表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白黒つけましょう?〜侯爵令嬢は平民騎士隊長を絶対に諦めない〜  作者: はな
婚約者編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

19/27

第4話 理性の境界線



 王都郊外の夜だった。


 視察を終え、王都へ戻る途中のことだ。

 乗っていた馬車が不運にも故障し、やむを得ず近くの小さな宿に泊まることになった。


 宿は街道沿いの簡素な建物だった。

 遅い時間だったこともあり、空いている部屋はほとんどないらしい。


 宿の主人が申し訳なさそうに頭を下げた。


「大変申し訳ありません。空きが一室だけでして……」


 その言葉に、しばし沈黙が落ちる。

 隣でカイルの顎がわずかに強張った。


 対してリリアーナは、驚くほど平然としている。


「構いません」


 あっさりと言い切った。


 どうやら、彼女は構わないらしい。

 構わなくないのは──カイルの方だけだった。


 ◇


 案内された部屋は質素だった。


 簡素な寝台が一つと、小さな机というそれだけの狭い空間だ。

 当然ながら、距離は近い。


 夜着に着替えたリリアーナは、いつもより柔らかな雰囲気を纏っていた。

 長い髪を下ろした姿は普段よりもずっと無防備で、部屋の灯りの下で静かに揺れている。


 カイルは窓際に立ち、外を見ていた。

 夜の街道は静かで、遠くに虫の声が聞こえる。


「隊長」

「……何だ」


 短く答えたきり、カイルは振り向こうとしなかった。


「こちらを向いてください」


 リリアーナがそう言うと、間髪入れずに返事が返ってくる。


「向かない」


 あまりにも即答だった。

 その反応に、リリアーナは思わず小首をかしげる。

 まるで子どもが意地を張っているようだった。


「なぜです?」

「……理性があるからだ」


 カイルは少しだけ間を置き、低く答えた。

 あまりにも率直な言葉に、リリアーナの頬がわずかに赤くなる。


 だが──今日は、少しだけ意地悪をしたくなった。


 静かに歩み寄り、リリアーナは彼の前で足を止めた。

 ほんのわずかに見上げる距離。


「私、信用されていませんか?」


 その言葉に、カイルがついに振り向いた。


 そして次の瞬間、視界に入ったものに息を呑む。


 柔らかな夜着。

 肩に落ちる下ろした髪。

 そして、灯りを受けて静かに光る婚約指輪。


 どれもが、いつもより無防備に見えた。


 思わず、カイルの喉が小さく鳴る。


「……そういう意味ではない」

「では?」


 リリアーナが、もう一歩だけ近づく。

 それだけで、互いの息遣いがわかる距離になった。


「私は婚約者です。……怖いのですか?」


 リリアーナが微笑みながらそう言った、その一言が引き金になった。


 次の瞬間、カイルの腕が伸びる。

 ぐっと腕を掴まれ、そのまま引き寄せられた。


 背中が壁に触れたのは、一瞬後だった。

 逃げ場を失い、リリアーナの息が思わず止まる。


「怖い?……あなたを傷つけることが怖い」


 低い声が耳元に落ちる。

 その近さに、思わず息が揺れた。


 次の瞬間、カイルの額がそっと触れる。

 気づけば、互いの呼吸がかかるほどの距離だった。


 二人の間には、もうほとんど隙間がない。


「……俺は男だ」

「知っています」

「あなたが思っているより、ずっと──欲がある」


 熱を帯びた視線とその言葉に、リリアーナの胸が大きく高鳴った。


 それでも、逃げない。


「……欲、ですか?」

「あなたに触れたい。……全部、俺のものにしたい」


 カイルの手がそっと顎を持ち上げた。

 リリアーナの瞳がわずかに揺れる。


 その視線を見たカイルが、低く息を吐いた。


「……そんな顔で、俺を見るな」

「私は、あなたの理性を信じているわ……カイル」


 小さくそう返すと、カイルの目が細くなる。


「……わざとか?……タチが悪いな」


 指がそっと顎を持ち上げる。


「──後悔するぞ」


 次の瞬間、唇が触れた。


 最初は確かめるような、静かな口づけだった。

 だがすぐに、それは深く長いものへと変わっていく。


 互いの息が絡み合い、なかなか離れない。


 思わず、リリアーナの指が彼の服を掴んだ。

 無意識の仕草だった。


 その小さな動きに応えるように、カイルの腕が背に回る。


 ぐっと引き寄せられ、距離はさらに縮まった。

 逃げ場のないほど近い距離で、体温が一気に上がる。


 あと一歩で、本当に境界線を越えてしまう──その瞬間だった。


 カイルが、ぴたりと止まる。


 唇がわずかに離れた。

 荒くなった呼吸が、すぐ近くで重なる。


 そのまま額を押しつけるようにして、まるで自分を押さえ込むようにカイルが目を閉じた。


 そして、ゆっくりと距離を取る。


「……まだだ。大切にしたい」


 わずかに震えた声でそう言った。

 息を整えるように目を閉じ、そっと額を合わせる。


「あなたを……あなたが選んだ未来を、こんな衝動で壊したくない」


 カイルは、強くリリアーナを抱きしめた。

 その腕には迷いがない。

 けれど、それ以上のことはしない。

 ただ、抱きしめるだけだった。


「俺はあなたを愛している。……だから、待つ」


 真剣な声での言葉が落ち、しばらく沈黙が続いた。


 リリアーナの瞳が潤み、小さく笑った。


「……ずるいです。そんなことを言われたら」


 そっと彼の胸に顔を埋めた。


「もっと好きになります」


 カイルは完全に言葉を失った。

 理性は──ぎりぎりで保たれていた。


 ◇


 本当に、危なかった。


 止めなければ、きっと止まらなかった。


 彼女は逃げなかった。

 それが、余計に理性を揺らす。


 指が、彼女の髪に触れかけて止まった。


 奪うのではない。

 選ばれ続ける男でいたい。


 ……とはいえ、今夜は眠れそうにない。


 彼女が、すぐ隣にいる。

 さっきまで腕の中にいた温もりが、まだ消えない。


 ……試練だ。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