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砂の星、響く声  作者: 理祭
 一章 死の砂と集落
3/107

 夜になると、サジハリの誘いを受けて三人で夕飯を共にすることになった。兎肉のスープと炒り豆にパンという簡素な内容だったが、ほとんど乾燥食料しか口にできない旅に比べれば、十分に贅沢な夕餉だった。特にスープはひからびた野菜を使っているとは思えないほど芳醇な味わいで、リトはおかわりまでした。


 サジハリは道中の旅の話を聞きたがり、リトも人々から好まれるものを選んで話して聞かせた。代わりにこの村の言い伝えや変わった出来事を聞かせてもらい、いくつかの話が終わった頃にはすっかり夜も深くなってしまった。

 一緒にテーブルを囲いながら終始無言だった少女の頭がうつらに揺れたのに気づいて、サジハリが柔らかい声で促した。

「もう遅い。湯につかっておいで」


 少女は黙ったまま頷き、外に出て行った。その途中で一瞬だけ目が合い、リトが笑うと少女も少しだけ口元が動いた。やはり、笑顔までいかない表情だった。

「愛想なく申し訳ありません」

「いえ。いい子ですね」

 社交辞令をリトは言った。サジハリは曖昧な表情で首を振り、

「不憫な子です。気がつけば空を眺めている変な娘でして」


 そういえば出会った時もそうだった。達観というべきか、それとも諦観というべきなのか。少女のその時の表情が、なぜかリトの脳裡に焼きついていた。

 それはともかく、この種の会話は流れとしてあまり好ましくないように思える。他人の苦労話を聞いて同情するのは簡単だが、それだけで終わってくれるようなことは少ないのだから。リトはやや強引に話題を変えることにした。

「昼間は、ありがとうございました。おかげで興味深いものを読むことができました」

「とんでもありません。たいていの村の者は読み書きもできませんで、村長の趣味がまったくわかりませんでしたが。お役に立てれば幸いです」

 裏のない笑みでサジハリは応えた。


「それにしても。旅の方とは何人もお会いしてきましたが、貴方は少々変わっておいでですな。なんといいますか――」

 食料より先に本を求める変わり者などそうはいないということだろう。はっきりと口にしない相手の気遣いに苦笑を覚えながら、リトは鼻の頭をかいた。

「変わってる、とはよく言われます」

「ああ。いえ、申し訳ありません。一昨日だったでしょうか。この村に立ち寄られた方からは、村の状況を聞くや否やなにか金目になるものがあれば譲ってくれと言われましたのでな。少しばかり意外だったのです」

 全てが埋もれてしまうのなら、生者が有効的に利用してもいいはずだ。その考えにはリトも全く同意するところだった。ただ、彼の場合はそれ以上に本や伝承に興味があっただけであり、

「趣味や嗜好は違いますから」


 牽制の言葉に、サジハリは表情を変えなかった。人生という長い年季を積んだ者だけが持ち得る手応えのない異物の感触を前面に感じて、リトは手に持った葉茶を飲んだ。どうも、やはりあまり面白くない方に会話が流れてしまいそうな予感があった。

「ああ。本ですが、もし必要であればどうぞお持ちください」

 だから、相手からさらりと言われても、すぐには反応せずに茶碗で表情が隠れている間にそれがどういう意図から発せられたものであるか思考を巡らせた。それをテーブルに置く頃には彼の表情には笑顔が浮かんでいたが、内心では警戒の鐘を鳴らしている。

「本当ですか? それはありがとうございます」


 好々爺の面持ちでサジハリは続けた。

「ええ。ただし、その代わりと言ってはなんですが、一つお願いを頼まれてはいただけませんでしょうか」

 予想したとおり。リトはせいぜい不思議そうに目線を送った。

「あの娘を、どうか一緒に連れていってもらえませんか」

 飲んだばかりの葉茶をまた傾けたのは、返事に困ったからではない。どうやって断ろうか一瞬考えて、結局、彼は型通りの言葉を選んだ。

「それは、無理です」

「なぜでしょうか」

 わかっていてなおそう尋ねてくる穏やかな口調に、表情には出さずに微かな反発を覚える。

「わたしも旅の者ですから。そんな余裕は……」


 生まれて間もない子供ならまだしも、十代半ばにもなれば、単純に旅の同行が難しいというわけではない。この集落にも少女以外の子供だっていなかったわけではないだろうし、現にそうした子供達の姿はここには見えなかった。だいいち、若者の存在は村の将来に必要不可欠なものだ。

