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砂の星、響く声  作者: 理祭
 二章 草原の部族
34/107

 族長の円幕に向かうと、既に朝食の準備が進められていた。

 大きな幕の中で十人以上の近しい家族達と共に、中央に並べられた大小様々な器を囲んで円を作る。幼子を連れた若夫婦もあり、にぎやかな雰囲気だった。

 食事が始まると、昨日の宴会でうちとけたメッチは、まるで家族の一員であるかのような自然さでその会話に参加している。和やかなやり取りを聞きながら、サリュはそれに加わらず黙々と厚手の練り生地を口に運んでいた。


 ふと、小さな瞳が不思議そうに自分を見上げているのに彼女は気づいた。

「……大丈夫? どこか痛いの?」

 頭巾を被り、黙り込んでいるのを怪訝に思ったのだろう。立ち上がってやや高い位置にある幼い眼差しへ、サリュは口元をほころばせて答えた。

「なんでもないの。平気。……ありがとう」

 粒をつけている頬に手を伸ばし、柔らかな肌をかすめるように取り除く。綿のようなふわりとした髪の男児が、にっこりと微笑んだ。

「うん!」

 それを見た父親が客人に粗相をするなと叱り、それに子が頬を膨らまして反抗する。母親がとりなし、途中から父親と母親の口論と化してしまい、最終的には厳粛な声音で族長が両者を諌めた。その隣では、また好き嫌いがどうだという言い合いが始まっている。


 大変な喧しさがサリュには新鮮さだった。大家族の朝の風景。自然に集まって笑顔の絶えない彼らの在り方に、言いようのない羨ましさを覚える。

「……頭巾、とればいいのによ」

 彼女にだけ聞こえる声でメッチが言うが、サリュは答えなかった。小さな子どもを怯えさせるつもりはなかった。


 食事を終え、女達が片づけを始めると、食器を運ぶだけでも手伝おうと腰を上げかけたサリュだったが、それを族長が留めた。

「さっそくだが、先ほどの話をしたい」

 女は片付けに出て行き、男も子ども達を連れてその場から離れた。サリュとメッチの二人に族長、その傍らで険のある表情をしたユルヴの四人だけが残った。

「メッチ殿、護衛の方には話されたのか?」

「いえ。私も、ひどい有様でしたので。恐れながら長からお話いただくのが一番かと思い、私からはまだ話しておりません」

 頷き、族長は深い眼差しでサリュを見た。

「護衛の方、貴殿はこの辺りでの生活を生業とされているのだろうか? ……そうか、ではあまり実感がないかもしれないが、最近このあたりはひどくざわめいている。理由は、お分かりか」

「新しい水源の噂、ですか」

 サリュは言った。族長は頷いた。

「いかにも。今やトマスとタニルの間に大きく広がった枯渇地。そこに安定した水場が湧いたという――到底、信じられないような話だが。しかし実際にその噂を聞きつけ、既に多くのものが動き始めている。人も、物も」


 イスム・クという、水と塩に満ちた集落がタニルの領主によって見い出され、その存在も一月の間に知れ渡ったのだろう。トマスからボノクスへと続き、タニルの南を往く水路は大回りに歪曲して掘られている為、距離としては長い。交易という観点から見た場合、さらに問題となるのはそれを使用することでかかる莫大な税金だった。

 治水権とそこにかかる税収権は、治める立場の人間に与えられる重要な特権である。水路を利用するのとしないのでは、そこを運ばれてきた物の値段が段違いに異なるのはその為だった。それでも、大規模な枯渇に襲われ、砂海を渡る航路を失くした以上、トマスとタニルでは水路を利用した商いしかされていなかった。

 その前提が今、崩れようとしている。イスム・クを介した航路の開拓と、周辺にまだ眠るかもしれない水源の発掘。人々の思惑が砂の流れとは別の動きを活発化させていた。そこを目指し、夢を見る――まさに文字通りの存在にあの集落は成り果てたのだ。黄金の在る村(イスム・ク)


