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白黒つけましょう?〜侯爵令嬢は平民騎士隊長を絶対に諦めない〜  作者: はな
出会い編

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14/29

第14話 迎えに行く



 侯爵家の書斎は、いつもと変わらぬ静謐に包まれていた。

 重厚な扉の前に立ち、リリアーナは一度だけ呼吸を整える。


「お父様、お時間を頂戴できますか」


 入室を許されると、侯爵は書類から視線を上げた。

 その目に驚きはない。


「来ると思っていた。隊長殿に会ったな」

「はい」

「一度、思い留まるよう伝えた」

「存じております」


 リリアーナがすぐに返事を返すと、侯爵はゆっくりと椅子にもたれた。


「恨んでいるか?」


 静かな問いだった。

 だがそこには、父として娘を案じる重みが、確かに宿っていた。


「いいえ。……感謝しております」


 一瞬だけ、侯爵の瞳がわずかに揺れた。

 すぐに表情は戻るが、その奥に、父としての静かな思いが滲んでいた。


「彼は本気でした」

「……そうか」

「だからこそ、離れたのです。私を守るために」


 書斎に、静かな沈黙が落ちた。

 侯爵は言葉を続けることなく、ただ娘の瞳をじっと見つめる。


 そこに涙はなく、揺らぎもない。

 ただ、選び取った道をまっすぐに見据える強さだけが、静かに宿っていた。


「お父様。私は、守られるだけの娘ではありません」


 リリアーナは一歩、前へ出た。

 言葉は穏やかだが、芯は揺るがない。


「政略の駒になる覚悟もございます。侯爵家の娘として、それは当然のことです。……ですが、自分で選ぶ覚悟も、持っております」


 その言葉に書斎の空気が張り詰める。


「私は⸻彼を選びます」


 侯爵の目が細まる。


「身分は?」

「超えます」


「困難は?」

「共に越えます」


「後悔は?」

「いたしません」


 一歩も退かない。

 やがて侯爵は、深く息を吐いた。


「似てきたな」

「……誰にでしょう?」

「……私にだ」


 小さな笑みが、口元に浮かぶ。

 そして、声音を引き締めた。


「……条件がある」


 リリアーナの背筋が、すっと伸びる。


「私は父だが、同時に侯爵だ」


 静かな声が、書斎の空気にゆっくりと溶けていくように続いた。


「王太子殿下が、お前を高く評価しておられることは知っているな」


 その言葉に、リリアーナはわずかに瞳を細めた。


 王太子からの正式な婚姻の申し出はまだ届いていない。

 だがもし王家が望めば、その選択は国の意思と無関係ではいられない。


 つまり、彼女の選択はすでに個人の感情だけの問題ではなく、国という意志の影にも触れる場所にあった。


 侯爵は娘を見た。

 試すようでもあり、父として案じるようでもある視線だった。


「そのすべてを承知した上で、それでも彼がここへ来るのなら——父として、私は答えよう」


 静かでありながら、決して揺るがない宣言だった。


「必ず、来ると信じています」


 その言葉に、彼女は迷いなく微笑み、確信に満ちた声で返す。


 侯爵はゆっくりと頷く。


「ならば、好きにしろ」


 その一言は、拒絶でも祝福でもなかった。

 ただ、選択を許す静かな許しだった。


 その一言を胸に、リリアーナは深く一礼した。

 扉を出る頃には、迷いは消えていた。


 父としての許しと、侯爵としての試し。

 その両方を受け取ったまま、彼女は扉を開いた。


 向かう先は⸻第三隊訓練場。


 ◇


 夕暮れの訓練場に、鋭い金属音が響いていた。


 隊長は一人、剣を振るっている。

 荒々しく、それでいてどこか追い詰められたような太刀筋だった。


「隊長」


 その声で、剣が止まる。

 振り返った瞬間、彼の呼吸が止まった。


「……なぜ来た」


 かすれた声だった。

 リリアーナはまっすぐ歩み寄る。


「迎えに来ました」