なら、その貴重な働き手と担い手になりえる、この少女が旅に出ずここに留まっている理由はなんだ。今まで接した限りでは特に長旅に不利な要素もないようなので、つまりはやっかいもの扱いされたからだろうと予想できた。


 そうなるとまず考えられるのは、あの奇妙な瞳だ。

 周囲と異なる特徴を持った人間が忌避されるのは、どこでも同じことだった。サジハリは故意には見えない自然さでため息を漏らした。

「あの子は父なしで、母もあれを産んですぐに亡くなっておりましてな。村の古い役目をしていた婆に育てられたのですが、昼間お話した通りその者も死んでしまいました」

 人生経験の差だろうか。会話のペースを相手につかまれていることを自覚しながら、リトは話の続きを待った。

「お気づきでしょうが、あれの目は少々変わっております。昔から不吉だ、呪いだと騒がれておりましたが、一人になってからは誰もあの子の面倒を見ようとしませんでした」

「そうですか」

 ご苦労様です、とはさすがに言えなかった。

「あれもわかっているのでしょう。皆から置いていかれた時にもなにも言いませんでした。しかし、貴方のような方がいらっしゃったのはまさに神のお導きです」

「あいにくですが、わたしは無神論者で」


 教会もない集落の人間がいったい何を指して神と表現しているのか、そのことに若干の興味はあったが。

 男は涼しい顔で皮肉を受け流し、弱り果てたようにリトはため息をつく。

「先ほど、一昨日にも旅人が来たとおっしゃりましたね。その人も引き受けなかったのでしょう。わたしも同じです」

「いえ。その方にはお願いしておりません」

 怪訝に眉をひそめるリトを見て、サジハリは言った。

「長く生きてきましたのでな。人を見る目なら多少、心得ているつもりです」

 それを聞いたリトは笑った。それで自分が選ばれたのなら、その目はとんだ節穴と言うべきだった。

「貴方がどのように判断されたかはわかりませんが、勘違いですよ。わたしについてきたところでろくなことにはなりません」


 別に彼は少女の不思議な目になにか思うところがあって同行を拒否しているわけではなかった。単純に独りのほうが気楽だったし、それに。他人が、それも子供が不幸になることがわかってそれを許容するほど悪趣味もしてはいない。残った良心のかけらなどではなく、それはただ彼の矜持だった。

 サジハリは若者の主張を穏やかに否定する老人そのものの表情で、

「本当の悪人は自らそのようなことは申されません」

 聖書にあるような言葉だ。それとも、読み書きができないというのは嘘か。まさかそこまでとは思ったが、男の目的が見えた以上、裏を勘繰らずにはいられなかった。今までの善意が全て、あの少女を押し付けたいがためのものだったのかもしれないのだから。

 席を立つ。食事の礼を言って家から出ようとしたところで、背後から声がかかった。


「一生面倒を見ていただきたいというわけではないのです。どこかの町まで、あの子を連れていってやってくれませんか」

 リトは振り返った。はじめてその目に冷ややかな怒りが灯っている。

「わたしは自分が小悪党だということを自覚していますが、それより嫌いなものがあります。偽善は本人が正しいと陶酔しているだけ、なお性質が悪い。知り合いもない町に連れていって、あんな子供にどうやって一人で生きていけと言うのですか。貴方が言っているのは、ただ自分の満足を得るためだけのものでしかない」

