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砂の星、響く声  作者: 理祭
 四章 強欲な商人
40/107

 南岸へ渡った二人が訪れた商館で、館長を務める壮年の男は二人をにこやかに迎え入れた。その表情が一転したのは、ユルヴから短い一言を告げられた直後である。


「砂賊のもとへ行く」


 サリュは外套の奥で苦笑するしかない。確かに告げるだけでいいと宿で言ったが、これでは相手への配慮も何もあったものではなかった。

 短い言葉が意味するものを考えてか、しばしアベドは思案の表情で黙り込んだ。奥の個室に茶を持ってきた若い女性の去り際に声を掛ける。

「メッチの奴を呼んでくれ」

 サリュは入館の際、何名かの商人の中でこちらを見ていた視線を思い出した。若い商人は彼女達を見て驚きつつ、他の商人と同じく油断のない眼差しを向けていた。


 静かに目礼した女性が去り、アベドが息を吐いた。

「随分いきなりだが。何の為にってのは聞くまでもないな。どうやって奴らの住み家を? いやまあ、こちらでも町の近くだろうってな探りくらいはついてるが」

「そんなことはどうでもいい」

 一言でユルヴは切って捨てた。サリュとの取り決めを守った以上、少しでも早く話を打ち切りたいと考えていることがわかる態度だった。場所を知っているのがサリュだけということもある。

「住み家に見張りがいた。あるいは攫った人間が逃げ出さない為だろう」

「……それだけじゃあ、少しばかり性急な気もするが。用心深い砂賊なら、歩哨くらい立ててるかもしれんだろう」

「それを確かめに行くのだ」


 アベドは苦い表情で笑った。ユルヴが訪れた目的が、交渉や折衝の類ではないことを理解したようだった。伝聞の形式をとらずに話を進めるユルヴの意図を考えたサリュも、あえて口を挟まずにいた。

「なるほど。まあいいさ。それで、砂賊達の巣にたった一人、二人で乗り込もうと? 部族の人間の勇猛さは知ってるが、にしたって無茶すぎやしないかね」

「できないことをするつもりはない。もし失敗したなら、それも天意だろう」

「なるほど」

 諦めの吐息と共に繰り返し、男は表情を改めた。


「話を聞く気はない、と。一方的な通告をわざわざ貴重な時間を使ってまでしに出向いてくれたその事に、まずは商館を預かる者として感謝しよう。話を知っているだけで、こちらとしてもだいぶ違う」

 アベドはサリュを見た。部族の少女にそれをさせた者が誰かわかっているのだった。

「その上で、つきあいのある商会として言わせてもらうなら、慎重に進めるべきだというのが正直な意見ではある。領主との話もまとまりかけて、商会同士の根回しも上手くいきそうな今、おいおい、ひっかきまわしてくれるのか――という思いもないわけじゃない」

「聞かないというのはわかっているのだろう」

「そうだな」

 笑い、男は卓上に膝をついた。顎を乗せ、凄みのある表情になる。

「まあ聞きな。今の商談が不味くなりそうなら、次善の手を考えるのが商人だ。さっきはああも言ったが、商人同士の根回しなんざどうとでもなる。全てあんたらが勝手にやったことだ、と言えば事足りるからな。まさか、それを非情だなんて言わないだろう?」

「わたしが勝手にやることだ。行動の責はもちろんわたしにある。……話が長い。結論を」

「ああ、つまりだ。俺達の商会の人間も、一人ついていかせてもらいたい」


 間を見計らったように扉がノックされる。姿を現した若い商人が、きょとんとした表情で立っていた。そちらを見、すぐにアベドへと戻して、ユルヴが問う。

「何の為だ」

「もちろん、我々の利益の為さ」

 アベドは言い切った。

「あんた達の手助けがしたい――なんて人情話じゃあないのさ。残念ながら。砂賊とつきあいのある商会の尻尾をつかめば、それをネタに相手を強請ることができる。商会を潰すまでは無理だろうが、幾つかの商権と引き換えに、ってので手打ちにすることくらいはいけるだろう。あんたらの抜け駆けは、我々にしたって願ってもない機会になる」

