異世界に進化論はない
すべては系統的に説明できる。それが俺の考えだ。たとえば、小説が章、段落というように徐々に細かく分け入るように。進化もまた、一つの種が分け入っていき、人類が誕生した。すべてには幹があり、枝があり、葉がある。一つ付け加えるならば、この世界にはゴリラもいなければ猿もいない。異世界であり、すべては創造神が作ったことになっている。つまり、進化論を信じている俺は異端である。
「カイル、また進化論を考えているの?」
サナは、フリルのついたエプロンに手をかけながら、こっちに振り向く。俺が誕生日にあげたエプロンだ。やはり、この柄にして正解だった。少し値は張ったが、それだけの価値は――。
「カイル……?」
「あ」
サナが近づいてきたのに気づかなかった。これも、サナがかわいいからである。金髪碧眼のエルフ。創造神とやらがいるのなら、サナを生み出したことに関しては褒めるに値する。それもあるが、彼女が左側からやって来たからだ。俺の左目には視力がない。だが、恨めしく思ったことはない。
「明日の祈り、やっぱり教会には行かない?」
「ああ。あそこに行っても、お互いに不愉快になるだけだ」
創造神を信じる村人と進化論を信じる俺。どちらが絶対に正しいとは言わないが、いわゆる犬猿の仲だ。一緒にいない方がいい。まあ、この世界に猿はいないのだが。
「サナは行ってこい。君までのけ者にされることはない。俺は、家でのんびりとしてるよ」
「また、『エヴォ・ロジック』を使って、改良するのかしら? 楽しみだわ」
「エヴォ・ロジック」。未来の進化を予測し、最適な成長ルートを示すスキル。これは、俺が転生した時に与えられた特典スキル。この世界には魔法はない。ゆえに、地味だがスキルチートができる。「この果物は、こう進化するから、この肥料を与えれば進化が早くなる」と。このスキルを使えば時短が可能で、スローライフを送るには十分だ。「瞬間移動」とか「剣術による無双」なんかより、俺に合っている。時代は武力より知性だ。
「まあ、何が改良されるかはお楽しみだ」
今のところ、種なしのスイカという、地味な改良をするつもりだ。俺のスキルはド派手に一足飛びには使えない。できないことはないが、おそらく二、三日はかかる。
サナは、神の存在を信じている。だが、俺の進化論にも理解を示してくれている。「進化論はカイルにとっての神様」という解釈で。できた妻である。
「さあ、祈りの時間は朝早い。もうそろそろ寝る時間だ」
翌日、サナが教会に行っていない間にスキルを発動する。スイカを凝視して、進化経路と最適解を導き出す。スイカの遺伝子情報が視界に系統樹として展開され、数万世代先の理想的な形質が計算される。系統樹の枝の一本の、最も甘く、種のない経路だけが、黄金色に輝いて見えた。
分かった、アステル産の肥料を使えばいい。あれに含まれる成分がスイカを刺激し、種なしになる。だが残念ながら、肥料は納屋にはない。行商人のルイーゼが都市で仕入れるのを待つしかない。待ちぼうけほど辛いものはない。畑に植えているトマトでも収穫するか。地味な改良だが、甘くなるようにしている。
「サナ、気に入るといいけどな……」
俺は、サナが喜んでくれれば、それでいい。つつましく、平穏に。それが一番だ。
「ただいま、カイル」
お姫様のお帰りだ。つまり、玄関に向かわなければならない。ある儀式のために。
「カイル、お帰りのキスは?」
俺は、そっと口づけをする。
そう、これが我が家の常識。だが、まだ慣れない。それに、少し恥ずかしい。前世では、あまり女性と付き合ったことがなかった。つまり、女性免疫がない。
「あ、この前、改良したトマト!」
玄関に向かうのに夢中で、収穫したトマトを手にしたままだった。
「カイルの顔に負けないくらい、真っ赤ね」
俺は、ますます恥ずかしくなり、顔が火照る。たぶん、今なら太陽と同じくらい明るいだろう。
サナはトマトを手に取ると、パクリとかじりつく。
「味はどうだ?」
「うん、程よい甘さ。それに、皮も固くないし、食べやすい。今までのトマトとは全然違う。やっぱり、カイルは天才ね。神様が作ったものを進化させるなんて」
「この場合は、進化じゃなくて改良だけどな」
俺の「エヴォ・ロジック」は、改良にも使える。この世界には、品種改良という知識がない。だから、少し手を加えれば一種の進化とも言えるかもしれない。
「さ、トマトの試食会は終わり。次は、サナの手料理の番だ」
「今日の夕食は、鶏肉のトマトソース煮か。これは、おいしそうだ」
俺はトマトに目がない。改良を試みたのも、それが理由だ。独特の甘酸っぱさがいい。前世とは違い、見た目は四角いが、トマトはトマトだ。
「いただきます」
「どうぞ」
サナは、ご主人様の反応を待つ犬のように微笑んでいる。その笑顔だけで、ごはん三杯はいける。トマトソース煮も合わせれば四杯だ。
「うん、うまい。さすが、サナだ」
「トマトが進化したから、おいしく感じるのよ。それと、偉大なる自然の恵みに感謝ね」
「いいや、これはサナの料理の技術のたまものだ」
「そう? 嬉しいわ」
金髪をいじりながら、サナが恥じらう。ああ、この反応もいい。これで、ごはん五杯目だ。
「そういえば、バルトロ様が用事があるって言ってたわ」
「用事……? この前、今年の分は納めたはずだが」
領主バルトロに呼び出されることは滅多にない。納税に問題があったか? それとも、別の何かか? 別件なら、金儲けの話に違いない。彼の信仰対象は神だけじゃない。金も、その対象だ。
「まあ、明日にでも行くよ」
「それがいいわ。あと、教会でね――」
教会。あそこには、あの男がいる。司祭ウルリヒ。彼と意見が合うことはない。あっちは、俺のスキルを知らなければ、進化論者であることも知らない。だが、薄々感づいているに違いない。俺が村の和を乱す源になりうると。村は狭い。明日、バルトロの屋敷に行く途中で会わなければいいが。
考えてるうちにも、夜はふけていく。明日もいい日でありますように。――だが、この願いが叶うことがないのは、この時の俺は知らなかった。