 自分は責任を果たしたと。だから自分の見えないところで死ねと、そう言っているだけではないか。

 それに対して返ってきた答えは、簡潔だった。

「あの娘はもう子供ではありません。どのようにせよ、生きる術ならあるでしょう」

 それがどのような行為をさすのか、もちろんわからないわけがなかった。今度こそ本気の嫌悪を抱いて、穏やかな表情を崩さない初老の男に吐き捨てる。

「――失礼します」

 感情のまま外に出たので、布防具を被るのをすっかり忘れてしまっていた。借り部屋に戻ったリトは、砂と砂利にまみれた頭を大いに嘆くことになった。



 少女が汲み置きしてくれていた水を使って汚れものまで洗ったあとは、やることがなくなってさっさと床につくことにした。

 藁が敷き詰められた布団は虫がいる様子もなく、一度横になってしまえば二度と起き上がることは不可能だと思えるほど素晴らしい寝心地だった。すぐに意識を失くしてしまうのももったいない気がして、彼はしばらく窓から見える夜空とそこに浮かぶ欠けた月を見上げていた。


 集落全体を包むような砂風は、一時ほど前からその猛威を弱めている。死の砂は昼夜問わずその破壊を尽くすというのが通説だが、あるいはこの集落の土地柄のせいもあるかもしれなかった。崖の切れ目を吹きぬける気流の関係で、一時の無風状態が生まれているのかもしれない。


 引き絞った弓の弦のような姿をした月は、これからその姿を膨らましていき約二週間で満月になる。それを見てわかるのは太陽とこの惑星の現在の位置関係、それだけであるはずなのだが、その月の満ち欠けにさえ不吉を感じるのが人というものだった。

 曰く、満月の日に死の砂は現れる。あるいは、月がない晩にこそ死の砂が誕生する。

 二通りの通説があるだけで論理としては矛盾していると思うのだが、大部分の地域で似たようなことが信じられているのだった。


 リトはそれを全く信じていなかった。

 彼は懐疑主義者だった。まず疑うべきは自分自身であり、だからこそ他者のことなど信じられるはずもなかった。昨今、新学派として学問都市を中心に蔓延っている懐疑論者と違う点は、行動でそれを証明しようとしているところにある。

 世に学者は数いれど、放浪の旅にて死すは我が友のみよ――歌詠みを生業とする友人が、皮肉気に彼に贈った言葉。理想郷とまで称えられる帝国首都を出てから、十七の時に勘当同然に実家を飛び出してからは五年になる。世界最水陸であるバーリミア水陸の各地を放浪してわかったことは、机上の論理と実生活との甚だしいまでの乖離だった。


 例えば月の満ち欠けは見せかけのものであり、大いなる存在なくしてその説明はすることができる。しかし、だからどうしたと答えるのが辺境に生きる人々だった。小理屈をこねたところで、ある時期の満月の日にある種類の魚が大量に獲れるのは事実だし、そしてそこにはやはり大いなる存在が関わっているとそこに生きる人々は思うのだ。知識と経験。あるいは知恵と知識。学者と呼ばれる一握りの人間はそこを埋めることがまだできないでいる。

 それを成す為に自分はこうしているのだろうか。皮肉に口が釣り上がった。そうではない。結局、自分は中途半端なのだ。本物の学者なら、知識を追求することで最終的に知恵と結ぶことも可能だろう。自分にはそんなひらめきはない。


 では、それすらもただの代償行為だったとしたら。


 なんとも心安らかになる自問だった。寝込みを襲われる心配がないような場所では、ろくでもない考えが次々に頭に浮かんでくる。答えのない螺旋のような思考に区切りをつけて、リトは頭元のランプの灯を消した。

 すぐに暗闇が訪れた。立て付けの悪い部屋にも砂が紛れてくるようなことはなく、今は外を鳴る風の音も静かだった。


 目を閉じてゆっくりと意識が沈みゆくままに任せていたリトは、意識が完全に消失する前に物音を聞きつけて、まぶたを開けた。枕の下にある護身用のナイフを持つ。虫の音もない静寂の中に、空気の揺れのような気配を感じる。

 滅びかけの集落で襲われるとは思っていなかったが。さて、なんのつもりだ――蝶番が小さな音を上げて、侵入者がその姿を現した。その影は男より小さく、それどころか成人にも見えなかった。