「……全ての行いは天意による」

 外套の奥のサリュの表情を見たわけでもなく、族長の声は穏やかだった。

「我らはそれに抗わない。北の地に水場が生まれれば、人の声で騒がしくなるのは道理だろう。それを嫌うわけではない」

 ここの部族は、枯渇地帯と河川域の狭間を遊牧して過ごしている。水源の噂は、彼らにとって決して他人事ではなかった。

 しかし、と族長は続けた。

「自分達の安寧が崩されるのなら、それに対する備えも報復も忘れない。我らは誰も縛るつもりはないが、縛られるつもりもないのだ」

 やはりややこしい話になりそうだと、サリュは胸の中で息を吐く。

 水源に拠らず、砂海に生きる部族。彼らはツヴァイ帝国の領下にあって、微妙な立ち位置にある。彼らは帝国民ではない。国という在り方に捉われないのが彼らの生き方だった。それが認められているのは、帝国の統治の邪魔になってはいないという、ただそれだけのことである。

 より正確には、認められているわけですらなかった。部族の多くは独自の宗教を信仰しており、帝国内で大きな影響力を持つ一神教の有力者などは、事ある毎に彼らを邪教徒として排斥を唱えていた。実際に弾圧が起こった歴史もある。


 バーミリア水陸一の大国として強大なツヴァイだが、その実情はもちろん、全くの不満がくすぶっていないわけではなかった。部族との諍いは内乱というほどではないが(そもそもが、内ではない)、周囲の外敵と同程度には、問題は自らの中にあった。最近の事件では、サリュも居合わせた商業都市トマスで起きた騒動というものもある。

 もし、族長がそうした帝国と部族の問題について語るのであれば、それはサリュ個人にどうこうできるものではない。それは族長とて判らないはずがなかった。だからこそもっと具体的な、個人の身に収まる厄介事の類なのだろうと予想がつくのだった。


「先日のことだ。我々と縁のある家族が、一家ごと姿を消した」

 族長は言った。

「我らは部族の全員が一ところで生活するわけではない。大地にかかる負担が大きいのでな。その家族は自分達の羊を連れ、ここから北方を遊牧していた。とはいえ豊かな水源がそうあちらこちらにあるわけではないから、それは共有することも多い。最近、彼らが姿を見せないというので、身内の者に様子を見にいかせたところ――空の住処だけが見つかった」

「……砂賊に襲われた、というようなことは?」

 サリュの言葉に首を振る。

「周辺に争った形跡はなかった。獣でもない。近くでは羊達が柵に放置されたままだった。辺りの草の根まで食い尽くしていたから、少なくとも三日以上経っていたようだが」

 家財や家畜に一切手を出さず、そこで生活していた人間だけが姿を消す。確かに不可解な状況だった。


「我々には、砂隠しという伝承が古くからある。まさにその通りの状況だ」

「砂隠し?」

「人を攫う砂のことだ。子を攫い、親を攫い、家族を攫う。時には集落一つ飲み込むこともあるという」

 どこかで聞いたことのある話だとサリュが思い、その彼女に向けて視線を定めたまま、族長が言った。

「それは、死の砂の前兆とも言われている。一人、また一人と人が減り、そして最後には集落を死の砂が覆うのだと」

 サリュは目を伏せた。


 族長の隣から、ユルヴが強い眼差しを向けている。今朝方、少女が見せた態度の理由を彼女は理解した。自分達の周りで奇妙な事件が起こり、そこに死の砂の名前を持つ人間が現れた。誰でも彼女のように警戒と敵意を抱くだろう。

「……勘違いなさるな。先ほど言ったとおり、それが天意であれば、我々は逆らわぬ」

 族長が口調を和らげた。サリュは目線を上げ、その穏やかな表情を見た。

「懸念しているのは、あくまで人同士でのことだ。先の新しい水場の件で、最近は砂賊の動きも盛んになっている。血の跡も家をあさった気配がなくとも、やはり最も考えうるのは、そうした連中ではあると思う」

 サリュは頷いた。

「もしそうなら、我々は奴らを許すつもりはない。もちろん、血気にはやって早まるつもりもない。その為に今は様々なところに人をやって情報を集めているところだ。それにはそこにいるメッチ殿の所属する商会にも協力を得ている」


 横目で隣を見る。緊張した面持ちの若い商人が、族長を見つめていた。

「だが、その好意だけに甘えているわけにもいかん。我々も独自に話を聞いて回っている。このあたりを遊牧しているのは我らだけではない。商人には商人の繋がりがあるように、部族には部族の繋がりがある」

