開眼とレベルアップ
名医シズクがいると思われる村にやってきた。しかし、村と言えるかは非常に怪しい。故郷の村が人口三十人ほどだったのに対し、ここはおそらく三人。それも、ボロボロの家ばかりで、人が住んでいるかも定かではない。
「カイル、ここ不気味だわ」
サナが腕に抱きついてくる。無理もない。俺だって、早くここを立ち去りたい気持ちだ。今にも幽霊が出てきそうだから。だが、ウルリヒの紹介状を無駄にするわけにはいかない。村で一番立派な家の扉を叩く。少しして、住人が出てくる。
「すみません、シズクさんの家を探しているのですが」
「あれだ」
老人が指した先には、村一番のボロボロな家があった。まさか、あそこに名医がいるのか? 医者なのだから立派な家を構えていると思い込んでいた。
「用は済んだ。失礼する」
老人は、ぶっきらぼうに告げると、勢いよく扉を閉める。バタンという音が静寂を破る。
よそ者に冷たいという可能性は考えていたが想像以上だ。シズクという名医も機械的な対応しかしないかもしれない。最悪の場合、紹介状を読むことなく門前払いされることもありうる。
シズクの家に着くと、妙なことに、のぞき穴が俺の腰の位置くらいの場所にある。相当の年寄りに違いない。トントントン、とノックをすると、「何者だ」と鋭い声。
「隣村から来ました。司祭ウルリヒの紹介状を持っているのですが……」
「ウルリヒ? ああ、あのいたずら坊主か。さあ、入りな」
出迎えたのは、背が曲がった老婆だった。いたずら坊主という予期せぬワードに思わず立ちつくす。サナも首をかしげている。
「さあ、早く! この村は病で滅茶苦茶になったんだ。うちに病を持ち込む気か?」
そうか、閑散としている理由がようやく分かった。背をかがめて小さく狭い扉をくぐる。そこに広がっていたのは、家の外見からは想像できないほどの近代的な設えだった。外見でどう思われようとも、室内が快適なら十分なのだろう。家具は領主クラスのものばかりだ。おそらく、名医としての稼ぎがいいからに違いない。だが、一つ気になった。名医であれば、流行り病を治せるはずだ。なぜ、村は全滅に近いんだ?
「さて、ウルリヒから紹介状をもらったそうだね。よこしな」
「これです」
封筒を渡すと読むこともなく、ビリビリにして暖炉に放り捨てる。勢いよく燃えて、跡形もなく消え去った。
「話が長くなりそうだ。ソファーに座りな」
「では、遠慮なく」
サナと一緒に腰掛けるが、少々狭い。サナの吐息がよく聞こえる。
「ウルリヒの依頼は、お前の左目を治せ、というものだろう。その傷を見れば分かる。まったく、小さい頃、いたずらばかりした癖に、こういう時は頼ってくる。まったく、けしからん!」
さっきからの話を総合すると、ウルリヒはこの村出身で、シズクとはあまり仲がいいとは言えなさそうだ。果たして、俺の左目を治してくれるのか?
「紹介状は意味をなさない。だが、お前の目を治してやろう」
「本当ですか!?」
「条件が一つある。そこのエルフ、血をよこせ。エルフの血は貴重だ。今後の治療のために役立つ」
サナは「よろこんで」と応じる。
彼女のことだ、俺のためなら何でもするに違いない。たとえ、命を落とすことになろうとも。
「よし、話はまとまった。さっさと治す。あっちの部屋にベッドがある。寝ころんで待っていな」
ベッドで待つこと数分。シズクは、あっという間に手術専用の服に着替えていた。この小さな体に、これほどのエネルギーがあるとは。
「さあ、この薬を飲み干しな」
彼女は小瓶に入った怪しげな液体を指さす。緑色だが発色していて、目がちかちかする。ぐいっと飲み干すと、体が重くなる。おそらく、麻酔の類だろう。
「数時間は夢の中だ。旅の疲れを吹き飛ばすのに十分だろうさ」
まぶたが重くなり、シズクの顔がぼやけだす。数時間後、果たして左目は治っているのだろうか。
「ここはどこだ?」
見慣れぬ原っぱに一人寝ころんでいた。俺は火事に巻き込まれて死んだはず。ここは天国なのか? だが、そうならば他にも人がいるはず。そのような気配はない。そよ風が気持ちいい。探索する前に、のんびりするのも悪くはない。近くに落ちていた木の実を頬張ろうと手にしたとき、目の前に不思議な模様が浮かび出た。
