3
「サリュ!」
異変に気づいたユルヴが声をあげる。サリュの右手から短剣をもぎとり、メッチがそちらへと刃を向けて牽制した。
「貴様……!」
部族の少女は既に弓矢を番えている。シャコウがサリュの身体を盾に押し出した。笑みを収めたメッチはその影に隠れようとせず、傍らのサリュに短剣を押し当てた。
ユルヴが目を細め、言った。
「――それでわたしが弓を下ろすとでも?」
「下ろすさ」
メッチは見透かしたように唇の端を持ち上げる。
「あんたらって、自分達の戦いで部族の血が流れるのは許容できても、そうじゃない相手が傷つくのは嫌がるもんな。義理堅いっていうか。ほら、無理はしない方がいいぜ」
突きつけられた短剣がサリュの肌を刺し、そこから少しばかりの血が流れた。
「……サリュは、お前にとっても恩人のはずだ。自分の恩人に刃を向けるのか」
唸るように言うユルヴにメッチは当然と頷いて、
「礼は返したよ。きっちり契約分、本人も了承済みさ――それに。言ったよな? 俺」
後半部分の言葉は隣のサリュに向けられていた。哀れむような、蔑みの目線で見下ろす。
「こんなところで他人事にかまけてるなよって。とっととワームに向かってればよかったんだ。人の忠告を聞かないから、こんな目に遭うんだよ」
不自由な身体では飛び掛ることもできず、サリュは砂虎のように歯を剥いてみせることしかできない。首にはシャコウの腕が絡みついたまま、男の体臭に息が詰まり、苦しさが増した。
「あんた、相手が嘘を言ってるかどうかわかるんだよな。前に言ってたじゃないか。なら、俺が今どっちかわかるだろ?」
ユルヴへとからかうような視線を戻し、メッチが言った。
遠目にもわかるほど苦渋に満ちた表情で、ユルヴが弓を引き絞る。矢を放てないまま下ろした彼女にメッチがにこりと微笑んだ。
「悪いようにはしないからさ。大人しくしといてくれよ」
気づけば、通り口から砂賊達が姿を見せている。それぞれ刃物を持ち、警戒するように距離を詰めるその中から一人が進み出た。
「……仲間割れか?」
サリュがこの洞窟を見つけた時に、周囲に指示を出していた男だった。野盗の頭目。そういえば死体がなかった。上さえ生きていれば、集団の統率は失われはしない。そんな当たり前のことを思いつかず、倒した野盗達の顔を検分もしなかった自分の不覚を悟り、サリュは唇を噛み締めた。
「クァガイの人間だよ。なんなら身書でも見せるかい」
「その必要はねえが、説明はしてもらいてえな。仲間が何人もやられてんだ。これはいったいどういうことだ?」
「まあ、ちょっと理由ありでさ。説明はするけど、その前に」
面倒そうに頭をかき、男は亀裂の向こう側を指した。
「とりあえず、縛って牢に戻しといてくれよ。話はそれからでいいだろ」
疑うような眼差しでメッチを見て、頭目は周囲に顎をしゃくってみせた。
サリュの首から腕が抜けた。すかさず両手を後ろ手に縛り上げられ、それならばと、サリュは息を吸い込んだ。それを吐き出す前に彼女の喉元に短剣があてられる。
「やめとけって」
苦笑するようにメッチが言った。
「メッチ。あなた――」
「喉、つぶされたりしたら困るだろ。俺だってやりたくないぜ、そんなこと」
歯軋りしてサリュは口を閉じた。一か八か、大声を出そうとしていた彼女の考えを見抜かれていた。叫んだところで外まで声が届くかはわからないし、航路から離れた場所で誰かが偶然、それを耳にしてくれる可能性もまずないだろう。しかし、声が届けばそれを確実に聞いてくれる存在に彼女は心当たりがあった。
クアル、あの若い砂虎は必ず近くに待機しているはずだった。それをなんとか呼び込むことができれば――はじめから一緒に連れて来ていればと思い、考え直す。たとえクアルが側にいたとしても、メッチを止めることはできなかっただろう。問題は彼女の迂闊さにあった。
