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砂の星、響く声  作者: 理祭
 一章 死の砂と集落
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 リトが目を覚ました先は天上の楽園ではなく、細かい砂の漂う地上の屋内だった。


 ということは、自分は刺されてはいないわけだ。非力な少女に致命傷を負わされる前に飛び起きる自信はあったが、それにしても夢の一つも見なかったのはよほど疲れていたからか。まさか、食事に何か含まれていたとは思わないが。

 いずれにせよ、少し不注意だったと反省せざるを得ない。あんな啖呵をきったあげく、あっさり咽を切り裂かれて死んだとあっては、詠読みの知り合いの笑い話にもなりはしないだろう。

 部屋を見渡せば少女の姿はもちろんなく、しかし昨夜の出来事が夢ではないことは寝台の下に刺さったナイフの存在が証明していた。

 窓を見ると、すっかり日が昇っている。リトは洗面台で顔を洗い、髭をそって念入りに旅支度を整えた。

 昨晩聞いたところによると、ここから半日過ぎたところに前の旅人が残したほったて小屋が残っているらしい。もちろん水源があるわけではないが、昼夜の気温の差が激しい外で眠るよりは幾分体力の消耗は抑えられる。今日の陽が落ちるまでにそこまで行くつもりだった。


 天候はよく、風も夜から無風状態のままだ。食事は道中にとればいい。出発に最適な気まぐれが続いているうちに、サジハリに挨拶をしておこうと向かった家の先、扉の前に少女が立ち尽くしているのが見えた。

「やあ」

 声をかけるが、返事どころか視線も向けてこない。

 そのまま、少女は幽鬼のような足取りでサジハリの家に消えた。眉をひそめ、誘われるように家へと向かい、中に男の姿がないことにリトは眉をひそめる。不在。あるいはまだ眠っているのだろうか。

 まるで家主の所在を知っているかのように、少女の足取りには迷いがなかった。奥に進むその様子を怪訝に思いながらリトは少女の後をついていき、寝床の上で穏やかな表情を見せている男の姿を見つけた。


 それが目覚めある眠りではないということは、すぐにわかった。


 少女は寝台の側に立ち黙って男を見ている。文字通り眠りについたサジハリの近くまで行って、その横の机に粉末状のものと水の入った碗があるのに気づいた。その薄い紫が混じったような粉末の色には見覚えがある。部屋の中を見回したリトは、部屋の隅に無造作に投げ捨てられたやはり覚えのある植物と、小さな石臼を見つけてため息をついた。

 毒。そう多くない量で、人一人ぐらい致死に至らせるには充分な類の。リトの視線に気づいた少女が机の上に手を伸ばそうとするのを制止して、それだけで少女も理解したらしい。小さく唇をかみ締めた。

 飢餓の苦しみは想像以上に辛い。末期の集落ではよくあることだが、今という機にそれをされることに他意を感じずにはいられなかった。しかし――このまま何も見なかったことにして集落から出ていくわけにもいかない。


「誰か、村の人を」

 さっそく予定を狂わされた忌々しい気分で、言う。少女は首を振った。横に。

「だが、このままにはしておけないだろう」

「いません」

 少女がぽつりとつぶやいた。

 その言葉の意味するものを頭の中でゆっくりと咀嚼してから、リトは訊ねた。

「……いない?」

 少女の返事は、あくまで感情なくその場に響いた。

「この人が、最後でしたから」



 集落には完全に人の気配がなくなっていた。そして、それはただの気のせいだった。そんなもの昨日の段階からほとんどなかったのだから。気づかなかった自分こそが間抜けなのだ。

 死の砂が落ち着いていることもあって、不気味なまでの静けさが全体を包んでいる。それはもうこの集落に終わりが訪れたからこそなのか。まさかと思うが、薄気味の悪い時機の良さではある。物理的な重さすら感じさせる沈黙に抗うように背伸びをして、リトは手に持った木製の鋤を振るった。

 深い穴を掘るのにもっといい道具があれば良かったのだが、出て行った人々に持っていかれたのだろう。どこにも見つからなかった。やがて苦労して人一人が入れる大穴ができると、リトはその中にサジハリの遺体を横たわらせた。硬直した死体は適度に動かしやすく、いつものようにそれが不気味だった。少女がどこからか黄色い花を何輪か持ってきた。サジハリの家に飾ってあった花だった。それを遺体の両手に持たせるようにしてから、土をかけてサジハリを埋めた。少女もそれを手伝った。


 あの後、「どうするんだ?」と訊ねたリトに、少女は「手伝ってくれますか」と応えた。それが男を土葬することだった。

 彼が訊いたのはそういうことではなかったが、結局手伝うことにした。出発の時間はさらに遅れるが、少女一人ではさすがに無理な作業だと思ったのだ。一宿一飯の恩もある。

 それから黙って二人は作業を続けた。

 最初は足。腕。胴体。やがてサジハリの顔が完全に見えなくなると、リトは盛った土の上に一本の木を立てた。なにも記していない、ただの材木だった。記すようなことを彼はなにも知らなかった。

