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砂の星、響く声  作者: 理祭
 一章 海を渡る
32/107

 発せられた声は意外に若い。さらりと水気のある透き通った声音に険しい視線との齟齬を感じて、サリュは返事に戸惑った。隣に立つ商人が答える。

「ああ、俺はメッチ、クァガイの者だ。すまないが、藁を恵んでもらえないだろうか」

 羊皮紙の中身を一瞥し、その若い女性は鋭い視線をサリュへと移した。

「そっちは」

「彼女は、俺の護衛で――」

「お前。外套をあげろ」

 肩をすくめたメッチから促す意味の目線を受け、無言でサリュは頭巾をあげた。

 念入りに布防具が巻かれてある、そこから覗いた瞳がいまだ衰えのない強い陽射下に晒される。瞳孔に二重の環を描いた異相を見て、女性がわずかに目を細めた。それを見たメッチも驚きを隠せずにいる。

「名前は」

「……サリュです」

 女性の刺すような視線と、それを受け流す瞳がしばし中空で絡み合った。眼差しを和らげないまま女性が顎をしゃくる。

「ついてこい」


 身を翻した馬を追って、外套を被りなおしたサリュも続く。その隣を馬車で行くメッチの視線が、恐々とその横顔に向けられていた。

「それで?」

「え、いや。別に、なんでも」

 びくりと目をそらす男を振り向かないまま、彼女は訊ねた。

「さっきの話」

「ああ。リトって人かい」

「知ってるの?」

 コブつき馬の手綱を握る手に力がこもった。腹を空かした砂虎が獲物に向かう如く、相手に飛び掛りそうになるのを必死に抑え込んでいる。

「知ってるっていうか。一年くらい前、師匠と一緒に会った人に、そんな名前の人がいたなって」

 一年前。彼女がその人物と出会い、別れた時期だった。

 サリュは心臓の鼓動を抑え、慎重にメッチの様子を窺った。表情に嘘をついている気配はないが、商人の言葉はもしそこに嘘はなくとも、それが真実であるかどうかはまた全くの別問題だった。彼女を護衛に巻き込むために、餌を吊るしてみせているだけという可能性さえある。あくまで平静を装ったまま、彼女は質問を続けた。

「どういう人。背は。髪は?」

「背はその時の俺より頭一つくらい高かったなあ。髪は、茶色だった。頭に防砂具あったから、長さとかはちょっとわかんないな」

「年はどのくらい?」

「二十そこそこってとこじゃないか。やけに落ち着いた感じだったから、もうちょい上かもしんないけど」

 風貌は合致する。しかし、それだけで意中の人物と同じという証拠にはならない。

「――目は」

「目? 髪とおんなじ、茶色だったよ」

「傷は、なかった? 右目か。その上か」

 彼女の記憶では、あの夜、小船から見た彼の顔の右側には血が流れていたように思う。月明かりしかない闇夜のことで、彼まで相当に距離もあったから正確にはわからないが、もしかしたらひどい怪我をおっていたのではないか。額の傷はよく血が出るし、残りやすい。そう聞いていた。


「傷? いや、なかったなあ。他には――ああ、ちょうどあんたが連れてるみたいな、コブつき馬を連れてたっけな」

 その言葉にサリュは一気に脱力する思いを味わった。傷はなく、コブつき馬。もしその人物が想像通りの相手だったとしても、恐らく自分と出会う前だろう。トマスで別れてからの彼ではない。しかしそれでも、彼女の捜し求めた人物と思われる足跡には違いなかった。

 旅に出て一年以上。人目を避けるように砂を渡り歩き、逐われ、殺されかけ、時に誰かを殺して求め続けた。陽炎のようにあいまいな探しものの、その服の裾を掴んだように感じ、自分でも思いがけないところでその幸運に巡り至った偶然が、彼女に不思議な虚脱感をもたらした。

 夢ではないか、と思い、はっと我に返る。その人物がリトと決まったわけでもなければ、この若い商人が本当のことを言っていると信じられるわけでもない。旅に出てすぐの頃、サリュは彼を知るという商人に騙され、身包みをはがされかけたことがあった。

