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砂の星、響く声  作者: 理祭
 三章 金と砂と
39/107

 翌日、日がまだ低くあるうちにメッチは宿に戻ってきた。

 一階の食堂で朝食を食べていたサリュの隣で主人から食事を勧められると、青ざめた顔をしかめて断る。聞くまでもなく、昨夜の酒が体内に多く残って居座り続けている様子だった。

「牛乳でも飲むかい。少しは胃が落ち着くよ」

「あー……頼むわ」

 主人から受け取った酪漿に口をつけながら、メッチが訊ねた。

「もう一人は?」


「眠ってるわ」

 布防具の上に外套を被ったサリュは答えた。

 彼女が目を覚ました時、ユルヴはサリュが床に着く前に見かけたそのままの格好で窓際に座っていた。一晩をそこで明かしたらしい少女は、全く睡眠をとっていないわけではないようだったが、サリュは自分がいるうちに少しでも横になるよう勧めた。一刻半後に起こすことを約束して、それからユルヴは寝台で身を休めている。

 メッチが言った。

「そか。で、あんたは飯を食ったら、すぐに出るつもりかい」


 サリュは頷いた。水と食料の補給をすませた後、そのままこの町を出るつもりだった。

「水とかならうちのほうで安く用意するけどさ。他になんか必要なものはないのかい」

 旅に必要なものは最低限だけがあればいい。首を振ったサリュに男は苦笑する。

「正直、積荷を卸せばもう少し金になるんだけどね。あんたがいいって言うならそれでいいけどさ。……船は使わないよな? せめてそれの料金くらいってのも、あれかぁ」

「あの手紙だけで十分。ありがとう」

 サリュの言葉を聞いたメッチは頬をかいた。

「あんたさ。ちょっと素直すぎると思うぜ。そんなんじゃ悪いヤツに騙されっちまうからな」

 世慣れていないのはその通りだが、強引なやり口で自分を護衛に巻き込んだその当の本人に言われることではないなとサリュは思った。


 細かく刻んで煮込まれた野菜の吸い物を飲み終え、サリュは席を立った。部屋に戻り、自分の荷物を物音を立てないようまとめてから、寝台の膨らみに声を掛ける。

「ユルヴ」

 返事はなく、ただ小さく吸気する音がその人物の目覚めを知らせた。

「出るのか」

「……ええ」

「そうか」

 上半身を起こしたユルヴの表情は頭髪がやや乱れているせいか、普段より幼い。眠気の名残も見せず、彼女は言った。


「砂の天意のあらんことを」


 集落を出かけ際、彼女の父親が使ったのと同じ台詞だった。部族に伝わる言葉なのだろうが、サリュが皮肉に思ってしまったのは、それが彼女には異なる意味合いにとれてしまうからだった。

 もし砂の天意が自分にあるとしたら、それは一つしか意味をもたらさない。死の砂。

 ――なら、すぐに出なければ。今はまだ、砂の声は聞こえていないのだから。

「……探してる人が見つかるよう、祈ってる」

 無言の頷きに背中を向け、扉のノブに手をかける。迷う気分を断ち切る為に思い切りよく開けた。


 廊下には既にメッチがサリュを待っていた。階段を下り、その途中で旅装の男と遭遇した。

 荷をまとめたシャコウが長身から彼女を見下ろした。互いに無言のまま会釈を交わす。立て付けの悪さから音を鳴らす階段を踏みながら、サリュは自分が一人で宿を出ようとしていることについて男がどう捉えるか考えた。

 自分と同じように集落に戻るものと思うか、それならなぜユルヴが一緒ではないのか。後ろに立つメッチについて――明らかに部族の人間ではない――どう認識するだろう。先を下りる男の表情には変化がなかったことを思い出しながら、その意味について。

 一度も彼女を振り返らず宿から出て行ったシャコウの背中を眺め、サリュは頭を振る。愚痴愚痴と考えたところで仕方がない。ユルヴの思惑が上手く相手の心象に影響を与えていることを願うばかりだった。

