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砂の星、響く声  作者: 理祭
 三章 熱砂攻防
105/107

13

 坂道を転がるように町へと駆け降りたセスクの視界に飛び込んできたのは、閑散とした町の光景だった。

 普段、外からひっきりなしに訪れる隊商客によって賑わいをみせる通りからは人の姿が失せ、井戸の周りにも水を飲む荷馬の姿はない。通りに沿った店の扉はすべて固く閉じられている。その建物のなかにも気配は窺えない。ひとまずは町が無事であることにほっと息をつきかけたところに、

「そこにいるのは誰だ!」

 背中からの怒声に飛び上がった。


 恐る恐る、後ろを振り返ると、槍を持った髭面の兵士が恐ろしい顔でこちらを睨みつけてきている。足音を踏み鳴らして近づいてきた相手に、セスクは抗弁する間もなく頭を掴み上げられた。

「痛い! 痛いってば!」

「子供がこんなところで何をしてるんだ。大人しく家の中に引っ込んでろっ」

「わかったから、放せよっ――放せって!」

 力の限りもがいてみるが、拘束はびくともしない。忌々しそうに舌打ちした中年兵が、ようやくセスクを解放した。文句の一つも言ってやろうと涙目で相手を睨みつけて、その血走った形相にぎょっとした。男の顔は、異常なほどの恐怖と緊張に塗れていた。

「今がどういう状況かもわからないのか!? 死にたくなければとっとと失せろ!」

 荒々しく胸を突き飛ばされる。その場に倒れ込んで、拍子に少なくない砂が口に入った。この野郎、と憤怒にかられて顔を上げかけて、

「――――?」

 見上げた男の喉に、黒い蛇のようなものが絡みついていた。


 意味が分からず、セスクはそれを相手に指摘しようとしたが、それより先にもちろん男の方が自身の違和感に気づいていたことだろう。怪訝に自分の首元へと目線を落とそうとした男は、しかしそれを成すことは叶わなかった。


 セスクの目には、蛇が跳ねたようにしか見えなかった。


 明後日の方向に蛇が飛び、それと同時に男の喉から鮮血が舞った。綺麗に宙に円を描くように血飛沫いた、そのひと固まりがセスクの顔面に降り注ぎ、世界が赤く染まる。色を変えた視界のなかで、中年の男がゆっくりと倒れていくのが目で追えた。

 あまりのことにセスクは声も出なかった。呆然と、かすかに砂を踏む音に、そちら――蛇が跳ねた先を見やると、そこには一人の女性。


 全身を真っ赤に汚した、黒髪の女性だった。女性が手に蛇を握っていることに気づき、それが蛇などではなかったことを次に理解する。びっしりと棘のようなものがついた、細く長い鞭。あれが男の喉を切り裂いたのだ、と悟った瞬間、胃の奥から込み上げてくるものにセスクはその場で嘔吐した。

「うっ……あぐ! っ――げえぇ……!」

 臓腑ごと吐き出すような強烈な吐瀉を何度も繰り返した挙句、息を喘いでようやく落ち着く。吐瀉物に塗れた地面のすぐ先に靴先が見えて、ひっと悲鳴を上げた。


 影を上げる。

 太陽を背にした冷ややかな眼差しが、無言でセスクを見下ろしていた。手に持った鞭の先、ひたりと血を滴らせるそこにこびりついた肉片に目がいって、

「うわああああああああああああああ!」

 絶叫とともに、セスクは四つん這いで後ずさった。

 女性の表情が動いた。不快そうに眉を寄せたのがわかって、反射的に悟る。――殺される。殺されてしまう。早く、立って逃げないと! だが、彼の身体は自分の意思を裏切って、駆け出すところか立ち上がることさえ出来そうになかった。


 女性がゆっくりと腕を持ち上げる。

 ひっ、と声をあげて、セスクは縮こまった。喉だけは守ろうと両手で覆って、身体を丸める。喉を覆えば他の場所が切り裂かれるだけだろうが、そんなことは考えていられなかった。脳裏には先ほどの男の死に様がこびりついている。あんな風になるのだけは死んでも嫌だった。