「その人は、あなたの師匠と知り合いなの?」

「そうみたいだ。うちの師匠もけっこう手広く商売やってたしな。……探し人?」

 買い入れようとする商品に欠品を見つけた商人の目つきになったメッチに一瞬、言葉をかわしかけ、しかし彼女の心と身体の双方がそれを裏切った。

「……ええ」

 メッチが会ったというその男が本当に彼女の探している人物なら、そこから彼の消息を掴むことができるかもしれない。それが不可能でも、若い頃に帝都を出奔して以降、親しかった友人も知ることのないという彼の交友関係を知ることができたなら、そこから足取りをたどることも考えられる。


 下手な交渉にかまける余裕などサリュにはなかった。せっかく見つかった手がかりを失くすわけにはいかない。いくら護衛の報酬を安く叩かれようが、例え無償でもかまわなかった。

「ふうん。なら、紹介してやるよ。うちの師匠」

 メッチの言葉は意外なほどにあっさりとしていた。情報を玩ばず、出し惜しみもしないそのあけすけさは、それの持つ金銭的な価値を理解していないはずのない商人らしからぬ台詞で、そのことに強い警戒を覚えてサリュは言った。

「どうして?」

 困ったようにメッチが眉をしかめる。

「どうして、って。さっき、俺も無理やり巻き込んじまったし。おあいこってことでいいだろ?」

「――ありがとう」

 瞳を瞬かせ、若い商人は照れるようにそっぽを向いた。

「よせやい。あ、でもそれとは別件ってことで、護衛の件も頼まれてもらってくれるか?」

「それは、かまわないけれど……」

 彼女にしてみれば護衛の報酬そのものがそれだとしても全く問題はない。しかし、気になることはあった。

「いいの? 部族の人に頼めば、私じゃなくても頼める相手がいるんじゃない」

 先ほど瞳を晒した時の表情を思い出し、彼女は訊ねた。決して騙すつもりがあったわけではないが、意図して隠していたことにはなる。砂虎を連れた奇妙な瞳の女。気味悪くないはずがないが、問いかけに男はあっけらかんとした表情で答えた。

「なんでさ。あんたほど頼れる相手なんていないだろ」

 クアルのことを言っているのなら、それはそうかもしれないが。砂虎の存在を知らない部族の女性の前でうかつなことを喋るわけにもいかず、黙然としてサリュは頷いた。男がそう言うのなら、こちらでとやかく言うことではないだろうと考える。


 リスールまでの護衛を終え、メッチから紹介文をもらってどこかの街にいる彼の師匠の下へ行く。タニルまでの捜索行が全くの徒労に終わり、後味の悪い手ごたえと血に濡れた金色だけを胸に得て、それから行くあてのない旅をすること数週間。久しぶりに砂塵が晴れた気分になり、彼女の口元が綻んだ。大外套つきの頭巾と布防具におおわれ、決して外に漏れでないはずの感情の揺れを感じ取ったように、メッチも笑う。

「んじゃま、そういうことで。改めてリスールまでよろしく」

 サリュはこくりと頷いた。


 話の決着を見計らい、先を行く女性が振り返った。

「着いたぞ」

 円幕を広げた形の移動式住居が立ち並ぶ光景が目の前に広がっている。棟の総数は二十や三十を優に越えている、下手な集落よりも規模の大きな部族の住居群だった。

 砂土には短草が茂り、水源が近くにあることが窺える。周囲にそれを見かけることがないのは、水源の極めて近くに幕を張ることを良しとしないという風習のせいだろうと思われた。その理由についてまで彼女は詳しくないが、水源を神聖なものとしてみる思考はこの水陸で特に珍しいものではない。

「こっちだ」

 馬に乗った女性が常足で歩く。幕居の傍で石臼を曳いている集団が興味深そうにこちらを眺めていた。ふわりとした衣装に身を包んだ小さな子どもが数人、駆けてくる。敵意のない無邪気な視線にむずがゆさを覚え、気づかないように歩くサリュの隣で、懐から何かを取り出したメッチが子ども達に袋を放り投げた。中身を見た少年が歓声をあげる。