ならば、過去にとった行為を悔やむよりも、戦力がまだ外に残されていると考えるべきだ。あとは時機を図り、クアルへの連絡を試みる。野盗達に追い立てられて歩きながら、サリュは前向きな思考を心がけたが、すぐに直前の自分の行動を悔いることになった。
「あ、口に何か縛っといて」
抜かりがない。クアルの存在をメッチは知っているのだから、当然の処置ではあった。道中に見せた間抜けさはどこに忘れたのだと毒づきたくなり、それすらも擬態だった可能性を彼女は疑った。町で、あいつを信じるなとユルヴが言っていたのを思い出す。
睨み上げるサリュの視線をかわし、メッチが彼女の身体に触れた。全身をまさぐられ羞恥に頬を染める。腕や胸、腰から足首まで入念に触れた後にメッチが身を離した時、彼の手には一本の剣があった。サリュが隠し持っていたものだった。いたずらを看破したような素直な表情でメッチが笑う。
「やっぱり持ってた。そりゃ、武器があれだけってことはないよな」
手にした剣に視線を落とす。売り払う時の為の値踏みでもしているのか、それとも刀身が長く鍔のない特殊な形状を疑問に思ったのか。ひどく真剣な表情だった。
思案顔からサリュの自分を見る視線に気づいて、メッチが肩をすくめる。去っていく途中でその足が止まった。
「ああ。それから」
振り返り、若い商人は野盗達に言った。
「あの男の子に何か食べ物を。消化に良さそうなやつね」
指示を受けた男達が顔を見合わせる。不服そうな連中が言いかけるのを遮って、
「人質ってのはさ、生きておいてくれなきゃちっとも意味がないんだぜ。いいから早く。あんたらの頭目には俺から言っとくからさ」
そう告げた男には、有無を言わせぬ迫力があった。
部族の家族達と共に亀裂の向こう岸に押し込められ、渡し板を外される。後ろ手に縛られたサリュはその縁に立ち、バランスを崩して落ちてしまわないよう、慎重に下を見下ろした。
亀裂は実際の横幅以上の威圧感を伴って、暗闇が覗いた人間を誘うような恐ろしげな雰囲気があった。どの程度の深さかはわからないが、落ちてしまえば引っ張り上げることはまず不可能だろう。亀裂のこちら側、奥の空間には何人かが横になるほどの広さはあったが、亀裂前には助走をとれる距離もない。飛び越えて渡ろうと試してみる気にはなれなかった。
背後に人の気配を感じて、サリュはそちらを振り向くことができない。声がかかる。
「危ないぞ」
頷いて、サリュは一歩足を引いた。振り返った先で、壁に背中を預けて座り込んだユルヴが彼女を見ている。眉をひそめ、苦笑するような声が響いた。
「なぜそんな顔をしている」
頭を振り、サリュは情けない表情を恥じるように顔を伏せた。
自分のせいでユルヴ達を危険な目に遭わせてしまった。メッチを信じるなと、町の人間は信用できないというユルヴに、協力を求めるよう進言したのはサリュだった。
「お前が気に病む必要はない」
まっすぐな眼差しで部族の少女は言った。
「話を聞いたのはわたしだ。実際に行動したのも。わたしのとった行動は、全てわたしに責がある」
そこで微妙に口調をやわらげて、続ける。
「こっちにきてくれ。友達を紹介したい」
しかめ面を無理やりに持ち上げ、サリュは恥じる気分のまま彼女の言葉に従った。
「――ノカ」
弟の様子を見ていた部族の少女がやってくる。ユルヴよりだいぶ優しげな顔つきの、しかし意志の強さを感じさせる相手だった。ユルヴが言った。
「彼女がノカ。わたしと同じ日に生まれて、姉妹のように付き合っている。ノカ。彼女は、サリュだ」
「……サリュ?」
探るような視線を受けてサリュは目を伏せる。布防具を身に着けていない為、彼女の灰色の髪も、同じ色の瞳も、その中で二重に環を描いた異相までもが露になっている。それに加えてサリュという言葉の忌まわしさを知る者であれば、相手の抱く感情は見るまでもないことだった。――自分の名前を受け入れはしていても、それで怯え、不快に顔を歪ませる相手の顔をわざわざ見たくはなかった。