「黄金に取り付かれた輩の手助けをするつもりはない」

 不快そうにユルヴが言った。男は気にした素振りもなく、

「だが、町の人間がいるだけで後始末は随分楽になる。その辺りはこちらで責任をもってやらせてもらうからな。あんたらも、要するにそれを期待してわざわざ来たわけだろ?」

 見透かした眼差しで笑いかけ、男は続けた。

「もちろん、こっちはこっちで、あんたらに勝手についていくってことでいい。全力で守ってやってくれなんて甘えたことは言わないさ。功をあせった若い商人が、商会の意向を無視して同行しちまう――そういう話でどうだ」


 アベドが視線を向けた。つられるようにユルヴとサリュも顔を向けるその先で、渋面のメッチが口を開いた。

「話がわかんないんですけど。とりあえず、俺は捨て駒ってことですよね」

 ユルヴの襲撃が失敗に終わった場合、同行した人間の命は当然危うい。そして、その商人の行動について商会は認知しないという立場をとるということだった。アベドは鷹揚に頷いてみせた。

「ま、そういうことになるな」

「……思ってても、本人の前では否定して欲しいもんですけどね」

「何をぬかす」

 アベドは言った。

「お前、こないだ言ってただろう。手荒く稼ぎたいって。これはチャンスだぞ」

「わかってますよ。もうちょっと言い方ってもんがあるんじゃないかってことです」

 親から説教を受ける子のように口を尖らせる若い商人に、アベドは大きく鼻を鳴らした。

「なら、どうする。別に受けなくてもかまわんぞ。一発あてる機会を狙って、儲け話に目をギラつかせてる連中は表にいくらでもいるからな」


「受けないなんて言ってないでしょ」

 メッチが言った。その眼差しに黄金色の灯火が輝くのがサリュには見えた。

「なんか知りませんけど、やりますよ。成功したら、つまり手柄は俺ってことなんでしょう?」

「そういうことだ」

 言質をとり、メッチは満足げに頷いた。首をかしげる。

「で? 何をやればいいんですか」

「なに、難しい話じゃない。ちょっとしたピクニックさ、野盗の住み家までな」

「……正気かよ」

 絶句したメッチが、無理やり押し出すように言った。ユルヴが眉一つ動かさないのに嘆息して、サリュを見る。サリュも無言で見返した。含みのある声でメッチが言った。

「――まあ、やり方次第じゃ無茶じゃあないかもしれませんけど」

「ほう。頼もしいじゃねえか。まあ、命がけだが、命を捨てろとは言わん。そういうのはメッチ、お前得意だろう」

「どういう意味ですか」

 苦笑しながら、ふと強烈な気配を察したメッチが口を閉ざした。これ以上の時間の浪費は許さないと無言の重圧を発しているユルヴの様子に、アベドが肩をすくめる。

「まあ、それ以上は道中でやるこった。商売の神様は時間にうるさい。乳は午前のあいだに売り切って、魚は目が濁らないうちに卸しきるべきだ」


 部屋から追い出しにかかり、わざわざ商館の外まで見送りに出たアベドは、最後にメッチに向かって付け加えた。

「わかってると思うがな、俺がお前を選んだ理由を考えろよ。決して判断を間違えるな。儲けることが一等大事とは言ったって、それで命を粗末にしろなんて教えは、俺達の商会にはないからな」

 軽口で応じようとしたメッチが、アベドの意外なほど真剣な顔つきにそれを留めた。アベドの背後の商会の扉に教訓のような短い文句が謳われている。

「きっちり片手分、掴んで帰ってきますって。――行ってきます」

「落ちた骨は硬貨と一緒に拾い集めてやる。行って来い」

 頷き、息を吸ったアベドが突然怒声を張り上げた。


「――ふざけるな! そんな勝手が許されると思ってやがるのかっ」


 突然の剣幕に驚くサリュの隣で、メッチが応じる。

「こんの石頭! そんなんだからあんたは商売がわかってないって言われるんですよ!」

「ケツの青いガキが何をほざきやがる! この俺に商売を語るなら、金貨の十枚や二十枚稼いでからものを言いやがれってんだ!」

「だからその為の話をしてるんじゃないか、わからず屋!」

 唾を飛ばしてやりあう両者の姿に、行きかう人々の視線が注がれていた。突然の展開に困惑するサリュへ、冷めた声色でユルヴが声をかけた。

「行くぞ、サリュ。――くだらん茶番だ」


 ようやく思い至る。後にあくまでメッチが勝手をしたのだという立場をとる為に、わざと周囲に喧伝してみせているのだった。あまりにわざとらしい芝居だったが、必要なことではあるのかもしれない。しかしやはり、サリュの感想としてはユルヴのそれに近かった。

