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砂の星、響く声  作者: 理祭
 三章 黄金在処
23/107

 村人達は半死半生のサリュを引きずって村の中へと運んだ。どこかの家屋ではなく、集落の奥、半地下に伸びた地下道へと連れられる。

 そこは洞窟だった。何かの気配がひっそりと濃く沈殿しているような、闇の集合体。水気を帯びた空気が喉を湿らせ、混濁している頭脳に推測を与えた。自分が運ばれているこの場所がいったいどこなのかということは、心身ともに衰弱しきった今の彼女の頭でもすぐに推測できた。


 男達は、松明を手に先導する一人の後に続いて彼女を適当な場所で打ち捨てた。手荒な扱いに顔をしかめるが、もはや文句を言う力も残ってはいない。去り際、松明の灯りに下半分が照らされた顔の中心で険悪な視線が彼女を睨み、その男達がいなくなった後には暗闇が訪れた。

 彼らの気配が遠く、一切の灯りの漏れもなくなってからサリュは苦労して身を起こした。上半身を起き上がらせる、たったそれだけのことにも渾身を込めなければならなかった。

 浅い呼吸を繰り返す度に胃の中のものを吐瀉してしまいそうになり、頭の中では大音声の銅鑼が鳴り響いている。黒塗りの視界がたわわに歪んでいた。音のない世界には彼女がそのままに自身の意識を沈めるのを誘っている甘美な雰囲気すらあったが、今の時点で気を失って次に目を覚ますことができるかどうか。

 水が飲みたかった。それは決して無茶な願望ではないはずだった。


 すぐにでも奈落へと落ちいきそうな意識を舌を噛みつぶして保ちながら、サリュは這いずるように身体を伸ばして周辺をまさぐった。起伏の激しい床はひんやりとして、濡れた感触を手のひらに伝えている。いくらか這いずった先で深い段差に巡りつき、そこに腕を落とすと、柔らかい水音が跳ねた。

 濡れた指先を舐めると、辛味を帯びた味に乾ききっていた舌が痺れる。かまわずに彼女はその水をすくい、飲み下した。渇きはまるで癒されなかったが、身体の中に水分が染み渡るのは感じることが出来た。後味に残る塩分に嫌気がさすまでその水を飲み続け、それから彼女はようやくそこで意識の手綱を放した。


 少しして意識を取り戻した時、気だるさはまだ身体の奥に居座っていたが、頭痛の尾は少し引いているように思えた。渇きもいくらかはマシになっていたが、塩分の多く含まれた水を大量に飲んだせいか、かわりにひどく苦々しい粘りが口腔に張り付いている。塩水というものが渇きの助けにならないことを彼女は知った。


 相変わらず、体調は最悪の状態が続いている。自分がどれほど気を失っていたのかわかりようもない。普段なら空腹の具合でいくらか検討もつけられるが、ここ数日ろくなものを食べていなかった彼女の感覚はあらゆる意味で麻痺しきっていた。

 周囲にあるのは闇と岩と、塩の水だけだった。時間の流れを感じさせるものはなにもない。自分の荷も一緒にどこかに放られていないかと探してみたが、両手に擦過傷を増やすだけの徒労に終わった。

「あ――」

 筋張ってひきつる喉を震わせて、細長い声をはりあげる。反響は想像以上に大きく、遠くまで響き渡ったが、ここがどの程度の空間かわかるわけではなかった。そんな知識も経験も彼女にはない。せいぜい、広大な場所なのだろうと思えただけである。


 地下空洞。村の中にある。つまりここは、村の生活を支えるその水場だろう。祝いの地、とセスクは言っていたか。そんなところに自分を放り出した理由は何故だ。

 村人達の表情を思い出せば、自分が戻ってくることが歓迎されなかったらしいことはわかるが、その理由がわからない。ファラルドに頼まれた手紙は確かに手渡した。それとも、セスクを連れて行ったことを怒っているのだろうか。考えるための材料に乏しく、本調子でもなかったから思考はとてもまとまりそうになかったが、それでも彼女は考えるのを止めなかった。恐ろしいからだった。

 一切の光のとだえた闇の中では、そうやって何かを考えておかなければ自分自身を正常でいさせられそうになかった。閉じ込められた暗闇という状況にはあまりよい思い出がない。その時には傍にクアルの温かさがあった。


