最終話 俺の妻です
王城の大聖堂には、朝から多くの人々が集まっていた。
侯爵令嬢リリアーナの結婚式。
そして花婿は、この王国でも珍しい存在だった。
平民出身の騎士。
その噂はすでに貴族たちの間で広がっており、式が始まる前の大聖堂には小さなざわめきが満ちている。
「本当にあの男なのか?」
「元三番隊隊長だろう」
「近衛に昇格したと聞いたぞ」
「平民で近衛とは……前代未聞だ」
囁き合う声があちこちから聞こえてくる。
だが、その中で年配の貴族がふと首を傾げた。
「……知らないのか?昔、王太子殿下の命を救った騎士だ」
周囲の視線が集まり、その言葉がでた一瞬、空気が変わった。
ざわめきが少し大きくなる。
「そんな話が……」
「本当なのか?」
その時だった。
大聖堂の入口付近で、人々が静かに道を開ける。
そこに現れたのは、当の王太子だった。
穏やかな笑みを浮かべながら、彼は軽く肩をすくめる。
「ああ、その話は事実だよ」
静かな声だったが、不思議と大聖堂の空気は一瞬で静まり返った。
王太子は懐かしむように目を細める。
「あの時、刺客は十数人いた。私は完全に囲まれていてね」
少し間を置き、彼は祭壇の方──カイルを見た。
「……だが彼は退かず、私の前に立った騎士だ──命の恩人だよ」
先ほどまでのざわめきは、もうどこにもない。
誰も軽口は叩かなかった。
そんな空気の中、祭壇の前ではカイルが静かに立っている。
いつもと同じ騎士の姿勢で背筋を伸ばし、微動だにしない。
だが──その表情は、どこか落ち着かない。
その様子を後方の席から眺めていた騎士団の面々が、小声でざわついていた。
「……隊長、緊張してないか?」
「してるな」
「してる」
「してるだろ」
小さく笑いが漏れる。
ラルクが腕を組みながら、にやりと口の端を上げた。
「昨日、絶対会ってるだろ」
「お前な」
「黙っとけ、聞こえる」
「でも隊長、顔固いぞ」
「戦場より緊張してる顔だ」
隣の騎士が慌ててラルクを肘で突くも、くすくすと笑いが広がる。
ラルクは祭壇のカイルを見て、肩をすくめた。
「まあ仕方ないさ」
「?」
「“触れられない距離”に置かれてる男の顔だ」
騎士たちが一斉にカイルを見る。
そして誰かが小さく呟いた。
「……ああ」
「確かに」
「昨日何かあった顔だ」
「でも安心しろ」
「何がだ」
「あと十分もすれば──合法になる」
ラルクはにやりと口の端を上げ、わざとらしく肩をすくめて言った。
一瞬の沈黙のあと、騎士たちの間で、こらえきれない笑いが広がった。
その時だった。
大聖堂の扉が、ゆっくりと開いた。
一瞬で空気が静まる。
純白のドレスに身を包んだリリアーナが、ゆっくりと歩みを進めてきた。
堂々とした姿で、背筋を伸ばしている。
迷いのない足取りでまっすぐに、祭壇へ向かって進んでいく。
やがて彼女の視線が上がり──祭壇の前に立つカイルと目が合った。
その瞬間、まるで周囲の音がすべて遠のいたようだった。
カイルの表情が、わずかに緩む。
リリアーナも、ほんの少しだけ微笑んだ。
それだけで十分だった。
やがて式が始まる。
神父の声が、静かに大聖堂に響いた。
誓いの言葉が読み上げられ、二人は向かい合う。
指輪が差し出され、カイルは迷いなくそれを受け取り、リリアーナの指にそっとはめた。
まるで壊れ物を扱うような、慎重な手つきだった。
「誓いますか」
神父が問いかけると、カイルは迷いのない声で即座に答えた。
「誓う」
「あなたは?」
神父はリリアーナを見ると、リリアーナはふっと微笑み、カイルを見上げた。
「ええ。とっくに」
その言葉で小さな笑いが、大聖堂に広がった。
神父も思わず苦笑する。
「では──誓いの口づけを」
カイルは一瞬だけ彼女を見つめ、静かに身を屈めた。
触れるのは、ほんの一瞬。
けれどそれは、何よりも確かな誓いの口づけだった。
その瞬間──拍手が、大聖堂いっぱいに響き渡った。
祝宴は大いに賑わい、貴族たちも、騎士たちも、皆が笑顔で二人を祝福している。
若い貴族の一人が、少し緊張した様子でカイルに声をかけた。
「お、おめでとうございます」
カイルは静かに頷き、そして隣に立つリリアーナへ視線を向けた。
その目は、どこか誇らしげだった。
「俺の妻です」
ほんの少しだけ胸を張って言うその言葉に、周囲から温かな笑いと拍手が起こった。
リリアーナは思わず肩をすくめながら笑う。
それでも──カイルの隣に立つことが、どうしようもなく嬉しかった。
祝福の声が広間を満たしている。
その中で、カイルはふと彼女の手を握った。
強くもなく、けれど離さないように。
リリアーナは少し驚いたように彼を見上げるが、カイルは何も言わず、ただ静かに笑っていた。
その横顔を見て、リリアーナもまた小さく笑う。
──この人となら、どんな未来でもきっと大丈夫。
その時、カイルが小さく呟いた。
「──やっとだな」
「え?」
リリアーナが首を傾げる。
カイルは少しだけ照れたように笑い、彼は彼女の手を軽く握り直す。
「ずっと思ってた。いつか──堂々と、あなたを隣に立たせたいって」
リリアーナの胸が、静かに熱くなる。
そして二人は、顔を見合わせて笑った。
祝福の拍手の中で、二人は並んで歩き出す。
これから続く、長い人生へ。
──きっと騒がしくて。
──きっと幸せな未来へ。
リリアーナとカイルの人生は、ここから始まる。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
最後までお付き合いいただけて、とても嬉しいです。
もし少しでも「面白かった」と思っていただけましたら、ブックマークや評価、感想などいただけると今後の励みになります。
短いお話でしたが、リリアーナとカイルの物語を見届けてくださりありがとうございました。
実はこの作品、前作が個人的にかなりシリアスなお話だった反動で、「とにかく甘くて軽いラブコメを書きたい!」という衝動のまま書き始めたお話でした。
楽しんでいただけていたら嬉しいです。
ちなみに前作は雰囲気がかなり違い、シリアス寄りの物語になっています。もしご興味がありましたら、そちらも読んでいただけると嬉しいです。
※このあと、少しだけ後日談あります。




