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砂の星、響く声  作者: 理祭
 二章 タニルへ
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 タニルまでの距離は、村から仮に休みなく歩いたとして四日というところだった。砂の流れや丘陵などの地形の迂回、疲労と休息を考えれば一週間は見るべきで、その間に一度もオアシスに出会えない、となればかなり厳しい行程となる。


 オアシス。つまり水島の生まれる仕組みははっきりとわかっていない。大きな水源の近くに派生して散在すると考えるのが妥当ではあるのだが、出発した村の豊富な水資源を異常とするなら、楽観的な思考はできなかった。近年、このあたりでは大規模な範囲にわたっての枯渇が取り沙汰されている。タニルまでの道のりの途中にある集落の場所を幾つか聞いてはいたが、いまだ残っているかどうかは疑わしかった。


 途中で引き返すことも十分に検討すべきだった。その場合、今度は荷車を用意しなければならなくなるだろう。そこまでしてタニルに向かう必要があるか彼女にも疑問だったが、依頼の件もある。もしかしたなら村で安く用立てることができるかもしれない。動きに制約がつくことは、あまり好ましくはなかったが。


 黄土色の世界を黙々とサリュは歩いていた。その後ろを歩いている少年が、声をかけてくる。

「あのさ。お姉ちゃんは、どうしてタニルに行こうとしてるんだい?」

 サリュは答える代わりに、防砂具の奥から静かな視線を向けた。

 セスクはオアシスを出てしばらく無言だったが、少し前から熱心に喋るようになっていた。旅慣れぬ者にはよくあることだった。砂海とは一面の砂景色である。ところどころの高低差、あるいは岩や礫などの違いがある以外には全く似たような風景が延々と続いていく。それはなにより、人の精神を摩耗させる。

 振り返って自分の出た村が見えているうちはまだいい。しかし、それすらも遠く背景からなくなってしまったなら、世界に残されるのは自分だけだ。時がたつほどに見えぬ目的地への不安と疑念が襲い、それらを振り払うために人は多弁になる。

 そして、その行為は喉の渇きを誘う。有限な水が貴重であることはもちろんだが、旅においては過度の飲水も控えなければならなかった。それは発汗と体力の消費を促し、不要な分泌物と共に必要なものまで体外に排出してしまうからだ。いくら水を飲もうと、砂の海で喉の渇きが止むことはない。地に落ちた水滴のようにただ貪欲に次を求めるだけである。


 サリュが見たところ、セスクはその典型的な悪循環に陥っているようだった。少年は背に大きな荷を担いでいたが、今の調子ではどれほど手持ちが残っていたところでもちそうにない。少年に近づき、彼女は防砂具の隙間から彼の身体に触れた。乾燥した気候の中で、じっとりとした感触が返ってくる。突然のことに言葉を失って身を固くしているセスクに訊ねた。

「水はどのくらい持ってきてるの」

 戸惑いながら、腰に下げた水袋と、背の荷を見せてくる。そこにあるのは彼女ならタニルまで充分にやりくりできそうな量だったが、少年の様子では二日ともたないだろう。銀色の環をひややかに輝かせて、彼女は冷淡に告げた。

「生きたい? それとも死にたい?」

 唐突な二択を迫られ、少年は息を呑んだ。

「……生きたいに、決まってるよ」

「なら、帰ったほうがいいと思う。慣れてないあなたじゃタニルまでは無理」


 今更の言葉だ。思いながら彼女は続けた。

 確かにその台詞は村を出る時点で言うべきものだった。あるいは、彼の意思を尊重するのなら、何も言うべきではなかった。それが最終的に少年の死という結果をもたらすとしても。だが、彼女は言った。

 セスクは俯いて、固い声を漏らした。

「――嫌だ」

 その答えは予測したものだった。サリュは「そう」と短く答え、指笛を鳴らした。顔を上げる少年に、

「それじゃあ、私の言うことを聞いて。歩きながら口を開かないで。背中の積荷はこっちで預かるから、あなたは腰にある分の水だけで今日一日を過ごすよう考えて。太陽が一番高い時間帯は休むから、それまで黙って歩き続けて。出来る?」

 見上げる少年が、やがて決意のこもった視線で頷いた。彼女が荷を受け取り、それを見て嫌そうな顔をするこぶつき馬にくくりつけている間に、遠くから砂色に交じって向かってくる大柄な獣の姿があった。

 駆け寄り、挨拶とばかりに身をすりよらせる砂虎に、サリュは自分の水袋からてのひらに水を垂らし、それを舐めさせた。ざらついた舌を這わせ、上目遣いで見てくるその顎を軽く撫でると、砂虎は了承の意を伝えるように咽を鳴らした。やってきた時と同じように無音で駆け去っていく、そのやりとりを不思議そうに見ていた少年に応えず、サリュは告げた。