「…………」

 小さく、哀れむような吐息が耳に届いた。

 ――馬鹿にされている。かあっと顔が熱くなったが、それでも立ち上がるどころか顔を上げる勇気さえでてはこなかった。代わりに、自分の不甲斐なさに涙がでてくる。ちくしょう、ちくしょう、とセスクは震えながら呻き声をあげた。

 気配が揺れる。ひいっとセスクがますます身体を縮めたところに、


「――やめて!」

 聞き覚えのある声が響いた。


 涙でぐしゃぐしゃの顔をあげると、彼のよく知る人物が遠くから駆け寄ってきてくれている。セスクが世話になっている食堂の女性だった。

 知人は女性に対してセスクを庇うように身体を割り込ませると、口を開いた。

「この子はなにもやってない、はずです。酷いことはしないで……」

 そのの声と、なにより自分を庇ってくれている全身が細かく震えていることに気づいて、セスクは激しい羞恥に襲われた。ちくしょう、と歯噛みする。どうして自分は、こんな風に情けないんだろう。

 せめて顔をあげろ、と自分自身をを叱咤して、知人の背中越しに相手を見やって気付く。


 知人は、目の前の相手になにかを突き出しているようだった。まさか武器じゃ、と思ったが、どうやらそうではない。冷ややかな眼差しで無言のまま、女性は知人からそのなにかを受け取ると、くるりと背中を向けた。それっきりこちらのことなど忘れたかのように去っていく。


 悠然と歩み去っていく後ろ姿を見送っていると、

「この馬鹿!」

 頭に拳骨が降った。

 悶絶する。反射的に文句を言いかけて、しかし相手の表情を見て一気にそんな気分は萎れてしまう。女性は顔面蒼白だった。

「……ごめんなさい」

「ごめんなさいじゃないでしょ! 危ないことはしないでって言ったのに。この子は、もうっ。もうっ!」

 ばしばしと全身を叩かれる。ごめん、ごめんなさい、と何度も謝って、さすがにこれ以上はたまらないと腕を上げて防ごうとしたところを抱き締められた。

「本当、いい加減にしてよね……。こんなんじゃあ、あたしの命がいくつあっても足りないわよ……」

 ――温かい。

 その震える体温に、今更のようにさっきの恐怖が込み上がってきて相手にしがみつき、セスクは大声でしゃくりあげた。泣き止むまで、知人はずっと彼のことを抱き締めてくれていた。


 ようやく落ち着いておずおずと身体を離すと、知人が顔を覗き込んでくる。その知人も目にいっぱいの涙を溜めていた。気恥ずかしさに顔を背けると、知人もそれを追いかけてきて、そんなことを何度かやっているうちにどちらからか笑みが零れていた。はあ、と脱力する。

「ごめん、お姉ちゃん。それに……ありがとう」

「いいのよ。でも、もう勘弁してね。あんな真似、もう二度と出来ないと思うから」

 目尻を拭いながら、女性がにっこりと笑った。

 互いに互いを支えにするようにして立ち上がり、

「ほら、帰ろ。戦争なんて大人に任せてればいいんだから、子供は家のなかで大人しくしてなきゃ」

「……うん」

 さすがに大人しく頷いて、セスクは知人から差し出された手をとった。――子供、という台詞が頭のなかで響いている。さっきまでの自分は、いったいなにが出来るつもりだったんだろう。町を救うどころか、自分一人の命さえ守れないような子供の分際で。恥ずかしさと悔しさがないまぜになって、それでまた涙が浮かんできた。

