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砂の星、響く声  作者: 理祭
 三章 熱砂攻防
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「この砂海の底にさ、でっかい塩の塊が沈んでるって言われてるのは知ってるだろ?」

 メッチの言葉にサリュは頷く。隣を見ると、部族の牙巫女である少女も首肯してみせた。

「知っている。時々、欠片が流れ着いてくるからな。我々にとっては、塩分を得るための貴重な採取源だ」

「うん。どうして海の底に塩があるんだとか、そういう詳しい話は俺にもわかんないけどさ。とりあえず、砂海に塩の塊が埋まってるってのは間違いない。その欠片――っても、岩みたいな塊だけど、他の漂流物にまじってそれが流れ着く。塩の岩、岩塩だ。岩塩は砂海ならどこでも採れる――らしい。岩塩は俺達が生きていくうえで無茶苦茶に重要だ。どうしてかは、わざわざ言うまでもないよな?」

 サリュは黙って頷く。

 多くの生き物にとって、塩は決して欠かすことができない。そのため、塩やその塊である岩塩は古くから“通貨”としての役割を担ってきた。水路を介した河川経済の発展とともに帝国貨幣が普及しつつあるツヴァイでも、辺境ではいまだに帝国の通貨より岩塩の方が好まれる場合があった。この乾いた砂の地で普遍的な価値を有する物と言えばまず水、そして塩。物々交換においては、後者がより好まれる傾向がある。主に携帯性と保存性の理由だった。

「岩塩は砂海ならどこでも採れるって言うけどさ。やっぱり場所によって採れる量が全然違うし、時期によっちゃまるで採れなくなる。だから塩が貴重なわけだけど、その岩塩を安定して、たくさん採れる場所があるんだよ。サリュ、知ってるかい」

「……岩塩窟のこと?」

「そ。とんでもなく馬鹿でかい塩の塊――っていうかもう、山だな。塩の山。そういうとんでもない場所の、その中を刳り貫いて切り出すわけさ。これなら一度に大量の岩塩が手に入る。岩塩窟。岩塩坑は、大きな水源があるとこの近くによくあるって言うな。理由はわかんないけど」

 そう言えば――と、サリュはイスム・クを思い出した。そこに長年のあいだ秘匿されていた水源も、周囲を岩塩の地盤に囲まれていたはずだ。そのひどく塩辛かった味もはっきりと舌に残っている。その後に訪れた、後味の悪さと共に。


「砂海で拾うか、塩山を削るか。岩塩の採り方って言ったらこの二つだけど、部族だってそれは変わんないよな?」

「大方はな」

 部族の少女は頷いて、続けた。

「他に塩を得る手段なら、干上がった水島の跡に塩が薄い膜状に残っていることがある。我々は『塩の花』と呼ぶ。滅多に見ないが、それが咲いた近くには良い水源が見つかることが多いから喜ばれる。あとは砂海で拾えるだけでなんとか足りる。塩分を補うだけなら、家畜の血や乳もあるからな」

「なるほど。塩の花ね」

 メッチが息を吐く。

「そういや、水陸のずっと南には塩の実をつける植物があるって聞いたことがあるなあ。まあ今は、そっちはどうでもいいか。とにかく。――うん、それだ」

 サリュとユルヴは顔を見合わせた。

「なんのこと?」

「さっきの話さ。砂海から採れる岩塩ってのは、砕けたやつが流れてくるわけだろ? その砕けた欠片のなかで目につくのがどんどん拾われていくけど、砕ける時には細かい破片になることだってあるはずだよな。つまりさ、そういう細かい塩の粒が、砂海にはたくさん混じってるんだ」

 もちろん、と両手を広げて、

「砂海にどれだけの塩が含まれてたって、その塩と砂を一粒ずつ選り分けるだなんて、そんなこと馬鹿馬鹿しくて誰もやりゃしない。だから、さっきユルヴが言ったやつなんだよ。塩の花さ」