「……あれは?」

「ん。ああ、甘味だよ。モパのさ、干したやつ。土産みたいなもんさ」

 ふと、自分の集落を彼が訪れた時にも甘いお菓子をもらったことを彼女は思い出した。

「それは、商人の風習?」

「別にそういうの決まってるわけじゃないけどな。挨拶しておいて損はないだろ」

「子ども相手に手抜かりのないことだ」

 冷ややかな声で女性が口を挟んだ。その言葉が何を対象に向けられたものであるか考え、男の反応を窺って隣を見ると、メッチは苦笑いをしていた。

「いつかあの子達がお得意様になってくれるかもしれない。投資ってやつさ」

「投資」

 はじめて聞く言葉だった。商売用語だろうか。

「植物が実をつけるためには、水をやらないといけないだろ? そういうこと」

「砂漠に水をやってなんになる」

 挑発するような馬上からの物言いに、涼しげに笑う。

「そりゃ見解の相違ってやつだな」

 ふん、と不快そうに鼻を鳴らした女性が馬から降りた。しゃらりと全身に身に着けた装飾が音を鳴らす。サリュはわずかに目をみはった。馬上ではわからなかったが、その女性は小柄だった。自分も決して大きな方ではないが、さほど変わらないかもしれない。

「繋いでくる。少し待っていろ」


 返事も待たずに去っていく女性の背中を見送りながら、サリュは隣の男へ視線を送った。

「あの人は、何を怒ってるの」

 おおげさに肩をすくめる。

「さあな。前に来たときも、あんな風にぶすっとしてたっけ。話したのは今日がはじめてだけど、余所者嫌いなのかもな」

 とぼけた口調に、サリュは自然と半眼になる。

「……本当に大丈夫なの?」

 既に彼らは集落の半ばまで入り込んでしまっている。仮にこの部族達が敵対行動に出た場合、抜け出すのは容易ではなかった。指笛でクアルを呼んだとしても、砂虎といえど多数相手の勇戦に限界はある。

「大丈夫だって。それに、砂虎に襲われるよりはマシさ。とりあえず連中には言葉が通じるからな。……あんた、砂虎と言葉がわかりあったりするの?」

 そんなわけがない。クアルには多々、自分の言葉を理解しているような節が見受けられることはあったが、少なくとも彼女には愛猫の言葉はわからなかった。繋がりは、言語を介したものではなかった。

「ふうん。ま、砂虎が人を襲わないってだけで凄いもんだよな。……睨むなよ、もう金稼ぎなんて言わねえってば」

 睨んでいるつもりはなく、ただ男の距離感に困惑に近いものをサリュは感じていた。砂虎を恐れず、奇妙な瞳を不気味がらず、気安い態度で接してくる。もとより人とのつきあい方に疎い彼女ではあるが、男の態度は見知った誰かを思い出させた。あの人ではない。ケッセルトか、あるいは――セスクか。ああ、と思い至り、彼女は苦い気分を飲み込んだ。

 確かに目の前の若い商人には、成長したセスクの幻影があった。幼さを残した雰囲気が特に重なって被る。もっとも、あの少年が次に目の前に現れた時、決してこの男のような眼差しで自分を見ることはないだろう。


「――ついてこい」

 物思いを閉ざす声に顔をあげる。外套を外し、身軽な格好になった女性が戻ってきていた。刺繍のあしらわれた衣装から髪を隠した素顔がのぞいており、半ばの納得と驚きをサリュは抱いた。黒瞳を向ける女性はひどく年若かった。自分よりも恐らくは幾つか下だろう。

「長がお会いになる」

 親戚筋の家族連中が集って形成される部族において、族長は当然大きな発言権を持つ。決して集団の最年長が務めるわけではないのは、砂を渡る生活の過酷さを現わしていた。年老いたものは、すぐに死んでしまう。

