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砂の星、響く声  作者: 理祭
 四章 砂の呼び手
27/107

「――お姉ちゃん。朝だよ」

 夢を見ないほどに深い睡眠だった。砂と獣の匂いに薄く瞼を持ち上げたサリュを、呆れたような顔のセスクがのぞきこんでいた。

「どうしてこんなとこで寝てるんだい。部屋、探したんだぜ」

 のそりと顔を持ち上げた砂虎が、邪魔するなとばかりに少年に牙を剥く。大きく開かれた顎に怯えることなく、セスクが何かの野菜をその口の中に放り込んで、クアルが奇妙な顔でそれを齧ってみせるのを見て、サリュは口元をほころばせた。

「朝メシ、作ってあるよ」

「ありがとう」

「いいって。うん、今朝のは焦げてないよ」


 厩舎を出る。普通の村落なら日の出前に外で働きだす人間がいるものだが、外には誰の気配もなかった。つまりはそれが砂の恐ろしさなのだった。生活を、壊す。

 人智を超えた圧倒的な力が全てを吹き飛ばし、埋めていく。砂に満ちた星でそれは人が順守しなければならない絶対的な法則だった。その中で生きる――抗って、生きる。ケッセルトの言葉が脳裏に蘇った。黄金を手に入れる為に。


 黄金。彼女が知る希少な鉱物の意味以外に、そこには何らかの比喩が含まれているように思われた。昨晩のファラルドの口ぶりにもそれは感じた。

 何かがひっかかるのだが、うまく結びつけることができない。考え込む彼女の眼前にセスクがよそった朝食が差し出された。

「ありがと」

 白い湯気から芳醇なミルクの香りがたっている。中には豪勢に振舞われた乾米が顔を覗かせていた。

「親父のヤツが寝込んでるからさ、貯めてあった材料をこれ以上ないってくらい贅沢に使ってやったんだ。親父、目を白黒させるはずさ」

 悪戯っぽく少年が言った。陰気さのない表情につられ、サリュも口元を緩める。

 ふと、セスクの顔から笑顔が消えた。


「……どうして笑えないんだろう」

 手元の皿に視線を落とし、

「皆、死んでるみたいに陰気でさ。口を開けば、下を向いてぶつぶつ文句を言うだけ」

 セスクは重く息を吐いた。

「親父、村の皆が兵隊相手に戦って死ぬなんて考えてたみたいだけど。そんなこと起きるはずなかったんじゃないかな。だって、実際そうだし」

 どうだろうか、とサリュは声には出さずに反駁した。

 衝動とは発作的なものだ。特に集団の場合、それは本当に些細なことで容易く燃え上がる。昨日、洞窟から出てきた自分達を農具をとった村の人間達が囲んだ、あれがそのまま自暴自棄の暴走を招く恐れもあったのだ。


 その機先を制して鎮圧してみせたのがケッセルトという男だった。吹き荒ぶ砂に姿を隠し、実際には何名いるかわからない兵達の訓練されたときの声に、村人達の暴走しようという意思はあっさりとくじかれた。

 個人的な感情は抜きに考えて、あの人物が有能であることは確かだ。約束も、守られるだろう。

 その人物を知らなかったことが、ファラルドにとっては誤算だったのかもしれない。――そうなのだろうか。妻を亡くし、村に絶望した男が滅ぼしたかったのは、どちらだろう。村か、それとも村人達か。

「セスク。……あなたはこの村が砂に埋もれてしまったら、どうするの?」

 問われたセスクは瞬き一つほどの時間を考えて、答えた。

「お姉ちゃんと一緒にさ、夕日を見たじゃんか」

 瞳の中にいつかの光景を思い出しながら、

「あれ、すっごい綺麗だった。俺、あれだけで村を抜け出して、姉ちゃんについていってよかったと思ってる」

 少年は笑った。

「どうもしないよ。どこか別の場所でまた、生きてけばいいんだもん。ここはイスム・ク――黄金の在る村なんだ。だったら、ほら。黄金なんてどこにだってあったじゃないか」

 その答えは恐らく正しいものなのだろうと、彼女は思う。



 食事を終え、セスクは宿を出て行った。生きる希望を失った村人達に、最後まで尻を叩き続けるつもりらしい。今日の日没頃、あの男が兵とともに現れることを告げると、緊張した面持ちで少年は頷いた。