 ごくり、とメッチが喉を鳴らす音が届いた。表情を変えず、サリュは彼の様子をいぶかしんだ。彼は一体、何を怯えているのだろう。

「そなた達に頼みたいというのは、そのことだ。ここから北西で家族の姿を見たという他の部族の者がいた。詳しい話を聞こうと人をやったのだが、その者はこの先の町――リスールへ出かけてしまっているという。こちらもそれを追いかければすむ話なのだが、方々に馬を飛ばしたせいで、町に慣れた者が不足してしまっていてな。それで、誰か案内役を頼める人間はいないかと探していたのだ」

「それを、私達に?」

 族長は顎を引いた。

「そちらも何か目的がある旅の途中ゆえ、無理にとは言えぬ。しかし、もし受けてくれるなら相応の礼はする。砂漠で水を受けた恩義を、我らは忘れない」

 ずるい言い方だとサリュは内心で苦笑した。それでは、一宿の恩を得た自分達は何も言えなくなってしまう。

「すぐにここを発つ予定でいることだろう。その前に一度、考えてみてはいただけぬか。この通り、どうかお願いする」

 頭を下げる族長の前で、サリュとメッチは視線を交わしあった。



 集落を出る前に返事を聞かせて欲しいと言われ、二人は族長の円幕を辞した。自分達の円幕へ戻らず、そのまま密集した集団から少し離れる。おおっぴらに密談をするのにはそれが一番安全だった。幕の中では、裏で誰が耳をひそめているかわからない。


「どう思う」

 草原に腰を下ろし、困りきった表情でメッチが訊ねた。サリュは平淡に答える。

「受けたら?」

「簡単に言うなよなぁ」

 情けない声をあげながら、商人が顔をしかめる。

「元々、リスールに向かうところだったんだもの。同行者が一人増えるだけなら、私はかまわないわ」

 そっけない言葉は、本心の全てを含んではいなかった。現状ではそうとしか答えようがないと彼女は言っていた。何か問題があるなら、まずそれを教えてもらわなければ話にならない。


 降参するようにメッチが両手を広げた。

「わかった、わかりました。……けっこうさ、あんたって嫌な性格してるよな」

「あなたみたいな商人には、前に騙されたことがあるの」

 サリュにしてみれば斜に構えて当然だった。

 ふんと鼻を鳴らし、男は話し始める。


「部族の連中が特殊な立場にあるってのは、あんたも知ってるだろ。中には恭順してるのもいるけど、ここの連中はそうじゃない。彼らとは、あくまで対等な関係なんだ。ま、だからこそうちらみたいな行商人がいい商売できてるわけだけど」

 サリュは頷いた。部族とはつまり、領土を持たない国である。そういう事実については、極めて短い期間に受けた教育の中でも教わっていた。

「だから、まあ問題ってのはいくらでもあるんだ。例えば――殺したとか、殺されたとか」


 この星では全ての基に水の存在がある。人の命もまた、飲んだ水の場所に属するものとされていた。その治水権を持つのがそれぞれに任命された領主であり、彼らがその上に冠するのが国となる。

 部族は国家に属さない。つまり彼らの人権もまた、国が護るべきものではなくなる。

 彼らが強い武力を持つのも、歴史的にそうした自衛の必要性があったからに他ならなかった。彼らは自由を得たかわり、自ら以外に頼るものを持たないからだった。

「人死に云々ってのは、昔からよくあるいざこざでさ。同じ国の人間なら、領主に裁を下してもらうってのができるけど、部族連中じゃそうはいかないだろ? いいとこ、仲裁くらいなのさ」


「その仲裁役に入るのが、あなた達のような商人でしょう」

 サリュの言葉に、メッチは苦虫をかみつぶした表情で頷いた。

「そう。まあ、実際に仲裁に入るのは領主で、俺らはその下でって形だけどな。実際に動くのは俺らみたいな商人だ。部族との商売で、結局はそれが一番やっかいなとこだよ。交易先としちゃとんでもなく美味いけど、揉め事が起きた時は大変なことになっちまう。どこの商会でもよほど年季があって、腕に自信のある人間しか渉外役になりたがらないのは、誰だってリスクってやつを考えるからさ。一つ間違えれば、自分の首なんか簡単に飛んじまう」

 なるほど、とサリュは頷いた。そういった商売人としてのあれこれは、彼女の知識になかった。彼女が教育を受けたのは上級階級に位置する人々のもので、紛れもなくこの時代の最高水準のものであり、その知識の幅も可能な限り普遍的に努められていたものの、やはり観方に一定の限界はあった。その教育を受けられた時間そのものが不足していたこともある。