ノカという少女が立ち上がり、去っていった。慣れた反応に、それでも吐息が漏れそうになるが、口に布を詰められていてはそれすらできなかった。すぐに戻ってきたノカから、サリュの眼前に何かが差し出された。
「……顔をあげてもらえますか?」
穏やかに言われ、顔をもちあげる。少女の手にあるのは湿った手ぬぐいだった。サリュの頬にできた切り傷を拭い、穏やかに言う。
「ノカです。はじめまして」
怯えや敵意の一切ない表情だった。相手よりも、黒い瞳に映る自身の方がよほど怯えた表情でいるのに気づいて、サリュは顔を反らした。反らした先で、ユルヴが理由知り顔で言う。
「心配するな。ノカはわたしよりよほど肝が太い」
「どういう意味よ、それ」
「違うのか」
「違うわよ」
睨むようにしてから、ノカという少女はサリュに向かって微笑んだ。
「だって、ユルヴの友達でしょう。それなら私にとっても友達よ」
邪気のない顔で言われたサリュはおおいに反応に戸惑い、顔を伏せた。そんなことを言われたのは生まれてはじめてだった。理由もわからない恥ずかしさがあった。
「そんなことを真顔で言うから、肝が太いと言われるのだ」
鼻を鳴らしたユルヴだが、発言の内容を否定はしなかった。
「――とにかく。ノカ、会えてよかった」
「……ええ。来てくれるなんて、思わなかった」
「サリュがここを見つけて教えてくれた。……格好よく。とはいかなかったが」
「そうね」
ノカがくすりと笑った。サリュのように轡まではされていないが、ユルヴも両手を縛られている。とてもではないが、助けに来た、と胸を張れる格好ではなかった。
「それも天意だ。問題ない。……ナクイの具合は」
ユルヴに問われたノカは、形のよい眉を歪めて首を振った。
「良くないわ。ご飯も、水もあんまりもらえてないから」
「そうか。――教えてくれ。お前達を攫ったのは砂賊か?」
沈鬱な気分を払うように顔を上げ、ノカは首を横に振った。
「いいえ。確かに連中も一緒だったけれど。それを手引きしたのはロドリ族」
「……首魁は、やはり奴らか」
ロドリ。シャコウ達の部族の名前だった。
「彼らが一緒だったせいで、私も父さんも油断してしまって。すぐにナクイが捕まって。ろくに戦うこともできなかったわ」
物腰に柔らかさのある女性でも部族の人間らしく、口惜しそうに歯噛みする。
「他に攫われた人間はいるか? 他の部族達は」
ノカは首を振った。
「私達だけ。どこか他の別のところに連れられてるのかもしれないけど――」
「最初から、我々だけを標的にしていたと考えるほうが妥当か」
残りの言葉を引き継いで、ユルヴが呟いた。
轡を噛まされたサリュは会話に入ることが出来ない。ノカが応じた。
「部族が部族を売ったの?」
「それならそれで、私怨と報復でわかりやすいが。それだけではない。砂賊とロドリに関わりのある商会は、どうやらクァガイらしい」
それを聞いたノカが顔を青ざめさせた。
「私達と付き合いのある商会が、どうして……」
「わからん。本人が得意げに喋ってくれればいいのだが」
皮肉げに言い、ユルヴが視線を向ける。
亀裂の向こう側に、両手に碗を持ったメッチが立っていた。
「メシ、持って来たぜ。そっち行っていいかい」
しばらく待って誰も答えないことがわかると、肩をすくめて砂賊の男に渡し板をかけてもらう。亀裂の上を渡り、メッチは気兼ねしない様子でノカに両手を突き出した。
「ほい。水と、それからこっちは煮炊。味はどうかわかんないけど。食べさせてやって」
受け取るべきか否か、困った顔でノカはユルヴを見た。顔をしかめ、頷く。
「今さら毒でもないだろう。受け取っておけ」
「そんな手の込んだことするかって」
「……ありがとう」