 二人の姿を見た宿屋の若い主人が声を掛けた。

「おや、ご出立かい」

「一人だけな。もう二人はまだ世話になるよ」

「それはそれは。うちの料理は気に入ってもらえたようだ」

「ああ。牛乳、美味かったさ」

 舌を出しながらメッチが言った。


 外へ出て厩に向かい、コブつき馬に荷をくくりながらサリュは訊ねた。

「あなたもまだあの宿に泊まるの?」

「あ? ああ、まあな。今から場所を変えるのもあれだし、それにうちの宿に移ろうって言ったってさ、あのお姫様はいい顔しないだろ」

 首を振る。彼女の訊ねた意味はそんなことではなかった。

「タニルに急いでいるんじゃなかった? ユルヴ、昨日の晩に部族の人と話はすませてるわ。さっき、外に出ていった人がシャコウよ」

 新しく湧出した水場と、それに伴う新しい航路の開拓。そこで起こり得る商売の機会を男は求めていたはずだった。つきあいのある部族に請われてリスールに来たとはいえ、ユルヴがシャコウと会った時点でメッチはその役目を終えている。

「あ、そうなのか?」

 メッチは鼻の頭をかいた。

「ならよかった。ま、それでももう少しここにいるつもりだけど」

 早くタニルに向かいたいと言い、そのために危険な陸路まで使って野盗に襲われた商人が前言をくつがえせば、誰でも不可解に思う。サリュの視線を受けたメッチは照れたように、

「いやさ、これって部族の人間に恩を売れるチャンスだろ。あるかどうかもわかんない新しい水場なんかより、こっちのほうが金になるかもなって」

 男の職業を考えれば、むしろそれは正直な感情というべきだった。善意からほうっておけないなどと商人が薄ら寒い台詞を用いるほうがよほど信用が置けない。

 メッチの言葉をサリュは疑わなかった。それに、と考える。ユルヴは町側の人間である彼を信用してはいないだろうが、それでもメッチのような人間がいてくれたほうがいいだろう。――本当にそうだろうか。


 サリュは自分が気休めにも似た思考でいることに気づいた。吐息を漏らす。

「……いなくなった人達の行方はわかりそう?」

 メッチが探るようにサリュを見てから、答えた。

「昨日の今日じゃあな。水周りの情報集めに、町の出入りも気をつけてはいるみたいだけど」

「ここから出て行った船にはいないって言ってたわよね」

 それだけは自信を持って言えるとアベドは告げた。つまりそれ以外は確約できないということになる。それについて思うところがあるというのは、昨日のユルヴの反応から読み取れることだった。故意に、あるいは失念して。利もなく全ての情報をさらけ出す商人はいない。

「そういう人達を運ぼうとしたら、その時までどこかに集めておくもの? それとも、少しずつ移動させるのかしら」

「そりゃ、普通に考えれば。積荷はまとめるのが筋だよ。手間も、費用だってな」

 人を商品とすることを前提とした話としての物言いだった。そのことについては触れず、サリュは続けた。

「でも、人を大勢匿うようなことなんて、どこでもできるわけじゃないでしょう」

 それもまた商館で昨日話し合われていたことだった。食事の世話や、人が生活すれば必ず生まれる排泄物。そこからもたらされる臭いは、狭い場所に大勢が押し込まれれば押し込まれるほど、周囲への悪臭も強まるはずだった。

「もちろん。だから今のとこ、砂賊あたりの隠れ家が怪しいって話は昨日聞いただろ」

 人を運ぶのなら水路ではなく陸路が使われるだろう。それはそれとして、昨日は話に持ち出されなかったことがある。恐らくはあえて言われることのなかったはずの話題について、サリュは一気に話を進めた。

「砂賊が人を攫うのは、どこかに引き取り先があるはずよね」

 部族から直接身代金をせびるのでもない限りは。攫った部族の人間は商品として、どこかに売られているはずだった。それはどこか。奴隷売買の販売経路を持つ、近くの町の商会のどれかにだ。