「行きましょう。日が高くないうちに少しでも歩いておきたいの」


 それから二人は黙々と歩み進めた。

 村を出てから三刻ほどの時間が経っていた。空は雲ひとつなく晴れ渡り、煌々と輝く火の星が頂へとその座を進めようとしている。風も穏やかで、渇いた空気に彼らの砂を踏みしめる音だけが響いた。

 時折、獣の遠吠えが鳴り、サリュはその声を耳にする度にそちらへと足を向けなおした。地図と方位を確認し、ファラルドから聞いたタニルへの方角とのずれだけはよく気をつけておく。

 やがて、天頂に太陽が昇りきる頃になって、ようやくサリュは足を止めた。小高い砂丘の麓で再び指笛を鳴らし先行するクアルに合図してから、後方の少年を振り返る。

「ここで休みましょう」

 セスクは頷いた。既に動作にやや疲労の色が見えていた。

 杭をうってこぶつき馬を休ませ、その近くにも同じように杭をうち、大きな布で天幕を張って日除けをつくる。あまり広くない面積に並んで座ると、セスクは重苦しい嘆息とともにうなだれた。彼が腰に手をやるのを見て、サリュは声をかけた。

「あまり急に飲まないように。あと半日、その水で過ごすのも忘れないで」

「わかってるよ」

 不貞腐れた声音で少年が言う。ほんの一口だけ飲み、名残惜しそうに水袋を戻すのを見ながら、サリュも水を含んだ。彼女自身は、唇を湿らせた以外では村を出てほとんどはじめての給水だった。


 昼食をとる。セスクのもってきた食料には日持ちしないものもあり、彼女は彼の了承を得てまずそちらから消費することにした。干し肉をナイフで削り、麦粉を練った生地に挟んで食べる。

 村で潤沢な水と食料に囲まれていたセスクは、水なしで喉を通すのにひどく難儀している様子だった。物を詰まらせ、あわてて水袋に手を伸ばすのを横目にサリュは自分の分の食事を終えた。

 遠くから姿を現したクアルが、布陰の側にやってきて腰をおろした。毛を梳くと火傷しそうなほどに熱い。しかし元が砂漠の生き物である砂虎はなんでもないように地に寝そべり、長く垂れた尻尾を彼女へと絡ませてきた。

「――探している人が、向かったかもしれないから」

 サリュは言った。だいぶ前に少年が発した質問への遅れた回答だった。


「だからタニルへ行くの」

 トマスから南下する水路に沿って、これまで彼女は旅をしてきていた。それは当てがあってのことではなかった。水路沿いの街や集落を点々としながら噂話を聞き、似た人相の話があれば実際に足を運ぶ。そうした日々が続いていた。

 決して楽な旅ではなかった。学も経験もない女子どもが生きていけるほど砂海の生活は優しくない。一年前、河川の浜に倒れて死に瀕していた彼女を保護してくれた恩人からも、彼女はそのまま街に留まるように言われていた。探し人と知己でもあるその人物は、出来うる限りのことをして彼の行方を捜すことを約し、彼女に温かい食事と、身を休める場所を提供してくれた。さらには探し人が見つかるまで、ずっとそこにいてくれていいとさえ言ってくれたのである。


 だが、しばらくしてサリュは彼女の元を離れた。

 街を出た理由は幾つかある。その中で最も大きな理由がなんであるか、彼女自身にもあいまいだった。ただ、自分はここにいるべきではないと強く感じたことは確かだった。

 探し人が残した幾つかのもののうち、こぶつき馬と一冊の本を譲り受けて彼女は砂海に出た。もちろんその隣にはクアルもいた。彼の存在が旅をさらに困難なものにしたが、彼女が今日まで生き延びることができたのもまた彼のおかげだった。それは単純な意味での自衛ということだけではなかった。

「……その探してる人って、お姉ちゃんの恋人?」

 サリュは首を振った。

「いいえ」

 彼と自分は、決してそういう関係にあったわけではない。ではどういう仲なのかといえば――よくわからない。彼と交わした数少ない言葉のやりとりを少年に言っても意味はないだろうし、出会いからの経緯を語る気にもなれなかった。確かなことは、彼を探すことが自分にとって必然だということだけだ。


 だが、一年が経って得られた彼の情報はほとんど無に等しかった。それは仕方のないことではあった。特に話に目立ちやすい何かがあるわけではなく、せいぜい片目を隠しているかもしれないということ程度しか彼について知る特徴はない。膨大な数にのぼる砂海の旅人の中、人一人を見つけることはほとんど砂漠に落ちた宝石を探すようなものだった。

