23 ゴールドラッシュ
両親は売れない画家だった。
売れた時期もあったらしいが俺が生まれる前のことで、キャンバスの前に座る父の姿はどこか陰を落としたものばかりであった。
パートタイムで実質的に家計を支えていた母がポックリ逝くと生活も立ちゆかなくなってしまい、父はしばらく友人や知り合いに頭を下げっぱなしだった……らしい。
そこからなにか大きな転換になる出来事があったのか、いつからか父にある種の熱量が生まれてきたのだ。
希望というにはあまりにも後ろ向きな暗い情熱。
俺はいつしかそれに魅せられるようになった。
父は俺が絵を描くことを反対はしなかった。
しかし「絵描きで生きようとするなよ」と生計にすることには度々釘を刺していたが。今となってはよく分かる話だ。
イラストレーターでも食いつないでいくことは難しい。
アーティスティックな絵で食べようとしていた父は偉大だ。
しかしその分……苦しかった。
所帯を持って安定した暮らしをするという言葉からかけ離れた職種だよなあ。
さておき、高校デビューに失敗し俺は絵の世界に逃避するようになった。
絵は救いだった。描きたいものを描いていくのは純粋な喜びであったし、自分なりに巧拙が分かるようになれば次の指針だって見えてくる。
父には絵の道に進みたいと告げた。
貧乏暮らしをしたのは父が絵にかかりきりで現実に生きてなかったからだ。
そりゃあ自分だって父のように落ちぶれる可能性は過った。
俺のやってることは根本的には現実逃避だってのも分かってた。
でも、そんなことで諦めたくないじゃないか。
一生に一度の父へのお願いは……予想に反して叶えられた。
知り合いの画塾に通って良いと許可を貰ったのだ。
父はこうも言った。
『ただし、無理だと思った時点でやめさせる』
ありえないと笑っていた次の日、その覚悟が折れた。
抽象画の品評。
化粧っ気がなく野暮ったい、同い年の女子の番になるより前から画塾のみんなのため息が漏れ出す。
彼女――雛月ユキの番になり、全員の目が作品に向く。
諦観と冷たさ、触れてしまえば吸い込まれそうな絵だった。
『……この絵は?』
『欲望』
俺の問いに雛月は短く答えた。
ああ、タイトルか。
冷たく無機質で、ともすれば傷つけられそうな鋭さがあるこれが、欲望だと。
俺は否定したくて……けれどできなかった。
彼女の絵にかけたい言葉が形にならなかったのだ。
そして今でも……あの絵の答えは形作られていない。
俺はすぐに画塾を辞め、受験勉強の合間に絵を描くほどに落ち着いていた。
学校の美術部に所属してコンクールに送る程度。
幽霊部員だけの部活動。
夕方になると決まって部員でもない雛月と絵を描きながら他愛もない話をしていた。
びっくりするだろう?
たしかに画塾と学校は近かったし、なんなら制服だってウチの女子のそれだった。
住む世界が違うとどこかで思っていたから学校では会わないと思っていたんだろうな。
美術室で再会した彼女は、しかし俺のことをほぼ覚えていなかった。
『ああ、よくまとまった絵の……』
と突き抜けたところがない凡作を丸く評価するような言葉さえでてきたんだ。
あの絵を描いてなければリアルファイト待ったなしである。
高校一年の秋から昼休みも放課後も美術室で雛月と過ごしていくうちに、友情とも言いがたいなにかが芽生えてきて。
そんなある日、雛月は問いかけてきた。
『もう画塾には来ないの?』
『……俺には、無理だから』
絵で生きていくのが。
情動の生々しさ、美しさというものを描ける気がしない。
あからさまな彼女に対する劣等感に、しかし雛月は表情をゆがめることはなく。
『でも、私は好きだな。里見君の絵』
絵筆が手からこぼれ落ちたのをよく覚えている。
なぜなら雛月がニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべ……なにかに気づいたのか大慌てで自分も顔を真っ赤に染めたからだ。
筆を拾うことも忘れて雛月を観る俺に、彼女はわずかにそっぽを向いて天井に視線をやった。
『私、頑張るから。私、今度は里見君がまた絵を描きたくなるやつ描くから、絶対』
自信満々とは遠く、彼女の面持ちは不安で満面であった。
『大丈夫だって、お前の絵なら誰にでも届くさ』
格好をつけようとした励ましの声はうわずっていて。
しかし、先ほどまでの彼女の不安は綺麗さっぱりに吹き飛んでいた。
◆
「その短剣は良くないかな」
自信に満ちあふれた雛月の声。
彼女はダンジョンの最奥で悲鳴を従えてこちらを見据えている。
執事が二人死んでいる。
綱手さんと防人さんは四肢の一本を失っていて、八坂女史は目から血を流していて動けないでいる。
ここは俺がやるしかない。
こちらの動揺をどこまで見透かしているのかは分からないが、雛月はスッと目を細めるだけである。
「本当にそれを向けられる?」
「……随分といい性格になったじゃないか」
「貴方はがさつになった」
どこか懐かしむように雛月は呟いた。
高校で別れて以来なんの音沙汰もなかった旧友が地方都市の一角を手中に落とさんとしている時、どんな言葉を紡げばいい?
