プロローグ 始まりの予感
痛い、全身が痛い。頭から流れる血が目を覆い、視界を真っ赤に染め上げていく。目の前には、機関銃を構える何人もの男たち。なんとかして逃げようとするも、体は言うことを聞いてくれない。ああ、ここまでか……そんな思いが、胸の中を反芻する。しかし、これまでしてきたことを考えれば当然の報いだとも思う。自分は、ここで終らなければいけないのだと。体に力を込めるのをやめ、冷たいコンクリートの地面に身を投げ出す。そして、そのままの運命を受け入れ……
「撃て。」
一斉に始まる銃撃、けたたましい破裂音。放たれる銃弾は、私の体を貫き……
貫き……
「え。」
顔を上げると、目の前には警察官が立っていた。その男は私をかばい、全身に銃弾を浴びて。
「ああ……!」
倒れてくるその男を、私は必死に手を伸ばし抱きとめる。
「そんな、どうして。」
「どうしてって、そりゃそうだろ。」
男は、苦しい表情の中に笑みを浮かべてみせる。そうだ、そうだった。この男は、そういう人だった。
「うっ……!」
男は、口から血を溢れさせる。
「わかった、もういい。もういいから、早く一緒に帰ろう。」
「そりゃ最高だな、ぜひそうしたいもんだ。でも、ちっと難しいかもしれねえ。」
「おい、なんでだよ……これからじゃねえか……!」
「なんでってお前……そりゃ…………」
「おい、おい!」
声をかけるが、男は反応しない。ただ満足気な顔をして、目を閉じたまま目の前に横たわる。その男の体に、ただただ温かい水滴がぽたぽたと落ちる。その水滴は着実に、男の服を湿らせていき。
「なんで、なんでなんだよ……こんなの!」
機関銃の男たちが、動揺しながらも銃を構えなおすのが見える。だが、今の自分にとってはそんなことどうでもよかった。今はただ……ただ……
「うわああああああああああああああああああああああ!!!!」
目の前が真っ白になる……
それまで広がっていた世界が、景色が、ぼろぼろと崩壊し……
「お母さん!」
目が覚めると、そこは見慣れた自室の天井で。
「はあ、全く……うっ!」
自分のおなかの上にまたがり、娘が体を揺らす。
「お母さん起きて、お弁当!」
「もうそんな時間。」
「早く早く!」
「はいはい、わかったから。先にリビング行ってて。」
はーい!という大きな返事とともに、娘はおなかをおりてリビングに飛んでいく。
「ほんとに、子供の元気はどこからくるのかしら。」
何もなければ昼まで寝てるような娘だが、今日は小学校の友達と遊びに行くらしい。そのためのお弁当を作らなければならないのだが、にしても朝早すぎる。
「一体いま何時……。」
確認しようと時計に目を向ける、すると。
「ちょ、ちょっと!まだ6時じゃない!家出るのは9時でしょ、ちょっと!!」
娘の笑い声がリビングから響いてくる、おそらく楽しみでろくに寝てすらいないのだろう。でなければ娘が、こんな時間に起きてくるはずがない。
「あの子は本当にもう。」
起きてしまったものは仕方ないと、調理場に行き食事の支度を始める。本来ならば、女の子のお弁当は彩り華やかにでもした方がよいのだろうが。私はそういうまめな作業がどうにも苦手で、ついつい簡単な物にしてしまう。
「ハンバーグとベーコン乗っけておくけど、それでいい?」
「ハンバーグ!ハンバーグ好き!!」
娘は喜び、足をばたつかせる。
「こら、下の人の迷惑になるからどたどたしない。何度も言ってるでしょ。」
「はい!」
娘は笑顔のまま足をピッとなおし、きれいな気を付けの姿勢になる。
「よし。」
私は料理を作り終えタッパーに詰めると、それを娘に手渡す。嬉々として、それを鞄につめる娘。
「できた!」
「もし行くんなら、家出る前にお父さんにあいさつしてから行きなね。」
「うん!」
娘はちょこちょこと和室の方に行き、仏壇の前で手を合わせる。
「行ってきます……。」
するとすぐ鞄を背負って、娘は玄関まで駆けだす。
「じゃあ、お母さんも行ってきます!」
「はい、行ってらっしゃい。」
娘はそのまま、元気に家を飛び出していく。嵐のように去って行った娘の背中を見送り、私はそっと息をつく。
「ふう、一仕事終わった。」
娘が家を出た後に、残った家事をさくっとこなす。時刻は、11時を回ろうとしていた。お昼に垂れ流されるワイドショーが、野犬の出没を伝える。
「物騒な話、こりゃ日本ももうすぐ終わるかもね。」
ぽてちをむさぼりながら、一人でそう吐き捨てる。
「そうなってもらっては困るから、私がここに来たんだ。」
声のする方を見ると、そこには黒猫が一匹たたずんでいた。金の首飾りを付けたその猫は、まっすぐにこちらを見据えたまま続ける。
「久しぶりだな、天音心。」