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30 ダンジョンダイブ・前編

 とん、とん、とビルの屋上を跳躍していく様はバッタを彷彿とさせるだろう。ビル群を縫い、マンションやアパートの屋上を壊さないように跳んでいく。十分もかからないうちに我が家にたどり着いて、飛び込むようにダンジョンの管理室へ。


 PCに似たインターフェイスの管理画面。それにひたすら打鍵し、ダンジョンポイント(魔力リソース)をつぎ込み――視界が暗闇に飲み込まれる。転移時特有の浮遊感。


 空間を跳躍することで発生する波が俺の身体を痛めつける。雛月がこちらにハッキングをしかけた後、あいつは余程のリソースをつぎ込んだのか予想より『反発』が大きい。彼女が設置したセキュリティの隔壁を突き破るたびにバットや鞭で打たれたかのような、身に染みる痛みが全身を苛んでくる。


 しかし痛みそのものは大した問題ではない。


『アレと比べるといささか見劣りするな』


『まだここにいられると思ってたんだ』


 雛月の内側に入り込むほどに周囲から彼女を笑う声に満たされていくのだ。もしかすると、これは彼女が胸の中だけに収めたかったことなのだろう。未来を疑いながらも進んでいったあいつの、自分でも直視したくない汚点、トラウマ。


 ふう、と浮遊感が消える。降り立ったのは黒い海……ダンジョンを虚無に還す海に飲まれかけた回廊だ。上階に向かう道は、いくつものライトが頼りなく照らしていた。


 ……上に行くしかない。


 もうすっかりスクラップ三歩手前くらいに使い込まれた鉄杖を手に俺は回廊を進み始めた。


 進めば進む度に嘲笑が色濃くなり、ダンジョンからの物理的な攻撃が虚空から放たれてくる。それでもゆっくりと歩を進める。


 道の中央を陣取る人型の影たちがこちらに気づくとドロドロと溶けていく。流動的な、不定形の影は素早く動き、俺に巻き付いて締め付けてくる。


 不快に思い引きちぎればはじけ飛び、怨嗟の声とともに雨となった。黒い雨はじくじくとこちらの肌を焼き、水たまりからは黒い手がこちらの足首を掴んでくる。


 邪魔をしてくる影たちをちぎっては投げ、ろくに相手取らずに回廊を全力で進んでいく。


 ……光が見えてきたな。


 出口を目指すこちらに立ち塞がるのはのっぺらぼうの、影で出来た人間だった。そいつはスーツ姿で男性に見えた。服は身体のラインを上手くごまかすように、きれいに見えるように出来ていて、影を取り払った本物があるとするならば一点物だろう。ケバケバしい発色をした絵の具が礼服のあらゆるところについており、目がチカチカする。


 男はこちらと目が合ったのか……ギロリと歯列をむき出しにして笑う。ホワイトニングをしていてもそこまではならないだろうという純白はすがすがしさよりむしろ影人間が悪魔のように見えてしまうのだ。影人間はノイズのかかった、無機質な声を出す。


『盗作をするやつに居場所があると思うなよ?』


 ……こいつ。いや、いま考えることじゃない。


 ただまあ、――喧嘩のタネはできた。


 影人間はゆるりとこちらに向かってきたかと思えば拳を握り、振るう。攻撃に合わせて鉄杖を振るったが、一撃でこちらの武器がおしゃかになってしまう。



 お互いに拳を握り、テレフォンパンチを繰り出す。



 肺から空気が漏れた。


 鼻の骨を折ってやった。


 アバラがいい音を出した。


 みぞおちをついてやった。


 こちらの右手がひしゃげた。


 ひしゃげた手でアゴを打ち砕いてやった。


 打たれた。打たれた。打たれた。打たれた。打たれた。

 ひゅう、と息が漏れる。


「お前が――」


 あいつから、絵を奪ったんだな。

 

 左目が見えなくなった。


 よろめいた。たたらを踏んだ。


 ――首を絞めて、やった。



 気がつけば知らない部屋に立っていた。


 背後を見ればのっぺりとした壁があるだけで、周囲を見てもどこかに繋がっている様子はない。


「……来たんだ」


 光がおぼろげな左目が白いなにかを捉えた。声はつい最近聴いた、地元に帰っても会う勇気が出なかった人のそれ。ああ、ここは管理室なのか。こちらの異常を察したのか、雛月は位置をこちらから見て右寄りに変更する。


「……来てしまった」


「止める?」


 雛月は観念したとばかりに両手を挙げておどけてみせた。けれどどこかに怯えと抵抗の色が見えていて。


「……迷ってる」


 ぽつりと呟いた言葉に彼女はあっけにとられたような声を出して、尋常ではないものを見るかのようにこちらを眺めた。


 この期に及んでまだ迷っているなんて言葉が出るくらいに情けない人間がここまで来るだなんて、誰も思わないだろうな。


「ついていくのも嫌だけどさ、このままなにも聞かずに止めるのも嫌なんだ」


 ダンジョンは絶望した時に生まれるのであれば、ダンジョンマスターはどうしようもないどん詰まりの中にいたことになる。雛月はDM(ダンジョンマスター)たちも、地上の人間も眠らせると言った。もしかすると――


「支配下に置いたマスターたちを眠らせてるんだろ。……同じなら、見捨てられないと思ったんだろ」


「だから私は地上のリソースを取り込んでみんなを眠りに就かせる。貴方たちを殺してでもっ」


 雛月の語調に鋭さが宿る。彼女はまだ諦めていないのか。敵意こそあるが、こちらを見定めるようにじっと話を待つのだ。


「俺はどっちかなんて選べない。傷ついたやつの気持ちも分かる、でも――」


「――綺麗事はやめて」


 わずかな浮遊感ののちに景色が大広間へと移り変わる。雛月は身の丈ほどの木の杖を両手に、空間転移で距離を取った。


「私たちは地下に追いやられ、あいつらは今ものうのうと暮らしている! 私が、私が、どれだけっ――」


 彼女はもう話すつもりはないと魔力でできた矢を幾重にも放ってくる。……これ、食らったらさすがに死ぬな。


 俺は腰に佩いた一振りの長剣を――わずかに抜く。直後、目を潰しかねない光量が攻撃をことごとく焼き尽くした。俺の直線上に居た雛月は薄い紫色の魔力の壁を張って、わずかに肩で息をする。


「……今のは」


 焦げきった石床を見てぽつりと雛月は言葉を漏らす。


 輝光剣クラウソラス。抜けば全てを焼き尽くす光を操る術を手に入れる……という御触書の、神話級のアイテム。


 一歩間違えれば自身を殺しかねない代物に俺は冷や汗を流す。


「……悪いけど、手加減はできないからな」

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