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砂の星、響く声  作者: 理祭
 三章 金と砂と
36/107

 その日の夕刻の内、彼らはリスールへ辿り着いた。


 峡崖の町と呼ばれるリスールは、トマスからボノクスへと大回りに掘られた河川のほとりにある。元々が水路を行き来する船への物資の運搬と税金の徴収を目的とした関所としての意味合いが強い町ではあったが、水源と水源を結ぶ河川、そこから枝分かれして広がっていく支流の最も“上”にあるということで、規模としては決して小さくない。

 部族達が蛇の道と呼ぶ陸路に通じる北部には治水下における様々な制約を嫌う人種も集まっていたが、一方、領主や貴族、名の知れた商会の拠点などは概ね南部に構えられている。


 街に入り、雑然とした通りを歩きながら、サリュはメッチからそうした町の特徴について説明を受けていた。頭に浮かんだ疑問を口にする。

「どうして南に?」

「そっちが安全だから」

 メッチは答えた。

 砂海と砂漠の境目をかたどって盛り上がる丘陵。河川水路はそれに沿って続いている。故に砂の侵食が起こりうるのも、まず丘陵の側からと考えられているのだった。

「金持ちは皆、南側さ。わかりやすいだろ?」


 北側から町に入ってから、探るような視線が消えないのはそうした理由もあったのだろう。人の通りはあるが、あまり治安の良い雰囲気ではない。メッチの商会の建物も南側にあるという話を聞き、サリュはふとクアルのことを考えて不安に思った。河川に隔てられてしまえば、易々と会えるわけにはいかなくなる。防砂具の奥の表情を察したように、メッチが言った。

「とりあえず宿はこっち側でとればいいか?」

 何気ない男の表情を見つめ、サリュは黙って首を頷かせた。メッチは、馬から降りて手綱を曳く部族の少女に視線を移す。


「うちの商会の宿があるからさ、そこでいいかい」

「断る」

 ユルヴが言った。

「カハニッタという男の宿がこちらにあるはずだ。そこがいい」

 提案ではなく、決定を告げる声だった。

「へいへい。……場所はおわかりになりますか、お姫様」

「わからない」

 顔一杯に渋面をつくり、メッチが盛大なため息と共に首を振る。

「んじゃ、ちょっとそのあたりで聞いてくるわ。馬、見ててくれよな。……ったく」


 馬車を脇に止め、頭をかきながら歩いていく男の背中を視界に入れながら、サリュはユルヴに訊ねた。

「そこにあなたが話を聞く人が来ているの?」

「そのはずだ」

 濃くはっきりとした睫毛を伏せ、やや勢いの落ちた声が続く。

「――大切な、友達なんだ。……ノカは」

 その名前の人物が誰のことを指すのかは、訊ねるまでもないことだった。行方をくらませた家族と親しかったからこそ、ユルヴは自ら町に出向きもしたのだろう。情報を知る人間がいるなら、一刻も早くそこに向かいたいという気持ちはサリュにも理解できる。もちろん、彼女自身がそうだったからだった。


 メッチを商館に連れて行き、彼らしき人物のことを知る相手を紹介してもらう――のんびりと通りを歩く男を追いかけ、首根っこを捕まえてすぐにでも彼の商館に駆け込みたい衝動をサリュは必死に抑え付けた。

 大丈夫だ、と自分を落ち着かせる。商館は逃げない。たとえ話を聞くのが半刻早まろうと、街に来てすぐに出発しては体力の心配もある。――例えさほどの疲れがなくても、だ。焦るべきではない。サリュは鼓動を平常のそれに努め、自分と同じように焦慮のただ中にいる少女に向かって言った。

「手がかり、見つかるといいわね」

 鋭い視線が見上げるのを感じて、首を振る。

「ごめんなさい。悪気で言ったわけじゃないの」

 死の砂の名前を持つ相手から言われたところで、ただ不快なだけだろう。


 沈黙が続き、しばらくして通りの一件からメッチが姿を現した。無事に宿の在り処を聞くことができたのか、頭の上で合図をしながら戻ってくる男を眺めながらぽつりとユルヴが言った。

「まだ信用はできない。けど、嘘を言ってないことはわかる」

 サリュが省略された主語について考える前に、部族の少女は続けた。

「奴は違う。あいつは嘘をついている」

「……商人だものね」

 言葉巧みに商談をかわし、器用な手先口先で儲けを生み出す。砂の大地で物流を担う商人とはしたたかで狡猾な生き物だった。口さがない者の中には、彼らを砂群――コボイと例える者もいる。自身、過去に騙された経験を思い出しながら同意するサリュにちらりと見た眼差しで、ユルヴが冷えた言葉を放った。

「昨日の夜、あいつは寝た振りをしてわたし達の話を聞いていた」

 まさか、と言いかけた言葉をサリュは飲み込んだ。

 ないとは言えない。ありえることだった。しかし、それならば、今朝方何食わぬ顔で話しかけてきたのも全て演技ということになる。彼の態度を見れば、とてもそうは思えなかったが。


 ――彼は、商人だ。


 だが、だとするならば――

 彼のあの態度は、いったいどこからどこまでが作られたものになる?


