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砂の星、響く声  作者: 理祭
 三章 熱砂攻防
107/107

15

 ◆


 河川町ワームを治める領主の館で、サリュは硝子張りの窓を透かすように空を見上げた。すでに日は高く、天頂にも近い。何度目かの溜息を吐いた。


 昨夜、サリュと旅の供であるユルヴは、情報を持って自分達を追いかけてきたメッチとの話し合いを持った。失踪したパデライとクァガイ商会の不審な動き。さらには、彼女の探し人であるリトの生家クライストフや、ツヴァイという、この水陸でもっとも権勢を誇る国家の在り方に関わるような話までもが持ち上がり、事態は複雑な様相を見せつつある。今後どういった風に動けばよいかを考えるためにも、一旦、情報を整理する必要があった。


 国と水、そして塩。そもそもが国家やそれに類する概念に漠然とした知識しか持たないサリュにとって、それらの話はひどく途方もなく、問題の程度を掴むことにも苦労したが、そこに彼女の探し人が関わっている可能性がある以上、話を投げ出すわけにはいかなかった。恐らくは、それこそが男の行方にも繋がっているのだろうからなおのことだった。

 とはいえ、一人では手が余ることには違いない。ユルヴとメッチが協力を申し出てくれたことは有難かった。そのユルヴは、ヨウを始めとするクライストフ家の従士達の動きを探ってみるといってすでに館の外へ出ている。同じようにメッチも情報収集をしてくれているはずだった。


 サリュは館に残った。昨日、ここで出会った人物――カルレイナと名乗った女性との約束があったからだが、その相手との面会はいまだに出来ていない。昨日から部屋の前に待機するようになった女中に訊ねてみても「まだお休み中でございます」と返ってくるばかりで、あまりにも呼ばれる気配がないので、相手の起床を待つあいだ少し部屋の外に出ようとすれば、それも止められてしまう。理由は「起きてすぐにお会いしていただくため」だと言う。無理やりに連れ込まれた領主の館にそのまま滞在することを選んだのはサリュ自身の意志だったが、これでは態のいい軟禁だった。


 隣では彼女の大きな猫が、いかにも退屈そうに四肢を伸ばしてだらけきっている。……クアルの存在をちらつかせて、強引に部屋から出てしまおうか。サリュは考え、実際にそれを試してもみたのだが、顔面を蒼白にした女中はそれでも首を縦に振らなかった。「お願いですから、お部屋でお待ちになっていてください」と繰り返す女中の声音は震えきっていて、これではまるで自分の方が悪者のようだと憮然とする。


 それにしても――サリュは改めて先ほどの女中の態度を思い出した。奇妙な違和感があった。砂海の王者と呼ばれる砂虎を恐れるのは当然と言えば当然だが、あの女中の怯えようはクアルよりもむしろ、別の相手に対して向けられているようだった。


 ……いったい、あの女性は何者だろう。


 町の領主アズバドルの館に住みながら、男の妻ではなく、ただ囲われているだけだと言っていた。俗世離れした美人だが、どこか得体の知れない妖しい雰囲気がある――昨日の印象ではそんなところだった。そして……、館の女中達から怖れられている。

 女中だけの話ではなかった。昨晩、会話のなかで不意に自分が抱いた感情をサリュは想起した。あの恐ろしさは一体なんだったのか。


 確かなことは、カルレイナというその女性が、この館ではっきりとした実力者であるということだった。彼女を味方にできれば、パデライの行方など重要な情報を得られるかもしれない。そのためにこそサリュは館内に残っているのだが、これまでのところは無為な時間に過ぎなかった。

 正午を過ぎれば、さすがにもう待てない。その時は、今度こそ強引にでも外に出てしまおう――そんなことを考えていたところに、部屋の外から声がかかった。


「お方様がお呼びでいらっしゃいます。浴場までお越しくださいませ」

「お風呂、ですか?」

「はい。お方様がお待ちです」

「……部屋で待っていてはいけませんか」

 別に今は湯浴みをしたい気分ではない。返答を聞いて一瞬、部屋の外に沈黙が生まれた。

「浴場まで、おいでください。どうかお願いします……」

 サリュは息を吐いた。扉へ向かう。

 仏頂面で開けると、今にも泣き出しそうな表情の若い女中が立っていた。ユルヴと同じくらいの年齢だと思われる相手は、部屋からでてきたサリュを見て安堵の表情を見せる。

「ああ、よかった。これでお方様に怒られずにすみます」


 なんと応じるべきか迷って、結局、サリュは黙って頷くだけで済ませた。後ろを振り返り、アルに手招きする。のそりと起き上がってやってくる姿を恐る恐る見やって、女中が頬をひきつらせた。