感嘆? それとも批難?
ショートしそうな頭を総動員し、とりあえずこの場を保たせてなにかを聞かなければ。
「人を殺すのは……良くないだろ」
「大賀山の大鬼も元は人間……ダンジョンマスターだよ」
「――は?」
あっけにとられている中、綱手さんが残った右腕を振るう。
青い燐光を纏うのは〈アーツ〉を使っている証左だ。
刃こぼれした長剣でダンジョンコアに肉薄せんとするが雛月がそれを許さない。
冒険者が〈アーツ〉を行使する際の青い光ではなく、彼女は赤い光を纏い白刃を防ぐ。
「少し眠っていて貰うよ」
膝を立てて屈している綱手さんに手をかざす雛月。
殺す気かと総毛立ったが彼は目を閉じて力なく倒れるだけで殺されてはいない。
鉄杖を投げようとしていたのを見抜いたのか、アイツは心外だとばかりに口をとがらせた。
「冒険者と違って人を殺すつもりはないよ。……少なくとも私は」
「なんで、ダンジョンマスターをやってる」
俺の問いかけに彼女は嗜虐的な笑みを浮かべる。
「そっか、里見君は例外だからわかんないもんね」
防人さんの身体がわずかに動く。
生きている他三人はみな負傷している。
せめて撤退だけはできるようにしたいが……。
防人さん、起きてくれ……。
超常の力を使わずとも倒れている身体に体重をかけて踏めば首の骨でも折れそうだ。
だというのにやらないのは本当に殺すつもりがないのか……?
「人生がどうしようもなく嫌になった人にマスターの資格が与えられるんだ」
「そんなの、誰だって……」
「強い後悔、負の感情。どうしようもない行き詰まりに陥った時、私はこちらへ来た」
里見君もそこまでは同じだったんだけどな、と彼女が付け加えた。
「誰でも救われたいって思うでしょ。そこで偶然、自身の城を築いて自分を救う道具を貰った。だから私たちはそう生きてきた、それだけ」
こちらにはこちらの事情があり、向こうもそれは同じで。
絶望してしまった彼女たちと踏みとどまっている俺たちには大きな断絶があるとでも言わんばかりの突き放した態度。
一言、つらかったなと肯定するのもみんなつらいと否定をするのにも踏み切ることができない。
折れかけた俺からみて、折れた人間とそうではない人間というのは隔たりがある。
その溝が埋まらない限り自分たちの言葉が真に届くことはないし、彼女たちの真意、本意というものが理解できることはない。
熱さからゆだってしまった卵はもう元には戻らないように。
不可逆の変質を遂げてしまったことが真実なのであれば、俺の言葉は簡単に届かない。
でも、それでもひとつの言葉、ひとつの行動は無駄にならない。
「なあ、なんでこんなことをする?」
いまこの時も地上はモンスターの侵入を阻止しようとしている。
当然ながらこれが続けばおびただしい量の人命が失われることになる。
「……世界でも滅ぼしたいのか?」
冗談めいたつぶやきに雛月は頷く。
「私たちは静かに生きたい、眠りたいだけだよ。侵略してくるのは貴方たちじゃない」
「……せめて魔物だけでも退かせてくれないか」
「――じゃあ里見君も一緒に来ない? そうしたら退いてあげる」
本気かどうかは分からない。約束を守るとしても……。
「――ごめん、俺は行けない。俺は……もう引きこもるのはやめたんだ」
それにこいつらを地上まで送らないといけないし。
そう付け加えると雛月は小さくため息をついた。
「分かった、ここは退いてあげる。けど私は誰を犠牲にしても静かに生きることを諦めない。……里見君が引きこもるのをやめたのと同じように」
雛月は手に触れていたダンジョンコアを虚空へとしまい込むと、ひらひらと手を振ってその場から消え去った。
『他のダンジョンマスターは容赦なく攻め込んでくるよ。私たちはもう、奪われるだけじゃない』
エコーのように室内に響く声が止むと、次第にダンジョンが揺れ始める。
宍戸君たちと戦った二重ダンジョン、そこでダンジョンを虚無へと還していたアレだ。
黒い水が徐々に部屋を侵食していく。
「女史、綱手さん、防人さん、アレに飲み込まれる前にとっとと脱出しますよ!」
冬の中頃、全国的にダンジョンの顕現が相次ぐ。
冒険者たちの死者は全体の一割未満を下回ったが僻地に地上ではモンスターが現れることもあり一般人の死傷者多数。
各地で目覚めたダンジョンマスターとそれを殲滅する冒険者の争いが活発化。
なおダンジョンマスターの数は統廃合の迷宮数などから少数と推測される。
皮肉にも年度末にはダンジョン産業の活発化により類を見ない好景気の時代へと突入した。
だがほとんどの人間はこのゴールドラッシュを歓迎できないでいる。