 サリュは朝食を持ってファラルドの部屋を訪れた。皿の中身を一瞥した男が、セスクの言ったように渋い顔になるのが少し可笑しかった。

「――あいつは?」

「外へ。村の人達に話をしにいきました」

「無駄なことを……」

「そうでしょうか」

 彼女がさきほどセスクと交わした会話を話すと、息子の言葉を聞いたファラルドは無言で、視線を宙に彷徨わせた。表情には複雑な想いがよぎっているようだった。様々な色がまじりあって混沌としていた。

「私には家族がいませんでした」

 男へ、静かにサリュは言った。

「こんな目をしていましたので。故郷も。だから、正直に言って、よくわからないのです」

 ただ、と続ける。

「羨ましく思います。私は持っていなかったから」

 あなた方は。あなたは、違う。

 言外に込めた台詞に、ファラルドは何も言わなかった。


 部屋を出て、彼女は建物の中で研ぎ石を探し、それを持って浴槽に向かった。一晩の間に冷え切った水を浴び、ナイフを研ぐ。ついで、少し伸びてきたように思える髪も切っておいた。

 身を清めた後、しっかりと防砂衣を着込んでサリュは外へ出た。とはいえ、頭部に巻く布防具は昨日、泉で失くしまっていたから顔は素顔のままだった。激しい砂風が彼女の髪をなびかせた。

 約束の刻限まで余裕があった。その時間を使って彼女は村を見てまわった。当然のようについてきたクアルを伴って、様々なところを歩く。閉じきった家屋。砂の被さった畑。一件の家からは、セスクが声をはりあげるのが聞こえてきた。


 村の周辺には兵達の姿があった。ある程度の距離をとって、数名が一組になっている。腰に弓矢を携えていた。彼女とクアルとだけでならともかく、これでは荷とこぶつき馬を連れて村を出るのは不可能だろう。もちろん彼女にそんなつもりはなかった。

 あらかたを巡り終え、最後にサリュは洞窟を訪れた。祝いの地と呼ばれるその中を迷わないように注意して進むと、程なくして大きな空間に出た。

 ゆっくりとサリュは壁沿いの灯りをともしていった。先日よりは数が少ないが、半円状の光が自然の祭壇に灯る。


 静かなその場の中央に佇み、サリュは瞳を閉じた。耳を済ませる。――声が聞こえた。

 彼女は小さく微笑んだ。



 砂は一日、吹き続けた。


 雄たけびが村に轟いたのは、煙った空を太陽が降りきる前の時間である。宿に戻り準備を整えていたサリュは、心を乱さずに外へ出た。

 村の入り口にケッセルトが立っていた。背後には整列した兵達の姿が見える。

「日没までにはまだ早いと思いますが」

 問いかけると、男は悪気のない表情で言った。

「すまんな。日が落ちてからだと、色々面倒になる。明るいうちにすませてたほうが楽だ」

「……我侭ですね」

「そういう男なんでな」


 背後に、人々が集まる気配を感じた。村の人間が集まってきている。

「――姉ちゃんっ」

 聞き覚えのある声を無視して、サリュは男へ告げた。

「村の人達の保護を、お願いします」

 ケッセルトは片眉を持ち上げたまま答えない。

「あなたから伺った条件についてですが、――お断りします」

 サリュはナイフを引き抜いた。

「それでもと言うなら。ご自分の力で従えてみては」

 男が快活に笑った。

「なるほど。単純でいい」

 傍らに立つ兵から長剣を譲り受け、一歩進み出る。

「今の台詞、忘れるなよ?」

「そちらこそ」

 鞘から引き抜いた長剣を確かめるように眺め、顔を上げたケッセルトが荒ぶる砂に負けないよう、よく通る声を張り上げた。


「ツヴァイ帝国臣、ケッセルト・カザロの名において宣言する。イスム・クに生きる者、全てツヴァイの良民である。もし罪があるならばそれは全て我が罪である。その生命と財産は、必ず我が剣の誓いに守られるであろう」


 驚きと困惑の気配が彼女の背後で生まれた。無理もない。水源の秘匿という重罪に対してどのような罰がくだされるかと思っていた村人達にとって、その沙汰はありえないほどの寛大さであった。波紋のようにざわめきが生じる、それを背中に感じながら、