「そちらの、その――猫ちゃんも、お連れになるので?」

「なにか問題が?」

「いえ、別にそういうわけでは……ないんですけど。でもぉ、」

 もごもごと口のなかで呟く相手をしばらく待って、結局はっきりとした答えが返ってこない。口を開こうとしたサリュの前に、ずいとクアルが一歩を踏み出した。女中に向かって大きく咢を開いてみせると、女中は大きな悲鳴をあげてどこかへ走っていってしまう。唖然とそれを見送ってから、

「クアル、もう」

 振り返った砂虎が、呆れ顔のサリュにくあうと小さく鳴いた。

 案内役がいなくなってしまったが、幸いなことに浴場までの道は昨日わかっている。サリュはやれやれと頭をふって、廊下を歩きだした。



「あら……、おはよう。昨日はよく眠れた?」

 サリュが浴場に入ると、女性は遠くを見るような眼差しで巨大な水風呂の縁に腰を下ろしていた。こちらに気づいて気怠げな視線を投じてくる相手は、昨日と同じく全身に肌着一つさえ身に着けていない。堂々と裸身を他人の目に晒してそのことを気にもしていない様子が、かえってサリュの方にこそ羞恥心を覚えさせた。ついと目の前の美女から視線をそらして思わず、揶揄を口にしてしまう。

「随分ゆっくりしたお目覚めですね」

 女性――カルレイナはくすくすと笑った。

「もしかして、待たせちゃったかしら。ごめんなさいね。でもね、仕方ないじゃない? だって、昨日はあんまり眠れなかったのだもの」

「なぜ眠れなかったんです」

「もちろん。あなたに、どんな質問をしようかって考えてたからよ」

「……そうですか」


 昨日、女性と交わした“遊び”のことはもちろん覚えていた。互いに知りたいことを一つずつ訊ねる。ただし、自分が一番に知りたいことではなく、必ず二番目に知りたいことを訊かなければならない――奇妙な取り決めだった。

 相手の意図がサリュにはわからなかった。昨日指摘したように、嘘も言い繕いもいくらでも出来ると思えるからだった。つまり、と考える。この“遊び”には互いの信頼が前提としてあるのだ。相手が嘘をつかないという前提が。そして、出会ったばかりの相手を全面的に信頼するというのは容易いことではなかった。


「質問を、してもいいですか?」

「例のお話? もう訊くことが決まってるの? 別に、私はかまわないけれど――ああ、でもやっぱり、お風呂をでてからにしましょうよ。あの部屋でお話をしましょうって、約束したもの」

 それに、と軽やかに続ける。

「のんびりお風呂に入っているうちに、訊きたいことが思い浮かぶかもしれないじゃない?」

「私が訊きたいことはもう決まってますから」

「でも、もっといい質問があるかもしれないわ」

「そんなことはありません」

「どうしてそんなことが言い切れるの?」

 女性は不思議そうにサリュを見つめた。

「あなたにとっての一番の質問は、私がなにを知っているかで違ってくるはずでしょう? それが二番目の質問とくれば尚更だわ。だったら、まずはそれを把握することが大事なのではなくて?」

 サリュは言葉に詰まった。


 カルレイナの言っていることが正論だと頭のなかでは思えたが、素直に首肯するのがどうにも憚られた。ほとんど反射的なその自分自身の反応の意味を掴みかねて困惑する。

 反応は生理的なものではあった。嫌悪感、ではない。だがそれに近い。抗いたい。いや、抗わなければならない。


 美貌の女性は真っ直ぐにこちらを見ている。こちらの返答がないことを怒った様子もなく、口元には微笑を浮かべ、目尻は柔らかく優しげでさえあった。その眼差しを見ているうちに、サリュのなかで言葉はさらに失われてしまう。見惚れるように、サリュは目の前の女性に対してしばらく注視し続けて――ぱしゃん、と水を叩く音に、はっと我に返った。

 少し離れた湯の縁で、クアルが水面に前肢を突っ込んでいた。ぺし、ぺしとどこか不満そうに何度か繰り返してから、意を決したように思い切って水風呂に巨体を投じる。サリュとカルレイナのところまで小さくない水しぶきがあがった。頭から水を被り、二人は顔を見合わせた。


