03 パソコンが壊れる、冒険者になる
「あ、もう戻ってきたんですか」
庭ダンジョンから地上に戻るとキャンプ用の椅子に座っていた八坂女史がこちらに気づく。
用意周到じゃん……。
「帰ってなかったのか」
「初心者が未知のダンジョンに単独で潜るというのに放っておけませんよ。時間が経っても戻ってこなかったらさすがに報告しますし」
不法侵入者の割にモラルがある物言いだな。
モラルがある人間は不法侵入をしないが。
八坂女史はこちらが不埒なことを考えているのを見抜いたのかジト目でこちらを見やった。
「それでコアは破壊できそうですか?」
「フロアがひとつしかないのにコアがなくてさ、隠し扉でもあるのかな」
こちらの言葉に女史は一拍おいて唸る。
長い睫毛を伏せてなにか思案しているようだがこちらも別に心を許したわけではないので出て行って欲しいけれど……。
彼女は膝に置いてある鞄から手帳を取り出して貪るようにページを素早くめくっていく。
俺もアイデア帳を読み直す時はこんな風に集中してしまう。
そしてそんな時に他人から声をかけられて現実に戻ると不完全燃焼で胸につかえができてしまうもので。
などと芋ジャージ姿の美人を眺めているとハッと女史は顔を上げた。
「……その木刀とネックレスはドロップ品ですか?」
慎重に、壊れ物を扱うように言葉を紡いでいく八坂女史。
そこに邪心などは見えない。
なので間を置かずに俺は首肯した。
やや間が空いたあと、女史はポツポツと語り始める。
「ここ最近、ダンジョンコアがないダンジョンの噂が同業者の間で流れています」
「珍しいのかい?」
こちらの言葉に彼女はゆっくりと横に首を振った。
「わかりません。これまではコアが存在するものしか出現していませんでした。従来……というには新しすぎますが、それらとは何が違うのかをわたしは知りたい」
さらに「厚かましいのは承知の上ですが」と彼女は続ける。
「コアの存在しないダンジョンについて調査して欲しいんです。計器などの器具も提供しますし、出土品の所有権は当然あなたにあります。珍しいものが見つかれば伝手を頼って売りに出せるように取り計らいますので」
ダンジョンは日雇い作業員としても人気の職場だ。
命の危険性はあるがそれと釣り合うほどの収入も得られるとも聞く。
正直、副業ならば了承してもいい条件だろう。
ただ最大のネックは――
「俺の勘違いじゃなければ、ここから出てくるアイテムは譲渡不可なものばかりなんだ。だから、ごめん」
じっと俺の所持品を眺める八坂女史。
怪訝そうな表情はすぐに驚愕に染まる。
「……ほんとだ。ボランティアは……」
消え入るような声になんだかこちらも申し訳なくなってくる。
謝礼が出ないあたり彼女も金欠か、あるいはそこまでここを重視していないか。
俺も大学生の時分であれば二つ返事で頷いただろう。
だって面白そうだし。
「……俺にも生活があるんだ」
「じゃあお金は作ってきますんで!」
いや食いつきがいいな。
ここまで食い下がられるとなにか理由があるのだろうが。
「どうしてそこまでするんだい?」
じっと八坂女史の金の両眼を見つめる。
次の瞬間には視線を外されたが。
「……卒論のためですよ」
言いよどんだ。
まあそりゃそうか。
初対面の人間に大事な理由をホイホイ話す理由なんてない。
これは踏み込んだ俺が悪い。
ただこのまま放っておくと悪い方向に突っ走りそうで怖いんだよな……。
目を閉じて少しだけ考える。
うん、そうだな。
「計器とその使い方、あと差し支えのない連絡先。謝礼はいらないけどその代わり頻度は期待しないでくれ」
人を助ける余裕なんてないのに手を貸すもんじゃない。
それはそうなんだけれどな……。
◆
『冒険者の免許を取るつもりはないんですか?』
『資格取得にも時間と金がかかるだろ』
あれから一週間。
パソコンのメーラーには八坂女史とのやりとりがいくつかあった。
全てダンジョン関連の話ではあるがこういったものは引きこもりの俺には現実とのかすかな縁になる。
お互い金欠で貧乏暇なしを地で行っている。
ガイガーカウンターみたいな計器とかでの測定は簡素なものであった。
それに彼女のメールも計測結果に目を通したという確認のものだけだ。
その間もダンジョンに通うことはやめていない。
というのも宝箱もモンスターも日を跨いでしばらくすると復活するのだ。
モンスターは来た、見た、勝ったと言うしかないほどに簡単に退治できるし、宝箱の内容も初回と違ってパッとしないドーピングアイテムばかりだっだ。
一週間、毎日ダンジョンに通ってドーピングアイテムをキメる。
朝の日課が終わると後はひたすら絵を描いていく。
磁気ネックレスもどきのおかげで身体は軽いし疲れ知らずだ。
ここ最近の発見はぐっすり睡眠を取るにも体力が要るということである。
ネックレスをかけたまま寝ると決まって快眠できたので確実に体力の差だ。
初めてのダンジョンから八日後。
午前の作業を終えると大家さんが訪ねてきたのでそれを歓待している。
大家さんは大きなタッパーを持参していた。
中身はカボチャの煮物だ。
白髪のほうがはるかに多い大家さん。
彼は笑顔でできた皺を深くしてゆったりと話しかける。
「司くん、ちゃんと食べてるかい?」
「心配しすぎですよ加藤さん。俺より加藤さんの身体のほうが心配ですって」
「私も昔のようには歩けないねえ。でもここに来たばかりの君よりは大丈夫さ」
「あはは……」
俺は大学卒業後に役所に勤めていたが、社会と折り合いがつかずに大きなストレスを抱えて退職。
その後バイトも経験したがすぐに辞めていた。
心配した両親が大家さんに話をつけてここに住まわせてくれるようになったのだ。
それからと言うもののなにかとつけてこちらの生活を気遣ってもらっている。
イラストの仕事を受けるようになって実家からの仕送りを断ってからは家賃の支払いも幾度となく滞ったこともある。
だがそんな俺でも優しく接してくれているのだ、大恩がある。
そこでふとある考えが浮かぶ。
身体能力を向上させる小戦神のネックレスだが、もう一つ宝箱から得ている。
譲渡不可とはあるがそれを破るとどうなるのか。
〈鑑定〉に嘘が混ざっていることもあると八坂女史は言っていた。
彼女はそこまで看破する能力がなかったためこちらの言うことを信じて貰えたのだが。
前置きが長くなった。
つまりはネックレスを大家さんに渡して足腰を健康にして貰おう! というわけだ。
俺のネックレスを外して大家さんに渡そうとすると――
バチン! と二階から異音。
ちょうど仕事部屋……パソコンが置かれているところだ。
音の方向から手元に視線を戻すと小戦神のネックレスは影も形もなく消え去っていて。
慌ててパソコンの部屋までかけていくと当然のように煙がモクモクと出ている本体。
データ全損。
そしてパソコンの修理というものはバカみたいに金がかかる。
そんな金は今ない。
「大丈夫かい?」と大家さんの心配の声に「大丈夫ですよ」と答え。
その合間にスマートフォンで八坂女史にメールを送る。
『冒険者資格取れない?』