって頷いた。

「行きましょう」



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