機能不全の〝島〟
砂塵の先に、蛍光色の灯りを見て取って、ゲオルグは顔を上げた。
防塵ゴーグルの下で、量子モノクルが距離の算出を始める。
32時間ほど歩きつめれば辿り着く距離に、どうやら〝島〟が存在するようだった。
(だが)
と、ゲオルグは眉根を寄せる。
その〝島〟は間違いなく稼働していたが、〝神樹木〟の放つ胞子は、どこか警戒色に近い、弱々しさを感じる黄色だった。
§§
「誰も……いないな」
「肯定」
外界と〝島〟を隔てる城門を、ツェオの膂力によって強引に押し開き、内部へと入ったゲオルグたちだったが、そこにはひとの営みと呼べるものがまったく存在しなかった。
軌道を外れ、無秩序に動く自動機械や、自動人形の姿はある。
だが、それは生きてはいないし、そもそも生命体ではない。
背面や頭頂部、腹部に押し込まれた情報流体が稼働を促し、指示式がコントロールしているに過ぎない。
人間以外のほとんどのものは、〝神樹木〟が生産する情報流体を接続することでようやく動く。その程度のものである。
そして、そんな人形たち以外に動いているものはない。
量子モノクルで走査を行うものの、人間と思われる反応は返ってこなかった。
それどころか食料プラントや、浄化槽……人類の生存に不可欠なものまで軒並み停止している。
以前立ち寄った〝廃棄島〟のように、ネクロイドの巣になっている様子もない。
完全な廃墟のように、ゲオルグには思えた。
「だが〝神樹木〟が稼働している」
その光は弱々しいが、確かに動いてはいる。
そうであるのなら、ひとが住める環境であるということになる。
世界がどれほど広大でも、稼働している〝神樹木〟の数には限りがある。なんらかの問題があるとしても、むざむざ生命線である〝神樹木〟を人間が自ら見限るというのは考えにくかった。
もっとも、なんらかの理由で遺棄されているのだとして、しかしツェオのオーバーホールが行える設備があるのなら、彼には文句がないのだ。
むしろいさかいが発生しないぶん、ゲオルグにしてみれば有り難い話である。
屍人使いや、慧可珪素置換症の人間は、どこに行っても疎まれる傾向にある。
たとえ、ツェオが美しく儚げな印象の少女だとしても、それは変わらないことだった。
「とにかく、神樹木の端末を探そう。電力と高い演算能が必要だ」
短くゲオルグが言い放つと、屍人の少女も肯定を示す。
ふたりは宛もなく街中に歩きだし、そして、すぐに真実へと行きあたることになった。
「…………」
それを見つけたとき、そしてそれらが周囲の至る所にあると知ったとき、ゲオルグは無言で世界樹の印を切っていた。
心臓のまえで円を描き、首筋まで手を持ち上げる。
それから左肩、右肩、額の順番で触れるのだ。
彼は神に祈ったのではなく、ただ反射的にそうしていた。
「……そうか」
漠然と状況を理解して、彼は感傷の言葉を吐いた。
すべては、置換されてしまっていたのだ。
建造物の中に、いくつかのオブジェがあった。
穴倉の中には、オブジェが横たわっている。
シリコンの木に登るオブジェもある。
外廓から滑り落ち、空中に突き出た〝神樹木〟の根に引っ掛かったオブジェがある。
物言わぬ、五体を持つオブジェクト。
かつて、人間だったもの。
「とっくの昔に、このセクタは、終わっていたのだな」
真相に行き当たったゲオルグは、歯噛みとともにため息をついた。
ツェオは沈黙を保っている。
彼女と同じ病で住民が死に絶えたと知っても、ツェオに変化は生じなかった。
「──?」
なにかが軋む音を聞き、ゲオルグは反射的にその方向へと振り向いた。
ある家屋の──といっても、穴倉に過ぎない──その入り口が開いている。
「ツェオ、臨戦維持」
「ヤー」
言葉少なに指示式を起動し、ゲオルグは背負った棺桶の側面を叩く。
叩かれた部分が開くと、発条仕掛けで、手の平ほどの大きさをした把手のついた四角い金属塊が飛びだす。
六連式飛翔体射出装置。
空中でそれをキャッチし、構えたゲオルグは、ツェオを引き連れ家屋へと向かった。
家屋の扉にとりつき、磨いた射出装置を鏡のようにして差し入れて、そっと内部の様子を伺う。
すると、なかでは安楽寝所がひとつ、ゆったりとした動きで揺れているのだった。
「──旅人さん」
ゲオルグが踏み込むべきかどうか逡巡している間に、内部から声がかかった。
しわがれた、いまにも消え入りそうな声だった。
「この老骨を憐れに思うのなら、どうか入ってきておくれ。そうして、あといっときの、最期の話し相手になってはくれないかね、旅人さん……?」
その声は弱々しく、彼の命が風前の灯であることが明白だった。
彼は一瞬、ツェオに視線を移し、そして彼女が意見など持たないことを思い出して、やがて家屋の扉を、ゆっくりと押し開ける。
「おお……偉大なる月種に、感謝を」
感極まったような声音で、安楽寝所に包まれるようにして横たわる人物──その肉体のほとんどが慧可珪素に置換された老人は、感謝の祈りを唱えた。
その、片方しか残っていない瞳からは、目脂とともに黄色い涙がこぼれ落ちていた。
ゲオルグは射出装置を老人につきつけながら、低い声で尋ねる。
「質問したい」
「その前に、食事はどうだね? 端末もある。この家なら、好きに電力も、演算リソースも使える。すぐに家人に準備をさせて──」
「星の雫を知っているか?」
家人というくだりで眉間にしわを寄せたものの──なぜならゲオルグの視界は、作業用の多機能自動人形の姿を認めていたからだ──それでも彼は問いかけを続けた。
全身のほとんどが金属と化した老人は、その質問に一瞬目を瞠ったものの、すぐに笑みに近い穏やかな表情を浮かべ、ふたりに腰掛けるよう促した。
「旅人さん、まずは座ってください」
「…………」
「そこのお嬢ちゃんも、座りなさい」
「…………」
「お嬢ちゃんも、わたしと同じだろう?」
「わかるのか?」
ツェオに代わり、ゲオルグが意外そうに声を上げた。老人はいびつな──顔面の半分が機械に引っ張られた──奇妙な笑みを浮かべ、
「わかるさ。なにせわたしは、ずっとこの〝島〟に住んでいるのだからね」
そうして、この〝島〟で起きた事柄を、詳細に、か細い声で語りはじめたのだった。
「…………」
ゲオルグは、ずいぶんと迷いはしたが。
ツェオがひととして扱われたため、それを黙して聴くことにした。