「ありがとうございます」

 そっけない感謝とともにサリュは駆けた。


 疲れは完全に消えている。昨日よりもさらに鋭い強撃を、しかしケッセルトは余裕をもって受けた。一撃し、男からの反撃が来る前に、サリュは後ろ飛びに距離を空けた。


 宙に身を置く刹那、彼女は思考した。

 ケッセルトが持つ得物は一般的な長剣、ショートソードと呼ばれる歩兵用の剣である。見た目と打ち合った返りから察するところ、切れ味よりも打撃力と耐久度を重視したもの。男の体格なら片手でも容易に扱いうるだろう。本来なら盾や補助武器とともに用いられることが多いが、目の前の男はそのどちらも持っているようには見えなかった。

 とはいえ、それが有利に働くものかどうかはわからない。長剣を構えて自然にこちらを見据える姿勢には、はるかに高い男の技量を窺わせた。まずもって武器の間合いが違う上に、性別による単純な力の差は如何ともし難い。正面からまともに組み合っていい相手とは思えなかった。


 こちらが勝っている部分があるとするなら、俊敏性だろう。体格に勝る相手との立会いは、常のことでもあった。このまま接近と離脱を繰り返して男を焦らし、体力の消費を狙う――一瞬の間に、サリュはそう考えたのだが。


 彼女が一歩後ろに飛ぶ、それ以上の速さで男が迫ってきた。


 気迫のこもった斬撃が斜めに打ち下ろされる。驚きに声を上げる暇すらなく、両手に構えたナイフの刃元近くでサリュはかろうじてそれを受けきった。その視界の右から、握った拳が腹部に向かって撃ちだされた。

 左肘で受ける。激痛が走った。勢いを殺せず、そのまま彼女は吹き飛ばされた。それでもなんとか転ぶことだけは耐え、苦痛に顔を歪めたサリュを見て男が口元を緩めた。

「お、よく防いだな」

 サリュは答えなかった。

 戦慄している。ケッセルトが片手で繰り出した一振りが、彼女の両手と同等以上の力だった。それをなんとか弾いたとしても、男にはもう一本の腕が残る。男の拳を受けた左腕は痺れきっていた。受け方もよくなかった。しばらく自由になりそうにない。


 大人と子どもだ。冷静に彼女は考えた。

 遊ぶようなケッセルトの態度に腹は立たなかった。実際、それを許される程度の力量差があるのだと痛感する。ならば余裕も油断も、いくらでもしてくれればいい。圧倒的に劣っているのなら、必要なのはむしろ男のそうした傲慢さにあるはずだった。


 しかし、馬鹿にした口調とは裏腹に、ケッセルトはあくまで慎重だった。口元は笑っていても眼差しは真剣で、不用意に踏み出すようなこともない。男は彼女から動くことを誘っていた。どんな一撃でも受けきる自信があるのだ。攻撃の直後なら、いくら素早い相手だろうと、剣は届く。

 それはつまり、単純な速度ならこちらにも決して分がないわけではないということでもあるはずだった。わずかな勝機をそこに見出し、サリュは息を整えた。左腕は、もう少しかかる。今はまだ全力で走れば痛みがある。それでは相手を振り切れない。

「どうした、かかってこないのか? なんなら可愛いペットを呼んだっていいぞ」

 冗談ではなかった。あるいは、ケッセルトは自分には最低限の手加減をするつもりでいるのかもしれないが、だからこそそれ以外には容赦しないだろう。殺さないように、等という制限を押し付けられたクアルが殺されてしまうことだって充分にありえる相手だ。タニルの男の居室に飾られた砂虎の毛皮を思い出していた。昨日の泉での一幕でわかるとおり、男と男の兵達は、明らかにそうした戦いに慣れていた。


 握力が戻った。我慢できるほどの痛みを無視して、サリュは男へ掛かった。

 刀身ではなく、わき腹を狙ってナイフを走らせる。右手一本でそれを受けようとするのを確かめて、彼女は空中で大きく切り上げる軌道に変化させた。剣の柄を握る、ケッセルトの指へ向けて刃先が伸びる。

「おっと」

 男が右手を離した。手放された剣が宙に置かれ、かすらせるようだったナイフの刃があえなく空を切る。静止した長剣が地面へ落ち始める前に、ケッセルトは左手でその柄を握りこんだ。


 容易く行われた軽業師のような曲芸に舌打ちする。今度は速度を落として後退するのではなく、横を抜けるように駆けた彼女を追いかけて、男の右腕が迫った。牽制でそれを払い、再び対峙する。

