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砂の星、響く声  作者: 理祭
 二章 タニルへ
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 何かが響き渡る音にサリュの意識は揺り起こされた。

 まだ夢と現の狭間にある思考の中で、沈殿した空気の重みと、いつもとは異質な匂いに触れる。警戒が即座に頭を叩き起こし、視界に飛び込んだ見慣れぬ風景に彼女はようやく自分の今いる状況を思い出した。

 早朝の淡い光が、閉めきられた木窓の隙間からかすかに入り込んでいた。うっすらと伸びた光の筋に細やかな砂の粒子が舞っている。立ち上がり、窓に寄るとサリュは一気にそれを開け放った。


 ひやりと乾燥した空気がまとわりつく。村はまだ静まり返っていた。夜の残りがあちこちにわだかまって残っている不透明さに混じって動くいくつかの人影もあるが、数は多くない。

 空を見上げる。薄く横に伸びきった雲が段々に遠く、気配はとても静かだった。彼女の目覚めのきっかけとなった、その片鱗さえもそこにはないように思える。まぶたを閉じて耳を澄まし、やはり静寂しか辺りにないことを確かめると、サリュは安堵とも失意ともとれる息を漏らした。


 ――聞こえない。


 あるいはそれは夢の中で聞いたのかもしれなかった。その経験は今までにもあったから、彼女は特に不思議に思わず自分の推測を受け入れ、室内へと意識を戻した。テーブルの水入れの中身を使って顔を洗い、髪には簡単に手櫛を通しただけで済ませ、防砂具を念入りに身体へ巻きつけていく。準備を終えた彼女は部屋を出て階下に降りた。


 集落の朝は早い。このくらいの時間ならば既に二人も起きているだろうと思ったのだが、一階に彼らの姿は無かった。食堂の奥の料理場に顔を出すと、そこではすでに朝食の用意がされはじめている。

 やはり、もう起きている。どこにいるのだろうか。一瞬、あまりよくないことを疑りそうになり、すぐに思い直した。彼らは猟師の役も兼ねていると言っていた。


 早朝は狩りに適した時間である。親子二人でどこかに出向いているのだろう、そう考えた彼女が危惧したのは旅の供の身の安全だった。クアル。あの甘えん坊の若い砂虎は、種としての強靭さを既に充分に持ってはいるが、ドジを踏むことがないわけではない。寝ぼけ頭の彼とファラルドがうっかり鉢合わせなどしたらいったいどうなることか。


 一人の人間に砂虎がどうこうできるとは思えないが、不意をつかれればあるいは――。彼女は宿を出て、集落の外へと足を向けた。



 ひっそりと水を湛えたオアシスのほとりには、複数の動物の姿があった。いつもなら視界に入るだけで身を固くする小型の草食動物の近くに立っても、相手はこちらなど気にもしない様子で水面へと首を垂れ続けている。まるで厳格なルールにのっとっているかのようなオアシスの光景をはじめて見たときは、サリュもとても不思議に感じたものだ。


 今、あたりに大型の肉食獣の姿はないが、彼らでさえも朝のこの時間、水辺に近い場所での狩りは避けるという。飢餓に苦しむ何者かが現れたらその限りではないだろうと思うのだが、そんな話も信じてしまえるほどの静謐さがこの場所にはあることも確かだった。

 いったいどうして。彼女の疑問に答える言葉は昔、隣で独り言のように呟かれた。

「血が染み込めば、水は枯れる。そういう言い伝えがある」

 こちらを見ようとしないまま続けた。

「――そんなこと気にしない生き物もいるけどな」

 布防具の下で、男の口元が哂っていた。


 そう広くもないほとりの淵を視線でなぞるが、探している姿は見つからない。砂虎はその巨大な体格に見合っただけの食料を日々必要とする為、獲物を求めてあたりを徘徊しているのかもしれなかった。

 サリュは指笛を吹くか躊躇った。近くにはファラルドや他の集落の人々がいるかもしれない。セスクは外泉には村人はあまり近づかないと言っていたが、砂虎と一緒にいるところを見られる危険は避けておきたい。


 まずは探索から始めることにして、彼女は低木の生い茂った周囲を歩いた。この星の各地に点在する水島だが、そこがどの程度長く在るかは近くの植物群から推定することができる。樹木の存在は、水島としては最長期の区分で営みが続いていることの証だった。

 森というまで鬱蒼と生い茂っているわけではないが、それなりの用心をしながら進む。口笛の代わりに口の中で舌を打ち鳴らし、もしかしたら連れが気づいてくれるかもしれない合図を出しながらさまよっていると、果たして目の前にぬっとした巨体が姿を現した。


「クアル」

 呼びかけると、彼女の連れは短い一鳴きでそれに応えた。

 もとは黄色と白の体模様は、砂色に交じって判別が難しくなっている。その口元に鮮明な赤が広がっていた。どうやら食事は既にすませたらしい。嬉しそうに舌で舐めてこようとするのを、彼女は慌てて手のひらでうけとめた。血の色をつけて集落に戻るわけにはいかなかった。