 サリュは眉をひそめた。

「干上がった水源から、塩を採るってこと? でも、そんなに簡単に塩が溶けた水源なんて見つからないでしょう」

 言ってから、気づく。

「――砂海の砂? そのなかに含まれている塩を取り出すの?」

「そういうこと」

 メッチが大きく頷いた。

「塩は水に溶けるだろ? けど、砂は溶けない。ようするに、『塩の溶けた水源』を自分達で用意するわけさ」

「でも、そんなの……」

 サリュは頭を振った。戸惑っている。確かに理屈はわかるが、そんなものはとても現実的とは思えなかった。

 その困惑を察したように笑ったメッチが、

「サリュがなにを言いたいか、わかるぜ。こんなもん、普通は無理だ。なにせ、めちゃくちゃたくさんの水が要る。砂海の砂ならそれこそいくらでも手にはいるけど、水はそういうわけにはいかない。しかも、それをみすみす蒸発させなきゃいけないってんだから――そんなふざけた水の使い方、贅沢すぎて普通は出来ない。普通はな。でも、」

 ため息を落としてから、若い商人は続ける。

「この町は違う。ここなら、そんなとんでもないやり方だってやれちゃうんだよ。考えてみなって。この町には、なにがある?」


「……河川か」

 塩の混じった砂を大量に含まされたような渋面で、呻くようにユルヴが言った。

 メッチが頷く。

「そういうこと。それと、水を留めておける地盤もかな。いくら水のなかに塩を溶かしてみせても、それが地中に染み込んでいったら意味ない。そのどっちの条件も、この町は満たしてる」

 言葉もないといった風に頭を振る部族の少女に倣うように、サリュも眉をしかめて黙り込んでいた。内心では驚愕している。河川の有用性は承知していたはずだが、まさかそんな使われ方までされているとは知らなかった。

「二人とも、実際に目にだってしてると思うぜ。この屋敷の周りにもさ、水を張った場所がたくさんあったろ? ああいう場所でやってるんだ。塩作りは。精塩って言うんだけど」

「待って。――それじゃ、この町ではいくらでも塩が作れるの?」

「この町だけじゃない。河川沿いの町ならどこだってやってる。『治水特権』ってやつさ。治水権を与えられた領主に認められた、とんでもない利益の元だよ。河川を通る荷にかかる税だけでも大概だけど、これだって相当だ」

「でも、」

 サリュは額に手をあてて脳裏を浚いながら、昔の知識を思い出そうとする。

「でも、塩の売買っていうのは凄く厳しいんじゃないの? アルスタのお屋敷にいた時、そういう風に聞いた気がするんだけど……」

「ああ、そうだよ。なにしろ通貨代わりになる代物だしな。精塩していい量や、その流通に関しちゃ、帝国の法律でめちゃくちゃ厳しく規定されてる。治水権ってのは、皇帝陛下から各領主に与えられてるものだからな。領主はその代わりに治水に関わる責任を持つし、税だって治めなきゃならない。その代わり、洒落にならない富と権力が許されてるわけだけど――それを悪く運用して私服を肥やしたりするのは不味い。治水権絡みは、どれも重罪だから」

「……そういうことね」

 ようやく、メッチが浮かない顔をしていた理由が理解できて、サリュは頷いた。

 メッチが力なく笑う。

「そういうこと。な、ヤバそうだろ?」

「どういうことだ」

 不思議そうにユルヴが問い返した。ああもう、とメッチは苛立たしげに頭をかいて、

「だからっ。あのヨウってやつが、治水権絡みで師匠のことを探ってたって言ってたろ。その師匠がこの町で塩の売買に関わってたんなら、連中が注目してる問題なんてそれしか考えられないじゃんか。しかも、それにはこの町のクァガイ支部や、それどころか領主だって関わってるかもしれないんだ!」

「――静かに。声が大きいわ」

 ほとんど叫び声のように言った若い商人が、はっと口元に手をあてる。罰が悪そうに周囲を窺うようにしてから、

「……とにかく。ヤバい話だ。宰相家の人間が動いてるくらいだから、只事じゃないとは思ってたけど、本気でヤバい。今まで色んな商売話を聞いてたけどさ。そんなかでも、とびっきりだぜ。こいつは」

