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砂の星、響く声  作者: 理祭
 四章 強欲な商人
41/107

 洞窟は、地質の断層が作り出した天然の代物だった。

 乾いた空気と砂塵が舞う中を、サリュは足音を殺し中腰で進む。その次に矢を番えたユルヴがすぐに弓を射られる姿勢で続き、最後尾に轡を噛ませたシャコウを連れてメッチがついた。メッチも護身用の短剣程度なら持ち合わせていたが、実際の戦力は前を進むサリュとユルヴだけと考えてよかった。


 洞の幅は二人が並んで通れるほどには広い。互いに斜めにずれて先を進みながら、サリュは押し殺した息を吐いた。今のところ、野盗達と出くわすことはなく、潜入も気づかれてはいない。ほぼ一本道なのが幸いしていた。

 入り組んだ地形で土地勘もなければ、挟撃の恐れが高まる。内部にほとんど手が加えられていないようにみえるのは、下手に手を出せば洞窟自体が崩れる危険があるからだろうが、砂賊が住み家に選ぶからには相応の広さがあると考えるべきだった。襲撃への対処にまで頭が回っているかどうかまではわからないが、可能性は捨てるべきではない。どこか違う出口までこの道が繋がっていることも十分にありえた。


 あるいは一気に制圧するべきか。その場合、二人ではいかにも戦力が不足してしまうが、クアルを呼べばそれも解決する。しかし、その為にはまずユルヴにクアルの姿を見せておく必要があった。

 砂海の猛獣に、もちろん遊牧の部族が好意を抱いているはずがない。多少は自分のことを信じようとしてくれているように思えるユルヴに、いらぬ想いを抱かせてしまうだけかもしれなかった。ただでさえメッチの商会に立ち寄ったことで時間をとられ、苛ついた気分でいたユルヴを相手に時間をかけて紹介する余裕がなかったのは確かだが、サリュの方でも積極的にそうしようと意欲があったわけでもない。その理由を彼女は他人事のように把握していた。ようするに我侭に過ぎないのだろう。殺すのは自分だけでいいという。


 奥から何者かの声が響いてきた。特に偲ばせようと注意を払っていない足音と、会話。声に切迫した気配は薄かった。少なくとも二名以上の気配が近づいてくるのを確認して、サリュは手に持った松明と近くの壁の松明を転がし、ユルヴとメッチに合図してあとずさる。幾らか下がったそこにあった灯りは地面に置き、足で砂をかけた。


 火元が失せ、周囲の暗闇が強まった。

 いつでも駆け出せるよう姿勢を低く保つ。サリュの隣でユルヴが狩人の眼差しで弓を構えた。シャコウが呻き声をあげ、メッチが嫌そうに刃物をあてて黙らせる。

 うっすらと先の暗闇に灯りが差し、人影が揺らいだ。野盗の姿が現れる。鋭く空気を裂く微音を残して矢が放たれ、悲鳴とともに前方の灯りが地に落ちた。この視界の悪さで急所を狙うのはさすがに難しい。つまりは幸運に恵まれてきた潜伏もここまでだった。


 サリュは暗闇を駆けた。うずくまった男と、相方に視線を落とした男が顔を上げる前に、彼女は至近まで近づいていた。

 身体ごとぶつかるようにした手に鈍い感触を得る。わき腹に差し込んだ短剣を捻ると、絶叫が洞窟内に反響して鼓膜を震わせた。ほとんど痛みすら伴うような音量を無視して短剣を引き抜き、視線を移す。腕に矢を生やした男が、目尻に涙を貯めていた。


「てめえら、いったい――」

 無言で、彼女は血に濡れた腕を振るった。


 洞窟の奥へと向き直る。悲鳴は洞窟中に響き渡ったはずだった。すぐに来るだろう後続に備えて、サリュは少し進んだ先に見えた窪みへと身を潜めた。

 硬い地面を駆ける音に被せて怒号が響く。

「おい、どうしたっ」

 二人がサリュの存在に気づかず通り過ぎた。間をおかずに生じた悲鳴でユルヴの第二射を知り、飛び出す。砂賊達の身体でユルヴの射線から身を隠しつつ、仲間に駆け寄った男の背中を一突きした。もう一人がサリュへと向き直ったところをその背後から近づいたユルヴが襲い掛かる。