「ああ、もう。ほら、泣かないの。はやく帰ろ?」

「うん……」

 歩き出したところで、ふと思った。

「そういえば、姉ちゃんはどうしてこんなとこに?」

 あのねえ、と知人はため息をつく。

「昨日から姿を見かけないから、探し回ってたんじゃない。町はこんな状況だし、馴染みのへーたいさんに聞こうにもみんな怖い顔してるし。大変だったんだからね」

「それって、もしかしてずっと探してくれてたの?」

「あったり前でしょ。そしたら、なんだかおっかない人の前で見つけて、こっちの心臓まで止まるかと思ったわよ」

「ごめん。……本当、怖かった」


 虫けらでも見るような眼差しを思い出すだけで、今でも背筋が震えるようだった。知人もおなじことを思ったらしく、ぎゅっと強く手が握られる。その痛みに顔をしかめながら、

「そういえば、お姉ちゃんさ。さっき、あの人になにか渡してた?」

「ああ――うん、あれ?」

 女性は苦笑したようだった。

「ちょっとね。探しながら集めてたものがあったから、それを渡しただけよ。……受け取ってくれるとは思わなかったけど」

「なに?」

「矢よ。こないだからずっと、外からたっくさん降ってきてるでしょ」

「……矢を集めてたの?」

 セスクが訊ねると、女性はそっぽを向いて頬をかきながら、

「うん、ほら。お小遣いくらいにはなるかなあって、ね。……なによ、悪い!?」

「いたたたた、悪くない。悪くないってば!」

 結果的にそのおかげで助かったのかもしれないのだから、文句のあろうはずがない。


 だけど――、セスクは不思議に思った。

 矢なんて後からいくらでも拾えるのに、今この場で拾う必要があるだろうか。その日の戦争が終われば、それこそ少年のような下働きが駆り出されて町中の矢を拾い集める羽目になるはずだ。町の人間もそれを手伝わされることこそあれ、駄賃などをもらえるようなことはないと思うが……。

 わずかな違和感に触発されたセスクの思考は、遠くに沸き立った大声に掻き消された。

 悲鳴、あるいは歓声。いずれかの判別はつかないが、その声があがったのは、先ほど別れたリトが向かったはずの方角だった。


 ――なにがあったんだろう。

 リトは? サリュ姉ちゃんが探していた、あの人は大丈夫だろうか。


 一瞬、セスクの足が止まりかける。だが、

「どうしたの?」

 不思議そうに隣から問いかけられて、上手く説明する術を彼は持たなかった。なにより、自分の手を握ってくれるその暖かな手を振りほどく気には、到底なれない。

 後ろ髪をひかれるような気分で、セスクはその場から離れるしかなかった。



 ――砂の海を巨大な塔が渡る。


 ゆっくりと、しかし確実に町との距離を詰めてくるその異様な建物を見やって、防壁上から徐々に悲鳴のような声が上がり始めていた。焦って矢を射かけている兵士もいるが、その攻城塔――だと、リトはあたりをつけている――には、少なくとも目の届くところに兵士の姿は見えなかった。


 ただ流砂に流されているだけではない以上、あの代物には動力となる存在があるはずだった。よく知られているものなら、水力や風力。しかし、水が貴重であり、神聖でもあると考えられているバーミリア大陸では、水力のそうした利用はほとんどない。そもそも利用できる水流が近くになかった。風力を用いたものなら、たとえば砂帆船(実際には、それは帆をかけた板といったほうが正しかったが)などあったが、あれだけの重量を動かすことはとても不可能だろう。

 となれば、残された可能性は人力ということになる。後ろから大勢で押している様子でもないから、内部にいるのだろう、恐らく――もしかしたら、人ではないのかもしれないが。


 人、あるいは馬。どちらでも構わないが、その動力の源となる存在は塔の内部にあって、弓矢から守られている。横から射かければ矢が通るような作りにも見えなかった。あの巨大な塔を砂海に渡らせている仕組みと動力源を、どのように抱え込んでいるか、その構造まではリトにも見当はつかなかった。ある程度なら思い当たりはするが、正解かどうかはわかりようがない。是非、内部の詳細を見させてもらいたいところだったが、


(さすがにそれどころじゃないな)