 ごくり。喉仏が大きく上下した。別の生き物のように蠢くその動きを見ながら、

「でも、そういう時が儲けるチャンスなんでしょう?」

 サリュが言うと、メッチは表情に引きつった笑みを浮かべてみせる。

「まあね。――ああ、クソ、膝が震えてきやがった。まさかこんな大事に巻き込まれるなんて思ってもなかったぜ。ほんと、ありがとな。サリュ」

 そう言ってみせたのは明らかに強がりだとわかったが、そこにどの程度の皮肉が含まれているかまでは汲み取れず、サリュは小さく頷くに留めた。訊ねる。

「クライストフの家も注目するような話って、具体的にはどういうものになると思う?」

 ううんと唸りながらメッチが腕を組んだ。

「……簡単に思いつくってことなら、ぱっと思い浮かぶのは塩の密売かな。――領主がやってる場合も密売って言うのかな? まあ、法律に違反してるのは一緒か。河川利用の精塩は、領内法じゃなくて帝国法の範疇だもんな」

 自分が口にした言葉に得心が言ったらしく、うんうんと頷いてみせる。

「密売って、隠れて売買することよね」

「そう。精塩していい量って決まってるからな。じゃないと、それこそいくらでも塩が出回っちゃうことになりかねない。もしもそんなことになったら、水陸中の商人は大混乱さ」

 サリュは不思議に思って訊ねた。

「どうして混乱するの?」


「――商売ってのはさ。要はバランスだと思うんだよ。俺みたいな若造がしたり顔で偉そうに言うことじゃないかもしれないけど」

 メッチが言った。右手と左手にそれぞれなにかを載せるようにして、

「なにかを欲しい人がいて、そのなにかを持ってる人がいる。その物を欲しがる人の数が増えたら、それの価値があがる。つまり高価になるってこと」

 両の掌に受けた目に見えないなにかを交互に上下しつつ、続ける。

「商人なんて、そういう需要と供給のあいだをひたすら行ったり来たりしてる生き物なんだからさ。塩や水は誰にだって絶対に必要で、その上で貴重だからこそ価値がある。もしも、上質な塩がいくらでも簡単に手に入るようになったらどうなると思う? 誰も塩なんて売らなくなっちまう。それまで通貨みたいに使えてたのが、いきなり無価値になったりしたら、そりゃパニックだよ」

 サリュは眉をひそめた。今のメッチの言葉に引っ掛かりを覚えたからだが、どこにそれを感じたかまではわからなかった。そもそもが、商売というものについてよくわかっていないのだから、腑に落ちない部分があるのは当然だろう。そう思って話を先に進める。

「……商品としての価値を保つために、制限が必要なのね」

「そういうこと。俺らみたいな商人にとっちゃ、“金”が一番だけどさ。辺境まで含めたら、やっぱり塩ってのはでかいんだ。『水天の結晶だ』なんて言うくらいだもんな。塩は交易の基本で、ツヴァイは河川を使ってその塩交易を握ってるわけ。ツヴァイが水陸経済を牛耳ってる理由さ。河川っていう“場”に加えて、“物”まで揃ってるんだからそりゃそうさって話だよ」

「そのツヴァイにとってすごく重要な塩の売買で、この町の領主が密売かなにかをしてるの? それに、パデライさんが関わってる?」

「って考えるのが、すげーわかりやすい。わかりやすいけど、」

 メッチが首を捻る。

「……どうもしっくり来ないんだよなぁ。だいたい、領主なんてのは、御用聞きの大商会を抱えてるもんなんだ。塩の売買なんて美味しいネタ、そういう奴らがまず最初に喰いつくに決まってる。言っちゃ悪いけど、行商人上がりの師匠がそんなでかい商談を任されるなんて、普通じゃない」

「そんなにありえないことなの?」

「ああ。ありえないね」

 メッチはきっぱりと断言した。

「……やっていることが後ろめたいことだから、いつもの商会には頼めないとか。そういうことは考えられないかしら」

「そういうことなら、それこそお抱えの商会の出番だろうぜ。大商会の連中はそういう荒事に慣れてるし、伝手もある。普通は、自分の息がかかってる下請け連中にやらせるよ。信用も実績もない個人商会に自分の弱みを晒すなんて、よほどの間抜けだってやりゃしない」

