29 突入開始
K市中央区の繁華街。そこに雛月のダンジョンへの入り口がある。美術館や劇場、小さいながらも個展も開かれている地区である。日の光を受けるメインストリートから少し離れた、ごみごみとした小道の中に入り口はあった。
「里見さん、お疲れ様です」
「お久しぶりです、お兄さん」
建物にもたれかかっていると、宍戸君と草加さんが挨拶に来ていた。チームのメンバーはみんな挨拶回りに行っているらしい。社交性が高くてうらやましい限りである。
こちらも上手く集中できないでいたためちょうど集中を打ち切る出来事が欲しかったところだ。こちらも笑顔で挨拶をすると、草加さんはため息。
「少し力みすぎ違います?」
「桐香、ぶしつけじゃないか」
草加さんを諫める宍戸君を俺は止める。なれていないことをするものではないな……。
「いいんだよ、宍戸君。彼女の言うとおりちょっといらないこと考えてた」
駄目だよなあ、とぼやくと草加さんはどこか大人びた余裕を見せた。
「川で泳ぐときは力んだらいけません。流れに逆らうことなんて出来ませんし、そしたらなるようにもなりませんよ」
「……そうだね。ありがとう、元気が出たよ」
「お礼は今度――」
と、草加さんが先ほどまでの余裕を崩すと、おーい、とこちらに声がかかる。八坂女史の声だ。ととと、と軽快な足音を耳がとらえた。
「里見君、今日は早いね。お、宍戸君に草加ちゃん、久しぶりー」
溌剌とした笑顔で挨拶をする八坂女史。固くなって挨拶を返す宍戸君と、笑顔だが不服そうな草加さん。三人にとっては板葉地区以来のやりとりなのだろう。女史、入院してたしな。そうそう、病院関係者からそれとなくどうやって治ったのかを訊かれたんだけどぉ、疲れてて……なにも答えたくなくてェ……。
八坂女史は肘から手先までほどの長さがある杖をホルスターから抜いてこちらに見せる。
「いいね、これ」
杖先を人に向けるのやめなさい。銃みたいに弾丸が出たらどうするのさ。まああげたものを気に入ってくれるのは嬉しいけれどさ……。
というわけでこれは庭ダンジョンから出土したものを八坂女史に提供したものである。魔女の杖、効果は魔法と魔術の威力向上だ。練習用の杖で魔力を高めているとのことだったので、今の女史は魔法・魔術の分野であれば右に出るものはいないだろう。元々そこらへんが強かったのでさらに。
「……随分と仲がいいんですね」
どこか残念そうな様子の宍戸君と草加さん。草加さんなんかちょっと口をとがらせている。
「うん、研究も手伝って貰っているしね」
「……里見さん」
恨めしそうにこちらを見やる宍戸君。君の気持ちもなんとなく分かるがそんなうらやむようなものでもないからね。
「といってもダンジョンのことなんてわかんないからさ、やってるのは機器の設置とかだけ」
細かい調整やデータ取りは全部女史がやってるしな。そもそも彼女が使っている道具は既製品を改造したもので、その取り扱いに関しては本人しか習熟していないらしい。
「研究の手伝い……?」
「リッくん落ち着きや」
真顔で宍戸君の肩を揺らす草加さん。二人ともちょっと怖いよ。
そんな二人を見て八坂女史はあっけらかんと答える。
「まあしばらくは研究以外やるつもりないからねー」
しれっと断言する女史。宍戸君は一転してこちらに同情の色を見せる。そういうところに人徳が表れていいと思うよ、俺は。
◆
企業連の会長である綱手さんとその部下。冒険者協会の実力者たち。地元の有力者の部下。そして俺を引率する八坂女史。K大学の研究班はバックアップを担当するらしく、メンバーは女史と軽口をたたき合っていた。
ひとりぼうっと突っ立っていると後ろから制服を着た男……綱手さんがこちらの肩を叩いてきた。
「やあ、里見さん。調子はいかがかい?」
「……正直、まだそわそわしてますね」
こちらが出せる範囲で心情を吐露すると、綱手さんは義手をスマートにあごにあて考える仕草をとった。
「……ダンジョンマスターの雛月さんのことかな。高校時代、親しかったと聞いているよ」
非常に残念だ、と彼はこちらを慰めるように声をかける。……だがそこは踏み込んで欲しくなかったところだ。こちらの考えを知ってか知らずか、彼はこう続けた。
「……彼女が受けた仕打ちを考えれば復讐もさもありなんと言ったところだね」
「……そういうのには興味ないです。俺は、あいつの口から聞きます。聞くとすればですけれど」
「これは失礼。健闘を祈るよ」
彼女になにがあったのか、それは気になる。けれども俺は知った気になって上からすくい上げたいわけじゃない。ただ、雛月がいつか笑えるようになればいい。それだけなのだ。未来においてあいつと俺の関わりがなくなってもいい。俺のことを忘れ去ってどこか別の場所でやっていけばいい。ただ、もう一度笑えるように、絵が描けるようになって欲しいだけだ。
綱手さんが立ち去っていくと、見計らったように八坂女史がこちらにやってくる。
「お前さ……」
「ごめんって。あの人と話すと色々あるから……」
いいんだけれどさ。俺もあの人ちょっと苦手だし……。
こほん、と八坂女史は咳払いをした。
「ダンジョンポイントは溜めた?」
「ああ、できる限り」
ダンジョンポイントとはDMの思念や霊的素養……魔力などの蓄積総量のことだ。
日頃、俺たちはなにかしらふわっと考えて、なにかしら行動をして生きている。そうしているうちに溜まるものなのだが、これを手っ取り早く増やす方法がある。それは他のダンジョンの攻略だ。
ダンジョンコアを取り込んだり、モンスターを倒すことでDPを獲得できるのだ。思えばDM同士の抗争というのはDPの奪い合いを指していたのだろう。
ダンジョンポイントがあればなにができるか。モンスター、アイテムの生成やダンジョンの拡張などだ。要するにダンジョンに干渉したければその分だけDPを捧げなければならないということである。
とにかくここ数日間は未発見のダンジョンに潜ってはダンジョンコアを奪っていた。二重ダンジョンはなく、主がいるダンジョンは目覚めきっていたのか、あるいは雛月の支配下に置かれたか。
俺はダンジョンの管理室に行き――ダンジョンの支配権をできる限り穏便に簒奪する。
とりあえず地上への侵攻を止めさせて、そこからあいつと話してみるつもりだ。わかり合えないかもしれない。傷つけてしまうかもしれない。憎いものは踏み潰せばスカッとするかもしれない、苦しければ死んでしまえばこれ以上傷つかないかもしれない。
けれど、俺は生きて欲しい、幸せをつかみ取って欲しいと思ってしまうのだ。これは、理性の問題ではなく、感情の問題だから。
「里見君、そろそろだって」
ダンジョンアタックの開始が宣言され、続々と冒険者たちが侵入していく。八坂女史が入り、俺も続こうとして――バチン! と電流が流れたかのような衝撃が走る。
視界が白一色に染まった状態から回復すると、俺はダンジョンの前で尻餅をついていた。
俺の庭ダンジョンとやっていることは同じだ。――入場者を限定したのだ。
想像はできてたけれど実際にやられるとはなあ!
「けどな、そうなることは承知。……こっちにも手段があるんだよっ」
ざわめいている後方支援組の合間を縫うように走りだす。目指す場所は俺の家。
所用時間は……全力で走れば7分!
――ハックしてこっちに侵入できるんなら、逆も可能だってことだからな!




