異形の存在
セクタ427最後の生き残りである、孤独な老人のもとをあとにしたゲオルグたちは、その足で機能不全を起こしている〝神樹木〟へと向かった。
エメトまでの道のりには、破砕された建造物程度の障害物しかなかったが、内部に侵入すると状況はがらりと変化した。
黄色に近い胞子を、弱々しく放出する〝神樹木〟。
その内部構造は複雑に入り組んでおり、なによりゲオルグを辟易させたのは、防衛機構と思われるオートマトンが大量に生き残っていたことであった。
8脚をもつ戦狗のような機械人形が、連射式機関砲を絶え間なく展開し、集団で彼らに迫る。
棺桶を盾にして防ぎつつ、ゲオルグはツェオへと指示を飛ばす。
「ツェオ……第一幕まで、開帳」
「否定。第三幕までが順当」
「駄目だ。置換が進む。第一幕までで対処しろ」
「……了解」
ゲオルグが棺桶から左手だけを突きだし、トリガーを引く。
六連式小型飛翔体射出装置から、3発の誘導式小型飛翔体が発射され、最前列にいたオートマトンの主要観測装置の前で爆発。熱量によって、その機能を麻痺させる。
僅かな時間、弾幕が途切れる。
その隙をつき飛燕の如き速度で飛びだしたツェオが、金属腕を一閃し、オートマトンの脚部を切り飛ばす。彼女はそれを空中でつかみ、ウォードッグの炉心へと突き立てた。
爆発。
後退するツェオと、連鎖的に炎上するオートマトン。
「突っ切るぞ」
棺桶を斜めに担ぎ、被弾面積を減らしたゲオルグが走り出す。
ツェオは黙して、その後を追った。
§§
波状的に押し寄せるオートマトンをギリギリで退け、中央区画まであと一歩と迫ったところで、ゲオルグは足を止めた。
正確には、止めるしかなかった。
いまにも枯れ落ちそうな〝神樹木〟の苗木のそばに、人影があったためだ。
赤黒く変色した苗木からは、〝島〟ひとつを賄うだけの演算能力を見出すことが出来なかった。
なにより、その根元から伸びた一本の気根が、人影の尻から生える尾のようなものへとつながり、たえず電力と演算リソースを供給していることが、ゲオルグにはモノクルの分析能力でわかってしまった。
人影が身に纏うのは、足元まで届く黒いロングコート。それが腰元のベルトで引き締められており、スカートのように展開している。尻の部分だけが、裂けたように尾を避けている。
背後では幾つかの関節を持つ機械のアームが翼のように開き、中央区画に実る情報流体を次々に収穫していた。
両手は水平に伸ばされて、その指先が凄まじい速度で空間を叩いている。
攻性接続の類だと、ゲオルグは推測した。
短い、錆色の髪の人影──男性とも女性ともつかない顔つきの存在は、その青白い肌に無表情を張り付け、作業に没頭している。
「どうしたものか」
思わず呻くように、ゲオルグは言葉を漏らしていた。
その何者かは、明らかに常軌を逸した存在である。それをゲオルグは、直感的に悟っている。
そうして、このまま放置すれば、星の雫の情報が眠っているかもしれない〝神樹木〟の苗木が、完全に枯れ果ててしまうことも理解していた。
幸いその存在は、ゲオルグたちには気が付いていない──あるいは気が付いていたとしても、排除する対象とはみなしていない。
(取るに足らないとものと考えられている……ということか)
どうすればいいのか。
ゲオルグがもう一度、迷うように呻いたときだった。
「了承。過去の記憶断片に解答あり。再生──」
それまで沈黙を続けていたツェオが、唐突に口をひらいた。
唖然とゲオルグが振り返ると、屍人の少女は普段は決して浮かべないような意地の悪い表情になって、
「『当たって砕ければ拓く道もあります、騎士は常に、正面より挑むものです。わかりますか、おバカさん。わかりますか、ゲオルグ?』──以上、再生終了」
普段とは異なる、活き活きとした声音でそう言った。