「でも、パデライさんは昔、クァガイに所属していたんでしょう? クァガイの下請けとして動いているんじゃない?」

「そりゃ、クァガイも、この町じゃ領主のお抱えってわけじゃないらしいけど、付き合いくらいはあるだろうな。それならまあ納得できるけど――どうも、違うみたいだ」

「どうして?」

 サリュの疑問にメッチは答えず、ちらりとユルヴを見た。

「……さっき、イェルモンドさんに話を聞いてきてさ。っていうか、ほとんど強引に口を割らせたんだけど」

 非難がましい眼差しを受けた部族の牙巫女は平然としている。大きく息を吐いて、メッチが続けた。


「この町のクァガイは、少なくとも、領主がやってる表向きの塩商いには関わってない。むしろ、疑ってたよ。どうして師匠が、領主からそんな仕事をもらえてるんだってさ。なにか秘密があるんだろうってずっと探ってたらしいんだけど、師匠はだんまりでさ。絶対になにも喋らなかったんだと。俺達が商館に行った時の様子、覚えてるかい? イェルモンドさんがちょっと微妙な感じだっただろ。もしかしたら師匠の秘密と関わりがあるんじゃないかって、それを疑ってたらしいぜ」

「それじゃあ、この町のクァガイは無関係ってこと? 嘘をついているとか、知っていることを隠しているわけじゃなくて?」

「さあ、どうだろうな。とりあえず、俺ならあんなことされて黙ってられる自信はないけどね」

 あんなこと、の内容をメッチは言わなかったが、それがどういったものかは表情を見るだけで想像がついた。

 サリュがユルヴを見ると、部族の少女はむしろ誇るように堂々とした態度で、

「死んではいない」

 言い放った。

 ふと、思い出したように付け足す。

「血もそんなに出てないぞ」

 サリュはメッチと顔を見合わせて、示し合わせたようにため息をついた。

「なんだ。なにか文句でもあるのか?」

「そうじゃないけど……。じゃあ、パデライさんがどういう秘密を持っていたかは、わからないままなのね。どうして私達と会った後に、姿を消したのかも」

「そうだな。塩の売買に関わってたのは間違いないっぽいから、それが怪しいってくらい。クァガイからはこれ以上の情報は出なさそうだから、どうするかな」

「……そっちは任せてくれないかしら」

「なんか当てでもあるのかい?」

「ええ。もしかしたら、なにかの話が聞けるかも」

 脳裏に妖艶な美女の姿が浮かぶ。あの得体の知れない相手と話すことは気が進まないが、現状では彼女こそがもっとも有力な手掛かりに成り得るはずだった。――また明日ね。耳に残る淑やかな声音がなにか底知れない気配を伴って背中を這いあがり、サリュはそっと息を吐いた。

「どうした?」

「……なんでもない。ねえ、メッチ、お願いがあるのだけれど」

「なんだい」

「明日、カルレイナという人について調べてもらえないかしら」

「カルレイナ?」

「ええ。この屋敷に住んでいる女の人なの」

「へえ、領主の奥さんかなにか?」

 サリュは頭を振る。

「違うって、言ってたわ」

「じゃあ妾?」

「……わからない」

 再び頭を振って、

「よくわからないの。とても綺麗で、変わった人。私の話を聞いて、協力してくれるって言うから。明日、またその人と話してみるつもり。もしかしたら、パデライさんのことがなにかわかるかも」

「へえ」

 要領を得ない表情で頷くメッチの隣から、真っ直ぐな視線が向けられていることに気づいて、サリュは首を傾げた。

「どうかした?」

「大丈夫か?」

 ユルヴが訊いてくる。

 強い目力の奥にこちらを心配してくれている気配を感じとって、サリュは意識して頬を緩めてみせた。

「大丈夫。……ユルヴは、明日はどうするの?」

「別に決めてはいないが。――ヨウ達のことは、どうする」

 ――忘れていた。

「連中、こちらの動きを張っているようだ。さっきも、わたしとメッチの後を尾行している奴がいた」

「げ。そうだったのかよ」

「気づいていなかったのか?」

 呆れたようにメッチを見たユルヴが、

「……連中、こちらに自由に動かせておいて、そこから反応を得ようとしているようだからな。不愉快だが、なにかしらの情報を得られる可能性はある。話し合ってみるのも手だ」