 強引な愛撫をかわして喉元をさすってやると、途端に大人しくなった彼女の猫は、くるるとまるで巨体に似合わない可愛げな喉声を鳴らしてみせた。

「元気だった?」

 訊ねるサリュの声も甘い。彼女にとって彼はかけがえのない存在だった。言葉がわかるわけではないが、それでも気分は伝わってくる。機嫌は良さそうだった。

 充分に細かい夏毛に顔をうずめると、ほこりっぽさがサリュの鼻をくすぐった。

「……あとで一緒に水浴びしようか」

 この集落を出て、どこかよい水場が見つかればの話だが。木片を踏みつける音が響き、彼女はそちらへ視線を送った。傍らでくつろぐ砂虎の様子からさほど警戒はしていない。セスクだった。


「あ、お、おはよ」

 まだ慣れない砂虎に萎縮しているのか、声が硬い。

「おはよう。――ファラルドさんは?」

 質問の意図を察した少年はややぎこちないまま首を振った。

「大丈夫。親父なら、さっき獲物を捕まえて宿に戻ったところだよ。でっかいカウディがとれたんだ」

「どうしてここに?」

 昨日、あんなにもこっぴどく怒られていたのに。サリュの放った疑問に、セスクは罰が悪そうに顔を伏せて、

「なんとなく。会えそうな気がして」

 消え入りそうな声で言った。

 少年の態度を不思議そうに見やり、サリュはそっけない口調で応えた。

「そう」


 立ち上がり、名残惜しそうなクアルの頭を撫でる。不承不承といった感じで地に伏せる彼に微笑んで、彼女は少年へと告げた。その表情からは一瞬前まであった笑顔の余韻さえ消え去っている。

「帰りましょう」

 ファラルドは宿屋の外で、血抜きの作業に入っていた。二人をちらりと見ると、すぐに視線を戻す。

「セスク。飯の準備はお前がやれ。客人あんた、すぐに出るつもりだろ?」

 サリュは頷いた。 

「飯の間にこっちはすませとく。渡したいもんがあるから、ちょっと待っててくれや。――セスク、なにしてやがる! さっさといけっ」

 鉈を投げられそうな怒号に追われて駆け出していく。その後を追おうとしたサリュの背中に声がかかった。

「どこ。行ってたんだ?」

 立ち止まり、彼女は平静な口調で答える。

「近くを散歩していました」

 ふん、という鼻息がそれに対する返答だった。



 旅の途中なら二日分にも相当しそうな量の食事を終えて少し待った頃、両腕の血を洗い落としてファラルドは戻ってきた。息子の用意した自分の膳には目もむけず、奥から一通の丸めた羊皮紙と拳大ほどの固まりを手にして帰ってきた男がサリュの対面に座り、

「うちの村長が書いた挨拶状だ。タニルについたら、門番にでいい。渡してくれ」

 それから机の上に転がされた大きな欠片に顎をしゃくった。

「こっちはその礼だ。重いだろうが、馬に乗せりゃあ、ま、大丈夫だろ」

 ごろりと音を立てた、それは大きな岩塩の結晶だった。


 この時代、通貨の流通はすでに始まっているが、その制度はいまだ整備されているとはいいがたい状況にある。各地を治める国や領主によって幾種類もの硬貨が市場に流れ、その価値も上下の変動が激しかった。硬貨の元となる鉱物資源の供給が不安定なこともその一因である。岩塩を物流の祖としながら、いまだにそちらのほうが(特に辺境に行けば行くほど)汎用性で他より勝っているのにはそんな理由があった。


 今、サリュの目の前にある岩塩の結晶は水晶のように純度が高い代物だった。それが子どもの頭ほどの大きさともなれば、その価値はほとんど宝石と同等といってよい。問いたげな視線に、ファラルドは皮肉そうに口の端を歪めた。

「このままじゃ村は砂に埋もれちまう。水や塩と一緒にな。そんな自分達の命運をたくそうってんだ。別に破格ってわけでもないと思うがね」

「どうして、私に?」

「誰でもいいのさ。いや、そうでもないか。あんたは息子の命の恩人で、タニルにも行きたがってた。そのついでに手紙を渡すことくらい、やってくれねえ人間には見えねえからな。それに」

 男は大きく肩をすくめて、言った。

「この村に次、いつ旅の人間が来てくれるかなんてわかったもんじゃねえ」


 サリュは納得した。一人で砂海を渡るというのは、慣れぬ者にしてみれば恐怖でしかない。自分達で行けないのなら誰かに頼むしかないが、それでもこの報酬はあまりに不相応な気もした。それはつまり、この村の資源の豊富さを物語っているのだろうか。

「届けた、というご報告には戻ってこれないかもしれませんが、それでもかまわないのですか?」

「問題ねえ。あんたにも都合ってのがあるだろう」

 即答するファラルドの前でしばらく考え、サリュは頭を頷かせた。

「……わかりました。必ずお届けします」


 ファラルドは安堵の表情を浮かべた。書状を受け取り、サリュは出発の準備に入った。ほんの数刻でそれをすませ、部屋を出る。ファラルドとセスクの二人が玄関で彼女を待っていた。

