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05 深淵は深まるよどこまでも・中編

 どくん、どくんと血が身体を巡る音。

 耳の奥に染み入るようなそれは自分のものなのか、あるいは――


「……これは」


 この鼓動に包まれると懐かしさ、安心感、そして拒絶反応がない交ぜになった不思議な感情が湧き出てくるのだ。


 懐かしい……わけがない。

 大賀山は小さい頃から何度も訪れてはいる。

 だが郷愁を覚えるものではないしなによりここは異界だ、ダンジョンだ。


 ……そんなことより、


「八坂さんなにしてんの」


 ダンジョンの明かりである青いラインから赤いそれへの境目に手を突っ込んだりしている八坂女史。

 俺みたいに驚きで素っ頓狂なことをしているわけではないだろうけれど十分に奇行だ。


 彼女はちょいちょいと手招きをして俺の手を掴む。

 そして手に青と赤の境目を超えさせる。

 とぷん、と膜が張ったような例のあれだ。


「……この先もダンジョンってことか?」


 なんとなく女史が言いたそうなことを探ってみるも彼女は首を横に振って否定した。


「正しくは『この先は別のダンジョン』ってこと」

「例外?」

「侵入者を選ぶダンジョンより例外。具体的に言うとどこのレポートにも載ってない」


 卒論の題材に収まりそうにないな。

 これでちゃんと書けたら修士か博士を貰えたりするのかな。


 まあ大体人跡未踏の地に行くのと同じくらい危ないだろうな。

 だからきっとこの言葉も熱病に浮かされたからだ。


「なあ、俺は足手まといになるかい?」


 こちらの確認に八坂女史は目をまん丸にして……口元を吊り上げた。


「探査要員としては落第。――だから戦闘要員として頑張って貰えます?」



 八坂女史は折り重なったこの迷宮のことを二重ダンジョンと仮称した。


 データにない以上、ここの危険度は既存の概念だけで測ると痛い目を見る。

 そう彼女は真剣な面持ちでこちらに告げたのだ。


「戦闘において気にかけることはできないと考えておいて」


 言外に隣は任せられるということだろう。

 こちらの手に負えないというのであれば即座に撤退をする。

 判断は場慣れをしている八坂女史の担当だ。


 暗く赤く光る扉を開けて歩を進める。

 石造りの砦のようにレンガが壁や床に敷き詰められていて先ほどまでの洞窟と比べると文明やら知性を感じられる趣である。


 ちょっとした小部屋になっているそこにはいくつかの分岐点となる扉が存在していた。

 マップアプリを覗けば不審な挙動を見せることなく別のダンジョンであるとタブが切り替えられている。


 探索は女史の主導のもと行われていく。

 致死トラップを看破し、または解除をしていく。


 宝箱に入っていたプロテクターやら美麗な長剣を彼女はバックパックに収納していくが、体積と合っていないような……。


「剣はともかくプロテクターは身につけてもいいんじゃないか?」


 こちらの疑問に対して彼女はやや考えるそぶりを見せて答える。


「呪いがかけられていたら厄介だから。〈鑑定〉の能力が高ければ完全看破はできるのだけれど」


 新たに手に入った水薬を女史はこちらに渡す。

 薬瓶をじっと見つめて〈鑑定〉をしてみるも、『薬』としか出てこない。

 これで毒だったらシャレにならないからやめた方が良いってのは分かった。


 のるかそるかの状況は出てくるかもしれないが少なくともいまはそれではない。


 リスク回避の観点から見ると正しいしなあ。


 敵一匹見当たらない回廊をゆっくりと、しかしなるべく早く踏破していく。


 地図アプリの記述や俺たちの目が正しければこの階層はあらかた調べ終わっているようだった。

 正確にはいま立っている扉より前は、だ。


 八坂女史は扉の前に立って以前俺に渡したものと同じ、ガイガーカウンターのような計器を使っている。

 後ろからそっと覗くとこれまで見たことのない数値をたたき出している様子が見えた。


 こちらを見ずに八坂女史は訊ねてくる。


「見た?」


 誤解を生む言い方をすれば八坂女史の計測しているものは魔力の濃度だ。


 これが濃密であればあるほど冒険者・モンスター・ダンジョンの(レベル)が高い傾向にある。

 そんな中はじき出された数値は先ほどのダンジョンとは比べものにならない数値だ。

 情報を更新していくことでこの先のモンスターの強さなども推測できる……こともある。


「説明書とにらめっこしながら測った庭のダンジョンとは比較にならないね」

「あそこも異常な数値だったけれどここはもっと。単純な計算で言えばもう上位の冒険者を頼んだ方が確実なくらい」


 言っていることは緊急事態そのものであったが八坂女史の声には余裕がある。

 くるりとこちらに振り向いて、彼女は挑発的な笑みを浮かべる。


「里見さん、貴方は行きますか? ここで退いて安全に稼いでいくか、もしくは命の危険を覚悟に挑むか――好きなほうを」


 どちらも同価値である。


 安全と安定。

 危険と不安定。


 危険から遠ざかってもいい、危険と戦ってもいい。


 世間的・物質的に得られる価値は当然違う。

 だがこれは気持ちの問題だ。

 冒険者として俺はどちらを取るかという話だ。


 昔、絵が好きだった。

 両親を説得して美大に行こうと思った。

 しかし画塾で一生を捧げてもこいつが今見ている景色にすらたどり着けないと理解させられた。


 幸運にも成績はやや良い方だった。

 普通の大学への受験にシフトしてもなんら問題はないほどには。

 高校まで俺は空気の読めない異物だった。

 学校に居場所はなく自己表現をする場所を求めた。


 だが求めた先で俺は至れない存在だと知ってしまった。

 人間の真贋があるとするならば贋物だった。


 逃げた先の大学では同期と表面的な話をしてそれ以来なにも話していない。

 心を削りながら就活で公務員になった。

 そこでも俺は社会を構成する歯車になれずにいた。


 結果、心身を削ってまた逃げた。


 俺の人生は逃げっぱなしだ。

 どこかで変わらないといけないと思いつつ先延ばしにし続けた。


 そしてまた俺の前に選択肢が突きつけられた。


 逃げ出せば楽だろう。賢いだろう。


 だけど俺は――そんな殊勝な人間になれるようなタイプではなかったのだ。


 庭のダンジョンが天の配剤だって言うのであれば、俺の中の天の声はとっくに聞こえていた。


 変わるなら今しかない、と。

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