 空々しいかけ合いを背中に聞きながら渡り岸へ向かう。空には丁度、天頂まで日が登りつめようとしている頃合だった。



 サリュの見つけたその場所に戻るのに、半刻もかからなかった。崖の上から見下ろした先に立つ男は先ほど見かけた相手とは別のようだったが、気が乗らない風情なのは変わらなかった。

 恐々と下の様子を窺ったメッチが抑えた声で訊ねた。

「で? いったいどうするつもりだよ。まさか正面から乗り込むなんて言わないよな」

 サリュとユルヴの双方が沈黙して答えないのに声を荒らげかけて、あわてて声量を抑える。

「馬ッ――鹿じゃねえの。中に相手が何人いるかもわからないのに、なんの策もなしに突っ込むとかありえないだろ」


 メッチを無視したユルヴがサリュを見た。

「まずはシャコウをおびき出す。わたしは弓。お前は剣。それでいいか」

「……ええ」

 懐から鍔広の短剣を抜き、サリュは頷いた。

「無視すんなよ。って、シャコウ? おい、ちょっと待てよ、なんだそれ。なんで部族の人間がこんなところに――」

「うるさい」

 弓の弦を張りなおしながら、ユルヴのメッチに対する返答は冷淡を極めている。

「お前には何も期待していない。木の上にでも登っていろ」

「そりゃ、切ったはったで戦力にされても困るけどな。ああそうかい、なら精々、邪魔にならないように隠れさせてもらうさ。あんたらだって、戦力は二人ってわけじゃないんだろうしな」


 その場にいるのは三人以外になかった。サリュのこぶつき馬やユルヴの馬も宿に繋いだままである。恐らくはクアルのことを言っているのだろう、吐き捨てるようなメッチの言葉にわずかに眉をひそめ、その存在をいまだに知らないユルヴは戯言の類だろうと考えたらしかった。張りなおした弓を持ち、立ち上がる。

「集落に戻る時間が惜しい。やるのはわたし一人でもいいんだ。……本当にいいんだな」

 崖下に降りる算段をつけながら、サリュは平静な態度で応じた。

「無理なんかしてないから。大丈夫」

「――感謝を。わたしはここから狙う、下りたら合図をくれ。その後に、こちらから始める」

「わかったわ」


 別れ際、メッチが何事か言いたげな表情で見ているのに、サリュは意識して気づかない振りをした。彼の言いたいことは理解している。呆れるような視線だけでそれは充分だった。

 土肌の傾斜はなだらかな部分もあるが、概して滑りやすく足場に不安な箇所がほとんどだった。万が一にも砂賊達に気づかれるわけにいかない為、サリュは大回りの道を選んで慎重に下った。

 可能性は低いが、斥候が外に出ている可能性もあった。人の気配を探りながらクアルはどこに潜んでいるのだろうと考えた。指笛を吹けば届く範囲にはいるだろうが、隠れた砂虎の気配を探ることなど人間にはもちろん不可能だった。


 右回りに砂賊の住み家に近づき、配置に着く。ユルヴ達が潜んでいるあたりへ向けてサリュは大きく腕を掲げて回した。

 短剣を手に合図を待つ間、息を整えるサリュの脳裏に先日の記憶が閃いた。黄金と血の色。かまうものか、と粘ついた感情を振り払った。自分で選んだ結果に後悔などない。選択したのだから。――私は、サリュだ。その事実を強く自分自身に刻み付ける。

 声が響いた。


「タージェ・ヤッセ!」


 崖上にユルヴが姿を現している。弓に矢を番える格好で、しかし肝心の矢は既にそこにはなかった。視線を向けた先で、一本の矢が見張りの男の喉元に突き刺さっていた。

 苦悶の声すら上げられず、砂賊の男が膝を突いて倒れ伏せる。直線距離でさほどの距離がないとはいえ、相当な腕だった。ユルヴが再び透明な声音を張り上げた。

「タージェ・ヤッセ、シャコウ!」

 サリュには理解のできない言葉を聞きつけたのか、三人が洞窟から飛び出てきたのを視界に認めた瞬間、サリュもまた駆け出している。


 先頭の男が崖の上のユルヴを指差し、何かを言いかける前にむきだしの喉に矢を生やす。それを見て唖然とする二人が我に返る前に、接近したサリュの刃がまず一人目の脚を薙いだ。