 少年が暗い顔をしているのに気づいて、彼女は訊ねた。

「大丈夫?」

「うん、――あの。元気で」

 俯いた表情で去っていく。彼の父親が呆れたように言った。

「気にせんでくれ。あの野郎、いっちょまえに色づいてやがるのさ」

 答えに困り、彼女はわずかに首を引いて宿を出た。

 一日振りに再会したこぶつき馬は、彼女が荷物をくくりだすといかにも面倒そうな顔つきで一鳴きし、それからため息をついた。足元には食い散らかした乾草があり、よほどいい待遇だったのがわかる。外に出ることを渋って足踏みする連れの機嫌をとりつつ村の外に向かう途中、何人かの村人とすれ違ったが、彼らは彼女と目をあわせようとしなかった。遠まきにこちらを眺めている粘つくような気配が、あまり気分の良いものではなかった。


「じゃあ、気をつけてな。タニルの方角は昨日の晩言ったとおりだ。途中のオアシスも俺達が知ってる限り伝えはしたが……実際に目で見たわけじゃないし、昔聞いただけだからな。あんまり期待はできねえ。水、もう少し用意しとかないで本当に大丈夫なのか?」

 サリュは頷いた。荷を運ぶことに強いこぶつき馬だが、だからといって無駄に多く持たせても負担が大きくなってしまう。それに、もし持ち水が半分を切ってしまいそうなら、即座に戻ってくるつもりだった。無謀は砂海に生きるうえで何も良いことをもたらしはしない。


 ファラルドからは馬がひける荷車を用意するという申し出もあったのだが、彼女はそれも断っている。商売をしているわけでもない一人旅でそれは物々しすぎるし、なにより目立ってしまうからだ。

「どうするつもりだ。まさか、そのままタニルまで行くつもりか?」

「はい。教えていただいた航路を辿れば、うまく廃墟で砂をかわせそうですので」

「……まあ、砂海についてはあんたのがよほどベテランだろう。タニルまで無事についてくれればなんでもいいがな」

 正直な男の言葉に小さな苦笑を返し、サリュは村を出た。

 色彩のない村から、さらに色彩のない景色へと視線を移し、そのなかで原色の緑が映える外泉へと足を向ける。その泉を抜けたはるか先にタニルがあるからだが、もちろん理由はそれだけではなかった。

 オアシスでは一組の小型動物が水を飲んでいた。ほとりまで進み、やはり逃げようとしないカウディの傍らに立ち、彼女は小さく呼びかけた。

「クアル?」


 返事がない。彼女がもう一度口を開きかけたところで、がさりと林の隅が揺れた。若い砂虎が姿を現し、これには番いのカウディも驚いたらしい。身をすくませる彼らに詫びて、サリュは自ら砂虎へ寄った。

 問いかける視線で見上げてくる連れに返事のかわりに頭を撫でると、クアルは嬉しそうに身を寄せてきた。頬をすり、その勢いの強さにバランスを崩してしまう。サリュは手綱を放した。のしかかり、ごろごろと大きく喉を鳴らす彼をしばらくされるがままに甘やかしていた彼女は、クアルの口元に血の固まりがこびりついているのに気づいた。


 起き上がり、物足りなさそうに唸る砂虎を連れて泉に向かう。カウディに警戒させない距離をとってクアルの毛皮の汚れを落としながら、ふとこのままここで水浴びさせてしまおうかという考えが浮かぶ。だが、村に近いこの場所からはなるべく早く離れるべきだった。彼女が迷っているうちに不意にクアルが耳をそばだてて、サリュはそちらへ鋭い視線を放った。

 出てきたのは、さきほど村で別れたばかりのセスクだった。警戒の糸を緩め、

「ファラルドさんも近くに来てる?」

 訊ねる言葉に首を振り、近づいて来るセスクが弓以外の荷物を背中に抱えていることに彼女は気づいた。

「どこに行くの」

「タニル」


 短く言い切る少年の様子をいぶかしみながら続ける。

「お父さんは知っているの」

 沈黙の返答に、サリュの口からため息が漏れた。つまりこの少年は一緒に行きたいと言っているのだ。

 いったいいつから。ところどころで不審だった少年の今までの態度を思い出し、ふと昨日の出会いを思い出した。少年があれほど熱心に村に寄るよう誘ったのは、このためだったのか。

「どうして?」

「――あんな村、嫌いだ」

 搾り出すように言う、それが旅に出る理由になるのかどうか彼女にはわからなかった。自分とは違う。だがこの場合、共感にさほど必要性があるとは彼女は思わなかった。


「そう」

 砂虎に合図し、退屈そうにしていたこぶつき馬の手綱をとって歩き出す。困惑した表情の少年の横を通り過ぎる際に、囁くように言った。 

「自分で決めたなら、そうすればいいと思う。自分の意志で。自分の足で」

 それが生きるということだから。

 最後の言葉はほとんど彼女以外には聞き取れないほど小さく、すぐに宙に霧散して消えた。



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