「でも、あなたの商会にも、そういう交渉役の人がいるんでしょう。族長も言ってたじゃない。協力してもらってるって」

「ああ、言ってたな。でも、それがどこまでのものかなんて、わかりゃしない」

 サリュは眉をひそめた。

「どういうこと」

「人死にとか、そういうのは。面倒なんだよ」

 言葉を選ぶように、慎重な口調になってメッチが言う。

「もちろん、商会だってつきあいのある相手に不義理なんてしたくないから、やれることはやるさ。でも、商会の本音としちゃ、下手に騒がないですむのが一番って思ってるはずなんだ」

「……本気で協力するつもりはないってこと?」

 メッチは黙り、押し殺すように言った。

「――それがわかんない」

 頭をかき、大きく息を吐く。

「だから参ってんだ。商会の上がどういう考えでいるのか。それがわからないから、どう動けばいいか。動いちゃいけないのか」

「ごめんなさい。わからないわ」

「……さっき、長が言ってたろ。部族には部族の繋がりがあるって。もしかしたら、うちの商会に圧力をかけてるのかもしれない」

 その言葉の意味を考え、すぐにサリュは理解した。

「――彼らの方も、あなたの商会が本気で動いているか疑ってる?」


 メッチは首を振った。

「疑ってるかどうかまでは。けど、交渉の一つなんだろうぜ。そっちがしっかりやらないなら、こっちにだって考えがあるぞっていうね。事はこれからの商売づきあいまで関わるから、商会の一員である俺だって下手な真似はできない。ったく、やっかいな時に顔見せちまったよ。ほんと」

 個人では収まらない。人と人が複雑に絡み合い、思惑を重ねあう図に一瞬、サリュは言葉を失った。世慣れない自分にはまるで経験のない、人間社会の表裏が垣間見えるようだった。見下すような男の言葉を思い出す。あの男、タニルの領主ケッセルトから言われたとおり、自分は世の中を知らない小娘でしかないのだと痛感した。

「……でも、それなら迷う必要なんてないでしょう。向かう先が違うってことにして断ってしまえばいい。それなら、向こうだって強くは」

 一言毎にメッチの顔が渋面になるのを見て、サリュは言葉を切った。冷たい声音で訊ねる。

「――あなた、昨日、私達の行き先場所を誰かに言ったりした?」

「言ってない」

 半拍の後に、若い商人は続けた。

「……多分」


「呆れた」

 心底から言葉どおりの感情を込めて、サリュは言った。

「なら、最初から断れないんじゃない」

 彼女の方でも、昨晩の宴でメッチが下手なことを言わないか気をつけてはいた。それでも全ての会話を聞いていたわけではないし、彼がこれから向かおうとしている町の名前を言っていなかったどうかなど断定はできない。もし誰かの耳にそれが入っていたら場合、話が族長に伝わっている可能性は当然あった。相手に言質をとられたかもしれない状況で、嘘をついて要請を断るリスクはあまりに大きいはずだった。

「だって、仕方ないじゃんか。話を盛り上げようとしてるうちにさ、つい口が滑っちゃってるかもしれないだろ?」

「知らないわよ」

 大げさに肩を落とす男を見下ろして、サリュは頭を振った。目の前の若い商人のあまりに迂闊な言動に、苛々した気分が抑えきれない。

「話し合いも何もないでしょう。部族とのことはあなたと、あなたの商会の問題だもの。私には関係ない」

「寂しいこと言うなよ。リスールまではあんたも行ってくれるんだろ?」

「ええ、行くわ」


 ただし、と彼女は付け加えた。

「私が引き受けたのはリスールまでの護衛同行、それだけよ。その後のことは知らないわ。向こうに着き次第、あなたの師匠って人への紹介状を書いてもらうから」

「そりゃあ、いいけどさ。……もし、俺が適当なこと言ったりしたらどうする?」

 上目に探る眼差しに、あえて二重の環を持った銀色の瞳を相手へと覗かせて、サリュは言った。

「リスールにはあなたの商会の人がいるでしょ。情報の確認はその人でするわ。このあたりを回っていた行商人なら、他の人だって知っているでしょう」

「――なるほど」

「もし、あなたが適当なことを言っていたら。その時は、クアルにあなたの頭を撫でてもらうから」

「そいつは勘弁してもらいたいなぁ」


 野盗を千切り捨てた猛獣の鉤爪を思い出したのか、メッチが顔を引きつらせる。不承不承に頷いた。

「わかったよ、それでいい。ただ、俺だって、商会に損を出させる為に行動しようなんて思わないんだ。部族の人間を連れてリスールにいったら、あんたが何か聞かれることだってあるかもしれない。その時の証言くらい、お願いされてくれてもよくないか?」