「お前も気をつけるべきだ。あの男は信用できない」

 職業のくくりではなく、個人を指して少女は言った。

 二人の少女が顔を向けた先で、笑顔の商人が手を振りながら歩いてきていた。



 その宿は河川近く、通りを一本入った先にあった。一般的な建物と同じく、正面は木造でなっている。古びた木板に「カハニッタの宿」と書かれた文字は、かすれて半ば読みきれなくなっていた。

 集落や村では移動式住居に継ぎ足す形で改築部分を建てられることが多いが、河川沿いの場合にはどうなるのだろうと考えながら厩にコブつき馬を繋ぎ、近くに置かれた水瓶から水を与えておく。それぞれ自分の馬の世話を簡単にすませたメッチとユルヴの二人とともに建物へ向かい、砂避けの布をめくって両開きの戸を押して中へ入ると、暗く窪んだ奥の向こうで一人の男が机に肘をついている。


「いらっしゃい。泊まりかい、休みかい」

 確かに宿の外観は一時の密事に使われそうな装いではあった。しかし、連れた二人の格好で商売女だと判断したわけではないだろう。メッチが何か答える前に、硬質の声でユルヴが口を開いた。

「シャコウという男が泊まっているか」

 どう見ても三十にも届かない年齢にしか見えない宿の男は、それを聞いてにこりと微笑んだ。

「泊まりかい、休みかい」

「……彼の部族の長からのものだ。わたしはアンカの族長セオイカの子、ユルヴ。シャコウに取りついで欲しい」

 たたんだ羊皮紙がとりだされ、卓上に広げられる。それを一瞥もせず、男は微笑のまま答えなかった。肩をいからせて、ユルヴがさらに詰め寄りかけるのを、ため息をつき、彼女の肩に手を置いたメッチが一歩前に進み出た。

「泊まりだ。二部屋、続きで」


 カウンターの男は笑みを強めた。

「毎度。飯はどうするね」

「夜だけ頼むよ。ああ、部屋で食うから、できたら呼びに来てくれ。取りにいくからさ」

「当然、前払いだろうね?」

「わかってるよ。とりあえず、明日の分まで。サハンコユ銅でいいかい」

「銀貨一枚だってこっちはいいけどね」

「まだ着いたばっかりで、割比も見てないんだよ。釣りをちょろまかされてたまるかってんだ」

「小銭使いは大成しないぜ、お兄さん」

「貯めた小銭で溺死できたら本望だっつうの」

 メッチが金を払い、その硬貨の汚れや欠片具合を一枚一枚念入りに確認するようにしてから、男ははじめて卓上に視線を落とした。


「シャコウね。それっていうのはあんたと同じ、部族の人間かい? なら、確かに四日前からうちに泊まってるな」

「話を聞きにきた。部屋にいるか?」

「朝に出て行ったきり、まだ戻ってないと思うね」

「嘘ではないな」

 声音を抑えたユルヴの言葉に、肩をすくめて男は言う。

「お客に嘘を言ってどうする。ま、帰ってきたら話をつけとくよ。毎晩、帰ってはきてるから、遅くとも夜になったら会えるんじゃないか」

「……頼む」

 ユルヴが引き下がり、積荷を抱えなおしたメッチが訊ねる。

「部屋は?」

「二階の奥を使ってくれ。向かい合わせでちょうど二部屋空いてるよ」

「わかった。……随分若いよな。あんたがここの主人?」

 二十歳程度のメッチの言葉に、男は微苦笑を浮かべた。

「親がおっ死んじまってね。おかげで奥さんもまだなのに所帯持ちさ」

「そっか。悪い。短い間だけど、世話になるよ」

「商人さんがわざわざどうも。今後ともごひいきに」

「そいつは今日の夕食次第だな。せいぜい腕をふるってくれよ」

「はは。そうするよ」


 二階の廊下で別れ、サリュとユルヴが同じ部屋に入った。

 決して手狭ではないが、あまり気の利いた内装ではない。宿泊より一時の密事の為に利用する客の方が多いのかもしれなかった。すえた臭いはなく、不潔な気配も残ってはいないが、そうした想像をしてしまうとあまり気が良くはない。

 部屋の隅にユルヴが荷物を置く、その立てる物音が荒かった。気が急いているのだろう。気づかない振りをして自身も外套に手をかけ、サリュはすぐに戻した。扉を叩く音がした。

「暗くなるまでに向こう岸の商館に顔出してこようと思うんだけど」

「行くわ」

 即答だった。

 サリュが受けた仕事はリスールまでの同行、メッチが商館に着くまでの契約になっている。後は彼の師匠の話を聞けば、この町に用事はなかった。出かけ際、サリュは部屋の中央に佇むユルヴに声をかけた。


