第7話 守られる覚悟
近衛昇格の最終試験は、王城外の演習場で行われた。
形式こそ模擬戦だが、相手は現役の近衛騎士たち。
訓練とはいえ甘さなどなく、誰の目にもそれが本気の戦いであることは明らかだった。
観覧席には貴族たちが並び、その中には王族の姿もある。
そして⸻リリアーナもまた、婚約者として公の席に座っていた。
自然と視線が集まる。
「あれが平民出の隊長か」
「侯爵令嬢を射止めた男だ」
そんな囁きが広がる中、太鼓が重く鳴り響いた。
カイルは一瞬だけ観覧席へ目を向ける。
リリアーナと視線が合った。
⸻負けられない。
次の瞬間、試験開始の合図が響いた。
剣がぶつかり合い、火花が散る。
カイルは強い。
だが相手は三人。
近衛騎士たちは迷いなく連携を取り、容赦なく攻め込んでくる。
わずかな隙を突かれる。
鋭い刃が肩を掠め、血が飛び散る。
観覧席がざわついた。
リリアーナの手が膝の上で強く握られる。
それでも彼女は立ち上がらず、目を逸らすこともなかった。
演習場の中央では、カイルが再び踏み込む。
肩の傷など気にも留めない様子で前へ出ると、鋭い踏み込みとともに一人を打ち倒した。
カイルは倒れた騎士を振り切り、間を置かず二人目へ踏み込んだ。
その背後で、最後の一人が静かに距離を詰めていることに、ほとんどの者が気づかなかった。
足音すら立てない、近衛騎士らしい滑らかな踏み込みだった。
次の瞬間、死角から伸びた剣が一直線にカイルの喉元を狙う。
⸻危険。
そう気づいた時には、刃はすでに目前まで迫っていた。
その瞬間だった。
「そこまでです⸻私の騎士に、剣を向ける理由を説明なさい」
凛とした声が、張り詰めた空気を切り裂くように演習場へ響いた。
その一言で、剣を振り下ろしかけていた騎士も、身構えていたカイルも、すべての動きが止まる。
ざわめきに満ちていた観覧席も静まり返り、無数の視線が一斉に声の主を探した。
そしてその先にいたのは⸻席を離れ、静かに立ち上がったリリアーナだった。
「これは昇格試験であり、処刑ではありません。力量は、既に十分示されました」
落ち着いた声が静かに響き、王太子はわずかに目を細めた。
「口を出すのか」
「はい」
リリアーナは一瞬だけカイルを見た。
血に濡れた肩を見て、ほんのわずかに眉が揺れる。
そして、迷いなく言った。
「彼は王家に必要な人材なのでしょう?ならば、無駄に失うべきではありません」
そう言って一歩前へ進み、彼女はカイルをまっすぐ見つめる。
「そして⸻彼は、私の未来でもあります」
その言葉には、一切の迷いがなかった。
その言葉が落ちた途端、演習場を満たしていたざわめきがすっと引いていった。
まるで誰かが音を奪ったかのように、広い空間が静まり返る。
その静寂の中で、王太子がゆっくりと立ち上がった。
「……十分だ」
その一言が落ちたことで、昇格試験は静かに幕を閉じた。
カイルは膝をつきかけながらも、歯を食いしばって踏みとどまる。
そしてゆっくりと顔を上げた。
その視線の先に立っていたのは⸻リリアーナだった。
その瞳に浮かんでいたのは、誇りと愛情。
だがその奥には、ほんのわずかな悔しさが静かに残っていた。
◇
控室の扉が閉まり、二人きりになる。
「なぜ止めた。信じていないのか」
カイルの声は低く、どこか押し殺したように響いた。
リリアーナは何も言わず、静かに歩み寄る。
そのとき彼女は、彼の手がわずかに震えていることに気づいた。
それは怒りではない。
自分自身への苛立ちを、必死に押さえ込んでいる震えだった。
「信じています。だから止めました」
リリアーナは一瞬も迷わず答えた。
その即答に、カイルは言葉を失ったまま彼女を見つめる。
「俺は⸻」
「死んだらどうするのです」
その声には、わずかな震えが混じっていた。
普段は決して揺らがないリリアーナが見せた、初めての弱さだった。
「私は強いですが……無敵ではありません」
二人の間に沈黙が落ちる。
その静かな時間の中で、カイルの拳は次第に力を失い、ゆっくりとほどけていった。
「……怖かったのか」
「はい」
迷いのない答えだった。
その一言で、カイルの中で張り詰めていたものが崩れた。
気づけば彼は彼女を強く抱きしめていた。
傷口が開きそうになるほどの力で。
「……すまない」
「謝らないでください」
リリアーナは彼の胸に顔を埋めたまま、小さく笑った。
「守ると言ったのはあなたです。……今度は、私の番でした」
カイルの瞳がわずかに潤み、その奥からかすれた声が静かに零れた。
「俺は……あなたがいなければ、無理だった」
それは、彼女にしか見せない顔だった。
その言葉を受けて、リリアーナは彼の胸から顔を上げ、そっと彼を見つめて、柔らかく微笑んだ。
それもまた、彼だけに向けられる笑みだった。
「なら、これからも守り合いましょう」
カイルは何も言わず、ただリリアーナを見つめていた。
次の瞬間、二人の唇がそっと重なる。
それは、傷の痛みさえ忘れてしまうほど静かで深い口づけだった。
◇◇◇
彼女は、公の場で俺を守った。
最初は、誇りが傷つくと思った。
騎士として情けないとさえ思った。
だが、違った。
胸に残ったのは、屈辱ではない。
⸻誇らしさだった。
さっきの顔を思い出す。
あの強い彼女が、ほんのわずかに涙を滲ませていた。
俺の前でだけ見せた、あの弱さを。
俺はもう、一人ではない。
背中を預けられる人がいる。
隣に並ぶ女がいる。
ならば⸻もっと強くなる。
彼女のために。
必ず、近衛になる。
彼女の隣に、胸を張って立つために。