 歩き出すべきか。洞窟に入ってから確か一刻もしなかったはずだから、出口に着く可能性はゼロではない。しかし、道が一本道であるとは限らない。むしろそうではない可能性がずっと高い。灯りもなしに彷徨っては遭難するのが関の山だ。

 ではここにとどまっていてどうなる。塩と水は近くにあるからすぐに餓死するようなことはないが、やがてくる結果は見え透いている。あるいは、自分の気が狂う方が先か。村人の狙いは案外それなのかもしれない。

 殺意のあるなしは重要ではある。このまま打ち捨てられておく場合も当然ありうるが、殺すつもりならこんなところに放っておくわけがないという推測は、自分でも馬鹿馬鹿しいほど根拠に乏しいように思えた。

 そもそも、その決断が正常なものかどうかも判断に怪しい。意識が闇に侵食されるのを認識して、彼女は我が身を抱きかかえた。


 何かしらの決断をしてみせなければならない。その前に、せいぜい手に入る情報はないかと彼女は足掻いた。水面に指先を浸し、頭上に掲げてみる。流動する大気の動きは微塵も感じ取れなかった。闇の中でさらに目を閉じ、耳をすませてみるが――何も聞こえない。

 鼓膜の内側では、自身の鼓動の音だけがうるさかった。普段より早く打ち鳴らされているそれが、抑えきれない心象を容赦なく教えている。不安に押しつぶされそうになりながら、彼女は思いつく限りの行為を試した。


 いつしか、その耳に聞きなれた言葉の響きが入り込んでいる。

 たった一言の単語は、彼女自身がすがるように囁く呪いの言葉だった。



 最初に感じたのは音だったか、それとも灯りだったのか、ともかくそれを認識した瞬間、磨耗しかけていた彼女の認識に彩りが戻った。誰かの来訪が、そのまま事態の改善を意味するわけではないにせよ、焦りと恐怖に無根拠に歩き出したくなるのをこらえて待ち焦がれていたものである。身体を屈め、獲物に跳びかかる砂虎のような姿勢で彼女はその何者かを待ち構えた。


 やがて姿を見せたのは、掲げた松明に造作の陰影を濃くした男だった。記憶にある最後の表情そのままに、険しい視線が彼女を捉える。男の手元の光源が視界を灼き、眩暈を覚えたサリュは顔をしかめた。

「よう。調子はどうだい」

 なじみの客に対するような台詞には、それ以外の感情は込められていなかった。

「……あまり。特に口の中が、最悪です」

 は、と発したファラルドの笑い声が空洞に反響する。

「そりゃそうだ。塩の水なんて、外の人間には飲むことはそうそうないかもしれんがね。――ほらよ」

 投げ渡された何かを受け取る。水揺れの音と香ばしい麦の匂いがした。無言でファラルドを見やり、何も問わずにサリュはそれらに手をつけた。水袋を傾けて、口の中に流し込む。塩気のない透明な味わいはいくらでも身体が欲していたが、飲みすぎないように注意して彼女は細かくちぎったパンを一旦水に濡らしてから胃に押し込んだ。


 いまさら毒物の恐れもなかった。この状況でわざわざそのような手の込んだ真似をする必要がない。自分から問いかけることもせず、咀嚼を続けながら目線だけを向けるサリュへ、つまらなそうに鼻を鳴らしたファラルドが口を開いた。

「ずいぶん冷静だな。言いたいことがいくらでもあるだろうと思ったんだがね」

「――セスクは、どうしていますか。身体の具合は」

「寝てるよ。衰弱しきってるが。どうも迷惑かけたらしいな、悪かった」

「……そうですか」

 安堵の声色を聞きつけたファラルドが表情を固めて、目線を逸らした。

「悪かった。だから、こんなことを言える立場じゃないんだがね。正直、戻ってくるとは思わなかったよ」

「タニルからの兵が来ます。セスクが、街でそういう話を聞いたようです」

「ああ、そうかい」

 男は驚かず、冷たく見下ろしたまま言った。

「だがこっちとしては、あんたが捕まりもせずに逃げ出してきたってことが問題でね」

 サリュは無言で顔をしかめた。

「……手紙は渡してくれたんだろう。それで捕まるか、逃げ出してもまさかこっちに戻ってくるとはな。おかげで面倒事だ。ああ、気にしないでくれていいさ。ようは、あんたの始末をどうつけるかって話だ」