「……すみません」

 内心でほっとしながらサリュが謝罪すると、女性は可笑しそうに肩を揺すらせて、

「いいのよ。ふふ。やっぱり面白いわ、あなた達」

 むしろ上機嫌な様子で、女性は湯船に身を滑らせた。そのままクアルに近づいていくと、クアルの方は嫌がって遠くに離れてしまう。その露骨な態度を見てとって、サリュははたと悟った。――クアルと同じだ。


 自分はこの女性を相手に隙を見せたくないのだ。同意や、それに近い行為をとることで彼女に近づきたくない。その感情は恐らく、サリュは昨夜に感じたものと同じ根っこに存在しているはずだった。

 今までサリュが出会ってきた人々にはなかった、理解不能の感覚。生まれて初めて体験するその得体の知れなさが、この女性を館で女中達から怖れさせ、その地位を確かなものにしている。そして……私もまた怖れている。恐らくは、女中達と同じように。


 感情の理由を得たことは前進だった。そうして立ち位置が定まれば、相対する手法も自然と判る。――目の前の女性は敵ではないかもしれない。できれば敵にしない方がよい。ただし、味方ではないし、味方にしようとしてもいけない。

 遠ざかるクアルを追いかけて無邪気な笑い声をあげる女性を見やりながら、サリュは固い覚悟を固めていた。弱者として強者に抗うことを自覚したからこその覚悟だった。



「――パデライさんは、この館にいましたか」

 長い水浴びを終え、幾らかの世間話を終えてカルレイナの部屋に戻って、サリュが訊ねたのは結局、浴湯の前から決めていた質問だった。

 しどけなく肘置きに身体を流した美貌の女性は「早速ね」と笑い、つまらなそうに息を吐いた。首を振る。

「いいえ。パデライという男は今、この館にはいないわ」

 くすりと笑って、

「おかしな言葉遊びみたいになってしまっても嫌だから、もう少しきちんと言うと、ここの館以外にも、ね。ようするに、パデライの監視下にはないということよ」

 あっさりと補足されて、サリュは意外に思った。女性の言う“言葉遊び”の危惧を彼女もしていたからだった。嘘ではないが真実ではない、というような返答ではぐらかされる恐れも勘案して、女性の出方を窺うために用意したのが今回の質問で、本当はパデライの所在そのものを訊きたかったのだが、それは一番目の質問だった。


「今いないだけで、昨日はいたということはありませんか?」

 サリュが言うと、女性は不思議そうに首を傾げてから、ああ、と手を打った。

「それで“いましたか”なのね。ごめんなさい、それじゃあ、さっきのはちゃんとした回答になってなかったわ。――今も、昨日も、パデライという男はここにいないし、いなかったわ。というか、この館に来たことがないみたいよ?」

「……外で会っていたということですか?」

「それは二つ目の質問になるんじゃないかしら」

 女性は苦笑して、

「今回だけ特別よ。――多分、そうなんでしょうね。パデライって名前は知られてたし、胡散臭いことで関わりはあったみたいだから」

「胡散臭いこと?」

「それ以上は、さすがにおまけしてあげられないわ」

 悪戯っぽい返答を聞きながら、サリュは内心で考えた。今の発言は昨晩、メッチが言っていたことの裏付けになるだろうか。パデライが関わっていたという塩の商いについて。だが、それがリトの話とどう繋がるのかは本人に訊いてみなければわからなかった。


「それじゃあ、私からの質問もいいかしら?」

 思考を一旦中断して、サリュは女性からの質問に身構えた。なにを訊かれても動揺を見せまいと心に決めて、

「――あなたの探しているのは、リトという男性のことであっていて?」

 思わず目を瞠ってしまう。

 サリュが返答しえない間に、女性は歌うように続けていた。

「年の頃は二十半ば。茶色の髪。瞳の色も同じで、ただし右目は怪我があって潰れてる――あら、なにか探し物?」

 女性の言葉に、サリュは無意識に腰元の探検を探していた自身に気づいた。常日頃、身に着けている二本の短剣は、この部屋に入る際に女中に預けてしまっている。そのことを心から悔やみながら、唸るように口を開く。

「どうして、その名前を……」

 昨日、探し人がいることは話していたが、名前については一言もしていないはずだった。それを知っているということは、女性が館の人間に調べさせたか――あるいは、初めから知っていたか。