「危ね。容赦ねえな、おい」

「そういう女ですから」

「容赦ない女は好きだがね。容赦ない女に容赦なく迫るのもな」

 互いの呼吸に変化はなかったが、消耗しているのは自分だけであるようにサリュには思えた。このまま男が徹底した待ちの姿勢を続ければ、派手に動き回るしかないこちらの体力が先に尽きるだろう。長期戦しか望みがないというのに、それすら封じられようとしている。じわりと焦りの気持ちが生まれ、彼女は覚悟を決めた。


 短慮だった。繰り出された攻撃は、そう思われても仕方ない程に直線的だった。


 斜めに切り上げられた一撃は、鋭さはあっても男には充分に防ぎ得るものでしかない。右手の長剣でそれを受け止め、ケッセルトが左腕を伸ばした。サリュは身をよじらせて逃げるが、反応はともかく、全力後すぐの行動にはどうしても無理があった。

 ケッセルトの左手がサリュのまとった防砂具を掴んだ。男が嘆息するように言う。

「経験を生かさなかったのが敗因だな」


 幾重に布を纏う防砂具は裾が風になびき、確かに戦闘には向かないものだった。昨日、それで二度も槍に縫い付けられて動きを邪魔された。

 そして、その事実は当然、彼女の記憶にも残っている。


「――生かさないと。思いますか」


 その場でサリュは回転した。留め具を外された防砂具がただの布と成り果て、そのまま男の全身を包み込む。腰に備えたもう一本のナイフ――右手に構えるものより刀身が長いそれを空いた左で逆手にとり、サリュは視界の塞がれた男の脛に向かって振り下ろした。


 勝利を確信したそれが、虚しく空を切った。

 防砂具が地面に落ちる。そこにケッセルトの姿はなかった。


「……今のはやばかった」

 さすがに引きつった表情で、数歩を遠のいたところに男は立っている。

 両手に長さの異なるナイフを構え、サリュは硬い表情でそれを眺めた。

 たった今見せた男の挙動は、あるいは彼女以上の機敏さのそれだった。必ず勝負をつけるはずだった、一度きりの奇襲もかわされてしまった。

「面白いのを持ってるな。最初から狙ってたのか? いいね、ますます気に入った」

 ふと、何かに気づいたケッセルトが空を仰いだ。

「砂が止んでやがる。お前さんの仕業か?」

 答えずに、サリュは駆けた。

 両手にナイフを構えている。この場合、それで殺傷能力がどうこうという話ではなかったが、男が素手を向けてくる、それに対抗する手段としては有効だった。


 一方のケッセルトも、今度は一転して自ら先手を打ち始めた。長剣を片手で、時に両手で扱い、決してサリュに劣らない速度で打ち込む。力、技量ともに勝る男が一旦攻勢に出れば、斬撃を一本だけでは防ぎ切れず、彼女は二本目のナイフで守るのに精一杯だった。

 状況は明らかに彼女に不利だった。勝っていたはずの俊敏性でも同等以上のものを見せつけられ、じり貧に追い詰められる。長短二本のナイフを駆使した防御にも限界があった。

 風向きを読みながら地面を転がったサリュが目を閉じ、すぐに見開いた彼女の背後から不意に強風が吹いた。無数の砂粒を顔面に受けたケッセルトが顔を背ける。その隙を突いて放たれた一撃を、ケッセルトはこともなげにかわしてみせた。――目を閉じたままの状態で。

「そんな」

 はじめてサリュの口から弱音じみた喘ぎが漏れた。


「おい……洒落にならんぞ。偶然にしても、出来過ぎじゃないか?」

 すぼめた目の端を拭いながら、男が言った。

 サリュは唇を噛み締めた。対峙すればするほど相手との差が思い知らされる。それどころか、彼女にはまだ男の底さえも計れきれずにいた。

 これ以上は相応のリスクをとらねばならなかった。自身が敗北する、あるいは手酷く負傷する危険性を踏まえ、彼女が次の行動にでようとした直前、朗々とした声が響いた。


「タニルの兵よ!」


 ファラルドの声だった。視線を巡らせようとしたところでケッセルトの攻撃が迫り、すんでのところでそれを捌いた。

「――なんだ、ありゃ」

 男の隙にナイフを打ち込んで、かわされる。

「お前の差し金か?」

「……知りません」


 実際、男の行動は彼女にとっても全く予測していないものだった。意図が掴めないが、それに目の前の男の意識が少しでも囚われるなら好都合だと考える。

 しかし、実際に男の発言に衝撃を受けたのは彼女の方だった。吹き荒れる砂に負けない声量で、ファラルドは言った。


「全ての罪は私にある!」


 彼女は身体ごと振り返った。


 そうせざるを得なかった。せっかくケッセルトから村人の安全を保障する言葉を引き出し、問題を個人同士の決闘にまで落とし込みまでしたというのに。それまでの行為を全てご破算にする口上をやめさせようとしたところで、後ろから男の舌打ちが響いた。