「その前に荷物を置かせてもらえるかい。馬を休ませたいんだ」

「わかっている」

 ふてくされたように頷いた女性の先導で集落の中を進み、馬の並べられた厩に着く。馬を繋いでいると、女性が水桶を持ってきた。

「ありがとう」

 礼の言葉を述べたサリュに向けられた一瞥が厳しい。無言のまま、身体ごと顔をそむける女性の後をついていき、一つの円幕に案内された。

「連れてきました」

「入れ」


 砂避けに提げられた織物の隙間から香の薫りが漂った。メッチのあとに入った中は暗く、決して狭くないが物に溢れた印象がある。中央の一本の支柱を背に、男が座っていた。

「よくぞ参られた。旅の方」

 豊かな髭をたくわえた男だった。年のころは四十頃だろうか。薄闇にあって溶け込むような砂に灼けた肌色と落ち着いた深みのある眼差しが、部族の長としての貫禄を醸し出している。

「砂の流れの幸運にありまして。私はメッチと申します。クァガイの者でございます」

 布防具を取り、恭しく頭を垂れたメッチが捧げるように羊皮紙を差し出した。相対する男は部族の王といってもよい立場にある人間であるから、そうした態度は決して仰々しいものではない。頭巾を払い、サリュもメッチの後ろに控えて頭を下げた。

「……確かに。行商の方と見受けるが、今回はどのような? そちらとの商いは先日に済ませたばばかりだったと思うが――」

 女性の手から渡された羊皮紙の中身を検めた男が、隙のない声で言った。

「実は、近くの峡谷を渡っているところで賊から襲われまして」

「なんと。ご無事だったか」

「はい。ここにいるサリュのお陰で命拾いを致しました。元々、強行して危険な道を選んだ私の不徳と致すところではあるのですが、リスールに向かうまでの一晩の恵みを頂ければと」

 メッチの言葉を聞き、族長は顎をなぞった。

「では、商売が目的ではない?」

「お恥ずかしい限りです。もちろん、なにかご入用でありましたら、なんなりと」

「ふむ……」

 沈黙があいた。頭を下向けたままちらりと目線をあげ、サリュは族長の視線に気づく。直視を避け、目線をそらしたところに男の柔らかい声が降った。

「なるほど、ご事情はわかった。砂の訪れは天意のもの。せめて今日一日、我が家にてゆるりと身体を休まれよ」

「感謝します、長」

「今、寝床の用意をさせている。娘に案内させよう。――ユルヴ」

「……はい」

「ご案内しなさい」

「はい」

 どこか不服そうな表情の女性に促され、部屋を出る前、再び男の視線をサリュは感じた。


 少し歩いた先にある円幕に案内される。何人かが中の物を運び出していた。

「寝床は。二人一緒でかまわないな」

 メッチが窺うような眼差しを向ける。サリュは黙って頷いた。

「なら、休め。夕食には呼びに来る」

 一方的にそれだけを告げ、ユルヴと呼ばれた若い女性は去っていった。

「どうも、歓迎されちゃいないみたいだ」

「そうね」

 村を歩いた限りでは、あからさまに悪意を向けてきたのは案内役の少女一人だけだったが、族長の態度にも何か胸の中に持ち合わせていそうではある。メッチの口ぶりから、彼もそれに気づいていることが知れた。

「ま、話があったら向こうからやってくるか。荷物、取りにいこうぜ」

 厩場に向かう途中で何人かとすれ違ったが、やはり誰もが好意的だった。睨むような視線をしてくる人物は一人もおらず、部族というのは排他的な傾向が強いと思い込んでいたサリュには少し意外だったが、そのことを言うと男は得意げに答えた。

「なんだかんだ言って、俺達みたいな行商人が物流の要だからな。部族にも最近じゃ開放的な連中だって多いさ。うちの商会もこことは長いから、その積み上げてきた信用ってとこ」

「前に来た時と変わりはない?」

 声を潜めると、言葉の意図を察したメッチも油断のない目つきになる。

「今のとこは、別にないな。荷物を運んだら少し探ってみるかな」

 男の性格をまだ把握しきれてはいないが、商人としての用心深さは持ち合わせているようだった。同意の頷きを返し、サリュはコブつき馬の背にあった積荷を降ろした。ようやくか、と言いたげにわざとらしく息を吐くコブつき馬に苦笑し、餌になる食べ物をと思っているところに、メッチから声がかかる。