 旅に同行したのだから、部族の集落でどういうことが起きたのか聞かれることはありえる。それが何か自分に不利をもたらすとも思えなかった。サリュは頷いた。

「……それくらいなら、かまわないわ」

「んじゃ、紹介状を渡すのは商館でってことでいいかい。そこなら、師匠のことを知ってる連中も多いしさ。そん時についでに証言してくれれば、俺だって助かるし」

「ええ」


 後は、部族の人間と共にする旅の中でクアルを呼び寄せることができるかどうかだが、それは難しくなりそうだとサリュは予想していた。その場合、砂虎には単独でついてきてもらうしかない。リスールまでは二日もかからない距離ということだから、決して不可能ではなかった。クアルはひどく拗ねるだろうし、後で存分に甘やかしてならなくてはならないだろうが。

「――よっし。くよくよしてたってしょうがないしな。なら、族長のとこ行こうぜ。早めにここを出て、昼までに少しでも歩いといたほうがいいや」

 何かを覚悟するように短く息を吐き、決意のこもった瞳でメッチが立ち上がった。空元気にも見える男の様子を窺いながら、サリュもその後に続いた。



「おお、引き受けてもらえるか」

「はい。私どももタニルへの道中でございましたので。喜んで、リスールまでお供させて頂きます」

「しかしそれでは、いささか遠回りになってしまうが……」

「日頃お世話になっている皆様のお役に立てるのでしたら、いかほどでも。むしろ一夜のご恩を返せる機会を頂き、ありがたいほどでございます」

「嬉しいことを言ってくれる。メッチ殿、感謝するぞ」


 喜色を浮かべる族長と、神妙な態度でそれに応える商人のやりとりを白けた気分で聞きながら、サリュは同じ心境にありそうな表情をしている人物に気づいた。半眼で長の隣に佇む部族の少女も、目の前の寸劇のくだらなさには辟易している様子が見て取れる。

 族長の娘という立場にある人間が、なぜこの場に同席しているのか。それについてある想像をサリュはしており、実際にその通りになった。

「では、是非に頼みたい。リスールにはこのユルヴが向かう」

「ご息女が?」

 気づいていなかったはずもないだろうが、わざとらしくメッチは驚いてみせた。


「今回の件でひどく憤っていてな。自分が行くと言って聞かんのだ。若いが、話を聞く連中には顔も知れている。弓の腕も立つのだが……」

 言葉を切り、族長は顎鬚を揺らした。威厳ある顔つきに一瞬、父親の素顔がかすむ。

「生まれつき、短気な性分なところがあってな。ご面倒をかけることがあるかもしれん。よく言い聞かせておくので、よろしくお願いできるだろうか」

「かしこまりました」 

 男親の気持ちを汲み取るように誠心のこもった頷きを返し、メッチは仏頂面で立つ少女へと向き直った。

「改めましてご挨拶を。メッチと申します。リスールまでのご同行、よろしくお願いします」

「……ユルヴだ」

 目線をあわせずに答え、それきり口をつぐむ。族長が深々と嘆息した。

「すまぬ。……今、旅の間の食料を用意させている。水は、途中の水場で汲んでもらえるとありがたいが」


 既に準備が進んでいる手配りの良さが、話が断られるなどと考えもしていなかったことの証明だった。今となってはそれすら隠す必要もなくなったということだろう。それを聞いたメッチも、表情一つ変えることはない。

「はい、そのようにさせて頂きます」

「では、よろしく頼む。道中気をつけられよ。ユルヴ、よいか。決して気をはやらせぬようにせよ。万事は砂の流れに委ねるのだ」

「――はい。父様」

 幼い顔つきを厳しくした小柄な少女が外に向かう。族長に一礼したメッチが続き、その後ろをサリュが歩く。その背中に族長の声が届いた。


「砂の天意のあらんことを」


 幕を払い、サリュは陽射しの強まった外へ出た。

 見上げた空に、耳に届く声はまだない。



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