「一緒に行かない? 彼の商会に、何か話がきてるかもしれないわ」

 部屋にいてもすることはないはずだった。それに、部族の少女を一人で宿に残しておくことにも不安があった。余計なお世話かもしれなかったが。

 怒ったような眼差しがサリュを見た。逡巡の後、頷く。

 メッチはユルヴまでついてくることに驚いたようだが、口に出しては何も言わなかった。夕食までには戻ることを一階の主人に告げ、外へ出る。


 中央で分断された町は、岸を渡るのに船を利用するしかなかった。河川には大小様々な船が浮かび、岸には向こう岸に渡るために順番を待つ人々の姿が多い。

「橋がないのね」

 気づいたサリュが言うと、メッチが首を傾げた。

「橋? ああ、トマスなんかにあるっていう。そりゃあないさ」

「どうして?」

 橋さえあれば、人が船の往復する時間を待つことはなくなる。

「理由は三つかな。ここの深さで橋なんかかけたら、でっかい船が通れなくなっちまう。それに、なんとかして橋をかけてみたところで、河川のズレとか、砂海が変わったときに対処できない――とまあ、これらが建前。んで、本音としては。あれだよ、あれ」

 “あれ”という単語を、“金”という発音でメッチは言った。

「儲からなくなるだろ? 渡してる人間がさ」


「……それが、本音?」

「連中、ここじゃけっこうな人数がいる組合勢だからな。だれだって自分達の縄張りを侵してもらいたくなんかないさ。当然、稼いだ金のいくらかは領主にいくわけだしな。まあ、無理に土地を盛って、橋をかけることもできないわけじゃないんだろうけど、そん時は橋の途中に税関所ができるだけだろうよ」

「どっちにしても変わらないのね」

「いいや。橋と河じゃあ、全然違うね。――例えばな。暴動が起きた時、橋の関所なら大勢でかかれば破られちまうだろ。でも、河ならそうもいかない」

 彼の言わんとすることを理解して、サリュは眉をひそめた。

 船さえ引き上げてしまえば、渡河には直接歩いてするしかない。川の深さが決してそれが不可能ではないものだったとしても、渡るのには労力と時間がかかる。それを岸にあがったところであれば、鎮圧は難しくないだろう。あるいは幾らかの船が暴動する側にあったとしても、一度に渡らせられる数は限られる。河は、その存在だけで強固な防衛線になるのだ。


 メッチの口調は、まるでその出来事を前提としている口ぶりだった。サリュの表情を見た若い商人は肩をすくめてみせる。

「ま、河川の上下でだいぶ違うってのは確かさ。上が橋をかけようと努力してないってのもな。それがこの町の商売の幅を増やしてるのも事実だと思うぜ。実際、俺はこっち側の出身だしな。商売するようになって色々痛感してるよ、そういうのは」

 格差が商売の機会を産む。その理屈がどういったものなのかはサリュにはわからなかったが、頭に思い浮かべたのはトマスのことだった。あの水陸最大の商業都市にすら貧富の差はあった。いや、それこそがトマスの成功の理由でもあると、教師役の相手はそう彼女に教えていた。


 サリュには理解できない世界だった。頭ではわかっても、納得できそうにない。自分の生まれた町を感慨深げに眺めている男に彼女は訊ねた。

「あなたはどうして商人に?」

 メッチは子どもっぽい表情でまばたきした。笑い出す。

「生きる為に決まってるだろ、そんなの」

 どっかの下働きでもしてれば、とりあえずメシにはありつけるしな。まだ若い顔つきで懐かしむように目を細める。

「殴られて、怒鳴られて。師匠に拾ってもらって、ようやく行商で一本立ちできて。生きるためには、稼がなきゃなんないだろ。誰だって死にたくねえし、誰だって貧乏は嫌だ。俺だってもちろん」


 生きる為に。

 確かに当たり前のことだった。誰だってそうなのだ。人が生きる為には水と食料が必要で、それはただで手に入るものではない。だから、そのために働くことは当然のことで、非難されるようなことでは全くないのだった。

 それでもサリュが顔をしかめて目をそらしてしまったのは、メッチの瞳に見覚えのあるものを見つけたからだった。燃える夕日の赤にも似た、黄金色の輝きがそこにはあった。


「……砂漠で砂を売る、か」

 それまで二人の会話をただ聞いていたユルヴが呟いた。メッチが唇の端を歪める。男は大きく頷いた。

「そうとも。そこら中にありふれてる砂だって、手をかえ品をかえ売ってみせるぜ」

「砂を砂金にしてか?」

「ああ、そうさ。黄砂が黄金になることだってあるんだよ。魔法じゃなくったってな」

 部族の少女の皮肉げな物言いに、商人も引かない姿勢で答える。それぞれの生き方を胸にしたにらみ合いから心を離し、サリュは一月前に出会った少年のことを思い出していた。砂の吹いた村で彼女が刺した父親の、その残された子ども。

 彼女がその手で、黄金に沈めた相手。

 黄金の業は既に彼女自身にも関わっている。それを嫌うことはできても、逃げることなどできないのだということもわかっていた。


 船で渡る順番が来るまで、しばらくかかった。

 


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