「ああ、馬の世話はこっちでしとくよ。これ、一緒に運んでおいてくんない? ちょっと知り合いを探してみるからさ。そっちはゆっくりしときなよ」

 様子を探りにいくつもりなのだろう。不審な外見の彼女が同席すれば返って邪魔になる可能性があった。了承して、二度往復して荷物を運び終わり、砂の立った円幕の中でサリュは息をついた。大外套を脱ぎ、その下の防砂具をどうするか一瞬考えたが、結局は全て剥ぎ取ってしまう。その上で改めて外套を羽織れば、それだけでも随分と心地が異なる。閉じきった幕中は、決して風通りはよくなかった。

 積荷の確認と処理を終えた後には、手持ち無沙汰気味に時間があいた。

 不審な人物が外をうろつくわけにもいかず、サリュは薄暗がりの中で時を過ごした。瞳を閉じれば脳裏に浮かぶのは探し人と黄金色の双方で、躁鬱な気配の波を漂いながら、じっとはやる気持ちを抑え続けた。



 どれほど砂が流れたか、入り口にかけられた砂避けの織物を揺らして姿を現したのは、メッチではなかった。半身を入れた小柄な女性がいぶかしむように顔をしかめる。

「どうして灯りをつけない」

「……気づきませんでした」

 サリュは答えた。

 いつの間にか室内の暗さが濃さを増し、隙間から入り込む陽光も衰えていた。眠っていたわけではなかったが、色々と想いを巡らせているうちに時間が経ってしまっていた。

 偽りのない返事だったが、相手のほうではそう受け取らなかったようだった。鋭い眼差しがサリュを見据えた。

「……夕飯だ。来い」

「はい」

 メッチは戻っていない。日が落ちたのであれば既に一刻以上にもなるはずだが、よほど話が弾んでいるのだろうか。念の為に護身の短刀を外套の裡に隠し、彼女は外に出た。


 外には朱赤を越え、夕闇が既に忍び寄っている。かがり火が点々と配された道を歩き、案内されたのは一個の円幕ではなく、賑やかな気配の広場だった。大勢の人々が集まり、中央に組まれた大きな焚火の前を車座に囲んでいる。宴会だった。

「何かのお祭りが?」

 サリュが訊ねると、ユルヴという名の少女はきょとんと瞳を瞬かせた。そうした表情をすれば、途端に子どもっぽさが現れる。すぐに険しく戻した視線で彼女は言った。

「旅の人間を歓迎しての晩餐だ。別に珍しくもないだろう」

 別に私が歓迎したいわけではない、と言いたげな口調を聞きながら、そういうものなのかとサリュは感心した。今までこうもあけっぴろげに歓待された試しは記憶になかったから、彼女が新鮮に思っても仕方のないことではある。全てメッチという存在、というより男の所属する商会の肩書きがあってのものだが、そうした扱いを受けることはもちろん不快ではなかった。

 だからこそ行いには気をつけなければならないだろう。大外套を被りなおし、その旅の連れはどこにいるのだろうかと探す。すぐに見つかった。もとより案内役の彼女もそちらへ向かっていたのだった。数人の男性に囲まれ、和やかに談笑する男が彼女を見上げた。


「お、きたな。こっちだこっちっ」

 その顔色が赤色に染まっているのは、あきらかに焚火のそれを映してのものではなかった。手に持った碗には濁った液体が満ちており、そこから強い匂いが漂っている。

「まあ座りなよ。今ちょうど、あんたのことを話してたところさ」

 遠くから吐く息に酒精が混じっていた。呆れ、酒にあかして何を話していたのかと勘繰るが、それからメッチが詠うように語りだしたものには、多分に彼の創作がまじっていた。恐ろしい砂虎は崖上に現れただけで失せ、もちろんクアルの存在も出てこない。かわりに砂賊を撃退したサリュの活躍が、本人が恥ずかしくなるほど派手に脚色されていた。男自身はあくまで情けない被害者で登場しており、その軽妙な語り口と話術の巧みさが周囲の笑いを誘った。