 その言葉を聞いた瞬間、サリュは男に向かって飛びかかろうと地面を蹴りつけかけたが、燃やした松明を突きつけられてそれは適わなかった。隙のない視線が、獣じみた姿勢のサリュを射抜いた。

「やめとけ。あんたの処遇をどうするかってのは決まってないが、暴れられたら今ここでどうこうするしかなくなっちまう」

 水とパンを得たばかりの体調では、不満でもその言葉を認めるしかなかった。

「大人しく死の裁定がくだるのを待てと?」

「この洞窟は村の大人でも一度迷えば出てこれやしねえ。そんなところを灯りもなしに彷徨うってんなら、とめはせんがね」

 つまらなそうな言葉を残して、ファラルドは視線を彼女に固定したまま後ずさり、そして灯りとともに消えた。すぐに追いかけようとするが、手元の火を消しでもしたのか、わずかな光量の残滓さえない。音も、気配も一瞬の間に消えうせてしまっていた。舌打ちして、サリュはその場に座り込んだ。それから手元にある水と、食料へと意識を向ける。一食分のそれが運ばれてきたことを考えるなら、次もあるはずだった。ならば機会はその時に掴めばいい。

 全くの暗闇の中で一瞬、二重に描かれた瞳孔が怪しく輝くようだった。



 すぐにその機会は訪れた。ファラルドが去ってから、どれほど待ったかはもはや感覚が狂っていてわからない。

 灯りのかけらを捉えた瞬間、彼女は襲撃の態勢を整えていた。近くの地形は、それまで手に無数の傷をつくりながら把握していた。左側に水流。右側に五歩ほど歩いたところから急に地面のおうとつが激しくなり、身を隠すのに適した盛り上がりがあった。その一つに身を潜め、灯りを持った何者かが横を通り過ぎようとした瞬間、サリュは一息の間にその相手へと襲い掛かった。

 松明を持った手を握り、捻る。その手が幼いことに気づかなかった。そのまま関節を極めて相手の足を払い、体重をかけて地面に叩きつけようとしたところで、

「あうっ」


 甲高い声に、半ば反射的に腕の力を緩めた。近くに転がった松明を拾って近づけると、あどけない少年が顔を苦悶の表情に歪めている。

「セスク……?」

「い、痛いよ、姉ちゃん……」 

 弱々しい声でセスクが言った。

「ごめんなさい。……身体は、もういいの?」

「うん。それより、姉ちゃんを逃がさないとって」

「村で何があったの」

 少年は大きく首を振った。

「わかんない。大人達は、みんな大声で怒鳴りあってる。街から兵隊が来るから、そんな場合じゃないって言ってるのに、あの女を――村を滅ぼす魔女を殺せって。そんなことばっかりだ」


 セスクの舌に乗せられた単語は、サリュにとって耳慣れた呼ばれ方だった。魔女。

 そう呼ばれる理由が確かに彼女にはあった。名前と瞳。しかし、サリュという名前の意味を村の人間であるセスクは知らず、尋常ではないその異相を村で見たのはセスク以外にはファラルドだけで、つまりは彼から村人に広まったということだろうか。