 あるいは――この町の。サリュの言葉の真意を掴み、メッチは露骨に顔をしかめてみせた。

「……まあな」

「領主への口利きは、その為の」

「そうさ。……奴隷売買ってのは、組合協定じゃあ別に禁止されちゃあいない。他の商会の売買内容にケチをつけるなんて、そうそうできるもんじゃない。けど、それも領主からの声がかりがあれば話は別だ。商会の不文律だって飛び越えられる」

「同じ町の人間を敵にまわすの?」

 方法と、何よりその意志を確認するようサリュは訊ねた。

「当たり前だろ」

 メッチの返答には寸分の迷いも含まれていない。

「アンカ族とうちは交易関係にある。そのアンカ族の人間が攫われるってことはつまり、うちらの利益への損失に繋がる。商人ってのはそういう理屈だよ。俺達はあくまで自分達の利益を優先する。それを邪魔する連中は、つまり敵だ。町の人間も部族も関係ない」

 仲間や立場でなく、黄金という価値基準で行動する。サリュにはやはり、彼らが別の世界の人間に思えた。ユルヴ達の生き方の方がよほど親近感が沸くのは当然のことだった。加えて、今の彼女が心情的に傾いているのには他の理由もある。

「自分達の利益に関わることなんだ。うちだって本気さ」

 それ以上、言葉をサリュは持たなかった。自分とは異なる生き方だというだけで、相手を否定することはできない。あるいはその影に怯えている自分などより、彼らの方がより真摯にそれに向き合っているのではないかと思える部分もあるからだった。


 水と食料を積み込み、二人は町の出口へと向かった。メッチの口利きで町を出る手続きを終え、門を出る。

「んじゃ、道中気をつけて」

「……ユルヴに、よろしく」

「わかってるって」

 メッチは空を見上げるようにあごを持ち上げた。何かを思案するような表情だった。

「あのさ。これ、余計なお世話だけど。あんまり気にしないほうがいいんじゃねえかな」

 サリュは目を伏せた。答えを返せない彼女へ若い商人が続ける。

「探してる人がいるんだろ。だったらそのことだけ考えてなよ。あんた、そんなに器用な人間でもなさそうだし。その方がいいぜ、絶対」

 外套と布防具の奥に隠れた表情を容易に見通したような声だった。内心を見透かされたサリュは渋面になるしかない。メッチはユルヴのことについて言っていた。

 サリュとて、ユルヴのことに思い煩っているのがただの自分の感傷だという自覚はある。それは彼女の未熟さの現われでもあった。彼女はまだ先の集落での一件のことを忘れられないでいた。

「ま、わかってるんならいいんだけどさ。ああ。師匠にもさ、腰を大事にって言っといてよ」

 黙したまま頷き、サリュは町を出た。


 一刻ほどで太陽が天頂へと昇ろうとする時刻、蛇の道に彼女以外の姿はなかった。一般的には正午近くの渡砂は控えるものだが、このような場所では野営場所に落ち着く前に暗闇が訪れてしまうことの方が危険性は高い。サリュが体力の消耗が激しい日中に町を出たのもそれが理由だった。

 それに加え、河川が流れる近くを歩けば飢えて死ぬ恐れはない。少なくとも、水に飢える恐れだけはなかった。もちろん、一方でそうした安全な航路は、それだけ砂賊などに襲われる危険性も高くなるということでもあったが。


 まずはクアルとの合流を図り、サリュは峻険な地形をぐるりと見渡した。指笛を吹き鳴らし、それから見晴らしのよい高さへと向かって歩き出す。彼女の連れたこぶつき馬が面倒そうにいなないた。

 盛り上がった地質が重なり、なだらかな傾斜と時に切り立った崖を作る“蛇の道”で、人が歩くのに用いられるのは蛇が腹ばいに這う底の部分である。そこから脇に一歩でも出ようとすれば、途端に足場は厳しく、進むのも困難だった。こぶつき馬を曳いての行脚となればさらに難儀で、不安定な足場を嫌がるこぶつき馬をなだめすかしながら、道を見つけるのだけでも結構な時間が必要となる。