「なんだこれ?」
木の枝のような図形のうち、一本の線が輝いている。そこには「ガルの実は、イズナ草で包むと苦みが消えて甘みが増す」と表示されていた。
「これは、ガルの実……?」
それが正しいかどうかを確かめる術はただ一つ。食べるしかない。覚悟を決めてかみ砕くと、口いっぱいに苦みが広がる。どうやら、ガルの実で間違いなさそうだ。だが、イズナ草がどのようなものか知らない。甘みが増すかどうかは確認できない。ただ、一つ確かなのは味覚も機能しているということだ。天国では機能しないはずだ。あくまでも、俺のイメージだけど。
「さて、まずはあそこにある森に行くか……」
森には小川が流れていた。流れはそれほど速くはないが、油断すれば怪我では済まないだろう。小川に置かれた石を足掛かりに前に進む。その石の間隔は、歩幅にフィットしていて人為的なものを感じる。つまり、この付近に人がいるに違いない。ここがどこか聞くにはちょうどいい。その時だった。森中に悲鳴が響く。驚いた小鳥たちは、いっせいに羽ばたく。どうやら、何かよくないことが起きているらしい。声のした方向に走り出す。
現場に着くと、そこには網に引っかかった女性の姿があった。おそらく、獣を捕らえる罠が発動したのだろう。
「大丈夫か?」
「ええ。助けてくれてありがとう」
「困っている人を助けるのは当たり前だ」
網を取り払いながら会話をしていると奇妙なことに気が付いた。この女性の耳は細長く、先が尖っている。映画で見たエルフのような姿だ。まさか、そんなわけはない。夢じゃあるまいし。その時、ビュー、という音が迫ってくる。それは、原始的な矢のものだった。
「危ない!」
女性を突き飛ばして射線からずらす。そこまでは良かったが、勢い余って近くの大木に頭をぶつけた。ぬるぬるとした赤い液体が左目を覆う。出血したのは間違いない。それよりも、頭をぶつけたことで打ちどころが悪いと死ぬかもしれない。
「大丈夫ですか?」
女性は駆け寄ると、ハンカチで血をぬぐう。出血の勢いは弱まったが、左目を開けることができない。もしかして、枝か何かが突き刺さったのか?
「ああ、そんな!」
悲痛な声からするに、どういう経緯であれ、左目は痛々しい外見をしているらしい。もしかすると、失明するかもしれない。だが、人の命を救えたのなら、それで満足だ。どうやら、力を使い果たしたらしい。まぶたが重い。少しくらい、休憩してもいいだろう。
「おや、やっとお目覚めか」
目の前には、シズクの顔があった。どうやら、手術中に過去を思い出していたらしい。寝ぼけているのか、前よりも視界が広く感じる。まさか……。右目を閉じても、真っ暗にはならなかった。つまり、シズクの治療で左目が治ったということだ。
「こんな短時間で? てっきり、一週間は包帯で過ごすものかと……」
「三流医者扱いされたら困るね。そうそう、エルフからは血をもらったからね」
そうだ、そういう約束だった。サナはソファーに座っているが、顔色が悪い。大量に血を与えたに違いない。
「サナ、大丈夫か? 具合は悪くないか?」
「うん、大丈夫。それにしても相変わらずね。自分より他人を心配するところは」
サナが、そっと頬に口づけをしてくる。顔が熱くなるのを感じる。
「お二人さん、そういうのは人の目のないところでやって欲しいものだね」
シズクは呆れているが、怒ってはいない。半分、からかっているのだろう。
「さて、約束は果たした。マルーンを目指しているんだろう。急いだほうがいい。もうすぐ嵐がやってくるからね」
彼女は、カーテンを閉めながら忠告した。
「ありがとうございました。なんとお礼をすればいいのか」
「気にすることはない。これはビジネス。お互い必要なことをしただけさ」
ビジネスか。確かにそうかもしれない。だが、俺は助け合いと言いたい。偽善であろうとも。
シズクの治療で左目が使えるようになった今、「エヴォ・ロジック」は前よりも効率よくなるはずだ。これで、多くの人の役に立てる。そして、その先には進化論を広めるという夢が待っている。商業都市マルーン。そこでは、多くの出会いと困難が待っているに違いない。だが、大丈夫。サナが隣にいれば、すべて乗り越えられる。俺はそう信じているから。