 苦笑する。


 周囲ではいよいよ混乱の度合いが大きくなってきていた。

 向こうから徐々に迫りつつある正体はわからずとも、それを擁しているのが町を囲む敵軍である以上、その意図は明らかだった。それに対して誰も有効な撃退手段を思いつけないのも、仕方のないところではある。帝都ヴァルガードの大学で学んだことのある者や、それに近しい高等教育を受けた者であれば、攻城塔という代物やその理論を知っていたかもしれないが、多くの兵士や下士官レベルではそういった知識を得る機会はなかった。


 そんななかでも、いくらか目端の利く者が、塔に向かってただの矢ではなく火矢を浴びせかけていた。木であれば燃えるだろうという目論見だが、材木に水でも浴びせているのか、それともなにかの防火処置が施されているのか。いずれにせよ、数本程度の火矢ではまるで火がつきそうにもない。

「あれじゃ駄目だな……」

 独り言ちて、リトは周りで浮足立つ兵士の一人の肩をつかんだ。

「――油は?」

 は?と間の抜けた返事をかえす男に、

「油はないか、と聞いてるんだ。壁の上から落としたりしないのか?」

「ああ、いや――油なら、正門とかになら。こんなところじゃ、登ってくる敵もいないし」

「なるほどな」


 確かに、タニルで敵方の侵入路となるのは普通、正面一つに限られる。突破される恐れのある正門にこそ備えていてこそあれ、こんなところにまで置かれていないのは無理からぬことだった。

「今から、正門まで油をとりに行って来て、間に合うように戻ってこれるか?」

「な、なにが?」

 まだ理解の及ばない様子でいる相手の、掴んだ肩に力を込めて、息を吐く。

「いいか? あの塔はこのままだと防壁にとりつく。そうしたら、どうなると思う?」

「ど、どうなる……?」

「大勢の敵が乗り込んでくる。……このあたりは正門と違って、敵が直接登ってくる備えはほとんどしてない。そうだな?」

 こくこくと兵士が頷く。リトは続けた。


「大勢の敵が登って来る。不意をつかれる。すると、どうなる?」

 男は混乱した様子でしばらく考え込んでいたが、やがてなにかに思い至った様子で、

「――タニルが、陥ちる?」

 ぽつりと呟いた。

「そういうことだ」

 大変だ、と慌ててどこかに駆けだそうとする相手を無理やりに抑えつけて、

「だから、あれを近づけちゃいけない。ここまではわかるな?」

「わ、わかるとも!」

「そのために、油がいるんだよ」

「油?」

 男がきょとんと目を丸めた。

「そんなもの、どうして――」

「あの塔のなかで、押してる誰かがいる。人か馬か。外から矢を射かけたところで、見てみろ。全然、効いちゃいないだろ」

 先ほどから無益としか思えない矢数が飛んでいる様子に目をやると、確かに、と兵士も頷く。


「……つまり、矢の代わりに油を。かけようって?」

 恐る恐る訪ねてくる相手に、リトは肩をすくめてみせる。

「それもいいが、油を投げつけられる距離まで近づかれてる時点でほとんど詰みみたいな状況だからな。投石器かなにかで、まだ距離があるうちに投げつけられればいいんだけど」

「じゃあ、どうやって、」

「決まってるさ」

 事も無げに、リトは地面に向かって顎をしゃくってみせた。

「あの塔の進路上に油を撒いて、そこに火をつければいい。そうすれば――」

「も、燃える?」

「さあな。だが、あの塔は小回りが利くようには見えない。燃えはしなくたって、火の上をいかなくちゃならないはずだ。あんたがもしあの塔のなかで押してて、そんなことを命令されたらどうする?」

「い、嫌だ……っ」

「そういうことだ。人なら不服従くらいですむが、もしもあの中にいるのが馬なら、下手したら大暴れだろうな。というわけで、油が必要なんだ」

「わ、わかった」

 ようやく合点がいったという表情で、男が大きく頷いた。


「俺が正門から油壺をとってくればいいんだな!」

「正門でも、備蓄庫からでもなんでもいい。急いでくれ。見ての通り、速度は大したことはなさそうだが、さっきも言ったように近づかれたらおしまいだ」

「わかった――!」

 返事もそこそこに、勢いよく駆け出していく相手を見送って、リトは塔へと視線を戻した。その異様な建物はゆっくりと、だが確実にこちらへと近づいてきている。


 果たして油が届くのが先か、防壁に張りつかれるのが先か――分の悪い賭けだな、というリトの予想は外れた。駆け出してからいくらかも経っていない時間で、その男が戻ってきたからだった。両腕に大きな甕を抱えている。