「そうね。……ユルヴ、お願いできる?」

 自分はこの屋敷から出ることはできないから、彼女に任せるしかない。

「いいだろう」

 牙巫女は気負いのない様子で頷いてみせた。

「ラディの様子も見ておかないとな。一応は」

「ラディさん、一人で大丈夫かしら」

「平気だろう。元気に餌をやっているはずだぞ」

「餌?」

 サリュは首を傾げたが、ユルヴは説明を加えるつもりはないらしかった。肩をすくめて、

「話は終わりだな。サリュ、お前はまだ本調子じゃないだろう。早めに休んでおけ」

「ええ。そうするわ」

 頷いて、サリュはふと気になったことを訊ねた。

「二人はどうするの? メッチも、今日はこの部屋に泊まる?」

 若い商人がぎょっと目を剥いて、

「えぇ? いや、俺は――まあ、そうしてもいいけど……」

「帰れ」

 冷ややかな声色でユルヴが言った。

「なんでだよ。いいだろ、サリュだって言ってるんだし!」

「――いいのか?」

 言って、部族の少女は酷薄な笑みを浮かべる。ちらりと視線を流した。そこには、大きな肉食獣の毛皮が長く横に伸びながら、人間達の会話に耳を欹てている。

「クアルも一緒なんだぞ。寝ているところを頭から齧られてもいいなら、わたしは止めない」

 メッチの顔色が青ざめた。

「なに言ってんだ。まさか、さすがにそんなこと、」

 震えながらクアルを見やる。

 注目されていることに気づいたらしいクアルが、大きく欠伸を打った。そこにぞろりと並んだ鋭い牙歯列を見て、メッチはいっそう顔色を悪くした。

「……やっぱ帰るわ」

 立ち上がり、すごすごと扉へ向かう。哀れに丸まった背中が部屋から出て行くのを見送ったユルヴが息を吐いた。

「サリュ、少し出てくる。念のためだ。送ってくる」

「そうね。その方がいいかも」

 ユルヴとメッチは客人としてこの部屋に来たはずだから、この屋敷を出るまでは安全だろう。だが、その後で誰かに襲われるないとも限らない。相手はヨウ達か、あるいは領主の手の者ということもありえる。

「お前は先に寝ていろ」

「うん。気をつけてね」


 ユルヴが部屋を出た後、一人と一匹が残された室内で、サリュは深く息を吐いた。

 のそりと起き上がったクアルが、音もなく近づいて頬を擦りつける。大きな頭を抱えてその毛並みに顔を埋めながら、サリュは目を閉じた。

 暗がりに落ちた瞼の裏に、一人の姿が現れる。彼女がこれまで探し続けてきた相手だった。その懐かしい相手のことを強く思い描きながら、考える。


 塩。密売。パデライ、そしてこの町の領主アズドバル。

 ……リトは? リトは、この町で起きているなにかに、どう関わっているの。

 もしも本当に領主やパデライが塩の密売をしているとして、それに彼も関わっているのだろうか。なんのために。お金儲けのため? ――まさか、とすぐに思い直した。彼はそんな人じゃない。

 脳裏に冷ややかな笑みが響いた。


 ――お前にあの方のなにがわかる?


 声は、瞼に思い描いた相手から発せられていた。その姿が、いつのまにか彼女が想う相手から、それと似て異なる誰かに成り代わっている。

 怜悧な眼差しがサリュを見据えていた。口元には嘲るような笑みが浮かんでいる。


 ――お前にあの方のなにがわかる。


 うるさい、とサリュは呟いた。

 脳裏の幻を吹き散らす。しかしすぐにそれは元の姿に戻った。

 誰かの姿が言った。


 ――お前に、俺のなにがわかる。


 澄んだように濁り、乾いた眼差しに囁かれたサリュは息を呑み、きつく目を閉じてそれ以上なにも考えないようにした。クアルの頭を胸に抱く。ぐぁう、と苦しそうに身をよじらせる相手にひしとしがみついて、サリュは自分の意識が闇の底に落ちるまでそれを決して離さなかった。



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