 同時に濃密な殺意。身をかわす間もなく二本で受け止める。振り下ろされた一撃に、正面から受け止めた刀身が折れなかったことがサリュには奇跡のように思えた。それほどまでに本気の打ち下ろしだった。

「つまらん」

 不機嫌そのものの表情でケッセルトが吐き捨てた。

「おい。もういいぞ」

 サリュは眉をひそめる。

「何がですか」


「私は貴重な資源である水と塩を隠すよう、長に強要した。その上で、一人だけ助かろうとそれを街に密告した。村と街、全ての罪は私にあるのだ!」


「……意気に免じて、芝居じみた一幕まで打ってやったがな。ああも潔く宣言までされてはどうにもならん。お前の落としどころにも興味はあったが、あれでは無理だ。俺はあの男を処罰しなきゃならん」

 単純な力では負けているのに、押し切られない。会話の為に剣を重ねた形で、至近に鋭い視線が睨みあった。

「約束が、違います」

「俺の破ったことか? そっちの不手際だろうが。賢しげに交渉の真似事をしてみせるなら、まず手前の駒の把握をしっかりとしておくべきだったな。お前にけったいな喋り方の手ほどきをしたやつは、そんなことも教えなかったのか」

 じわりと刃が押される。渾身を込めてそれに対抗するサリュを、冷え冷えとした視線で見下ろして男は言った。

「あの男の言い分をこの場にいる全ての人間が聞いている。後からここにやってくる連中のことを考えれば、禍根を残さないために処刑は確定だ。この場を収めるには、どうしてもあの男の命がいる。お前のやったことは無駄だったわけだ。やれることもない――いや、もう一つくらい残ってるか? とにもかくにも、ご苦労なこった」

 ケッセルトの全身が膨れ上がった。そう錯覚するほどの力を込められ、あっけなくサリュは吹き飛ばされた。地面に転がる彼女に背を向け、ケッセルトはファラルドへと一歩踏み出した。


 サリュはナイフを構えた。投擲の構えをとり――それを成し得ずに腕を下ろす。ケッセルトの背中はあまりに無防備だった。投げれば容易に突き刺さると確信できるほどに。それでは何の意味もなかった。


 男に気づいたファラルドは声を張り上げるのをやめ、相手が近づくのを待ち受けていた。砂の垣間にその表情が見て取れる。穏やかな顔だった。死を受け入れたような。


 ふざけるな。声によらず、彼女はその男の態度を憎しみにも近い感情で罵倒した。


 一人の男が全ての罪を被って処罰される。確かにそれで問題は解決される。村は自分達の罪を全てなすりつけ、街はその人間を罰することで面子をたもち、施政者としての地位を改めて確立する。一人の犠牲のうえに両者の立場は守られる。

 だが、それでは残されたセスクはどうなる。サリュはその姿を探した。呆然と、目の前で次々と起こっている出来事についていけずに少年は立ち尽くしていた。その周囲にいる村人達とともに、声もなく事の推移を見守っている。


 父親が犠牲になった平和など、セスクが喜ぶとは思えなかった。泣き、嘆き、少年はケッセルトを憎むだろう。復讐の為、剣を手にとるかもしれない。それを哀れには思っても、もはや彼女にできることは何もなかった。


 そうではなかった。ケッセルトの言葉を思い出す。やれることは、確かにあった。


 声が響いた。砂が、彼女の知る声で囁いている。

 考えろ、とその声は言っていた。その意味は自分で考えろ。サリュ。彼女の名前を。選べ。


 ――死の砂の魔女。


 立ち上がり、彼女は歩き出した。徐々に足が早まる。わざとかと思うほどゆったりとした歩調のケッセルトに即座に追いつき、その隣を過ぎる時、視界の端で男がかすかに笑っていることに気づいた。


 サリュはファラルドを刺した。


 吐息が漏れる。全身が強張り、微細に震えるファラルドが寄りかかってきた。抱きかかえるように身を寄せ、そのまま崩れ落ちていく男の声が耳に届いた。

「ああ。最後まで……すまねえな。やっかいなもんまで、あんたに――渡しちまう」


 セスクと目が合う。


 砂が止んだ。



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