「質問しているのは私よ?」

 女性はにこりとして言った。


 相手を睨みつけながら、サリュは一瞬、無手のまま一気に飛び掛かろうかと考えた。もしもこの女性がリトの行方を知っているのなら、パデライの所在を訊ねるなど迂遠なことだった。そんなことをせずに、この女性の口を割らせてしまえばいい。短剣がなくとも、それくらいなら容易く出来るはずだ――そう思って実際に行動に移しかけた瞬間、


「――止めなさい」


 女性の冷ややかな声音に、全身が固まった。

「私、あなたのことが気に入ってるの。だから、そんなつまらない結末はやめてほしいのよね。もしも――」

 白けたように息を吐いて、

「もしも、あなたが私を殺してくれるっていうのなら、それはとてもとても素敵なことだと思うけれど。残念だけどあなたにはそんなことは出来ないし、そんなことで簡単に殺されてしまうのは心底がっかりだわ」

 相手の言っている意味がわからず、サリュが眉をひそめた次の瞬間。ぞっとするような気配が室内に膨れ上がって、サリュの背筋が震えあがった。


 反射的に腰を上げて周囲を見渡す――しかし、あれほど濃密だった気配は一瞬で霧散してしまっていた。隣ではクアルが最大限の警戒態勢をとっているが、そのクアルでさえ、今の気配の持ち主が部屋のどこに潜んでいるか判別できないようだった。

「私をどうこうしようとしない限り、空気みたいなものだから気にしないでいいわ。そういうのが雇われてるの」

 つまらなさそうに女性が言うが、サリュは動悸が収まらなかった。


 先ほど、自分に向かって叩きつけられた気配は確かに殺気だった。恐らく、あのまま女性に飛び掛かっていればその殺意は現実のものとなっていたのだろう。信じ難いのは、砂虎のクアルでさえこの部屋のなかにいる“もう一人”の気配に気づけていなかったということだった。

 普段、クアルの感覚に絶対的な信頼を置いているからこそ、サリュには衝撃だった。その何者かが潜んでいる室内で武器も持たずに無防備でいることは自殺行為のようなものだ――思わず身を固くしてしまうサリュに、女性が苛立たしそうに息を吐いた。

「だから、嫌なのよね。みんながみんな、怖がってしまうから。姿を見せろって言っても見せないし……まあ、見ていてあまり愉快な顔でもないけれど」

 それから女性はにこりと笑んで、

「まあ。そういうわけだから、気にしないで。それで、私からの質問に答えてもらってもいいかしら?」


 ――この“誰か”の存在が、この女性の力の源なのだろうか。サリュは考えた。


 その可能性は十分あった。恐らくは人殺しを生業とするような、それも人に知られずに人を殺すことを生業としているだろう人種が傍についていて、それを怖がらない人間などいないだろう。だが、

「……そうです。私は、リトという男の人を探しています」

 サリュが答えると、女性は嬉しそうに手を合わせた。

「やっぱり、そうなのね。素敵だわ。それって昨日の物語の相手よね」

 黙って頷く。女性はますます嬉しそうに、それからあっという顔になって眉をひそめた。

「ごめんなさい。今の、二つ目の質問になっちゃっていたわね。でも、あなたからの質問にも二つ答えたから、おあいこかしら。――ああ、面白いわ。明日はどんな質問をしようかしら。今からわくわくしてきちゃった」

 にこにこと屈託なく笑う。


 殺意が消え気配も途絶えた室内で、サリュは改めてぞっとしたものを覚えていた。それは間違いなく、目の前の女性に対しての感情だった。



 女性の部屋を辞して、サリュは自分の宛がわれた部屋に戻った。


 これからどうするべきだろうかと考える。あの女性がリトのことを知っているのなら、これ以上お遊びに付き合う必要はない。リトのことを問いただしてしまいたいが、しかし姿の見えない護衛が彼女についている以上、無理やり話を聞きだすのは難しいだろう。


 では、明日も女性の遊びに付き合いながら、リトのことを訊ねるか――だが、「もっとも聞きたいことは訊かない」というのが女性との取り決めだった。そんな迂遠なことをやっていて自分が我慢できる気がしない。本音を言ってしまえば、今からでも返された短剣を握りしめて女性の部屋に乗り込んでいきたいところだった。もちろん、護衛の存在を忘れたわけではなかったが――

「……ユルヴに相談しないと」

 自分を落ち着かせるために口の中で呟く。強硬策を取るにせよ、取らないにせよ、自分一人で出来ることではなかった。友人である少女の戻りを待って、サリュは逸る気持ちを抑えつけた。



 だが――その日、いくら待っても部族の少女は帰ってこなかった。



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