 陸路を使う人間は少ないとはいえ、メッチのような例外ももちろん存在する。サリュが砂虎との再会に脇道を選んだのもそうした面倒を避けてのことだった。

 傾斜を上り、下り、振り返っても町の姿形が完全に景色に隠れた頃にもう一度指笛を吹きかけ、その前に何かの気配が茂みを揺らした。

 そこから姿を現した大柄の全身に、サリュは口元をほころばせた。

「クアル」


 黄と白の縞模様に砂色をまぶした若虎は声もなく近づき、頭ごと彼女に頬を摺り寄せた。ゴロゴロと鳴る喉の音を耳に聞きながら、サリュも身を屈めてその姿を抱きしめる。たちまち、懐かしい砂の香りが鼻腔に満ちた。

 しばらく会っていない後に必ず砂虎が行う臭いの確認とその上付けの間、成されるままに身を任せていたサリュは、ふと砂虎の視線がある方向で定まったまま微動だにしないことに気づいた。ぴんと立った耳が風もなく僅かに揺れている。


 ――何かが近くにいる。サリュは素早く砂虎の毛皮に視線を走らせた。乾ききった赤色が幾らか散らばっている以外、新しい血の跡は見当たらない。別行動の間の狩りは上手くいっていたようで飢えた様子もなかった。砂虎の示す態度の意味は獲物への関心ではなく、警戒のそれだった。

 コブつき馬の手綱を放し、サリュは砂虎の視線の先へと足を向けた。茂みの先はちょっとした崖になっている。小さな石を蹴り落とさないよう、慎重に覗き込んだサリュの瞳が見開かれた。


 視界の下に拓けた視界に人の姿があった。雑に着崩された、薄汚れの布防具。体格のよさから男だとわかる。男がどういった存在かは明白だった。蛇の道を縄張りに旅人を襲い、部族の人間を攫った下手人としても疑われる砂賊だった。

 男の背後には洞穴の暗がりが見えた。男はその手前に立ち、腰に刃物をぶら下げている。商館の主アベドが言っていた、ここがその連中の住み家ということか。

 サリュがそれを見つけたのは偶然ではあったが、必然でもある。単純に利便性を考えれば隠れ家は町から近くあるべきで、一方で人目につかないほうが都合がよい。蛇の道の中、入り組んだ地形を活用した立地だが、それに労せず出遭えたことが幸運であることには違いなかったが。


 息を潜め、サリュは遠目に見下ろせる男の様子を窺った。ここが野盗の本拠地だとするなら、あの見張りは常に外を見張っているのだろうか。男はいかにも手持ち無沙汰にしていた。ただ単に気が抜けているだけか、それとも見張りに慣れていないのか。

 その前者か後者であるかはこの際、大きな意味を持っている。もしも見張りが普段にはない行為なら、野盗達にそれをさせる理由があるはずだった。例えば、中に誘拐してきた人達を囲んでいる為といったような。

 サリュは隣に潜むクアルの顎を撫でた。時に人間に匹敵する程の知性を感じさせる砂虎は、それだけで彼女の意図を察した。サリュが頭が伏せるのと同時に顎を開く。


 遠吠えが鳴り響いた。

 空間を震わせる一声が岩肌に伝播した。サリュはそっと下を窺った。


 野盗の男が狼狽した様子で周囲を見回している。洞穴から何人かが出てきた。その人数を数えながら首魁を探していると、松明を持ったそれらしい男が現れた。その奥からさらに誰かが出てくる。その新しい人影を見て、サリュは驚きに息をのんだ。