「────」
その時のゲオルグの表情を、一言に要約するのならば〝苦渋〟だった。
羞恥に震え、屈辱に怒り、惨めさに嘆き、安寧に恐怖する。
幾つもの感情が混ぜ合わさって、彼の顔は酷い有様だった。
掘り起こされた記憶は、ただひたすらに彼を責め苛んだのだ。
やがて、ゲオルグは左手で、自らの顔を覆った。
「──ああ、知っている」
いまにも泣きだしそうな声音で、彼は心が軋むような呟きを滴らせた。
左手が顔から離れたとき、そこにいるのは普段となんら変わらない彼だった。
鷹のように険しい相貌に、凄絶な光をともす男は、棺桶を持ち上げながらツェオへと命じる。
「ツェオ、あれは邪魔だ。俺の──俺たちの邪魔をするものだ。障害はなんであれ、星の雫を手に入れることを阻むものはすべて、一切の呵責なく完全に排除する。俺たちは、あいつを除く。ツェオ、ツェオ・ジ・ゼル。俺の──死せる従僕よ──第一幕から第三幕までの開帳を承認。正面から攻略するぞ!」
「……ヤー。ヤー。委細承知です、私の主。〝戯曲・孔雀石の小箱〟──汝が命は、石の花のように散り逝くもの」
ゲオルグの覚悟ともに放たれた命令を受け、少女は肉体の束縛を解く。
演算能力の限定解除。
ツェオの脊髄に突き立つアンプル、その内部で情報流体と指示式が沸騰──上位ネクロイドとしての本来の性能が解放される。
それは、情報流体を活性化させることで己の身体を極限まで酷使する、肉体寿命を削る技術。
稼働限界の行使。
瞳を赫々と燃やし、首筋から光芒を引き連れながら、舞い踊るようにしてツェオが飛びだす。
ゲオルグはそれを援護するように、棺桶の底面を蹴りつける。
上蓋の一部が開き、飛びだしたのは、基部に加速装置が後付された鉈。
彼はそれを、一息に投擲する。
加速装置が螺旋状の焔を吐きだし、自ら意思を持ったようにロングコートの存在へと飛翔。
「────」
ゲオルグ側が行ったいくつかのアクションに対し、その存在が行った動作は、僅かにひとつだった。
無数に背面から生えるマニュピレーターのうちの一本が、マチェットをいなすようにして跳ね上げたのだ。
ただそれだけで危機は十全に回避された──
そう言うかのように、ロングコートの存在は淡々と作業を続ける。
「だが!」
ゲオルグがトリガーを引く。
射出される2発のペンシル・ミサイル。
同時に、ロングコートの頭上へと跳躍していたツェオが、マチェットを手にする。
そのまま、彼女は落下速度をまったく減殺せずに、いまだ情報流体の収穫をやめない謎めいた存在へと、その刃を振り落した。
ブースターが再点火し、さらなる加速が生じる。
飛翔体が着弾。
存在はそれをも自動的にマニュピレーターで防御したが──それ以上は、手が回らなかった。
メギャリと音を立てて、その青白い顔面に、ツェオの振り下ろした刃が突き立つ。
「──……」
そこで。
そこでようやく。
その存在は、ゲオルグたちを見た。
爬虫類のような縦長の光彩を持つ赤い瞳が、一切の感情が存在しない眼が、品定めするかのように彼らを一瞥し──
「──いまだ、その刻限ではない」
短く、そんな呟きを発した。
次の刹那、ロングコートの存在の周囲で爆発的な電力──もはや雷電と呼んで差支えがない電磁力の放出が起こり、周囲一帯のシリコンが過剰に反応。ブロックノイズのように変貌する。
次々に隆起と炸裂を繰り返し──苛烈なる閃光。
咄嗟に眼を庇ったゲオルグが、その左手を下げたときには、もうどこにもロングコートの姿はなかった。
「状況、終了」
脊髄の泡立つアンプルを真っ赤に染めたツェオは、糸の切れた人形のようにその場に倒れ臥し、そう呟く。
ゲオルグはしばらく立ち尽くしていたが、やがてすべてが終わったのだと理解した。
〝神樹木〟の苗木は、僅かに淡い、緑の色彩を取り戻していた。