苦笑する商人から碗を受け取り、ノカは頭を下げてから立ち上がった。弟の元へ走っていく彼女を見送って手を振るメッチを刺す様な眼差しで睨み、ユルヴが言う。
「何の真似だ」
「別になんだっていいだろ」
「いいわけがない。貴様ら商人が施しをする時は、必ず見返りがあるはずだからな」
「ま、そりゃそうだけど」
髭の薄い顎を撫でて、男は言った。
「死んだ人間は金を稼がないってだけだよ。別に、俺はあんた達に恨みがあるわけでも、殺したいわけでもないし」
「こちらにはそのどちらもあるがな。後ろにおあつらえ向きの深い穴が開いていることを忘れるな」
脅迫じみた言葉を、メッチは涼しい顔で受け流した。
「それで気が済むならやればいい。けど、言ったろ。俺はそれも含めての人選、ようするに捨て駒だよ。そんなことをしたってあんたらの立場は変わらない。そういうのを俺達は生産性のない行為って言うんだよ。商人じゃ、一番馬鹿にされることさ。部族の人間だって言うだろ。砂漠に水を撒くとか。言ってる意味、わかるだろ」
不快そうに、しかし男の言葉を否定できずユルヴが沈黙する。
「あんたらもどういう状況かまるでわかってないだろ。俺も、連中から話を聞いてようやく把握できてきたところでさ。それを話に来たんだけど、聞くかい? 無理にとは言わないけど」
ユルヴがサリュを見た。サリュは頷いた。今は、少しでも情報を引き出しておく必要があった。恐らくは、会話をするということ自体に相手の何かしらの意図があるとしても。
「……言ってみろ」
ユルヴが言った。どこまでも相手に媚びる気配のない声だった。
「ようするに商売の話なんだよ」
小さく笑い、メッチは語りだす。
「町と部族の人間が、大なり小なりつきあいをもってきたのは知ってるよな。部族からは食料とか毛皮、刺繍縫製なんか。町からは工業品や日用雑貨。まあ色々と問題を起こしたりしながら、町と部族は微妙な天秤で関係を続けてた」
男は講義をする口調だった。
「その関係が崩れた。原因は――新しい水場さ。あるかどうかもまだわかってないけどね。もしそれがあったら人の生活圏は大きく変わる。当然、そうしたら交易圏もさ。俺達商売人にとっちゃ、願ってもないことだけど、一方でそれを嫌う人達もいる」
そこで一度言葉を区切り、ユルヴを見る。
「新しい航路なんていうのは、要は早いもの勝ちさ。東で見つかったっていう水場は、もう他の手がついてる可能性が高い。でも、そういう水場が湧いたってことは、まだ他にもあるかもしれないだろ? リスールから北の枯渇地帯のあたりにも水源が見つかるかもしれない。もしそれで、新しい航路の中継点になれるようなオアシスをそこに作れれば。そこに入ってくる利益はとんでもないものになる。俺達は――俺達の商会の上は、それに目をつけたんだ」
商会の上。サリュの脳裏に一人の男の姿が浮かんだ。それを察したのかどうか、メッチは頷いた。
「アベド館長は古くからつきあいのある部族に声をかけた。砂海のことについちゃ、近所を遊牧する部族以上に詳しい人間はいないからな。道案内に、水場が湧いていそうな場所を選ぶのにも、部族の協力は不可欠だ」
ユルヴが鼻を鳴らした。話が読めたという素振りだった。メッチは言った。
「部族の長はそれを断った。わかるだろ、あんたの父親のことだよ」
「当たり前だ」
「……アベド館長も何度も話を持ちかけたらしい。けど、長は決して頷かなかった。まあ、わからないでもないさ。自分の縄張りを侵されるのは、誰だって嫌だもんな」
わかった顔でメッチが言うのに、ユルヴが歯を剥いて唸り声をあげた。
「貴様達と一緒にするな」
「違うのかよ? まあいいさ。それで、うちの館長は困った。部族の協力は得られそうにない。でも、大儲けの機会をみすみす逃すわけにもいかない。それで考えた。で、思ったわけさ――部族は、他にもいるってね」
「……ロドリ・カミ。それで奴らか」
そういうこと、とメッチは頷いてみせる。