「あなたは? なぜ村を出たりしたの」

 自分のことを語るのはあまり慣れない。話を向けると、少年は顔をしかめさせて、

「言ったろ。嫌だったんだ、あの村が」

「水も食料もあんなにあるのに?」

「関係ないよ、そんなこと。――あそこは引き篭もりの村さ。あんなところ、砂に埋もれちまえばいい。自分達でそう願ってたんだから」

 サリュはわずかに眉をひそめた。生まれ住んだ故郷が砂に埋もれてしまえばいいというのは、あまり穏やかな言葉ではなかった。枯渇による集落移動が日常的に行われる人々の間でさえ、冗談でも口にするのは控える類のものだ。

「お姉ちゃんもおかしいと思っただろ。大人達の態度。村の大事なことを任せようってのに、頼むって声もかけずに遠まわしに見てるだけ。ずっとそうさ。よそ者を嫌ってる、怖がってるんだ」

 確かに村人達の警戒心は、一般的な辺境の集落に比べても高かったが。

「何か理由があるんでしょう」

「……水だよ。このあたり一帯が枯れてるっていうのに、うちの村だけ水が溢れてるなんて、変だろ」

 むしろ、少年があっさりとそれを口にしたことに意外さを覚えながら、サリュは頷いた。

「特別な場所があるんだ。村の人間は“祝いの地”って呼んでる、塩の固まりみたいな、全部塩でできた綺麗な洞窟。そこの水は、絶対に枯れないんだ」


 水源とは、つまり地下水脈のことである。その涌出地は砂ではない固い岩盤が下にあることに誘導されて生まれると言われている。そこには貴重な鉱物資源が多い。岩塩や鉄鉱石がその代表的なものだが、そんなものが水源と共に眠っているとなれば、確かに並の水島とはまるで価値が異なってくるだろう。

 彼女が気になったのは後半部分だった。絶対に枯れない。まるで三大水源の一つを足元に得たかのような、自信に満ちた発言だった。

「よくわかんないけど。うちに湧く水は、しょっぱいんだ。塩が溶けてる。多分、村はその大きな岩塩の塊の上にあるんだ。信じられるかい? うちの村ってもう百年近くずっとあそこにあるんだぜ」

 それにはサリュも驚いた。一日で枯れる水源すら珍しくないというのに、その年数は泡のように浮かんでは消える水島の常識を超えている。


 疑問が生まれた。そのわりには、水源の及ぼす範囲が狭いように思えたのだ。安定した水と固い地盤は植物の群生を促す。その植物の根がさらに水を溜め込み、短草のステップを生み、それが更なる土壌となっていくはずだった。それとも水の量それ自体は決して多くないということだろうか。乏しい知識を思い出して彼女はいぶかしんだが、セスクの答えは違った。

「そうじゃないよ。隠したんだ。水を独占できるように、村の連中でね」

 吐き捨てるように少年は言った。

「水がある場所には人が集まるだろ。枯れない水源なんて、特にさ。だから昔の村の連中は、水源を隠したんだ。目立たないよう、自分達で木を切って緑をなくしたり……村に来た人を殺したりもしてたって」

 顔を歪ませて、続ける。

「貧しい村の振りして、水に困ってる振りして。ずっとそうやってたんだ。そうなると段々人なんて来なくなるから、若い人間がいなくなる時がある。そしたら今度は、迷い込んできた旅の人間を襲うんだ。それで、男は殺して。女には無理やりに子どもを生ませて、村で生きさせる。――お袋みたいにね」

 少年の表情に暗い灯火が浮かんだ。

「お袋は、一回も俺のことを名前で呼んでくれたことなんてなかった。笑いかけてくれなかった。ずっと、俺のことを睨んでた。憎んでたんだ」

 はっと水気のない笑みが漏れた。十を越えた程度の顔つきに似つかわしくない苦々しさが、濃い影のなかでさらに欝として沈んでいる。

「しょうがないよね。だって、俺なんか生みたくなかったんだから。それでも村で生かされて――でもそのうち死んじゃった。最後まで、お袋は俺を睨んでたよ」

 言葉を切り、少年は顔を俯かせた。肩が震えていた。


 なんと声をかければよいのかわからず、サリュは言葉に迷った。彼女の生い立ちもあまり恵まれたものではなかったから、彼が憐れみや同情を求めているわけではないことはわかっていた。数瞬の戸惑いの後、彼女はそっと手を伸ばし少年の頭に触れた。クアルにやるように防砂具の上から撫でると、いつもとは異なるざらついた布と砂の感覚があった。

 熱のこもった頭がびくりと跳ね、身体の震えが大きくなる。必死に感情の昂ぶりを殺したうめき声が聞こえた。

「……ちくしょう」

 その言葉に含まれる拭い難い湿っぽさも、砂粒の隙間に瞬く間に吸収されていくようだった。少年の頭に手を置いたまま、サリュは砂の営みを見守り眺めていた。



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