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失楽園のネクロアリス ‐Garten der Rebellion‐  作者: 雪車町地蔵
第9幕 それは21グラムの果実

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戻り路 ‐バックドア‐

 ヘレネーが、ゲオルグに対しバックドアを仕込んだのは、彼と出会った培養槽でのことだった。

 狂ったカンファエットAIからエメトの権限を取り戻した瞬間、ヘレネーはゲオルグが現生人類ではないという事実に行き当たっていた。

 彼の総身には、彼自身も気が付かないほどの膨大な、世界を観測し続けられるほどの演算リソースが割り振られていたからである。


 いや──むしろ彼自身から、世界のすべてにリソースが振り分けられていると言っても過言ではなかった。

 その時点で彼女は、ゲオルグが星の雫に関係するものであると見抜き、そして彼の精神にバックドアを仕込んだのである。


 だが、かつて月種であったヘレネーであっても、ゲオルグがバックドアに気が付くことなど考慮の外だった。

 それほどまでに、ヘレネーの技術は卓越していたし、偽装は巧妙に行われたものだったからだ。

 ゆえに、ゲオルグがそれを指摘したとき、彼女は迷った。


 本来ならば、バックドアは最後の切り札だった。

 彼がツェオ・ジ・ゼルに賛同したとき、無理矢理にでも説得するための緊急措置だったのだ。

 ゲオルグ本人は、それを否定するかもしれない。

 しかし、ヘレネーにしてみれば、彼という存在は随分なお人好しなのである。

 情にほだされることなど、容易に想像できた。


「ヘレネー!」


 だから。

 名を叫ぶように呼ばれても、それでも彼女は逡巡し。


「──ッ」


 やがて、それ以外に打つ手はないのだと悟る。

 瞬時に直轄者から強奪した肉体が、磁性流体(スライム)のような粘度をもって伸長し、限界稼働を超えたツェオの肉体へと覆いかぶさる。

 次の瞬間、大爆発が起こり、その肉体の大半は消失。

 頭部だけが床面に落ち、一度跳ねて、どこかへと転がっていく。


 自爆行為。

 肉体の消失。

 だが、ヘレネーにとってはさしたる意味を持たない。


 彼女は情報知性体だ。

 もとより肉体に、固執などしていない。

 その知性のすべてが、波打つ電磁パルスとなって、ゲオルグの肉体へと殺到する。


「────」


 ゲオルグが苦痛に呻いた。

 毛細血管が断裂し、彼の鼻と目から血が噴き出す。

 ──ひとつの殻のなかに、ふたつの精神が内包される。


「ヘレネー」


 ゲオルグの精神体が、その半ば以上に鎖が巻きつき、制限状態(セーフモード)にある彼が、真っ直ぐな眼差しでヘレネーを見た。

 彼女もまた、同じく精神体だ。


 この状態では、(ファイヤーウォール)というものはほとんど機能しない。

 お互いが裸で向き合っているようなもので、彼のすべても、彼女のすべても、相互に閲覧可能な状況になっている。


 ゲオルグは、ヘレネーの企てを知り。

 ヘレネーは、ゲオルグの現状を知った。


「どうするの?」


 ヘレネーの問いに、ゲオルグは瞑目で答える。

 彼女がそっと手を伸ばすと、ゲオルグを縛り付ける縛鎖(ばくさ)──月種の干渉権限は、攻撃性をむき出しにした。

 鎖が変形。

 槍衾(やりぶすま)となって、ヘレネーの両手を串刺しにする。

 しかし、ヘレネーは止まらない。

 さらに穂先が分裂し、無数の棘をはやし、呪いは彼女に痛みを与えようとするが、ヘレネーは逆に、それを握りつぶしてしまった。


 音を立てて、砕け散る呪縛。

 解放されたゲオルグが、倒れ込む。

 いつかとは逆に、ヘレネーはそっと、それを支えた。


「あたしは世界を──現生人類を救いたい」

「俺は……ツェオに生きることを教えたい」


 寄り添い、互いの耳元で囁き合うふたり。

 目的は反目するようでいて、しかし一致していた。

 ツェオ・ジ・ゼルが人間になってしまえば、もはや地球の演算中枢であるエメト・オリジン〝中核(メフィスト)〟を破却する必要はなくなるからだ。

 そう、必要なくなるのだ。

 そのためには──


「……いいのね?」

「ああ」


 確認のように問う彼女に、ゲオルグは、迷うことなく頷きを返した。

 ヘレネーは月種による、ゲオルグに対する介入をすべてシャットダウン。彼のアイデンティティを確立する。

 神を名乗る存在による介入は、これで事実上不可能になった。


 同時に、ゲオルグ・ファウストの制限されていた身体能力が、ヘレネー・デミ・ミルタという管制塔を得たことですべて解放される。

 月種と──ツェオが〝密閉〟していた彼のすべてが、その刹那、解き放たれたのだ。

 やがて、抱き合ったままの彼と彼女の精神体が、融合を始める。

 すべては共有され、だが確固(かっこ)として各個(かっこ)が存在する奇妙な共存状態へと至った。


 かちりと、世界が時を刻む針の音が鳴り響く。

 現実の時間が、動き出す。


「────」


 立っているのはひとりの男だった。

 真っ黒な外套を羽織っていたはずのゲオルグは、いつしか赤いロングコートを身にまとっていた。


「言っておくけど」


 ゲオルグの口で、ヘレネーは忠告する。


「あたしは、ツェオちゃんを止めるためなら、あんたを使い潰すわよ?」


 彼は答えた、彼自身の声音で。


「好きにしろ。俺は俺の、自分勝手な願いをかなえるだけだ」

「策はあるの?」

「残り時間は74、73、72秒。71秒だ。時間を稼いでくれ。あとは──任せろ」

「……結構痛いから、それだけは覚えといて」

「いらぬお節介だ……」


 彼女は微笑み、彼は冷笑した。

 それを憤然(ふんぜん)と見下ろす、蒼色の光を帯びる執行者にして暴君──ツェオ。

 彼女の瞳は、憤怒に燃えている──


「奪うのですか、ヘレネー。あなたまで。あなたまでも私からゲオルグを奪って、喰らい尽くしてしまうつもりですか……!」


 激情を露わにする屍人の少女に、ヘレネーは失笑をもって答えた。


「男心がわからないのね、あんたって。だから小娘なのよ。まったく──」


 本当、世話が焼けるわ。

 彼女はそう呟くと、ゲオルグの肉体でターン・アークを──その最大火力たるレールカノンをツェオへと向ける。


「すべての母として、教育してあげなくっちゃね、それがなんという感情なのかを!」


 ヘレネー/ゲオルグが床を蹴り。


 ツェオが急降下とともに牙を剥く──

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