「随分早いな」

 リトが驚いてみせると男は得意げに、

「正門には他の奴に頼んで行って来てもらった」

「なら、それは? どこから持って来たんだ」

「台所から持ってきた!」

 ああ、とリトは頷く。

「いい機転だな」

 嬉しそうな男と協力して甕を運びこむ。

「どうする? このまま下の地面にぶっかけるか?」

「……いや、どうだろうな」

 即答せずに、リトは頭を振った。


「下は流砂だ。あの塔がやってくる前に撒いた油が流されたら意味がないし、それに」

 甕一杯の油をぶちまけたところでどのくらいの炎が巻き起こるかもわからない。一時的には充分だろうが、追加の油がやってこないうちにすべてを試すのは明らかに危険だった。

 とはいえ、このまま塔の接近を許すのでは用意した油が無駄になってしまう。

「牽制にもなるし、試してみるか」

 呟きながら、自分の腰に手をやって舌打ちする。いつもはそこに水入れの皮袋を下げているのだが、今はそれがない。

「おい、あんたの水入れをもらってもいいか」

「はぁ? 別にいいが、どうするんだ」

「なかの水を捨てて、代わりに油を入れてくれ」

「ああ、なるほど。わかった」

 男から油入りの革袋を受け取って、十分な重さがあることを確認する。

「よし、これならいけそうだ。他の連中からもかっぱらってきてくれ!」

「わかった――!」

 男が再び駆け出していく。


 たっぷりと油の詰まった皮袋を手にして、リトは一瞬、考え込んだ。――火をつけてから投げたほうがいいだろうか。投げた後に火矢を射かけてもいいが、都合よく袋に当たってくれるとも限らない。とはいえ、この状態で火をつけようとしたら最悪、こちらが火だるまになってしまう。

 逡巡の間はないと悟って、リトは自分の衣服の端を引き裂いて皮袋の飲み口を縛り上げると、その端っこを出来るだけ遠くに持って、近くの松明へと近づいていった。皮袋に引火しないよう、慎重に縛った切れ端に火を近づけて、そこに着火した瞬間、いそいで塔の進路上を狙ってそれを投げ込んだ。


 体勢が万全ではないこともあって、皮袋が飛んだ距離はせいぜい数丈程度だったが、上手く塔の通るであろう進路に落とすことが出来た。目論見通り、少しの時間差をおいて切れ端から皮袋へと炎が移り、煙をあげて大きな炎があがる。

「よし――」

 あとはおなじように油入りの皮袋をつくり、あのあたりに投げ込み続ければいい。それで少なくとも、時間稼ぎにはなるはずだった。


 リトがやろうとしていることに気づいたのか、リトから声をかけるまでもなく周囲の数人が自分達の水入りを外しにかかっていた。彼らに頷いて、リトは他に皮袋の代わりになるものはないかと視界を探して――ふと、違和感に目を止めた。


 凝視する。彼の目には、先ほどまで町へと迫りつつあった塔が静止しているように見えた。


 気のせいか。いや、確かに止まっている。

 どういうことだ? 内部の機構でなにか問題でも起きたのか、それとも油入りの皮袋が燃え上がったことでこちらの目論見を察したのか。

 いずれにせよ、相手が一時でも進行の意図を失ってくれたというのなら、それだけで重畳ではあるが――しかし、それはやはり希望的観測に過ぎなかった。


 ゆっくりと、塔が前進を再開する。

 先ほどの一瞬の停止が何を意味するのか、今はそれを判断する術がない。釈然としないものを感じながら、リトは周囲で油袋を用意しつつある兵士達にそれを急がせた。



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