 夕陽を背にしたその姿から、迷いは感じられない。


「離れたはずだ」

「離れられておりません」


 ゆっくりと、距離が縮まる。

 胸が触れそうなほどの近さ。

 互いの体温が届くかもしれない境界で、リリアーナはまっすぐに彼を見上げた。


「⸻お父様と話しました」


 その言葉に、彼の表情がわずかに硬くなった。


「……怒られただろう」

「いいえ」


 リリアーナは、静かに微笑んだ。


「条件付きで、許可をいただきました」

「条件?」


 わずかに彼の声が硬くなった。

 リリアーナは、落ち着いたまま静かに首を振る。


「あなたが、正面からお父様の前に立つことです」


 その言葉に、彼の呼吸が一瞬止まる。

 逃げずに来い、という意味。


 身分も、立場も、覚悟も、すべて背負ったまま侯爵家に向かえということだった。


「……分かっている」


 低く掠れた声が、静かな空気に落ちた。

 言葉を探すように、彼はわずかに視線を揺らし、握り締めた手に小さな震えが走る。

 その沈黙の中に、迷いと覚悟の境界が、確かに揺らいでいた。


「俺は……」

「逃げないでください。……守ると仰いました」

「……ああ」

「迎えに行くとも」


 リリアーナはさらに一歩、踏み込んだ。


 夕陽が、訓練場を赤く染めていた。

 長く伸びた影が、二人の足元で交わる。


 彼の呼吸は荒く、握られた剣先がわずかに震えている。

 離れると決めた男の、揺らぎ。


 リリアーナは、そのすべてを見た。

 逃げない。

 視線を逸らさない。


 一歩、踏み出すと砂を踏む音が、やけに大きく響いた。

 彼との距離が、あと半歩ほど。

 胸が触れそうなほど近くで、静かに告げる。


「……私は来ました」


 言葉は強くない。

 だが、退路を断つ響きだった。

 その瞬間、彼の理性が音を立てて崩れた。


 強く、迷いなく抱きしめる。


「……勝てない。あなたには」


 低く零れるその言葉に、リリアーナはその腕の中で、静かに笑った。


「勝たなくて結構です。……並んでください」


 彼の瞳に、熱が宿る。

 しばらくして、彼は小さく息を吐いた。


「……侯爵の前に立つ。逃げない」


 腕の力が、さらに強まる。

 リリアーナはその胸に額を預けた。


 キスはない。

 ただ、確かな鼓動だけが重なる。


 言葉にならない想いが、胸の奥で静かに熱を持つ。

 触れた体温だけが、互いに選んだ未来を確かにしていた。


「待っています」


 彼女の囁きに、彼は深く頷いた。


 夕暮れの空の下、二人の影は、同じ未来を見て伸びていた。


◇◇◇


 彼女の温もりが、確かに腕の中にあった。


 離れたはずだったのだ。

 守るためだと、何度も自分に言い聞かせ、そうすることが最善だと信じ込もうとしてきた。


 それなのに⸻「私は来ました」


 あの一言で、積み上げた理屈も決意も、すべて崩れ落ちた。


 俺は強くなろうとしていた。

 彼女の隣に立つ資格を得るために、追いつこうと足掻いていたつもりだった。


 だが違った。


 あの人は、とうに隣に立つ覚悟を決めていたのだ。

 俺を置いていくのではない。

 並ぶために、自ら踏み込んできた。


 勝てない、と思う。


 強さでも。

 覚悟でも。


 それでも⸻だからこそ。


 もう逃げるわけにはいかない。


 侯爵の前に立つ。

 身分差も、嘲笑も、向けられるであろう敵意も、すべて受け止める。


 あの人が選んだ男として。


 腕の中で、彼女の額がそっと胸に触れる。


「待っています」


 その静かな声は、どんな剣よりも重く、そして誇らしかった。


 俺は、もう逃げない。


 この想いを、剣ではなく言葉に変えて伝える日が、必ず来る。


 次に膝を折るときは、騎士としての忠誠のためではない。

 一人の男として、願いを告げるためだ。


 侯爵家の大広間で、胸を張り⸻彼女の隣に立つ未来を、静かに見据えた。


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