「君は」

 ようやく目が闇に慣れてくる。そこにいたのはあの少女だった。

 昼間の貫頭衣を着て、真っ直ぐに彼を見つめている。なんの用だろうと疑っている間に少女は衣服の腰元を解くと、その裸体を晒した。

 なにを、とは問わない。訊くまでもない意思表示がすでにされていた。あの娘はもう子供ではありません――言葉がよみがえった。

 町や村で、旅人の夜の相手をつとめる女はいる。しかし、それは集落全体の為に健康な外部の子種が必要なのであって、今のこの集落にそのような意味があるとは思えない。

 十代も半ばになれば子を生む女もいる。特に辺境に行けば行くほどその傾向は強かったが、都会でも同じ年頃の少女が花を売っていることなど珍しくはない。


 それが事実で、現実だった。


 少女は確かに子供ではないかもしれない。だが、それだけだ。

 不快に歪んだ表情で、リトは今度は舌打ちを我慢しなかった。大きな音にも反応せず、少女は無言で彼を見据えている。不愉快だった。不愉快でたまらない。胸の檻の加虐心のままに、リトは呼びかけた。

「こっちに」

 少女はやってきた。

 太陽の下で小麦色に見えた肌は、暗闇の中に半ば埋没していたが、その形作りははっきりと見ることができた。長くしなやかな四肢。貧相な胸。腰。曲線の少ない体つきは、栄養不足もあってのことだろうが、まさに未成熟の一言に尽きた。それを好む嗜好もあるのかもしれないが、目の前の状況はまったく彼の趣味ではなかった。


 だが、月夜に照らされる少女の裸は、それとは違う意味で美しかった。無遠慮に観察するリトの視線に耐えるように伏し目がちに、少女の表情が浮かんでいる。

 湯に浸かったからか、少女は髪が特にさっぱりした印象だった。頭には昼間やった白い花が挿されていて、それが下種な隠喩を彼に連想させる。埃の落ちた顔もよく見れば整っていて、出来ることなら五年後の姿を見てみたいものだった。銀色にも見える相貌は薄暗闇の中でもはっきりとわかる二重の円を描いており、それが背景の闇とあいまって異様な雰囲気を醸し出している。


 伝承にあるような、人を騙す魔性の何か。そんなことを思っていると、少女の長い睫毛が、細かく、だが確かに震えているのが目に入って、リトはため息をついた。

「あの人に言われたから?」

 少女は首を振って答えた。

「――違います」

 少なくともその声は震えていなかった。それがますます気に入らず、ほとんど睨むように少女を見やって、リトはおもむろに胸部に手を伸ばした。おうとつの少ないそれを無理やりに掴みあげる。少女の身体が硬直し、喘ぐような悲鳴があがった。

「悪いけど趣味じゃないんだ」

 手を放すと、腰が砕けたらしく少女はその場にへたり込んだ。ようやく感情の綻びをみせた、上目遣いに睨むその顔が屈辱にか小刻みに震えており、あまりの揉み応えのなさにむしろ感心しながら、そういう反応は女だなとリトは思った。肩をすくめる。


「君は、生きようと思ったんだろう」

 少女から返事はない。

「なら生きればいい。明日にでもここを出て歩き出して。俺を殺して荷物を奪うのも手だな。あのコブつき馬はいい。君ぐらいなら乗せたまま次の町まで行ってくれるだろうさ」

 冷たい目で少女を見下ろして、告げる。

「生きるってのはそういうことだ。たかが抱かせるから連れていってもらおうなんて、そんな簡単な話じゃない」

 そして、手に持ったナイフを少女の前に転がした。それで話は終わりとばかりに寝台に横になって、眠りに入る。


 しばらくしてから気配が動くのを感じて薄目を開けると、すぐそこに少女の姿があった。その手にさっき床にやったナイフがあり、切っ先がまっすぐこちらに向けられていて、少ない光を集めて冷たい輝きを刃の先に零していた。不可思議な二重を描く、人を惹きつけてやまない妖魔のような銀色の瞳が、また感情の色が見えないままに自分の姿を映しこんでいるのを確認して、リトは改めて目を閉じた。

「おやすみ」

 そして、今度こそ眠りについた。



 やがて寝息をたてはじめた男に、ナイフを突きつけたままの少女はわずかに顔をしかめ、かぼそい息を吐いた。その手が力なく下ろされ、小さな手をすり抜けたナイフが床に突き立った。

 少女は散らばった衣服を集めて、裸のままそっと部屋から出ていった。



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