「連中、交易に手を出すのが周りよりだいぶ遅かったせいで、町との交易でもかなり苦労してたみたいだな。そういう流れをつくった部族、つまりあんたらにも恨みを持ってた。あんたらより扱いやすい、砂海の知識が豊富な部族を探してた俺達と、あんたらに成り代わりたいって思ってた連中の利害が一致したってわけだ」
「ノカ達の誘拐は。あれもお前達の企みだろう」
「この辺りで一番、勢力の強い部族はアンカ族だ。それを、昔はどうだか知らないけど、今じゃ数も減ってきてる落ち目のロドリ族を台頭させようってんだ。町からちょっかいをかける理由が欲しかったんだよ。あんたらが怒って、町に喧嘩を売ったりするように」
そこでメッチは可笑しそうに笑った。
「でも、それでまさか族長の娘が乗り込んでくるとは思わなかっただろうぜ。館長、内心で死ぬほどびびったはずさ。……ほんと、なんであんたを寄越したんだろうな。きな臭いってことくらい、わかってたはずなのに」
ユルヴは黙して答えなかった。メッチは肩をすくめる。
「ま、いいけど。でも、あんたは何も話をわかってないみたいだったから、アベド館長はそれを利用できないか考えたんだ。あんたからアンカ族の長に話を通してそれまでの意見を変えてもらえるなら、それが一番平和だしな。わざわざ今までのお得意様を切り捨てる必要もない」
ああ、とサリュは今この場にメッチがいる理由を悟った。それと同時に、言いようもない不快感を覚える。
「なるほど。結局奴らも、ただの当て馬か」
ユルヴが酷薄な笑みを浮かべた。サリュと同じく、相手の思惑を理解した表情だった。
「俺が言いたいこと、わかってくれたみたいだな」
メッチが言った。真剣な表情でまっすぐにユルヴを見据え、
「まあ、そういうこと。確認したわけじゃないけど、館長の意図はこれだって確信があるぜ。――あんたから、父親に話をつけてもらえないか? そうしたら、あんたも、あの家族も。ここから無事に帰してやれる。契約書を書いたっていい。誓うよ」
商人としての態度で告げる。そこには確かに彼なりの誠実さがあるとサリュは認めた。商人にとって、交渉と契約は絶対的なものだ。様々な手練手管で相手の裏をかくことはあっても、彼らは一度正式に取り決めた契約は必ず果たそうとする。何故なら、商人という業の深い職業の、畜生とも蔑まれる彼らの誇りを維持するのは、ただその一点のみであるからだった。
その商人としての誇りをもって告げられた台詞に、対する返答は簡潔だった。
「断る」
一時の感情に支配されて出された答えではなかった。サリュより年下の、ひどく短気なところがある部族の少女はその時、口元に穏やかな笑みさえ浮かべている。
「お前の言葉には嘘はない。ならばこそ、わたしアンカ族の長セオイカの子、ユルヴも答えよう」
威厳すら感じさせる口調で、ユルヴは言った。
「商人、お前は思い違いをしている」
「……思い違い?」
「お前が説いているのはどこまでも利だ。理ではない。道理ではなく、利益が思考の根本にある。黄金と共に生きる、それがお前達という生き方だろう。それを否定はしない」
だが、と続ける。
「我々はそうではない。我々と共にあるのは黄金ではないからだ。商人、お前は言ったな。縄張りを侵されるのは嫌だろうと。我々はそんなことを言っているのではない」
顔をしかめ、メッチが言った。
「じゃあ。何が理由なんだよ。どうして水源を探すのに協力できないなんて」
「――水が枯れるのには、枯れるだけの理由がある」
ユルヴは言った。
「枯れたなら、それが天意なのだ。新しい水場を探し、人が集まり、その果てに生まれるものはただ争いだけだ。商人、それでもいいとお前達は言うだろう。自分達が潤うのならそれでいいと。しかし、それでは砂が悲しむ。砂はそんなことを望んではいない」