 布防具に身を包んだ姿は野盗達と大差ない。しかし、周囲の人間達のそれとは明らかに毛色が異なる上に、つい先ほど見覚えのあるものだった。

 シャコウと名乗った部族の男。今、野盗の頭目らしき男と言葉を交わしているのは、確かにその男だった。


 部族特有の精悍な顔つきが彼女の潜む崖上を見あげた。

 茂みの中で身動きもしなければ相手から見えるはずがない。しかしそれを見通そうとするかのような鋭い視線に、息を詰める。サリュは隣をうかがった。彼女の手を頭に置かれたクアルは、耳まで伏せて指示通りに隠れてみせている。

 シャコウが頭目らしい男になにかを語りかけ、洞穴から松明が持ち運ばれた。野生の砂虎は火に慣れていない為、火の類を恐れる。見張りの男にそれを渡しながら二言三言、彼女の位置からでは聞き取れない言葉を言い交わし、シャコウと男達は中へと戻っていった。

 残された見張りの男は松明を掲げ、緊張した面持ちで周囲に気を配っている。その視線が自分達の方角を捉えていないのを確認して、匍匐で安全な後方までさがった。


 こぶつき馬の元へと戻りながら、サリュは今見た光景の意味するところを考える。自分達の集落へ戻るといっていた部族の男。何者かの手によって部族の人間を攫われたといっていた男が、その犯人に疑われる砂賊の男達の巣にいた。捕まったようには見えなかった。交渉、あるいは友好的な――あまりにもわかりやすい回答をむしろ忌避するように、彼女は頭を振った。

 昨夜、サリュはユルヴに他部族の人間が犯行に関わっていることを示唆する言葉を告げた。それはただ町の人間と部族という範疇で物事を決め付けてしまっている彼女へ警告の意味も含めて言っただけのものだったが、今彼女が目の当たりにした出来事はまさにそれを裏付けるような状況だった。


 シャコウ達の部族と野盗達の繋がりがどういった種類のものであるか今の段階で断定はできずとも、シャコウ達がユルヴ達に悪感情を持っているらしいという事実を鑑みるだけで、充分以上に嫌な想像が膨らんだ。早急にユルヴに知らせる必要があった。

 一瞬、先ほどメッチからかけられたばかりの言葉を思い出したが、そんなことを言っている場合ではないだろうとサリュは頭の中で無視した。蒼く晴れた空を見上げ、耳を澄ましたそこから予兆めいた囁きがないことを注意深く確認して、彼女は急いで先ほど来た道を戻り始めた。



 先ほど町を出たばかりの旅人が戻ってきたことに番兵は不審そうに眉をひそめたが、サリュの姿を覚えていた為に町に入ることは難しくなかった。

 すぐにサリュは宿へと向かった。あるいはユルヴは出かけてしまっているかもしれない。卓の向こうで暇そうに頬杖をついていた主人に訊ねると、駆け込む勢いで入ってきたサリュの剣幕に驚きながらも、主人は宿泊客がまだ出かけていないことを教えてくれた。