 立て続けに四人を無力化し、サリュは更なる増援の気配に注意を向けた。あと半数の存在は、しかし一向にやってくる気配がない。違和感を覚えてユルヴを見る。同じ感想を抱いたらしい少女が頷いた。

「急ごう」

「……ええ」

 歩き出す。後を追うメッチは、もはやかける言葉すらなくしたようでそれに続いた。


 しばらく進んでも、野盗達の気配どころか物音さえなかった。静まり返った洞窟に不気味さを感じ、サリュとユルヴの足は自然と急いだものになる。曲がりくねった道を行くと、幾らか開けた場所が彼らを出迎えた。灯りが焚かれ、周囲には卓や椅子などが散乱している。人の生活する名残は数多いが、砂賊達の姿はなかった。


 逃げた? 奥に繋がる通路を見ながらサリュは考えた。相手もまさかたった三人がやって来たとは思わないだろうから、不意の襲撃を受ければそうしたこともあるかもしれない。それならそれで面倒がなかった。

「――ノカ!」

 半円状に広がる空間の一方の壁際に、怯えるようにして身を固める数人の姿があった。いずれもユルヴと似たような格好をしたその中の一人が、一歩前に出た。

「ユルヴ……!」

 年頃はユルヴと同じ頃の、やや幼い容貌の少女の身体が平衡を崩したように揺れ、それを背後から支えられる。


 彼女達の前に深い地面の亀裂が深遠を覗かせていた。幅が一丈以上もあるその穴は人間の跳躍力では超えられそうにない。亀裂によって隔離されたその奥は、まさに柵を必要としない牢獄というわけだった。

 近くに投げ捨てられた渡し板にユルヴが駆け寄っていく。人死にに慣れていないのか、顔色を悪くしたメッチがサリュへと近づいてきて、言った。

「ようするに、どういうことなんだ? 捕まってたのはアンカ族だけで、こっちは狂言だったってことか?」

 引き連れたシャコウを顎で指しながら言う。サリュは首を振った。

「それは、その人に聞いてみないとわからないけれど。……どこかの商会との繋がりがわかるような証拠とか、残ってたりはしないかしら」

「野盗がそんなマメなことしてるもんかねえ。……ま、そういうのも含みで館長は俺を同行させたんだろうけどさ。ちょっとその辺り探してみる」


 ユルヴ達の今後の安全の為にも、メッチ達には町での後始末を上手くつけてもらわなければならない。気安く手を振りながら歩いていく若い商人の背中を見送り、サリュはユルヴの様子を窺った。亀裂に板を渡すことに成功し、仲間達をこちら側へ移動させつつあるのを確認してから、改めて二箇所の通り口へと意識を向けなおす。


 そこから何者かがやってくる気配はいまだない。しかし、砂賊達が逃げ出したのだとしても、時間をおけば態勢を立て直して戻ってくることは確実だった。奇襲と攫われた人々の救出に運良く成功した以上、すぐにここを出るのが正しい行動だろう。メッチの証拠探しも重要ではあるが、それほど時間はかけられない。

 メッチはシャコウから何か聞き出そうとしているらしく、轡をとって問い詰めているようだった。そちらは彼に任せることにして、サリュはユルヴ達へと近寄った。


 攫われていた家族は四人だった。壮年の夫婦とノカと呼ばれた少女に、歳の離れた見かけの男児。全員が衰弱しているが、特に男児の様子が心配だった。母親に抱かれたままぐったりともたれかかって浅い呼吸を繰り返しているその子の様子をユルヴが見ている。

「……どんな具合?」

「――悪い。水だけは与えられていたようだが。……すぐに集落へ連れ帰らなければ」

 腰の水袋を飲ませながら、怒りに震える声でユルヴが言った。

 やはりすぐにここを出なければ。サリュは通り口に駆け寄った。覗いた先には点々と松明が壁に掛けられてある以外、気配はないが――ふと遠くの灯りが揺れたように思えて、サリュは目を凝らした。しばらく見て微動だにしないので自分の錯覚かと思い、念の為に地面から手ごろな石を拾って奥へと放り投げてみる。


 風もなく、炎が大きく揺れた。


 舌打ちして、サリュは反対側の通り口へと走った。そちらではもっとはっきりと、遠くに人影らしきものが揺らめいているのを見ることができた。――囲まれている。

 一旦、外に退いた上で態勢を立て直し、両方から反攻する。土地の利を生かした上手いやり方だった。さすがに根城にしていただけのことはあるらしい。

 サリュは忙しく頭を働かせた。こちらの戦力は二人、メッチを入れても三人。体力の落ちた部族の家族は数に入れられない。この場に立て篭もってどうなるものではなかった。二方向から攻められればとても支えきれない。砂賊達がやってくる前に、どちらかの道を強引にでも突き進むしかなかった。