「……そう」

「はやく出よう。今は夜だから、みんな寝てるよ」

 第三者の気配が盛り上がった。反射的にセスクの口元をふさぎ、引き寄せて羽交い絞めを装った先で、松明に照らされたファラルドの幽鬼じみた顔が浮かび上がった。


「――っ!」

 セスクがくぐもった声をあげた。拘束された格好の息子をちらりと見てから、男は視線を上げた。

「少しは体調も戻ったらしいな」

「……セスクに、危害を加えたくありません。通してもらえますか」

 ファラルドは乾いた笑いを打った。

「そいつの声は洞窟の入り口まで反響してたよ。下手な芝居で取り繕う必要はねえ。別に止めようとしてるわけでもな。ついでにそいつも連れてってもらえると助かるんだがね」

 サリュは嘆息した。思わず本音が漏れる。

「……状況がまるで理解できないのですが」

「のんびり話をしてる暇はねえだろう。よくある話さ、この村にもようやっと滅びが訪れただけのことだ」 

 男は言った。ひどく疲れた声音だった。ファラルドの様子に戸惑いを覚えながら、サリュは訊ねた。

「それは誰のもたらした滅びです」

「あんた、ってことになるな」

 素っ気ない口調に、腕の中のセスクが暴れた。

「あなたの思惑通りに?」

「そこまで深く考えてたわけでもねえ。実際、こんなことになるとはちっとも思わなかった。馬鹿息子が村を出て行くことも、あんたの度が過ぎたお人よしさ加減もな」


 忌々しげに見やる男を不思議そうに眺めて、サリュは言った。

「あなたは。あなたも、村のことが憎いのですか?」

 男は答えなかった。サリュの胸元で暴れるのを止めたセスクを見おろして、繰り返した。

「訪れるべきものがきただけだ」 

「あの手紙は、村長からのものなどではないのですね」

 確信をもって訊ねた質問に、返答はなかった。無言で顎をしゃくったファラルドが言う。

「あんたの荷は馬とまとめてある。水と食料も、あのこぶつき馬に背負えるだけ持たせてある。夜が明けないうちにさっさと行っちまうことだ」

 簡単に言ってくれる。呆れにも似た思いを抱いた彼女は唇を歪めた。ろくに身体も休めず、最悪の体調のまま砂海に戻れという。それは死ねというのにも等しい。とはいえ、そうしなければどのような状況に陥るか想像がつかないわけでもない。村人の手で拷問にあうか、体調不良のまま砂海に出て干からびるかどちらかを選べと言われているようなものだ。

 目の前で小さな怒気が膨らんだ。サリュは黙って口枷をしていた右手をはずした。

「どういうことだよ、親父!」

 悲鳴じみた声が感情を増幅させて反響した。


「村が滅ぶって。親父がそうしたのかよ、それで姉ちゃんの仕業にってことかよ。わけわかんない、なんでそんなことしたんだよ。ちゃんと説明しろよ!」

「……声を落とせ。誰か来たらどうする」

「いいから答えてくれよ!」

「お前は村を捨てて出て行ったんだろう、ならもう関係ないこった」

 冷淡に突き放され、セスクが言葉を詰まらせた。

「タニルからの派兵を村に伝えたいと言ったのはセスクです。捨てたわけでは」

「そのせいでとっ捕まったってのに、まだそんなことを言えるのかい。……いいからそいつを連れてどこにでも行ってくれ」

「あなたはどうするのですか」

 男が聞く耳を持たないことを悟り、最後に彼女は訊ねた。ファラルドは達観した眼差しで睥睨し、

「ここは俺の村さ」

 とだけ告げた。

「セスクはどうなります」

「……好きにすればいい。砂漠で打ち捨てるのも、町で人買いに売り飛ばすのもあんたの勝手だ」

 男の心情をサリュは理解し始めていた。何か言いかけて、口にするものがないことに気づき、口を閉じる。彼女の手前では、俯いたセスクが震えていた。


「――こっちだ、早くしな」

 ファラルドの先導にサリュが続き、拳を握り締めたセスクも続いた。

 誰も彼もが沈黙して歩き、闇の境目のないまま洞窟の外へ出る。欠け月の昇りに今が深夜だと知り、そのままひっそりと静まり返った村を出た。こぶつき馬を曳きながら肩越しに振り返ると、闇に溶け込むようなファラルドの姿が見えた。隣を歩くセスクは顔を上げず、振り返ることもなかった。

 村からすぐの水場では、すぐにクアルと再会することが出来た。口笛を吹くまでもなく、彼の方から姿を現したのだった。擦り寄らせてくる砂虎の背を撫でつけながら、サリュは言った。

「今のうちに距離をとっておきましょう。次の水場くらいまでいけば、追手の心配もなくなるだろうから……」

 返答はなかった。故郷を離れることになった相手の気持ちを無遠慮に忖度しようとは思わず、歩き出せば少年がその後ろについてくることだけ確認して砂海を進み、朝になる前に以前に通った水場へと辿り着いた。典型的な水島と呼ぶべきその水場は、十日ほどのあいだに半ば枯れかけていた。


 日差しよけの幌を張り、食事をとって休息に入る。ファラルドの準備してくれた水と食料の備えは十分に過ぎるほど多く、日中は少しでも身体を休めておくつもりだった。今の体調で、長の旅に耐えられるとも思えなかった。

 万が一、村からの追手が来たときにも、まずはクアルが気づいてくれる。絶大な信頼を与える砂虎の横腹に沿うようにして身体を丸めたサリュの背中に、ぽつりと言葉が響いた。


「親父、死ぬのかな」


 彼女は答えなかった。

 黄土色の風が砂を払い、まぶたを閉じる。次に目を開いた時、少年の姿はなくなっていた。



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