「サリュ」

 階段を上り、扉を開ける。部屋にいた部族の少女が驚いた表情で彼女を見た。

「どうした。町を出たのではなかったのか」

 息を整えながらサリュは訊ねた。

「メッチは?」


「お前と一緒だったのではないのか。まだこちらには戻ってきていないが」

 商館に戻ったのかもしれない。サリュは頷いた。一拍を置く間に多少は考えがまとまっていた。ユルヴの性格は少しは把握ができている。慎重に話を伝える必要があった。

「町の外で、砂賊を見かけたの」

 ユルヴが目を細めた。

「あなた達の言う蛇の道を、少し入り組んだところ。多分、根城にしてるんだと思う。入り口に見張りが立ってた」

「――攫った人間もそこか」

「それはわからない。直接、見てはいないわ」 

 サリュは断定するのを避けた。そうか、とユルヴは頷いた。

「それを教える為に、わざわざ戻ってきてくれたのか。……感謝する」

 言いながら、既に弓を手に立ち上がりかけている彼女を手で制した。息を吸い、一息と共にサリュは告げた。

「見かけたのはそれだけじゃないの。野盗とたちと一緒に、シャコウがいたわ」


 サリュが予想した反応はなかった。激昂や怒声でなく、ゆっくりと鼓膜に届いた言葉を咀嚼するように、長い睫毛が上下に動く。意外なほど冷静な声が響いた。

「なるほど」

「……驚かないのね」

 言えば必ず荒れるだろうと心構えをしていたサリュは、肩透かしを喰らった気分だった。ユルヴは静かな声で答える。

「いや。驚いているとも」

「私の言ったこと、信じるの?」

「嘘を言っていないことはわかる」

 そっけなく言い、ユルヴは席を立った。そのまま歩き出す、その手に何気なく弓と矢が持たれていた。握りを掴んだ拳がきつく締められている。


「どこに行くの」

「聞くまでもない」

 サリュは自分の脇を通り過ぎかけた小柄な肩を掴んだ。熱のような圧力を感じて、彼女は自分の思い違いを知った。ユルヴは冷静などではなかった。

「待って、ユルヴ。落ち着いて」

「わたしは落ち着いている……!」

 感情が奔流となって迸った。飲み込まれかけた言動の矛盾、その発露に顔をゆがめる彼女に、サリュは言った。

「場所も言ってないのに、どこに行こうというの。蛇の道を探し回るつもり?」

「お前が宿を出てせいぜい二刻もない。それで行って帰ってこられるのだ。距離などたかが知れている。お前が場所を言わずともわたしは行く」


 サリュは嘆息した。

「教えないなんて言ってないわ」

「なら、どこだ」

「落ち着いてと言ってるでしょう」

 烈火を宿した眼差しがサリュを睨みつけた。身体の中に貯まった熱を発散させるよう、こもった吐息が漏れる。

「――どうすれば教えてくれる。条件は何だ」

 思考する余裕を全て失っていないという証拠をユルヴは見せた。こちらの意図を理解した物言いに安堵しながら、サリュは言った。

「一人で向かおうとしないで。行く前に、メッチの商会の人達に伝えておいた方がいいと思う」

 ユルヴが眉をひそめる。サリュは続けた。

「砂賊が攫った人達を売ろうとする相手がいるのなら。シャコウ達の部族もそれに関わってるんだとしたら、そうしておくべきだわ」

「部族の同胞を救うのに、わざわざ町の人間から許可を得ろと?」

「救うことじゃなくて、救った後のことを言ってるのよ。あなただけじゃない。あなたが助けた家族の為に」


 あるいは相手は砂賊と商人、そして部族が結託している恐れもあった。それに対して一人の少女の感情的な行動で全て済ませてしまった場合、もし仮にそれが上手くいったとしても、問題になる可能性が大きかった。部族の人間に部族の理念があり、理由があるように、町の人間にも理念と理由があるはずだからだった。

 どんな屁理屈をでっちあげてユルヴや部族に言いがかりをつけてくるかわかったものではない。そうしたもめごとを避ける為に、メッチ達を巻き込んでおくことに意味がある。町の理念と理由を知り尽くした彼らなら、その対処も大いに心得ているはずだった。何よりもまず、自分達の利の為に。


「……伝えること。条件はそれだけか」

「ええ」

 サリュは口元を緩める。やはり、激していてもユルヴは冷静な思考力を保っていた。

「ならば勝手に告げて、勝手に行く。それでお前が気が済むというならな」

「かまわないわ。その時は、私も一緒に行くから」

 わずかにユルヴは小首を傾げてみせた。疑うのではなく、純粋に疑問を感じた口調で訊ねる。

「なぜだ?」

「……さあ。自分でもよくわからない」

 サリュはあいまいに頭を振った。自嘲するような、しかし暗さのない笑みを浮かべて、

「けど、そう言われてる気がするの。あなたと同じだと思う」

「天意か」

 ユルヴは質のいい冗談を聞いたように唇の端を持ち上げた。

「そんな大層なものじゃないわ」

 答えるサリュの声は乾いていた。

「――声よ。砂の声」



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