 少女は黙ってそれを見ていた。彼女は涙を流さず、なにも喋らなかった。淡々とした態度で、最後に少女は即席の墓の前でひざまずくと手を組んだ。

 祈る神を持っているのか。なんとなく意外に思っているうちに、少女の黙祷は終わった。真っ直ぐな瞳がリトを見上げる。


「それで、どうする?」

 少女に口を開く気配がなかったので、改めて彼は訊ねた。今度は少女も間違えなかった。

「ここを出ます」

 サジハリの家に残されたものを使えば、楽に死ぬこともできる。それも見越したうえであの男はあれを残しておいたのだろう。なにも言わず、なにも言わせず、ただ一方的な選択を押し付けて初老の男は一人でこの世から去った。

 そして少女と同じく残された彼自身もまた、否応なくその言葉に縛られることになった。

 男はあの子を連れて行ってくださいと言っていた。そして、もはや彼に対してそれを否定することは出来ない。言いたいことだけを残してあの男は逃げたのだ。

 昨夜の件もあの男の差し金で間違いない。自分が少女に情を持てばそれで良し。そうでなかった時の為にこんなことをしでかしたのか――いや、そうではない。奴はただ自ら死を選ぶ理由がほしかっただけだ。少女も、自分も、その都合のいい言い訳に利用されたに過ぎない。

 ただの卑怯者だ。リトはサジハリをそう断じた。自らの生命をかけた行為、などとは思わなかった。彼は自分が今までとってきた行為に他人の為という思考をしたことはなかったし、他者の行動にもそれを認めなかった。

 だが、それで現実に今ある状況が何か変わるわけでもない。もし男が生きていればいくらでも罵ってやりたい気持ちで途方にくれていると、


「手伝ってくれて、ありがとうございました」

 目の前で少女が深く頭を下げた。そのまま、誰もいない集落に戻っていく。彼は黙ってその後ろ姿を見送った。

 これで正しいのだと頭の中で冷静な自分が囁いている。

 少女は選択した。ならば彼女は彼女なりの準備と意思と行動で持って道を進むだろう。その結果、砂漠に骨を埋めることになろうが、盗賊に襲われようが、無事どこかの町に辿り着いてそこで花を売ろうが、それは自分には関係ないことだ。

 そう。関係ない。むしろ関係するべきではない。昨日サジハリに言ったとおりだ。自分と関わればろくな目に遭わない。断る為の口実ではなく、本気で彼はそう思っていた。

 ため息をついて、彼は思考を切り替えた。

 考えてみよう。例えばあの兎肉のスープ。あれは美味かった。サジハリは作ったのはあの少女だと言っていた。あれをもう一度食べる機会があれば、調理法を聞くこともできるかもしれない。いや、そんなことよりもっと重要なことがあるのではないか――待て、俺はいったい何を考えてる。 


 大きく息を吸い込んで、リトは大声で呼んだ。

「サリュ!」

 叫んだのは、死の砂のことではない。

 十丈程は離れている少女が、ぴたりと止まった。ゆっくりと振り返る。その顔に少しだけ驚いたような表情があって、二重の瞳が真っ直ぐに彼を見た。

 それこそが少女の名前なのではないかと思ったのは、実はただの勘だった。それを名乗らなかったのは、気味悪がると思ったか、それとも名がないことに同情して自分につけさせることで、まず情に絡めようとした老人の策略か。

 今となってはわからない。なぜ少女にそんな不吉な名前がつけられているのか、少女がこの集落でいったいどのような扱いを受けていたかも彼にはわからないが、そんなこともどうでもよかった。

 問題は自分がその名前で少女を呼んでしまったことで、そして呼んだからには何かを続けなければならない。近づきながら、リトは口を開いた。

「例えば――この集落はもう終わりだ。君は旅の準備をするつもりだろうが、俺の旅にも役立つものがまだ残ってるかもしれない」


 不思議そうに眉をひそめて、少女は聞き入っている。


「でも、どこになにがあるかなんて俺にはわからないし、探し回るのに時間をかけるのは効率が悪い。俺は風がひどくなる前にここを出たいんだ。そこでなんだが。君が準備をしながら俺の探し物を手伝ってくれるのなら――代わりに近くの大きな町までの道案内ぐらいしてやれる」

 目の前まで来て、リトはそこで天を仰いだ。砂の収まった空は遠く雲を見ることもなく、ただ蒼々とした深みだけが続いている。太陽の日差しに目を閉じて、

「そういう提案なんだけど」

 告げた。

 素直でない物言いだった。一言で言って彼は屈折していた。とどのつまり、男は度し難い捻くれ者なのだった。

 誰よりも自分自身そのことを認識しながら、リトは顔を戻して、そこでちょっとした驚きに目を見開いた。


 少女が笑っていた。

 子供の純真なそれではなく、どちらかといえば子供に対する大人が、目の前の存在のちゃちな嘘を見破った上で慈愛を与えようとする笑み。ではあるが、彼が初めて見る少女の笑顔には違いなかった。

 改めて訊く。尋ねるまでもないことだと知りながら。

「……それで?」

 少女は、ゆっくりと頷いた。



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