「こんな小さな女の子が、三人もね。そりゃあたまげた」

「族長のとこのユルヴとそう違わないじゃないか。気の強そうなところもあいつ並か」

 各自が持ち寄ったらしい食べ物を方々から一気にさしだされ、サリュは困惑と共にそれを受け取った。

「酒は? いけるクチかい」

 という勧めには首を振る。経験はあるが、あまり美味しいと思わなかったし、それにメッチの様子がこれでは自分まで酒の精と仲良くするわけにはいかなかった。男はあきらかに酒色に取り込まれ、陽気にけたけたと笑っている。

「なんだよ、下戸なのか? ちょっと初めはきついけど、慣れると上手いぜ」

 村人から話を聞きだすためには、食って飲んでみせるのは確かに必要だろう。男の行動はその為のものと思いたかったが、それを信じるにはあまりに強く不安を感じさせる表情だった。

 すぐにまた周囲との歓談に興じるメッチを呆れるように眺め、ふと視線を感じてサリュはその元を探した。


 中央の焚火の向こうに、こちらを鋭い眼差しで捉えるユルヴの姿が見えた。彼女の隣には族長がおり、何事かを語りかけている。視線をかわし、直視しないようにそちらへ注意を配りながら、サリュは手に渡された器から肉菜の一枚を口に運んだ。臭みのある羊肉に香草を巻いた薄切りのもので、味付け自体も濃く調理されている。飲み物が欲しいところだったが、それを言えば八方から酒が伸びてくるのが判りきっていた為、唾液にまぶしながら彼女は柔らかい肉を胃の奥に流し込んだ。

 通りがかった女性から吸い物を渡される。礼を述べて受け取り、近づけると塩味の香りが鼻腔をくすぐり、彼女は笑みを残して去った女性に心から感謝した。


 まだ夕闇ではあるが、宴は早くも充分な盛り上がりを見せていた。サリュに寄って話しかける者も多かったが、彼女が反応こそ返すものの自分からはあまり語ろうとせず、近くにメッチという口巧者がいたから、自然と注意は彼の方へ集まることになる。

 それを狙ってのものなら大したものだが、ただ場の勢いに飲まれているだけという可能性もあった。男に暴走の気配があればすぐに止められるよう気を配りつつ、サリュは饗宴から身を引いた態度で食事を続けた。

 警戒は当然のものとして、こうした場を楽しめないのは損なことではある。だが、素直に歓待を受けることが難しいことをサリュは理解していた。彼女は異質な存在だった。今この場で頭巾を外すだけでそのことは知られてしまう。一頭と一匹の連れとともに旅を続ける彼女にとっては、人々が宴を楽しむその近くにいられるだけで十分なもてなしと言えた。

 それを寂しく思う気持ちも当然あった。むしろ日が強いほどに濃く浮き上がる影のように、他者の存在が近いからこそ痛感する寒々しさだった。


 サリュが身を屈めたのは日の暮れた涼風が身体を過ぎたからではない。

 自分は弱い、と彼女は思う。それが結局、あのイスム・クの惨状を招いてしまった。今でも何が正解だったかわからないし、決して後悔もない。それでも、一度は自分自身を投影した少年から親殺しの憎しみを向けられて、平然としていられるはずがなかった。


 一人は嫌だ。だから自分は旅をしている。

 でも、一人がいい。あんなことになるくらいなら。


 ――彼はどうだった? 砂海の旅人であったあの人物も、同じように人々の騒ぎのなかに自身を置いた経験はあるはずだった。そうした時、彼は何を思ったのか。彼の強さと弱さは心中に何を囁いただろう。

 それがわからないことがサリュには寂しかった。

 彼女が探し人を求めて一年と一月になろうとしている。それはつまり男の存在を失くしてからの年月でもあった。今では彼の温かさも記憶の砂に埋もれかけている。表情や仕草、一挙手一投足まで脳裏に刻み込んでいるつもりでも、いつしかそれは彼女の想像や願望が摩り替わったものになっているのかもしれなかった。


 私は何を探しているのだろう。彼か。それとも彼の幻か。


 思考が下降していることを自覚し、サリュは息を吐いて暗い想念を払った。せっかく彼の足取りを掴めそうなのにこうした考えをすることは全くふさわしくないはずだった。ふと目についた碗を取り、きつい香りを無視して一口すれば、苦さと臭みがたちまちに胸の中で熱く燃え広がった。



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