 男達の注意をひきつけると、サリュは一人目への止めより次を優先した。横を過ぎ、勢いのまま次の相手へと短剣を滑らせ――寸前、恐怖に引きつった顔に見覚えがあることを認識した。


 刃の切っ先を変え、男の太股へと切りつけた。そのまま身体ごとぶつかり相手を押し倒す。男の身体の上を転がり砂虎のように態勢を立て直すと、すかさず自身の布防具をはぎとって男の口に押し込んだ。男がくぐもった悲鳴を上げたのは、その直後だった。

 轡をかました男をうつ伏せにして膝で押さえつける。振り返ると、最初に仕掛けた男は狙い通りにユルヴが始末をつけていた。洞窟の奥へと視線を向け、ひとまず後続がないことをサリュは確認した。続いて見た崖上にユルヴの姿はなく、崖を滑り降りて来ている。


 サリュは改めて膝下の男を窺った。シャコウという名の部族の男が、憎悪と怨嗟のこもった眼差しで彼女を睨みつけていた。

「止血するわ。暴れないで」

 自分でやっておいてひどい言い分だが、今死なれても困る。切りつけたのは太股の外側を浅めにすませておいたので、その恐れは万一にもないだろうがと冷静に思いながら、サリュは男の外套へと刃を流した。細く裂いたそれを止血帯代わりに男の太股を縛り上げたところで、ユルヴがやってきた。


 ユルヴと協力して洞窟の奥から見えない位置まで引きずる。鏃を喉に押し当てたユルヴが男の口から轡を外した。呼吸より先に、何事かの呪いの言葉を吐きだすシャコウの抗議を涼しい顔で受け流し、ユルヴは鏃を持つ手に力を込めた。押し込まれた皮膚から血の一筋が流れる。

「笑わせる。部族の面汚しとはお前達のことだろう」

「何を……」

「賊共といったいなんの密談だ。まあいい、それを聞くのは後だ。――攫われた者はこの中か」

 男は答えない。冷えた眼差しで、ユルヴは男の口に布を押し当てた。もう一方でサリュが切りつけたその傷口のあたりを容赦なく押し込むと、激痛に男が鈍い悲鳴をあげた。

「お前にかまっている暇はない。答えろ」


「……どっちが野盗だかわかったもんじゃない」

 いつの間にかメッチが二人の側に下りてきていた。しかめっ面でその場の惨状を眺めて息を吐くのに、サリュは答えなかった。

 こちらが少数での奇襲である以上、砂賊連中に増援を呼ばれるわけにはいかなかった。可能な限り声もあげさせずに無力化する必要があったが、もちろんそれで行為そのものが許されるわけではないことも理解している。例え相手が野盗で、殺さなければ殺されるだけだったとしても。彼女は赤く濡れた短剣を見下ろした。


 その間に、ユルヴが男から情報を聞き出している。やはり部族の人々は中に囲われているらしい。中に残る野盗の数は十人。少なくはないが、思ったより多い数でもなかった。

 サリュはユルヴに訊ねた。

「燻りだす?」

 洞窟に篭った相手なら、火を炊き、煙に巻かれて出てきたところを狙うのが安全ではあるだろうが、ユルヴは同意しなかった。

「すぐに誰か様子を見に来るだろう。それに、中にいる人間が心配だ。できればこちらから中に入りたい」

 希望という形で言ったのは、その方が危険が大きくなるからだった。彼女の獲物は弓だった。必然、先を行くのは短剣を持ったサリュになる。狭い洞窟の中では射線を取れない恐れもあった。


「――わかった。それでかまわないわ」

 迷いのないサリュの返答に、ユルヴがかすかに気遣わしげな様子を見せた。実際にそれを口にしたのはメッチである。

「おい。あんた、平気か?」

 布防具を外したせいで素顔になっている異相を二人に晒し、サリュは瞳を瞬かせた。どうしてそんな風に言われるのか理解できていない。

「私? ……私なら、大丈夫。行きましょう」


 洞穴の入り口に掲げられた松明をとり、サリュは暗がりへと一歩を踏み出した。後ろ手に縛ったシャコウを引きずり上げ、それぞれの表情を浮かべたユルヴとメッチがそれに続いた。



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