 来た道ともう一方なら、選ぶのは当然、そこがどういった道かだけでもわかる前者だった。少しでも時間を稼げるよう近くにある物で障害を作り、片方の出入り口を封鎖しておこうと考え、サリュは手を借りるためにメッチへと向き直った。

 眉をひそめる。深刻な事実に気づいたような表情で、メッチはその場に固まっていた。


「――どうかしたの」

 声を掛けながら、サリュはメッチへと歩み寄った。はっと我に返った様子で若い商人が顔を上げた。メッチの顔色は、先ほどよりもいっそう青ざめているように見えた。

「いや、なんでも。――ない」

 男が手に羊皮紙らしきものを持っていることに気づき、視線を落とす。その途中、シャコウが暗い笑みを浮かべて俯いているのがサリュの視界を掠った。

「……それは?」

「いや。これは――」

「見せて」


 シャコウの態度もだが、メッチの様子がサリュには気になった。何かよほど不味いものを見つけたのか、怯えるように手に持ったものを胸元へ引き寄せる相手に詰め寄る。

 眉間に皺を寄せ、メッチが大きく息を吐いた。

「……わかった。でも、あっちのお嬢様にはちょっと見せられない。できれば、こっそり見てくれよ」

「見せられない?」

「ああ。少なくとも、今は――マズい」

 どういう意味だろう。疑問に思いながら、サリュはメッチから羊皮紙を受け取った。薄汚れた紙片に崩れた字が並んでいるそれは、品物の売買に関する契約書のようだった。水や、幾つかの食料の品名。そうした書類の形式について詳しくはないが、特にどうというものではない。むしろ気にするべきなのは、その書類がどことの間に交わされたものかだろうと思い、斜め読みにそれらしき箇所を探そうとして、


「――くはっ」


 息ごと吐き出すような、くぐもった笑い声が響いた。

 その声はサリュの至近から発せられていた。目の前のメッチのものではない。身の危険を感じ、サリュが右手を振るおうとする前に、既に相手は動いていた。


 反射的に切り上げた短剣を掻い潜り、背後から太い腕を蛇のように首へ回される。そのまま絞められるのを、間に左手を入れてなんとかぎりぎりのところで最低限の気管の自由だけは確保した。万力のような力がかかり、手首ごと潰されそうな激痛にサリュは顔を歪める。

 相手は両手で首を絞めてきている。抗えるはずがなかったが、その代わりにサリュの右手は自由だった。短剣を背後の襲撃者へと切りつけようとして、誰かの手に抑えられた。


 誰かの手。今まさに、両手で首を絞められているのに? そもそもが、後ろの誰か――シャコウだということは、考えるまでもない――は、両手を縛られていたはずだった。それが自由になっていたのは何故だ。

 焦りと痛みで思考が定まらず、苦悶の表情を浮かべたサリュは、目の前のメッチがひどく冷静でいることにようやくになって気づいた。捕まれた自分の右手を見る。それを掴んでいるのはメッチだった。

「何、を――」


「悪い。俺もさ、びっくりしたんだけど」

 羊皮紙をとりあげ、男は大きくため息をついた。

「ほんとに知らなかったんだ。道理でおかしいと思ったんだよ。アベド館長が、なんで俺なんかを同行させるのかってさ。――まあ、こういうこと」

 サリュの眼前に突きつける。羊皮紙の最後に、砂賊達からの注文を受け、その品物を用意した商会の名が記載されている。どこかで見た覚えのある文字。

 クァガイという綴りが、サリュが懐に持つ手紙と同じ筆跡で踊っていた。


「判断を間違えるな。自分が選ばれた理由を考えろ。――そりゃそうだ。こんなの、俺にしか出来ないよな。あの人が、若手に儲けさせてやろうなんてそんな甘ったるい人情で同行者を選ぶはずがないんだ。俺達商人はいつだって。自分の利益だけが一番、大切なんだからさ」

 黄金色の業欲に双眸を焦がした若い商人が血色の悪い顔に浮かべたのは、むしろ晴れ渡るように快活な笑みだった。



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