メッチがわずかに眉をひそめたのは、ユルヴの語り方が、まるで身近な誰かを慈しむような口調だったからだった。サリュも同じ感想を抱き、隣を見た。気づいた様子もなく、ユルヴは続ける。
「商人、お前は町で言っていたな。砂をも黄金に変えてみせると。その話ならわたしも知っている。だが、それにはまだ続きがあったはずだな。お前達はいったいどうやって、砂を固めて黄金にする」
渋面になったメッチが、押し殺した声で答えた。
「……血だ。商人は、砂に自分達の血を垂らして――黄金に塗り固める」
「当然、お前達以外の血もそこには含まれる」
ユルヴの声は非難しようとするものではなかった。哀れむような響きがあった。
「それがお前達だ。お前達が利で生きるというなら、わたし達は誇りで生きる」
は、と小さな笑い声が響いた。
「そんなものが、なんの役に立つってんだよ」
メッチの言葉に強い感情がこもった。商人としての仮面の縁から、若者らしい直情的な素顔が現れている。
「誇りだって? そんなもんで食っていけたら、誰だって苦労なんかしやしないさ。生きるのには金が必要なんだよ。人間が人間らしく生きるためには、金が必要なんだ。顔色をうかがって、薄汚い連中に尻尾振って。そうしなきゃ誰だって生きられやしない……!」
「そこに誇りがあるなら、それでよいだろう。それを問うのはわたしではない」
ユルヴは言った。
「ふざけんな!」
怒号が洞窟に響いた。部族の家族や、向こう岸にたむろする砂賊達までもが振り返るほどの声だった。はっと自分の行為に気づき、メッチが声を抑えて言った。
「死ぬんだぞ。あんたら。このままじゃ利用されて、それから殺されるっていうのに、誇りも何もあるかよ」
「……どうして父様がわたしを送り出したか、さっき不思議に思っていたな。教えてやろう。わたしがどうなろうと、それで答えが変わることなどないからだ。天意に従う以上、わたしの選択と父様の選択は決して違わない。意思を変えるなど、そもそもありえないことなのだ」
「誇りを胸に、死ぬってのか」
呻くような問いかけに、然りと頷く。
「それが天意なら。そして、同じく天意を抱く者がお前達の前に現れるだろう。お前達の持たぬ矛を手に携えて、必ず報復に訪れる。それが部族というものだ」
「……理解できねえ」
首を振り、メッチは溜め込んだ空気を全て吐き出すような深いため息をついた。頭をかき、鋭い視線をサリュへ移す。
「――あんたも、そうなのか?」
どうだろうか。ユルヴの言葉はユルヴのものであって、彼女達の生き方も彼女達のものだった。決して自分とは違う。ただ、共感するところはあった。元々がサリュの口は自由ではない。答えられる状態でもなかった。
返答に代わり、サリュは二重の環を輝かせて、暗い表情を見せるメッチをまっすぐに見据えた。
「……そうかよ」
視線から何を拾い上げたのか、若い商人は肩を落とした。再び、深いため息をついて、立ち上がる。
「わかったよ。なんにもわかりやしないけど、わかりあえないってのが。わかった。あんたらの言うとおり、他人の生き方に口出しする権利なんかないしな」
覚悟を決めた眼差しで二人を見た。
「俺は、俺の生き方しかできない。謝りも、言い訳もしないよ。俺はこれから町に帰る。証拠になりそうなものはまとめて引き上げて、館長に報告して今後のことを任せて俺の仕事はおしまいさ。あんたらとも、もう会うことはないだろうな」
一息に言い切って瞼を閉じる。次の台詞を吐き出す瞬間、わずかに表情が歪んだ。
「どっちにしたって、恨みっこなしでいこうぜ。……それじゃあな」
それきり一度も後ろを振り返らず、男は去っていった。
その背中を見送るサリュの脳裏に不意に閃くものがあった。
彼女が立ち上がった時、すでにメッチは向こう岸に渡り、渡し板は取り払われてしまっている。轡のはめられた状態では声をあげて引き止めることもできず、サリュにはただ男の背中を見守ることしかできなかった。